第十七話:黒炎の聖譚
その国では、金色が「正しさ」だった。
陽光のような髪、澄んだ瞳。白い石壁と、清潔な祈り。
ルミナリア――神に愛された国を自称する、豊かな鎖国国家。
セラフィスは、その象徴だった。
生まれながらに膨大な魔力を持ち、幼い頃から「神に選ばれた子」と讃えられた。
本人もまた、それを信じた。
民を守るために力がある。英雄とは、そういうものだと。
成長したセラフィスは強かった。
禍鬼が出れば真っ先に矢面に立ち、火と雷の術で押し潰し、剣で首を落とす。
民は喝采し、教団はそれを“神の奇跡”として語り継いだ。
――だが、英雄にも欲がある。
ある日、セラフィスは国の外を見たくなった。
教団は止めた。民は怯えた。
「外の世界は、神に見捨てられた者が堕ちた地だ」と教え込まれていたからだ。
それでもセラフィスは旅に出た。
そこで出会ったのが、黒髪の女だった。
髪は夜のように黒く、瞳もまた黒い。
ルミナリアでは忌み嫌われる色。邪悪の象徴。
けれど彼女は優しかった。
誰の祈りも必要とせず、それでも人を救うような目をしていた。
恋に落ちるのに、時間は要らなかった。
二人は夫婦になった。
――それが、ルミナリアの“禁忌”そのものだとも知らずに。
セラフィスは妻を国に連れ帰った。
髪は布で隠した。
だが、瞳の色は隠しようがない。
だから人里離れた山奥に家を建て、誰にも見つからぬように暮らした。
やがて双子が生まれた。
二人とも黒髪だった。
セラフィスは迷った。
それでも、守れると思った。
自分は英雄だ。国を守ってきた。民は――わかってくれる。
そう信じた。
信じてしまった。
その日、セラフィスは禍鬼討伐で家を空けていた。
帰路、街が騒がしいのが見えた。
「悪魔が出た」
「神に背く異端だ」
「黒い子供がいた」
胸が冷えた。
嫌な予感が、背骨を撫でた。
セラフィスは走った。
英雄の脚で、獣のように山道を駆けた。
そして――見た。
妻と双子が、杭に縛られていた。
火が回り、皮膚が裂け、髪が燃える匂いがした。
泣き声は、もう細い。
民は祈っていた。
救うためではない。殺すための祈りだ。
セラフィスの喉から声が出なかった。
脳が理解を拒んだ。
世界が、音を失った。
次に戻ってきたのは、憎悪だった。
――なぜ。
――なぜ、殺す。
――なぜ、それを正義と呼ぶ。
セラフィスは民を守るために戦ってきた。
使命を信じ、血を流し、骨を折り、何度も死にかけた。
その“守ってきた民”が、ただ色が違うというだけで、最愛を焼いている。
怒りが、天に届くほど膨れた。
大地が震え、空に黒雲が集まり、風が呻く。
そして、セラフィスの胸の奥にあったもの――
古い祈りの裏で密かに眠っていた黒い結晶が、呼応した。
幻魔石。
誰もそれを知らない。
けれど石は知っていた。
憎悪。
想像できないほどの憎悪。
セラフィスの額には角が生え、背に翼が生える。
魔力が濁流になり、空気が焼ける。
英雄の姿が、別の器へと塗り替えられていく。
民が悲鳴を上げた。
祈りが恐怖に変わった。
セラフィスは、ただ立っていた。
妻と子供の焼け跡を見下ろしながら。
国を滅ぼす。
その考えが、喉元までせり上がった。
だが――次に浮かんだのは、妻の目だった。
子供たちの小さな手だった。
「そんなことを望むわけがない」
英雄としての彼の意思と、幻魔石が煽る憎悪が、体内でぶつかり合う。
燃え盛る力を抑え込むように、セラフィスは自分の胸を掴んだ。
「……俺が……俺を、止める」
そのまま、セラフィスは自らを封じた。
二度と誰にも触れさせないように。
国も、民も、そして自分自身も――救えないと知りながら。
*
ヴァルツェインの空は、今日も灰色だった。
泣き声が消えた街に、焼けた金属の匂いだけが残っている。
ユウマたちは旅立ちの準備をしていた。
ユウマの腰には、鍛え直された短双剣。
レン、ツバサ、ソウマの刀は鞘に収まったまま、静かに重い。
ユナとユイは結界具を整え、最後に街を見渡した。
ソウマは昨夜のことを語らない。
誰も問い詰めない。
ただ、彼の目の奥が少しだけ遠い――それだけで十分だった。
そこへ、規律の整った馬蹄の音が来た。
瓦礫を踏む音が不思議と軽い。
白い外套の一団が、崩れた街路をまっすぐ進んでくる。
先頭の男が馬から降りた。
眩しいほど爽やかな笑み。
背筋の伸びた立ち姿。
礼儀は完璧で、視線は澄んでいるのに、戦場の重みを知っている目。
絵にかいたような英雄――そう言われれば、誰も否定できない。
「アシハラ英雄隊の皆さんですね。遅参、申し訳ありません」
男は深く一礼した。
それだけで場が整う。空気が正される。
「ルミナリア英雄、アルノルト・セイグランです」
名乗りが終わると、彼は一人ひとりの顔を丁寧に見た。
そして――レンに対してだけ、少しだけ嬉しそうに笑った。
「……レン。覚えていますか?」
レンの眉が僅かに動く。
「合同遠征の時の――ルミナリアの英雄だな」
「はい。あの時、あなたと話す機会が欲しかった」
アルノルトの言葉は、軽くない。
社交辞令の温度ではない。
「あなたの判断は冷静で、剣は迷いがなく、……それでも根っこが熱い。
僕は、そういう人を信頼します」
レンは短く頷いた。
「光栄だ」
ツバサが小声でユウマに耳打ちする。
「なんだよこの人……気持ちいいくらい礼儀正しいな」
「お前も見習えよ」
ユイが白紗の奥で、ほんの少しだけ口元を緩めた。
ユナはユウマの横で、場の温度が上がるのを感じ取って息を吐く。
アルノルトは真っ先に謝罪の理由を口にした。
「僕たちの到着が遅れたのは、ルミナリア最高司祭の許可が下りなかったためです。
出撃許可が出るのに、驚くほど時間がかかりました」
それでもアルノルトは誰かを悪く言わない。
責めるより先に、頭を下げる。
「……結果として、無駄足になってしまった。本当に申し訳ない」
レンが言った。
「ここまで来たこと自体は無駄ではない。今は生き残った者を優先しろ」
「ありがとうございます」
その時、瓦礫の影から小さな影が走った。
煤だらけの少年が、食料袋に手を伸ばしている。
見張りの兵が声を荒げた。
「おい! 盗むな!」
少年は振り返り、歯を食いしばって叫んだ。
「盗まなきゃ妹が死ぬんだよ!」
その声に、一瞬だけ場が固まる。
法の下では盗みは罪だ。
だが、この街はすでに法が機能していない。
アルノルトは兵の前に出て、手を上げて制した。
「待ってください」
彼は少年の前に膝をつき、目線を合わせた。
声は優しい。だが曖昧ではない。
「妹さんは、どこにいますか」
「……あっちの、崩れた家……動けない」
「分かりました。君は盗まなくていい」
アルノルトは自分の携行食を取り出し、少年に渡した。
さらに自分の水筒も渡す。
兵が戸惑う。
「ですが、盗みは――」
アルノルトは首を振った。
「盗みは良くない。だから止める。
でも、妹のために食べ物を取ろうとした彼を“悪”と呼ぶのは、僕は違うと思う」
少年の目が揺れる。
泣きそうになるのを必死で堪えている。
「……じゃあ、俺はどうすりゃよかったんだよ」
「君が生き残る方法を探す。妹さんを生かす方法を探す。
それが僕の仕事です。英雄って、そういうためにいる」
アルノルトは立ち上がり、兵に向き直った。
「彼を罰するのではなく、彼らを救う手配を。今できることを今やります」
命令ではなく、提案でもなく、当然のように言い切った。
その背中が“騎士の鏡”だった。
レンがその様子を見て、静かに言った。
「正義の形はひとつじゃない」
アルノルトは微笑んだ。
「はい。だから僕は、悩むのをやめません。
正しいことをするのは簡単です。でも、善いことは時々、厄介だ」
アルノルトは改めてレンに向き直った。
「レン。折角こうして合流できました。
あの合同遠征の時、僕はあなたともっと話したかった。でも、きっかけが作れなかった」
レンが目を細める。
「今なら作れる、ということか」
「はい」
アルノルトは迷いなく頷いた。
「僕の家に招待します。食事を用意します。
剣を置いて、ゆっくり話しましょう」
レンは少しだけ考え、短く言った。
「……受けよう」
アルノルトの笑みがさらに爽やかに広がった。
次話は【毎日21時30分】更新です。続きが気になったらフォロー/★で応援してもらえると嬉しいです。




