第20話:余波と帰還命令
白い石畳は、相変わらず白いままだった。
血と煤を洗い流した水が溝を走り、磨かれた石は濡れて光る。崩れた建物の欠片さえ、誰かが拾い集めて“整列”させている。
……清潔だ。
けれど、息が詰まる。
広場の一角では、負傷者が列を作っていた。声を上げて泣く者は少ない。祈りの言葉が代わりに漏れる。
それが“強さ”なのか、“習慣”なのか――ユウマには判別がつかなかった。
盾を構え続けたジョエルが、膝をついたまま荒い呼吸を整えている。
フィオナは彼の肩に手を置き、淡い光で痺れを抜いた。説教じみた言葉は今はない。ただ、短い指示だけが飛ぶ。
「次。深く吸って、吐いて。……そう、落ち着いて。焦らないで」
ラウルは軽口すら封じたまま、瓦礫の間を走って子どもを抱き上げる。
“英雄”という言葉に似つかわしい働きだった。けれど、その英雄たちを見つめる周囲の視線は、敬意よりもまず“監視”に近い。
ユウマは、壁際で座り込むユナの前に膝をついた。
肩口の包帯は厚く巻かれている。出血は止まっているが、痛みが消えるわけではない。
「……無茶、しすぎた」
ユウマが言うと、ユナは小さく首を振った。
「無茶じゃない。あのままだったら、ユウマが……」
「それでも」
言いかけたユウマの言葉を、ユナが指先で止めた。
恋人になってから、こういう瞬間が増えた。言葉より先に、“大事なもの”が通じてしまう。
「謝らないで。今は……次を考えよう」
その声は震えていない。
けれど、ユナの瞳の奥に残るもの――“刃が迫った瞬間の冷たさ”は、まだ消えていない。ユウマはそれを見落とさないように、視線を外さなかった。
その横で、ユイが静かに手を組み、薄い膜のような結界を広げていた。
攻撃のためではない。
周囲に漂う重い空気――祈りと恐怖が混ざった、妙な圧を“薄める”ための結界だ。
「……呼吸が、少し楽になる」
ツバサが小さく呟き、肺を深く満たす。
普段なら強がりを言う男が、今日は素直に結界の恩恵を認めた。
ソウマは、結界の縁で無言のまま立っている。
感情を落とす術を持つ彼でさえ、この国の空気は面倒そうに見えた。
ここでは、怒りも悲しみも――「波」として捕まえられ、裁かれる。そんな気配がある。
そして、広場の中心。
黒炎が消えた場所に、アルノルトが立っていた。
剣は鞘に収まっている。背筋は真っ直ぐ。顔も崩れていない。
それでも、握り込んだ拳だけが微かに震えていた。
レンが近づく。足音は静かで、余計な気配を立てない。
レンも刀を納めたまま、隣に立つ。
「……アルノルト」
呼ぶだけで、十分だった。
アルノルトは返事をしない。代わりに、息を吸って吐いた。
それから、やっと声が出る。
「……眠りにつく前に、いつも母さんが読んでくれたんだ」
アルノルトはゆっくり目を閉じる。
「気が付くと僕は寝てしまってね、続きを夢の中で見るんだ。
セラフィスと一緒に冒険している夢を」
剣の柄を握る。
「いつか、彼のような英雄になれるように
毎日手の豆がつぶれても剣を振り続けた
今でも鍛錬は怠ってない、彼が見てくれている気がしてね」
その声は、折れてはいない。
ただ、空洞を抱えている。
「セラフィスが……あんな形で、憎しみを抱えていたなんて」
レンは慰めない。否定もしない。
少し間を置いて、淡々と言った。
「正しさは、壊れる」
アルノルトの肩がぴくりと揺れる。
レンは続けた。声は低いまま、押しつけではなく、ただ事実を置くように。
「壊れた正しさを見たあとで、どう立つか。
それが、お前の剣だろ」
アルノルトは目を閉じた。
泣きそうな顔をしてもいい場面だ。だが、彼は泣かない。
それが彼の美点であり――今日に限っては、痛みでもある。
「……ああ、そうだね」
短い返事。
その一言で、レンは十分だと判断したように頷いた。
ユウマはその背中を見ながら、短双剣の柄に触れた。
リュミエードの鍛冶屋が補強した刃は、まだ熱を残しているように感じる。
守るために、振るった。
禍人化も、守るために選んだ。
――その選択が、もう“怖いだけ”ではなくなっている。
ユウマは、それに気づき始めていた。
広場の外れでは、ルミナリアの民がひそひそと囁く。
黒髪、黒い瞳。
ユウマとユナに向けられる視線は、まだ鋭い。
けれど今、ユウマはそれを恐れなかった。
恐れた瞬間に、心が揺れて――禍源域の条件が頭をよぎる。
負の感情。恐怖、憎悪、哀しみ。
それが近づくだけで人を壊す場所が、大陸の中心にある。
だからこそ、今は揺れない。
揺れるなら、最後に揺れればいい。守るものを守ったあとに。
同じ頃。
聖都から離れた森の陰で、エルデは笑っていた。
「知りたい……知りたい知りたい知りたい。ああ、堪らない……!
あの“憎悪”だよ、あの濃さ……。あれが、まだ世界の端っこだって? 笑えるねぇ……!」
角の影が揺れ、魔力がぞわりと蠢く。
しかし彼は、珍しく足を止めていた。
目の前に立つ“人間ではない男”が、笑っていないからだ。
「あれは、異質すぎた」
「……わかってるさ」
エルデは舌打ちをしても、目だけは輝いたままだ。
「だから、次は“本命”だ。禍源域……。
あそこに、全部あるんだろう? 知識も、答えも……“世界の仕組み”も」
男は頷く。
「魔力を、極限まで注げ。
知識は開く。力も開く。――お前の欲は、満たされる」
エルデは、息を吸った。
陶酔のような笑みが、顔に貼り付く。
「……ああ。行こう。全部、剥がしちゃうよぉ」
その背中が、禍源域へ向かって動き出す。
夕刻。
聖都の門の外に、一騎の伝令が現れた。
土埃にまみれた装束。
馬の脇腹は汗で泡立ち、乗り手の息も切れている。
それでも彼は馬から飛び降りると、一直線にユウマたちへ歩み寄り、膝をついた。
「アシハラより、緊急の伝達です!」
レンが前に出る。
ツバサとソウマが左右に散り、周囲を警戒する。ユイは結界の濃度を上げ、ユナは痛みを堪えて立った。
伝令は封書を差し出した。
封蝋はアシハラの紋。間違いない。
「君主より――“禍源域について分かったことがある。至急帰還せよ”」
ユウマの背筋が冷える。
アルノルトが顔を上げた。レンの目が細くなる。ソウマは無言で刃の位置を直し、ツバサが奥歯を噛む。
ユナが、短く言った。
「……帰ろう。アシハラへ」
ユウマは頷いた。
包帯越しにユナの手を握り、そしてすぐに離す。
今は、熱を確かめる時間ではない。
守るための旅が、ここから本当に始まる。
清潔な息苦しさを背に捨て、彼らは北風の中へ歩き出した。
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