第6話 禍人 後編
朝。
納屋の扉を開けた瞬間、冷たい空気が流れ込んだ。
村の上には、灰混じりの白い空が広がっている。
焼け落ちた家々と、折れた結界柱が目に入った。
ユウマは、まだ少しふらつきながら外に出た。
「……禍鬼には、なってねぇな」
イツキが、まじまじとユウマの目を覗き込む。
「何そのガッカリしたような確認」
「いや、安心してんだよ!」
慌てて言い直す姿に、ユウマは小さく笑った。
レンは、村長とともに社の前に立っていた。
その周りには、生き残った村人たちが集まっている。
皆、複雑な顔をしていた。
「夜通し見張っていたが」
レンが静かに言う。
「禍鬼化の兆候は一つもなかった。目も濁らず、牙も生えていない。少なくとも、今までの『噛まれた者』とは明らかに違う」
ざわめきが走る。
「じゃあ、安心して一緒に暮らせるってことか?」
「……そう単純な話ではない」
レンは、首を横に振った。
「禍鬼にならないのは確かに救いだが、『禍鬼にならない何か』であることもまた事実だ。何をきっかけに、どんな影響をもたらすか、今は誰にも分からない」
村人たちの顔に、再び不安の色が濃くなる。
その空気の中で、村長が一歩前に出た。
深く刻まれた皺が、さらに濃くなる。
「……三年、一緒に暮らしてきた」
村長の声は、震えていた。
「ユウマ、お前の働きぶりも、人柄も、よう知っておる。昨晩だって、何人も救ってくれたことは、誰も忘れてはおらん」
その言葉に、あちこちからうなずきが漏れる。
酒を奢ってくれた男が目を伏せ、
野菜を分けてくれた女が、涙を拭っていた。
「じゃが——」
村長は、苦しそうに続けた。
「噛まれたのに禍鬼にならぬ者など、聞いたことがない。禍鬼でも、人でもない。お前は……わしらには測りかねる存在になってしもうた」
喉の奥で言葉が引っかかる。
それでも、絞り出すように言葉を継いだ。
「結界が落ちた夜に現れ、禍鬼に噛まれても変わらぬ者。……わしらには、それが『禍』を呼ぶ者に見えてしまう」
村長は、ユウマを見つめた。
「ゆえに——」
一拍置いてから、その言葉を口にする。
「お前を、『禍人〈まがびと〉』と呼ぶ」
ざわり、と空気が揺れた。
「禍の、鬼でもなく、禍の、人でもあり得ぬ者。これ以上村に留めておけば、お前にも、この村にも、また新たな禍が降りかかるやもしれん」
村長は、杖を強く地面に打ち付けた。
「ユウマ。……いや、禍人よ」
その呼び名は、呪いのようであり、祈りのようでもあった。
「この村から、出ていってはくれぬか」
静寂が落ちた。
ユナが、息を呑む。
「そんな……!」
「ユウマを追い出すっていうの!?」
村人たちの中にも、涙声が混ざる。
「でもよ……」「もしここに残ってて禍が起きたら……」「子どもたちが……」
感情と恐怖が、入り混じる。
ユウマは、村長の顔を見ていた。
そこには、憎しみはなかった。
恐怖と、責任と、諦めだけが滲んでいる。
(……そう来るか)
どこかで、予想していた展開だった。
三年間共に暮らしてきた情と、昨夜の惨状。
その両方を抱えたうえでの「追放」。
腹は立たなかった。
少なくとも、前の世界で見たような、露骨な悪意と打算だけで切り捨てられるのとは違う。
「……分かった」
ユウマは、あっさりと頷いた。
「出ていくよ」
ユナの肩が、びくりと震えた。
「ユウマ!?」
「いいんだ」
ユウマは、彼女に向けて小さく笑う。
「ここに残っても、きっと落ち着かないだろ。俺も、お前らも」
村の視線。
噂話。
何か起きるたびに「禍人のせいだ」と囁かれる未来が、簡単に想像できる。
「それに——」
ユウマは、右肩に手を置いた。
包帯の奥で、何かがかすかに蠢いている気がする。
熱とは違う、異物感。
「俺自身、このまま畑で一生終える気にはなれなくなった」
禍鬼の吐息。
折れた結界柱。
森の向こうに広がる、まだ見ぬ七つの国。
「禍人って呼ぶなら、その禍の元ぐらいは自分の目で見ておきたいしな」
そう言って笑ってみせると、何人かの村人が顔を覆った。
村長は、深く頭を下げた。
「……すまぬ」
「謝るぐらいなら、酒の一本でも持たせてくれ」
「それぐらいなら喜んでじゃ」
乾いた冗談に、かすかな笑いが起きた。
その空気を裂くように、ユナが一歩前に出た。
「じゃあ、私も出ていく」
凛とした声だった。
「ユナ!?」
村人たちがざわめく。
「お前、何を——」
「ここには、もう私の家はない」
ユナは、焼け落ちた自分の家の方角を一瞥した。
「父さんと母さんも、昨日の夜、禍鬼に殺された。守れなかったけど……最後まで、私を守ろうとしてくれた」
その声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。
「この村で一人で残って、『禍人と仲が良かった子』って目で見られながら生きてくより、ユウマと一緒にいる方がいい」
ユナは、ユウマの方を向いた。
「勝手について行く」
「いや、勝手すぎない?」
「嫌なの?」
問われて、ユウマは言葉に詰まった。
嫌なわけがなかった。
それでも、口にする言葉は少しだけ違う。
「……危ないぞ、多分」
「村にいても、もう安全じゃないよ」
ユナは、静かに言う。
「だったら、守りたい人のそばにいた方がいい」
その一言は、ユウマの防御をあっさりと突破した。
「ずるいな、お前」
「ずるくない」
即答だった。
そのやり取りを聞いていたイツキが、頭を掻きむしる。
「……じゃあ、俺も行くか」
ぽつりと呟いた声に、周囲の視線が集中した。
「イツキ!?」「お前まで何を——!」
「ここに残って、普通に生きたら……俺、多分、一生寝る前に吐き気すると思う」
イツキは、苦笑いにもならない顔で言った。
「五番札サボって、友達置いて逃げて、それで『禍人追い出して一件落着』みたいな空気の村でさ。いくら笑って飯食っても、絶対どっかで腐る」
言葉の選び方は不器用だが、本音だった。
「だったら、禍人だか何だか知らねぇけど……こいつと一緒に、ちゃんと正面から禍とか世界とかと殴り合った方が、まだマシだ」
イツキはユウマを見た。
「お前一人に、いい顔させたくねぇしな」
「……なんでそう、余計なとこで張り合うかな」
呆れながらも、ユウマの胸の奥で何かがほどけていく。
村長は、しばらく目を閉じていた。
やがて、静かに頷く。
「……三人とも、もう立派な大人じゃ。わしらには、止める権利がないのかもしれん」
目を開けたとき、その瞳には覚悟が宿っていた。
「じゃが、止めてしまえば、一生恨まれることになるじゃろう。だったら、送り出して恨まれた方が、まだ気が楽じゃ」
老人らしい、投げ槍なようで、どこか優しい言葉だった。
「……行け。禍人と、その道連れたちよ」
うっすらと笑いが起きる。
その時、レンが一歩前に出た。
「俺も同行する」
短く放たれた言葉に、ユウマたち三人が驚いて振り向く。
「え、?」
後ろからツバサが目を丸くした。
「レンさん自身が行くんですか? 王都への報告は——」
「ユイ、ソウマ」
レンは仲間たちに視線を向ける。
「お前たちは王都へ戻れ。ここで起きたこと、禍鬼の規模、結界柱の崩落、そして——噛まれても禍鬼にならなかった人間の存在。全部まとめて報告、その後俺達と合流しろ」
白波ユイは、少しだけ眉を寄せた。
「あなた一人で護衛を?」
「禍鬼の群れ相手なら、一人でも充分だ」
揶揄とも本気ともつかない言い方に、ツバサが苦笑する。
「俺は?」
「お前はしばらく村に残れ。結界柱の再建と、周囲の禍鬼掃討を手伝え。村が立ち直れなければ、この選択も意味を失う、そして村が立ち直り次第、俺達と合流だ」
「……了解」
ツバサは、歯を食いしばって頷いた。
レンは、ユウマたち三人に向き直る。
「禍人がどこへ向かい、何を見るのか。——それを見届ける必要がある」
その目は、ただの観察者のものではなかった。
責任を引き受ける者の目だ。
「お前が本当に『禍を呼ぶ人間』なのか、それとも『禍に抗う人間』なのか。俺は、自分の目で判断したい」
「重たいな、その観察」
「お前が勝手に禍に巻き込まれて勝手に死なれても困る」
レンは、ごく当然のように言った。
「王都には、お前の存在を『使える』と考える奴もいれば、『消すべき』と考える奴もいるだろう。——そのどちらにも渡さないためには、まず俺が預かるのが早い」
「預かるって、俺お荷物扱い?」
「少なくとも、手のかかる荷物ではあるな」
不本意だが反論しづらい評価だった。
ユウマは、肩をすくめる。
「……分かった。好きに見張ってくれ」
「最初からそのつもりだ」
レンは薄く笑った。
こうして——
禍鬼に噛まれても禍鬼にならなかった男。
家族を失った者。
逃げた自分を許したくない者。
そして、彼らを見届けようとする英雄。
四人の奇妙な一行が、生まれた。
◆
村を出るとき、空はすでに白んでいた。
折れた結界柱が、黒く焼け焦げたまま空を指している。
その根元に、新しい札と資材が運び込まれていた。
村人たちは、その多くが遠巻きに見送っていた。
手を振る者もいれば、目を伏せる者もいる。
誰も声をかけてこない。
それでも、その沈黙は完全な拒絶ではなかった。
「……じゃあな」
ユウマは、振り返らずに小さく呟いた。
「禍の元みつかるかな?」
イツキが、隣でぽつりと聞く。
「さあな」
ユウマは、右肩に触れた。
包帯の奥で、何かがかすかに脈打っている。
それは、禍鬼の毒なのか。
禍源域に由来する、別の何かなのか。
まだ分からない。
「でも——」
ユウマは、村の向こうに広がる森を見据えた。
「『禍人』って呼ぶならさ」
小さく息を吐く。
「その禍の元ぐらいは、辿らせてもらう」
前の世界では、何もかもが自分の手の届かないところで決まった。
今回は——せめて、自分の足で確かめる。
そう思いながら、一歩を踏み出す。
ユナが隣で歩幅を合わせ、
イツキが「うわ、もう足痛ぇ」とぼやき、
レンが後ろから黙って付いてくる。
四つの足音が、焼け跡だらけの村道を離れ、森の中へと消えていった。
終末世界での、禍人の旅が始まった。
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