第二話:知の国の違和感
ある時期を境に、七つの国へほぼ同時に謎の伝令・書簡が届いた。
『すでに二カ国が自国の英雄を選抜し禍源域へ向かわせる準備を進めている。
貴国が出遅れれば、対禍鬼戦線での発言力を失う』
という旨が伝えられる。
各国は他国だけに主導権を握らせることを恐れ、
七国合同の“禁域遠征”に参加せざるを得なくなる。
♦
アシハラを離れて三日目、風の匂いが変わった。
土と草の匂いが薄れ、代わりに、紙と薬草――そして、どこか冷えた墨の匂いが混ざる。
書塔自治国アルキュオン。
「知の国」と呼ばれるその地は、街道の先に“壁”ではなく“静けさ”で姿を現した。
遠目に見える外郭は、要塞のそれではない。
石で組まれた高い門と、門の内側に林立する塔。塔、塔、塔。
まるで、この国そのものが巨大な書庫みたいだ。
馬車が門前に止まり、検問が始まる。
衛兵は二人。装備は整っているが、視線の動きに無駄がない。
こちらを見る目が、鋭い――のに、感情が薄い。
「所属と目的」
声は低い。丁寧ではないが乱暴でもない。
ただ、質問が“処理”として投げられた感じがした。
レンが名乗り、英雄隊としての通行証を示す。
衛兵はそれを受け取って目を落とし、紙面を読む。
……読んでいるのに、眉ひとつ動かない。
感心もしない。警戒もしない。疑いもしない。
書類の角度を変え、光に透かし、裏面まで確認して――
最後に、きっちり同じ動作で返した。
「通れ」
それだけ。
ツバサが小さく舌打ちした。
「なんだよ。もっとさ、こう……“英雄隊さま、ようこそ!”とか無いのかよ」
レンは肩を竦める。
「ここはアルキュオンだ。歓迎より、秩序が先だろう」
ユウマは黙って門をくぐった。
歩き出した瞬間、肌にひやりとしたものが触れた気がした。
空気が、薄いわけじゃない。
ただ、呼吸をすると、肺の奥が“乾く”。
街は整っていた。
石畳は磨かれ、建物は統一された意匠で揃っている。
屋台もある。人もいる。生活の匂いも、確かにある。
それなのに――視線が、揃いすぎている。
すれ違う人々の目が、同じ速度でこちらを追う。
興味があるのに、好奇心の熱がない。
遠巻きに観察して、すぐに目を逸らす。その動きが、あまりに似通っている。
ユナが小さく息を吐いた。
「……ここ、息が詰まる」
ユウマは、頷いただけで返した。
口に出すと、この感覚が本物になってしまう気がした。
案内された宿も、異様に整っていた。
帳簿の字は美しい。支払いの手続きは早い。
部屋の鍵はぴたりと回り、室内の掃除は完璧。
けれど――壁に掛けられた絵だけが、妙に古い。
描かれているのは塔と塔と塔。
その足元に、人が点のように小さく描かれている。
「……この国、塔が主で、人は付属みたいだな」
ツバサが呟くと、宿の女主人は笑った。
「塔は、この国の誇りですから」
笑顔は柔らかい。声も温かい。
けれど、目が笑っていない。――いや、笑う必要がない顔をしている。
感情を“見せる”ことに慣れていない人の顔。
夕刻。
街を一巡したレンが、戻ってきた。
「情報収集は明日に回す。今日は休め。……ここは、余計なことを口にしない方がいい」
その言い方が、やけに現実的だった。
レンはいつも現実的だが、今日はその刃が鋭い。
夜。
灯りを落とすと、外の静けさが部屋に染み込んできた。
遠くで紙を捲る音がした。風ではない。人の動きが作る音だ。
ユウマは寝台に横たわり、目を閉じた。
眠れるかどうかは分からなかった。
けれど身体は疲れている。
意識はゆっくり沈み――そのまま、暗い水の底へ落ちた。
夢の中は、真っ白だった。
雪ではない。霧でもない。
紙の白だ。何も書かれていない、まだ意味を持っていない白。
そこに、足音がした。
ユウマは振り向く。
白の中から、ひとりの女性が歩いてくる。
年齢は分からない。
衣服はこの世界のものに似ているのに、どこか“違う”。
布の織り方が違うのか、色の使い方が違うのか、あるいは――立ち方が違うのか。
そして、彼女はユウマを見て、ほんの少しだけ笑った。
「……やっと、会えた」
声は不思議と、耳に馴染んだ。
この世界の言葉とは微妙に違う抑揚。
――懐かしい、と言えばいいのか。胸の奥が勝手に反応した。
「……誰だ」
ユウマが問うと、女性は首を横に振った。
「名前は、もう意味がない。……私達は、戻れないから」
“私達”。
その言い方が、ひどく引っかかった。
ユウマの胸が、いやに速く脈を打つ。
女性は一歩近づき、声を落とす。
まるで、この白い空間にも耳があるみたいに。
「お願いがあるの。四つの幻魔石を探して」
「幻魔石……?」
言葉自体は初めて聞くのに、なぜか音だけが理解できた。
ユウマは眉を寄せる。意味が追いつかない。
「今、石は“人の形”をしてる。幻魔人になって……体の中にある」
女性の唇が、ほんの少し震えた。
「倒して、手に入れて。……そうしないと、私達はずっとここにいる」
ユウマは喉が乾くのを感じた。
「……何のために」
女性は答えを即座に返さない。
代わりに、ユウマの顔をじっと見た。
その視線が――怖いほど、同じだった。
同じ世界を見てきた者の目。
言葉じゃなく、空気で分かる種類の“同郷”。
彼女は、ぽつりと言った。
「あなた、帰りたいでしょ」
ユウマの背筋が凍った。
この世界で、「帰る」という言葉は、簡単に出てこない。
誰もが“ここ”で生きるしかないからだ。
なのに彼女は、迷いなくその言葉を使った。
ユウマは、気づいてしまう。
この女は――異世界の人間だ。
自分と同じ。呼ばれた側。
「……君も、異世界から?」
女性は頷いた。
「そう。……最初に呼ばれた四人のうちの一人」
“最初に呼ばれた”。
ユウマの頭の中で、何かが繋がりかける。
けれど、繋がる前に、女性が言葉を急いだ。
「時間がない。ここに長くいられない」
白い空間の端が、ざらりと崩れ始めていた。
紙が破けるように、白が裂け、黒い何かが覗く。
女性は、ユウマの手を取った。
掌が、熱い。
人の体温の熱さじゃない。もっと“生々しい”熱だ。
「石は、普通の人が持っても何も起きない。……けど、近くに“同じ匂い”があると揺れる」
「匂い……?」
「あなたなら分かる。近づけば、体が先に知る」
女性の目が、真っ直ぐユウマを刺す。
「お願い。探して。……私達を、終わらせて」
ユウマは言葉を失った。
“救って”じゃない。
“終わらせて”――その言い方が、痛い。
白がさらに崩れる。
黒が増え、女性の輪郭が薄れていく。
ユウマは咄嗟に、指を握り返した。
「待て。君は――」
名前を聞こうとして、喉が詰まった。
名前なんて意味がない、と彼女は言った。
それでも聞きたかった。
女性は、最後に笑った。
「……ユウマくん」
“くん”。
この世界では誰も使わない呼び方。
それだけで、ユウマの中の疑いは砕けた。
彼女は、確かに同じ世界の人間だった。
次の瞬間、白が破れ、夢は終わった。
ユウマは跳ね起きた。
暗い部屋。息が荒い。
窓の外は静かで、遠くで巡回の足音がする。
隣の寝台ではユナが眠っている。
起こしてはいけないと思ったのに、胸が落ち着かなかった。
ユウマは自分の掌を見た。
……熱が残っている。
夢の中の熱。
現実に持ち越されたみたいに、掌の中心がじんと疼く。
ユウマは、ゆっくり拳を握る。
信じるべきか。疑うべきか。
そんな問いを立てる前に、身体が答えを出していた。
――嘘だと、笑えなかった。
ユウマは、ユナの寝顔を見て、息を整えた。
そして、闇の中で小さく呟く。
「……四つの幻魔石……」
言葉が落ちた瞬間、掌の熱が、ほんのわずかに強くなった気がした。
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