第21話:帰還、そして鍵
アシハラの城門が見えたとき、ユウマはようやく胸の奥の息を吐けた。
ルミナリアの白さは、目に残るほど“清潔”だったのに、喉の奥が乾いて仕方なかった。ここへ戻ってきた途端、空気に人の匂いが混じる。
城へ向かう道中、誰も多くを喋らない。
ツバサは黙って前を歩き、ソウマはいつもの無表情で周囲を見ている。
レンは少し後ろ、ユウマとユナの歩幅を揃えるように歩いていた。
ユイは疲労を隠しながら、皆の呼吸を乱さないよう、ささやかな結界を薄く張り続けている。
謁見の間に通された瞬間、張り詰めていたものが一段階、硬くなるのがわかった。
君主は玉座に座していた。視線ひとつで場の温度が変わる。――けれど、今日のそれはいつもより重い。
「お帰りなさい。……まずは、生きて戻ってくれたことに安堵しています」
短い言葉のあと、君主はすぐ本題へ入った。
形式的な労いを捨てるのは、優しさでもある。
「禍源域について、ようやく“根”に触れる手掛かりが出ました。古い文献です。
君たちには、今ここで、すべてを伝えます」
君主が合図すると、背後の書架から厚い羊皮紙の束が運ばれてきた。
くたびれた文字、擦れた墨。何百年も前の記録だと、誰の目にも分かる。
「かつて――アシハラの者が、北の山脈の向こうで、**“この世界へ召喚されて来た人々”**と出会った、という記述が見つかりました。
……君と同じ立場の者が、過去にもいた、ということです」
ユウマの眉が僅かに上がる。
ユナも、ユイも、息を止めた。
「……他にも、異世界から来た人が……?」
ユウマが絞り出すように言うと、君主は頷いた。
「四人です。記録上は。
彼らは“帰る方法”を探していた。そして――大陸の中心へ向かった」
君主は羊皮紙を一枚、めくった。
その指先が止まった行を、はっきりと読み上げる。
「大陸の中心で、彼らは術を唱えました。
――その瞬間、禍源域が生まれた、と記されています。」
謁見の間の空気が、目に見えないほど重く沈む。
禍源域――この世界の長い悪夢の中心。
「生まれたばかりの禍源域は、今よりも禍々しく、近づく者は瞬く間に禍鬼になった。
けれど彼らは、躊躇いませんでした。ひとり、またひとりと、禍源域へ身を投げたのです。」
ユナの唇が震えた。
ユウマの胸の奥が、冷たく締まる。
「すると禍々しさは薄れ、一度だけ、消えかけた。
その刹那――内側から、四つの石が弾き出された。
弾き出された直後、禍源域は今の姿に落ち着いた。……そう書かれています」
ユウマは無意識に腰の短双剣へ手を置く。
手の中にはない。だが、あの黒い結晶の冷たさだけは思い出せる。
「……幻魔石」
レンが小さく呟いた。
君主は頷き、そして静かに視線をユウマへ戻す。
「そして――私たちは、君を召喚しました。
鍵である可能性に賭けた。結果として、君は禍人となり、村は襲われ、イツキという青年が命を落とした。
それが、私たちの決断の延長線上にあることは否定しません。」
ユウマは目を伏せた。
今更、責める気にはならない。だが、胸の奥で何かが固くなる。
「もっとも、この時点では“鍵である可能性”がある、という程度で。
確証はありませんでした。……ですが、今は違います。
……私は、君の歩みに“責任がない”とは言いません。
だからこそ、今ここで、隠さずに伝えます。君たちに、判断してもらうために」
君主が合図すると、別の者が前に出た。
アルキュオンの使者だ。以前なら疑っていたかもしれない。だが、いま彼らは同盟国だ。エルデが消えたことで正気を取り戻し、知を差し出す側に回った。
「書塔の記録と、アシハラの古文献を照合しました」
使者が慎重に言葉を選ぶ。
「転生者たちには、禍源域の“エネルギー”を吸収、あるいは相殺する性質があった可能性が高い。
そして……弾き出された四つの石は、禍源域の“均衡を固定する楔”になっているのではないか、と」
君主が言葉を継いだ。
「つまり――石を再び禍源域に戻せば、消滅させられる可能性がある」
その瞬間、ユナが一歩踏み出した。
「可能性……って、なに……?」
声が裏返る。
ユナ自身が一番驚いている顔だった。いつもは強い。けれど、これは“世界”の話ではない。恋人の命の話だ。
君主は視線を逸らさない。
「ですが問題があります。
石を入れたとしても、また弾き出されるかもしれない。弾き出されれば、禍源域は残る。
だから――誰かが一緒に中へ入る必要があるんです」
ユナの顔色が抜ける。
「でも、中に入ったら……!」
「この世界の人間なら、禍鬼化の危険が高い」
君主の言葉が、刃のように切り落とした。
「禍源域は負の感情と同調する。強い意志があっても、“範囲”と“濃度”によっては耐えきれない。
……ですが、異世界の者なら、抵抗できる可能性がある」
君主の視線が、ユウマに刺さる。
「ユウマ。……お願いがあります。
君にしか、頼めない可能性が高い。私は、その事実から目を背けたくありません」
謁見の間が、静まり返った。
ユナが、声にならない息を吐く。指先が震え、ユウマの袖を掴もうとして――掴めない。
「……嫌だ」
ユナが言った。小さく、けれど明確に。
「どうなるか分からないんでしょ。……帰ってこないかもしれないんでしょ」
ユウマはユナを見た。
取り乱したユナを見るのは、胸が痛い。けれど、目を逸らす方が残酷だと思った。
「ユナ」
名前を呼ぶだけで、ユナの肩が跳ねる。
ユウマは、ゆっくりと息を吸った。
「分からない。確かに分からない」
それでも、ユウマは続けた。
「でも……消せるかもしれないって言われたんだ。
この世界で生きてる人たちが、禍源域のせいで泣かなくて済むかもしれない。
……それに、俺だって」
言葉が喉につかえる。
自分のため、と言えば綺麗すぎる。けれど嘘でもない。
「帰りたい。元の世界に、じゃない。
――帰る場所を、ちゃんと守りたい」
ユナの瞳が濡れる。怒りと恐怖と、信じたい気持ちが同時に揺れている。
「……私、置いていかれるのは嫌」
ユナの声が小さくなる。
「また……手が届かないところに行くのは、嫌」
ユウマは一歩近づき、ユナの手を取った。
震えが伝わる。怖さも、愛しさも、全部そこにある。
「置いていかない。……置いていくつもりで行くんじゃない」
言い切るのは卑怯かもしれない。
でも、今必要なのは“確実な答え”じゃない。“進むための芯”だ。
ユイがそっと前に出た。
「ユナ……私も、ユウマを帰すために出来ることを探す。
結界も、術も……今まで以上に整える。だから、ひとりにしない」
レンが頷く。
「行かせるなら、勝手には行かせない。
禍源域の手前まで、俺たちが道を作る」
ツバサが目を伏せたまま、短く言った。
「……死なせねぇ。そういう役回りは、もう十分だ」
ソウマは何も言わない。
ただ、ほんの僅かに顎を引いて――“覚悟した”合図だけを寄越した。
君主は、全員を見渡した。
「ユウマ。決めてください。
命令ではありません。……私が君の人生を、道具として決めたくない。
ただ――禍源域は待ってくれない。現実だけは、こちらの都合を許さないのです」
ユウマは、ユナの手を握り直した。
怖い。だが、怖さを抱えたまま進むしかないことも分かっている。
「……やる」
その一言で、ユナの肩が震え、唇が噛みしめられる。
泣き崩れそうになるのを、必死でこらえている顔だった。
ユウマは、その顔を正面から受け止めた。
「助かるかもしれない。
……その望みがあるなら、俺は引き受ける」
君主は静かに頷き、レンが言う。
「ならば準備を始める。
四つ目の石――最後の幻魔人を討つ必要がある。
そして禍源域へ向かう。次が最後の戦いになる。」
謁見の間の外で、風が鳴った。
大陸の中心で、何かが脈打っている――そんな錯覚が背筋を撫でる。
ユウマは、握ったユナの手を離さなかった。
ここから先は、守りたいものを守るために、踏み込む領域だ。
――そして、帰るために行く。
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