第十六話:それぞれの想い
念波が押し寄せた瞬間、世界の色が変わった。
視界が暗くなる。
耳鳴りがする。
胸の奥に、知らない悲しみが湧き上がる。
人の心を“侵食する攻撃”だった。
ツバサが膝をつきかける。
「……くそ……っ、息が……」
レンが刀を地面に突き、踏ん張る。
「感情が引きずり出される……っ」
ソウマですら、足が止まった。
感情を消しているはずの彼の中に、“消しきれない何か”が叩かれる。
それほど強い。
ユウマは短双剣を構えながら、内側から湧く焦燥を押さえつけた。
ユナが結界の内側で歯を食いしばる。
ユイも白紗を揺らし、祈りで膜を厚くする。
「持ちこたえて! 結界が無ければ、意識が飛ぶ!」
中心街の影から、リーネが現れた。
巨大な角。
膨張した身体。
だが一番恐ろしいのは、その姿ではない。
顔が――泣いている。
泣いて、泣いて、泣き続けている。
「……あぁぁぁぁぁ……!」
叫びが、念波になる。
空間が歪む。
心が削れる。
近寄れない。
唯一、歩けたのはエミリアだった。
無感情の足取り。
心が揺れないから、念波が掴み損ねる。
「エミリア、待て!」
ソウマが叫んだ。
叫んだことに、彼自身が僅かに驚く。
感情は消えているはずなのに――声は出た。
エミリアが振り返る。
「……あなたが辛そうに見える」
ソウマは言葉に詰まる。
辛い? 分からない。
彼は“感じない”ように生きてきた。
エミリアは胸元に手を当てた。
そこに、ヴァルツェインの技術が詰まっている。
「私の中にはエネルギーコアがある。爆発させれば、確実性は低い。だが……止める確率はある」
「やめろ」
ソウマの声が低くなる。
命令じゃない。懇願に近い。
エミリアは首を傾げ、そして――初めて、言葉が揺れた。
「……もっと、あなたと一緒にいたい」
ソウマの目が、ほんの少しだけ開く。
「なぜそう思うのか分からない。だが……この感覚を、消したくない」
次の瞬間。
エミリアはソウマの襟を掴み、背伸びをして――唇を重ねた。
短い。
温度だけが残る。
機械のような身体に、初めて“人間の衝動”が混ざる。
ソウマの呼吸が一瞬止まった。
「……っ」
言葉が出ない。
感情が消えているはずなのに、胸の奥に何かが生まれかける。
エミリアは唇を離し、淡く笑ったように見えた。
錯覚かもしれない。だが、ソウマにはそう見えた。
「……さようなら」
そして、エミリアは走った。
リーネへ。
泣き叫ぶ怪物に、抱きつく。
まるで子供を宥めるように、強く抱きしめる。
「……もう、いい」
その言葉はリーネに届かない。
だが、抱擁だけは届いた。
エミリアの胸が光る。
コアが開く。
膨大なエネルギーが、ひとつの点に凝縮される。
「エミリアァァァ!」
ユナの叫び。
ユイが結界を重ね、ユウマたちを守る膜を一段厚くする。
爆発。
光が白く、世界を消した。
次に音が来る。
鼓膜が裂けるような圧。
結界が軋み、ユイの膝が落ちる。
ユナが支える。
「ユイ! まだ、持って……!」
光が引く。
そこに残ったのは――静寂だった。
泣き声が、止まっている。
中心に黒い結晶が落ちていた。
幻魔石。
ユウマが歩み寄り、拾う。
その瞬間。
掌の奥で、石が脈打った。
「……っ」
同調。
白が滲み、視界が切り替わる。
暗い研究室。
金属の匂い。
泣き声ではない、抑えた嗚咽。
幼い子供たちが、檻の中にいる。
逃げられない。
目の前で、大人が笑っている。
「恐怖と哀しみが鍵だ。……石は、それに反応するはずだ」
誰かが言う。
別の誰かが、淡々と頷く。
「被検体は?」
「女だ。孤児院の女。……子供を守るためなら、何でも飲み込むだろう」
リーネがいる。
人間の姿。
縛られ、震え、子供たちを見ている。
「やめて……お願い……!」
誰も聞かない。
刃が落ちる。
子供の悲鳴。
血の匂い。
リーネの世界が、そこで終わった。
哀しみが、限界を越えた瞬間――黒い光が走る。
幻魔石が、呼応する。
リーネの身体に角が生える。
涙が止まらないまま、怪物へ変わる。
研究者たちが青ざめる。
「想定外だ……! 制御できない――!」
だが、次の言葉が決定的だった。
「……いや。泣いているだけだ。隔離は容易だ。
エネルギーは……吸える。国のために使える」
――国が、彼女を怪物にした。
そして怪物を、道具にした。
白が戻る。
ユウマは息を吐いた。
手の中の幻魔石が冷たい。
「……国が、彼女をエネルギーとして利用したんだ、目の前で子供を殺して……」
呟くと同時に、ソウマが背を向けた。
夜。
ソウマがいなくなる。
誰も気づかなかったわけじゃない。
止められなかっただけだ。
王宮。
豪奢な寝室。
国王の喉元に、刀の切っ先が触れていた。
ソウマの目は冷たい。
感情を消している目――だが、今夜だけは違う。
「今後も民が悲しむ国政を続けるなら、貴様を殺す」
国王が声も出せずに震える。
「俺は常に貴様を見ている。逃げ道はない」
刀が引かれる。
音もなく、ソウマは闇に消えた。
翌朝。
ヴァルツェインの空は、まだ灰色だった。
だが泣き声だけは、もう聞こえない。
ソウマの胸の中で、何かが壊れて、何かが生まれかけていた。
それを彼は、言葉にしない。
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