第二十五話:交代の刻、沈む影
禍源域が、深く息を吸った。
その呼吸に合わせるみたいに、地面の影が膨れ上がり――黒い禍鬼が、いくつも“生まれかける”。
「外周、波だ!」
ソウマの声が飛ぶと同時に、刀が走った。
静かで、無駄がない。感情を削いだ動きは、禍鬼の骨ごと切断しても呼吸ひとつ乱さない。
「増やすなっつってんだろ!」
ツバサは怒鳴りながら、跳ねた。
刀の背で禍鬼の顎を砕き、返す刃で首の付け根を刈る。勢いだけじゃない。刃筋が正確だ。
その外周の壁を、ノーザリアが“崩れない形”で支えていた。
槍と盾が噛み合い、押し返すたびに地面が鳴る。
「前に出過ぎるな。死にたいのか?」
エルザ・ノーザリアの声は冷え切っているのに、言葉の芯が熱い。
彼女は兵の間に立ち、槍列の隙を一歩で潰す。女王の命令というより、前線の指揮官の怒号だった。
「生き残れ。――生き残って、次も守れ」
それだけで、兵の目が変わる。恐怖の“逃げ方”が、戦いの“残り方”に切り替わる。
前線――ユウマの視界は、エルデだけで埋まっていた。
「いいねぇ……いいよ。ほらほら、君の目、まだ折れてない」
エルデは笑いながら、足を滑らせるように間合いを殺す。
刃に対して避けているのか、誘っているのか。どちらにも見えるのが厄介だった。
ユウマは短双剣を交差させ、爪の一撃を受け流す。
金属が擦れ、火花が散る。握力に禍人化の熱が乗って、腕が痺れるほど重い。
「いいねぇ」
エルデが、心底嬉しそうに笑う。
エルデの両手が上がる。
禍源域の風が渦を巻き、負の感情が“引きずり出される”感覚が走った。
胸の奥がざわつく。焦り、恐怖、苛立ち。
禍源域はそれを餌にする。エルデは、その餌に香辛料を振りかけてくる。
「――ユイ!」
ユナの声に、ユイが即座に応えた。
結界が一段厚くなる。膜が鳴る。支える側の精神が軋む音だ。
「平気。……切らさない」
ユイの声は小さいのに、決意だけは鋼みたいだった。
その隙を突いて、レンとアルノルトが踏み込む。
レンの刀が、水平に閃く。
アルノルトの剣が、正面から切り裂く。
その間をラウルが駆け、双剣でエルデの視界を乱す。
「っしゃ、ここ通すぞ!」
軽口の裏に、戦場の計算がある。
ジョエルは巨大な盾を地面に叩きつけ、衝撃で禍鬼の群れの足を止めた。
フィオナの祈りが走り、裂けた肩の血が止まる。
「ユウマ、今は無理に動かないで! 動ける“今”を削らないで!」
「わかってる!」
わかっている。だからこそ、前に出る。
守るために。折れないために。
――そのときだった。
戦場の空気が、急に“落ちた”。
叫びが薄くなり、刃鳴りが遠くなる。
胸の奥が、ひやりと冷える。
岩盤の上。
術式を書き続けていた“謎の男”が、立ち上がった。
指先が止まり、最後の線が閉じる。
ただそれだけで、禍源域の鼓動が一段強くなる。
男の視線が戦場を一撫でする。
誰かの足が一瞬止まる。喉が鳴る。
その“揺れ”を、禍源域が舐め取るように吸った。
「交代だ」
低い声。命令に近い。
エルデが、肩越しに男を見る。
一瞬だけ、癇癪じみた不満が浮かぶ。
「えぇ?僕、楽しくなってきたのに――」
「交代」
同じ言葉なのに、二度目は刃だった。
エルデの笑みが、少しだけ固まる。
「……はぁ。分かったよ。分かった分かった。僕は従順、従順だからね」
エルデはひらりと後退した。
退きながらも、ユウマに向けて舌を出す。
「君の続きは、あとで。ちゃんと“最後まで”見るから」
そのまま、術式の中心へ。
そして――謎の男が、前に降りてきた。
地面に足が触れた瞬間、禍源域の空気が“締まる”。
レンが半歩前に出る。アルノルトも並ぶ。
「お前は何者だ」
レンの問いに、男は答えない。
ただ、指先で空中に短い線を引いた。
線は光らない。けれど“重い”。
空気が歪み、踏み込もうとしたラウルの足が、目に見えない壁で止まる。
「……邪魔をするな」
男の声が落ちる。
それだけで、心臓の拍が一瞬ずれる。
ユウマは直感する。
これは剣でも魔法でもない。――“同じ土俵”に立った瞬間から削られる類の相手だ。
「レン……こいつ、やばい」
レンは頷いた。短く。
「分かってる」
後方で、エルデが術式の中心に立つ。
嬉しそうに両腕を広げ、禍源域の呼吸と同調し始める。
謎の男は、前線のこちらを見ずに言った。
「続けろ。止めるな」
今度は戦場全体に向けた言葉だった。
止めれば、終わる。そう告げている。
ユナが、ユウマの背に手を当てる。
ユイの結界が、きしむ。
レンが刀を構え直し、低く言った。
「――ここが山だ。押し切るぞ」
謎の男が、指先を上げる。
空気が、さらに沈んだ。
そして、戦いは――“次の段”へ落ちていった。
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