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私の官能小説が大流行した結果、恋愛経験ゼロなのに女嫌い王太子の恋愛指南役になりました  作者: 高八木レイナ


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7/10

六話 誤解が深まるカフェ打ち合わせ

 その翌日、書庫を訪れたエリオスは、いつもなら視界の端に入るはずの人影がないことに気づいた。リシェルは休みらしかった。

 ルドヴィクの応対を受けながら、エリオスは自分がわずかに落胆していることに気づいた。


「どうかなさいましたか?」


 ルドヴィクが目を細めて問いかけてくる。

 その穏やかな口調も、柔らかな物腰も、普段なら心地よく感じるはずなのに――今日はなぜか落ち着かない。


「いや……リシェルは休みか?」


「ええ。誰かと会う用事があるらしくて……」


(誰かと、会う……?)


 胸の奥が、ざわりと揺れた。

 窓の外を流れる風の音が、やけに遠く聞こえた。


「何かリシェルにご用事でもありました?」


 穏やかな問いに、エリオスは首を振る。


「いや……」


 本来なら、昼休憩に読書をするつもりで来たのだ。

 だが、そんな気分はすっかり消えてしまっていた。


(……仕事に戻るか)


 そう思って書庫を後にしたものの、胸の奥のもやもやは消えない。

 重い足取りで王太子政務室へ戻ると、側近のカイル・レグナートが「おや」と片眉を上げた。


「書庫に行ったんじゃなかったんですか?」


「……そんな気分じゃなくなった」


 カイルは少し黙り込むと、何かに気づいたように指を弾いた。


「はは〜ん。さてはお目当ての司書さんがいなかったんですね?」


「……そんなんじゃない」


 思わず声が荒くなる。


(お目当てだなんて……そんな気持ちで書庫に通っているわけじゃない)


 ――では、なぜ彼女がいないと知って戻ってきたのか。


 そう問われれば、答えられないのだけれど。

 カイルはエリオスの肩を軽く叩いた。


「まあまあ。気分転換でもしましょうよ。たまには王宮の外のカフェにでも行きませんか? 最近、パフェとコーヒーが人気の店があるんですよ」


(パフェ……)


 エリオスは甘いものが特別好きなわけではない。

 だが、苦いコーヒーは嫌いではなかった。

 わざわざ出かけるのは面倒だとも思ったが、ふと最初にリシェルと会った日の会話が脳裏によみがえる。


『学校食堂では何がお好きでしたか!? 私はプリンパフェで――』


 必死に話題をつなげようとしていた彼女の姿を思い出し、エリオスの口元にふっと笑みが浮かんだ。


(話題作りにはいいかもしれない)


 あそこのパフェが美味しかった、と伝えることもできる。

 あるいは


『良かったら一緒に行ってみないか』


 ――そんな風に誘うことだって。


 そこまで考えて、エリオスは慌てて思考を振り払う。


(考えすぎだ)


 だが、市場調査にはちょうどいい。

 そう自分に言い聞かせ、エリオスは言った。


「良いだろう。行こう」


「おっ? 珍しいですね」


 本当に乗り気になるとは思っていなかったのだろう。

 カイルが目を丸くする。


「市民が普段何を好んで食べているか知るのも、王太子の務めだ」


「そんなことはないと思いますけどね」


 カイルにばっさり切り捨てられたが、エリオスはその突っ込みを無視した。



 王都中央通りから一本入った静かな通りに、その真新しいカフェはあった。

 白い石造りの外壁。落ち着いた色合いの庇。

 店内には、香ばしいコーヒー豆の香りと、パフェの甘い匂いが漂っている。低く抑えられた会話声が、穏やかな空気を作っていた。

 貴族街にあることもあり、客の多くは身なりの整った貴族や富裕層だ。

 仕事の打ち合わせや情報交換の場としても使われる、いわば小さな社交場である。

 その窓際の席に、リシェルは座っていた。

 今日の装いは、袖口とスカートの裾に控えめな刺繍とレースをあしらった、淡いクリーム色のシンプルなドレスだ。打ち合わせだから、あまり目立たないほうがいいと思って選んだ。

 淡い灰青の髪は、ゆるく編み込まれている。

 だが、その指先は落ち着きなくカップの縁をなぞっていた。

 視線の先には、向かいに座る男――

 王都印刷工房の編集長、ギルベルト。

 今日は新作の打ち合わせの日だった。


「ここで打ち合わせですか?」


 リシェルが少し驚いたように尋ねる。

 普段は王都印刷工房で行うことが多く、カフェで話すのは珍しい。

 ギルベルトは穏やかに微笑んだ。


「先生はパフェがお好きだとおっしゃっていましたよね。それに、外の空気は創作の刺激にもなるかと思いまして」


「そ、そうですか……でも打ち合わせの内容って、あれじゃないですか……。ちょっと聞かれたら気まずいような」


「大丈夫ですよ。周りの会話なんて誰も聞いていません」


(そうかなぁ……?)


 リシェルは落ち着かない様子で店内を見回す。確かに客たちは、それぞれの会話や読書に夢中だ。


「気になるなら、声をひそめましょう」


「は、はい……」


 店員が注文を取りに来たため、リシェルはプリンパフェとコーヒーを頼む。

 ギルベルトはブラックコーヒーだけだった。

 注文が終わると、ギルベルトは指を組んだ。


「それでは、さっそく読ませていただきますね」


 リシェルはごくりと唾を飲み込む。

 大きめの鞄から紙束を取り出し、彼へ差し出した。


「あらすじと本文十枚です。まだ書き始めたばかりなので、途中までですが……」


「拝読します」


 ギルベルトは丁寧に受け取り、手袋越しに紙の端を整えると、一枚ずつ目を通していく。

 リシェルは落ち着かなかった。

 目の前でギルベルトに官能小説の原稿を読まれるのには慣れているが、羞恥よりも――。


(ちゃんと面白く書けているかな……)


 そんな不安のほうが強い。

 運ばれてきたプリンパフェを一口食べるが、緊張のせいで味がよくわからない。

 やがて読み終えたギルベルトは、冷めたコーヒーを一口飲み、眼鏡を外して眉間を揉んだ。


「率直に言って――面白いです」


「本当ですか?」


 リシェルの顔がぱっと明るくなる。

 しかしギルベルトは淡々と続けた。


「ただ、下書きという感じで荒削りですね。王太子がやたら肩をすくめるのが気になります。ため息も多いですし、苦笑しすぎです」


 リシェルは机に突っ伏しそうになった。リシェルがよくやってしまう文章の癖だ。前作では数えたら十回も騎士団長が肩をすくめていた。


「……すみません。直します」


「よくあることです。同じ表現を繰り返す先生は多いですから」


 ギルベルトはそう言いながら、インクをつけたペンで余白に書き込みを始めた。


「それより、このシーンが気になります。王太子は一度下着を脱いだのに、その後また脱いでいます。いつの間に着たんですか? それとも二枚着ているんですか」


 リシェルは今度こそ机に倒れ伏した。


「……間違えました」


「訂正しておきます」


 さらさらと書き込まれる文字。


『下着は一枚? 要確認』


 真面目に書かれるのが、かえって恥ずかしい。

 ギルベルトは顎を撫でた。


「ストーリーは面白いですが、王太子のキャラクターが少し薄いですね。理性的すぎます。恋に落ちた男は、もう少し理屈を失うものですよ」


「そういうもの……ですか?」


 リシェルは眉を寄せる。


(王太子という立場でも、そこまで夢中になるもの……?)


 少し考えてから、口を開いた。


「でも、仕事に支障が出るほどのめり込むのは、大人の男として魅力が落ちますよね?」


「確かに」


 ギルベルトは頷いた。


「大事なのはバランスです。ヒーローの有能さは保ったまま、独占欲を見せる。たとえば――」


 少し声を落とす。


「他の男を気にする。牽制する。嫉妬する。そういう感情が出ると読者は喜びます」


「なるほど……独占欲ですか」


 リシェルは原稿を見つめながら尋ねた。


「まずはさりげない独占の示し方です。腕を取る、視線を遮る、名前を呼ぶ声を低くする。そういった小さな行動が積み重なって――」


 ギルベルトは少し間を置いてから続けた。


「その後に熱烈な口づけをしましょう」


 ――そのときだった。


「……この店か?」


 低く抑えた男の声が、入口付近から聞こえた。

 だがリシェルたちは打ち合わせに夢中で気づかない。


「やっぱり、こんな場所は性に合わない」


「まあまあ。たまには息抜きも必要でしょう」


 軽い調子の返答。

 続いて、店内の数人の視線が一斉にそちらへ向く。

 フード付きの外套を羽織った青年が、渋々と店内に足を踏み入れた。

 その立ち姿だけで、ただ者ではないと分かる。


 ――エリオス・アルクレイン。


 王太子は、友人――あるいは腹心らしき男に半ば引きずられるようにして、空いている席を探していた。


「……ここでいい」


 そう言って腰を下ろした位置が、偶然にも、リシェルたちの後ろだった。

 エリオスは視線を巡らせ、ふと聞こえてきた会話に眉をひそめる。

 隣のテーブルから、年上の男の声が落ち着いた調子で聞こえてくる。リシェルの声も混じっていた。


(……この声は)


 王都印刷工房の編集長ギルベルトだ。

 エリオスは彼らの存在に気づき、動きを止める。

 ギルベルトの向かいに座っている、見覚えのある後ろ姿の女性。


(……あれは)


 リシェルだ。

 二人だけの空気があった。それだけは分かった。


「……それは嫉妬心が過ぎませんか?」


 彼女はそうつぶやいて俯き、耳まで赤く染める。

 ギルベルトが即座に返す。


「いっそ他の男性を登場させて嫉妬させるのも面白いですね。行為を見せつけてやるんです。嫉妬心も煽れますし、男がどんなに情熱的かもわかるでしょう」


「や、やめてくださいっ。ここはカフェですよ?」


 周囲を気にするように、リシェルは慌てていた。

 そのとき、ギルベルトの視線がエリオスと合った。その瞳がわずかに見開かれるが――直後に、こちらを見て微笑んだ。

 その表情が、まるで彼をこけにしているように感じた。

 胸の奥が、鈍く軋む。

 どうしてそんな気分になるのか、自分でもわからない。

 なぜこの男が彼女と二人でいるのか。そもそも、この状況は何なのか。


(なるほど……)


 ゆっくりとそれを理解した。


(二人は付き合っているのか……)


 おかしいとは思った。司書とはいえ、リシェルのような子爵令嬢に、王都印刷工房の編集長ギルベルトがわざわざ会いに行く理由がない。


 ――彼女が誰と会おうと、自分には関係ないはずなのに。


(どうしてだ……?)


 不愉快で仕方がない。


「どうしました?」


 向かいのカイルが怪訝そうに尋ねてくる。


「いや……何でもない。先に帰る」


 苦々しい気持ちを飲み込んで、エリオスは立ち上がる。

 盗み聞きなど、王太子のすることではない。


「えっ、もう!? 何も注文してないのに?」


 カイルが大きな声を発したために、前にいたリシェルも気づいたようだ。こちらを振り返り、驚いたような表情をする。


「エリオス殿下!?」


 一瞬だけ、視線が絡んだ。

 振り返らずに、エリオスは店から出て行った。

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