表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末世界で頑張ります  作者: 深蒼 理斗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/44

第12話 揺れる禍人、向かう先は書塔の国

世界が、真っ白になった。


 耳の奥で、遅れて轟音が弾ける。

 砂と石と禍鬼の肉片が混じった熱風が、一気に穴の底を駆け抜けた。


(……イツキ……?)


 ユウマは、結界の縁にもたれかかったまま、指一本動かせなかった。

 さっきまで禍人化して暴れた反動で、身体の感覚はほとんど残っていない。

 動くのは、耳と目だけだ。


 視界の中心にあったイツキの背中が、爆光にさらわれる。

 その少し手前で、振り返りかけた横顔だけが、焼き付いた。


 砂煙が視界を奪い、何も見えなくなる。


「イツキ――!!」


 ユナの悲鳴が、喉を裂くように響いた。


 爆風がおさまり、煙がわずかに晴れていく。

 穴の中央には、黒く抉れた大穴と、燃え残りの禍鬼の躯だけが残っていた。


 イツキの姿は、そこになかった。


その時だった。


 穴の縁、崩れた岩場の影を、ひとつの黒い人影がすべるように離れていくのが見えた。


 外套の裾だけが、ちらりと揺れる。

 

「レン。ここは任せる」


 短くそれだけ言い残し、返事を待つことなく駆け出す。


「おい、ソウマ!」


 レンの呼びかけは、空気に溶けていった。


◆ ◆ ◆


「……うそ、でしょ……」


 ユナは、足元のふらつきを気力だけでこらえながら、爆心地を見つめていた。


 焦げた石と黒い血と土。

 人ひとり分の影さえ見つからない。


「やだ……やだよ……」


 震える指先が、掴むものもなく宙を彷徨う。

 喉の奥から、言葉にならない声が漏れた。


 隣で倒れているユウマは、まだ動かない。

 それでも、耳だけはユナの声を拾っていた。


(……イツキが……)


 胸の内側で、何かが崩れる音がした気がした。


 三年間、ずっと隣にいた相棒。

 村で一番最初に「ユウマはユウマだ」と言ってくれたやつ。


(守られっぱなしで……俺、何してんだよ)


 守られた側が、守るはずの相手を目の前で失っている。

 それでも身体は動かない。立つこともできない。


 歯を噛みしめた瞬間、胸の奥で、何かがぶちぶちと千切れるような感覚が走った。


◆ ◆ ◆


「……っ」


 ユナは、背筋に氷を流し込まれたような寒気を感じた。


 倒れているユウマの身体から、黒い“何か”がじわじわと漏れ始める。

 皮膚の下を、禍の筋が這うように広がり、前回の禍人化よりも濃い斑が浮かび上がる。


 ゆっくりと、ユウマの目が開いた。

 その瞳は、血のような赤に染まっていた。


「っ……ユウマ?」


 呼びかけに対する返事は、言葉ではなかった。


 低く、獣のような唸り声が喉から漏れる。

 指先が石を抉り、足元の地面がわずかに沈む。


 筋肉が膨れ、血管の代わりに黒い紋が走る。

 肩の骨格がミシミシと音を立てて歪み始めた。


(まずい……このままだと――)


 ユナは一歩、後ずさった。

 怖い。正直、怖い。


 けれど。


(ここで逃げたら、本当にユウマがどこか行っちゃう)


 それだけは嫌だった。


「ユナ、下がれ!」


 穴の縁から飛び降りてきたレンが叫ぶ。


「今のユウマに近づくな!」


 レンの言うことは正しい。

 理屈では分かっている。


 それでも――ユナの足は止まらなかった。


◆ ◆ ◆


 震えているのは足だけじゃなかった。

 膝も、喉も、心臓も、全部が怖がっている。


(怖いよ……こんなの、怖くないわけない)


 それでも、一番怖いのは別のものだった。


(イツキまでいなくなって、ここでユウマもいなくなったら……

 あたし、たぶんもう立ってられない)


 それだけは、本能で分かっていた。


 ユナは息を吸い込む。


「ユウマ」


 名前を、いつも通りの声で呼ぶ。


 赤い瞳が、わずかにこちらを向いた。


「……ちゃんと、聞いて」


 喉の震えを押さえつけるように、一言ずつ、ゆっくりと。


「あたしね、どんなことがあってもユウマから離れない。

 怖くても、苦しくても、ずっとそばにいるから」


 ユウマの指先が、かすかに震えた。


 禍の紋様がさらに濃くなり、身体はもっと人の形から外れかけていく。


「もしさ……いつか本当に、ユウマが禍鬼になっちゃう日が来るなら」


 ユナは、一瞬だけ目を閉じた。

 怖いことを口にしようとしている自覚はある。


「そのときは、あたしも一緒になる」


 レンが息を呑むのが分かった。


「二人で、誰もいないところに行こう。

 誰にも見つからない場所で、二人だけで禍鬼になろ?」


 ユウマの瞳が、わずかに揺れる。


「そしたら誰も食べなくていい。

 誰も傷つけなくていい」


 ユナは、ゆっくりと距離を詰めた。

 すぐ手を伸ばせば触れられるところまで来て、それでも逃げ場を作らない。


「それでも、ユウマの隣には、あたしがいるから」


 足元の石が割れる音も、禍の唸りも、全部背中に押し込む。


「だから、勝手にいなくならないで」


 涙で滲んだ視界の中で、赤い瞳を真っ直ぐ見上げる。


「イツキが命かけて守ったユウマを、ここで自分から捨てるなんて、あたし絶対許さない」


 最後の一言を絞り出した瞬間、ユナは一歩踏み出し、そのままユウマの身体にしがみついた。


◆ ◆ ◆


 熱い。


 肌に触れたユウマの体温は、ほとんど火傷しそうなほどだった。

 それでも腕を離さない。離す気もない。


「ユウマ……戻ってきて」


 耳元で、かすれるほど小さく囁く。


「お願いだから、ここにいて」


 ユウマの胸の奥で、何かが軋んだ。


 イツキの笑い声。

 村の景色。三人で歩いた道。


 そして今、涙声で自分の名前を呼ぶユナの声。


(……俺は)


 絶対に失いたくないものが、また増えてしまった。


 その重さが、胸を締めつける。

 怒りと悲しみだけで膨らんでいた禍が、別の形に変わっていく。


「ユナ……」


 名前を呼ぼうとした瞬間、禍の奔流が最後のあがきのように暴れ出した。


 身体が完全に“人”の形から外れかける。

 骨格が軋み、皮膚の下を黒い光が走る。


「……っ!」


 ユナは顔を上げた。

 涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、赤い瞳を真正面から見つめる。


「ユウマ」


 もう一度、名前を呼ぶ。


「帰ってきて」


 思考より先に、身体が動いた。


 ユナはそのままユウマの首に手を回し――

 そっと唇を重ねた。


◆ ◆ ◆


 一瞬、時間が止まったようだった。


 ユウマの視界の赤が、ゆっくりと薄れていく。

 暴れていた禍の気配が、潮が引くように静かになっていく。


 耳鳴りの向こうで、誰かの声が聞こえた気がした。


『お互いがお互いのこと忘れない限り、友達は終わんねーから』


 さっきのイツキの声が、勝手に脳内で再生される。


(……そうだな)


 ユウマは、かすかに笑った。


 禍の紋が、ゆっくりと色を失っていく。

 歪みかけていた骨格が元に戻り、赤い光が瞳から抜けた。


 全身から力が抜け落ちる。


 最後に見えたのは、泣きそうな顔のユナだった。


(……守りてぇな)


 その思いを最後に、ユウマの意識は闇に沈んだ。


◆ ◆ ◆


 ユウマの身体が、ぐったりとユナの腕の中に崩れ込む。


「ユウマ!」


 ユナは慌てて支えたが、もう自分の足も限界に近かった。

 二人まとめて座り込む形になる。


 禍の気配は、もうどこにもない。

 ただ、爆心地の焦げた匂いと、血と土の匂いだけが残っていた。


 少し遅れて、レンが駆け寄ってくる。


「……収まったか」


 ユナの肩越しに、ユウマの顔をのぞき込む。

 さっきまでの“異形”の気配は消え、ただの青年の寝顔がそこにあった。


「レンさん……」


 ユナの声が震える。


「ユウマ、また禍人みたいになっちゃって……でも、戻ってきてくれて……」


「助けたのは、お前だ」


 レンは淡々と言う。


「俺でも、今のは止められなかった」


 そう言いながら、そっとユウマの額に手を当てる。

 熱は高いが、命の危険はなさそうだった。


 そのとき、穴の縁の方から気配が戻ってくる。


◆ ◆ ◆


 砂煙の向こうから降りてきたのは、ソウマだった。


 服の裾に枝葉が絡まり、息もわずかに荒い。

 ただ、表情自体はいつも通り淡々としている。


「さっきの影は?」


 レンが問う。


「見失った」


 ソウマは短く答えた。


「人の気配だけ残して、森の中に消えた。

 罠の発動場所を遠隔で見てたとしたら、あれが術者か、その手先だろうな」


 穴の壁や地面に刻まれた術式を、ソウマは一瞥する。


「少なくとも、辺境の山賊や盗賊の仕事じゃない。

 結界の骨組みは王都の式に近いけど、書き換え方が違う」


「……どういうことだ?」


「“誰か”が、王都式の術を別口で学んで、自分なりに組み替えて使ってる感じだ」


 ソウマは静かに言う。


「この穴の罠も、村を襲った結界も、同じ系統の手だろう。

 ただ、今の段階じゃ『どこの誰か』までは絞り切れない」


 レンは、短く息を吐いた。


「王都に戻ったら、その話はまとめて報告だな」


「ああ」


 ソウマは頷き、それ以上は何も言わなかった。


◆ ◆ ◆


 イツキの遺体は、見つからなかった。


 代わりに、爆心地の縁から少し離れた場所で、彼の双短剣と、ちぎれた布だけが見つかった。


 その場に、小さな墓を作る。


 石を積み上げ、布を結び付けた棒を突き立てる。

 名前を書いた板も立派な墓標もない。それでも、それが今できる精一杯だった。


 ユウマはまだ目を覚まさない。

 レンが簡易の担架を作り、一行は穴の外の林で一泊することに決めた。


 夕暮れ。

 燃えかけの空の下で、ユナはイツキの石積みの前に膝をついた。


「……ごめんね」


 頭を下げる。


「ちゃんと、『ありがとう』って言う前に、こんな終わり方になっちゃって」


 石は、当然何も答えない。

 それでも、しばらくそこから離れられなかった。


 少し離れたところで、レンとソウマが低い声で話している。

 罠の術式、村で見つかった結界の痕跡、王都に報告すべき内容――そんな話だ。


 ユナには、そのどれもがまだ遠い。

 ただ一つだけ、はっきりしていることがある。


(イツキが守ろうとしたユウマを、今度はあたしが守る)


 そう心の中で決めて、ユナはそっと立ち上がった。


◆ ◆ ◆


 翌朝。


 ユウマは、薄い頭痛と全身の筋肉痛に包まれながら目を覚ました。


「……どこだ、ここ」


 見慣れない木の枝の天井と、湿った土の匂い。

 体を起こそうとして、全身に鈍い痛みが走る。


「動かなくていい」


 すぐそばから、レンの声がした。


 焚き火の向こうで、ユナがほっとしたように息を吐く。


「ユウマ……!」


 今にも泣き出しそうな顔で近づいてくるのを見て、ユウマは苦笑した。


「俺、またやらかした?」


「やらかしたどころじゃねぇ」


 レンが呆れたように言う。


「イツキの命張った一撃と、そのあと自分の暴走で、こっちは心臓がいくつあっても足りねぇよ」


 その一言で、ユウマの胸が強く締めつけられた。


「……イツキは」


 声が震える。


 レンは一瞬だけ目を閉じ、それから短く首を振った。


「剣と布だけ見つかった。

 本人は、ほとんど跡形もなかった」


 ユウマは黙って拳を握りしめた。

 爪が掌に食い込む。


「お前のせいじゃない」


 レンは、淡々と言う。


「あいつは、お前達を守って死んだ。

 あいつの顔付き見てたら分かる。自分で選んで、納得して逝った」


「……そんなの、勝手に決めんなよ」


 ユウマは、かすかに笑った。

 笑ったつもりだったが、声はほとんど泣き声だった。


「勝手に来て、勝手に守って、勝手に死んで……

 置いてかれた方、どうすりゃいいんだよ」


 ユナは唇を噛みしめていた。

 昨夜のこと――自分が何をしたか、全部覚えている。


 ユウマがこちらを見る。

 ユナは慌てて視線をそらし、それから意を決して顔を上げた。


「あのね、ユウマ」


「ん?」


「……イツキの分までとか、全部背負おうとしたら、たぶんまた潰れるよ」


 ユナは、正面から言う。


「あたしもいるし、レンさんもいるし、ツバサさんだってユイさんだってソウマさんだっている。

 どこまで一緒にいられるか分かんないけど、それでも、『全部一人で』はやめて」


 ユウマは少し黙ってから、ふっと肩の力を抜いた。


「……そうだな」


 焚き火の火を見つめながら呟く。


「イツキに怒られそうだしな。

 “お前、もっと人使え”とか言いそうだ」


 レンが小さく笑う。


「言うな、あいつなら確実に言う」


 そう言ってから、レンは真顔に戻った。


「王都に戻る。

 村のことも、禍人のことも、今回の罠のことも、全部まとめて報告だ」


 ユウマは頷いた。


◆ ◆ ◆


 数日後。


 一行はアシハラ王都へと続く街道を歩いていた。


 ユウマはまだ本調子ではないが、歩ける程度には回復している。

 腰には、イツキの双短剣が下がっていた。


 やがて、結界の壁と高い塔が連なる王都が見えてくる。

 社と祠が幾重にも重なり、城門には巫女服の役人たちが控えていた。


 英雄レンと忍びソウマの姿を確認すると、彼らは一行を丁重に城の奥へ案内する。


 静かな広間。


 畳の上に正座していた若い男が、ユウマたちを見ると立ち上がった。


 豪奢ではないが品のある紋付き。

 それでも、その背筋の伸び方と周囲の空気で、彼がアシハラの君主だと分かる。


「遠路、ご苦労でした」


 若き君主は、まずレンとソウマに頭を下げた。

 それから、ユウマたちに向き直る。


「ユウマ。ユナ。イツキは……もういないのですね」


 レンが短く頷いた。


「村の襲撃と、その後の経緯はソウマから報告を受けています。

 だが、今日はまず――君に謝らねばなりません」


 君主は、ユウマを真っ直ぐに見据えた。


「君がこの世界に呼ばれたのは、私たちの“召喚の議”の結果です。

 異世界の魂を、この世界の禍を断つ器として呼び寄せる儀式――本来なら、王都の社に降りるはずでした」


 ユウマの胸が、冷たくなる。


「だが何らかの理由で、君は辺境の村近くに墜ちた。

 私たちの想定の外で、君はこの世界に現れてしまった」


 君主の声には、言い訳も軽さもなかった。


「イレギュラーが起こった以上、君がどんな人物で、どんな状況で現れたのか把握する必要があった。

 そこで私は、ソウマにだけ極秘の命令を出した」


 ソウマが、わずかに視線を落とす。


「“召喚者を探し出し、保護しろ。

 同時に、禍との関わり方を見極めろ”」


「結果として、君は禍人となり、村は襲われ、イツキという青年が命を落とした。

 それが、私たちの決断の延長線上にあることは否定しません」


 若き君主は、深く頭を下げた。


「本当に、すみませんでした」


 広間が、静まり返る。


 ユウマは、しばらく何も言えなかった。


(……こいつの言葉の向こう側に)


 村の風景と、イツキの笑顔と、あの結界の夜がちらつく。

 怒りがないと言えば嘘になる。

 何かをぶつけたくなる衝動も、喉の奥に引っかかっていた。


 でも――隣にいるユナの温もりと、腰に下げた剣の重さが、その衝動をかろうじて抑え込む。


「……謝られて、全部チャラになる話じゃないですよね」


 ユウマは、ゆっくりと口を開いた。


「俺は、この世界に呼ばれた覚えなんてないし。

 勝手に呼ばれて、勝手に巻き込まれて、勝手に大事な人まで失いました」


 君主は、その言葉を正面から受け止めている。


「それでも」


 一拍置いて、ユウマは続けた。


「イツキは、俺を助けて死んだ。

 ユナも、レンさんも、ソウマさんも……結果的に、俺を生かす側を選んだ」


 自分でも驚くほど、声は静かだった。


「だから――少なくとも、あいつの命を、全部“間違いでした”で終わらせる気はないです」


 若き君主の目が、かすかに見開かれる。


「俺がこの世界を救う“救世主”なのかどうかなんて、正直どうでもいい」


 そこだけは、はっきりと言った。


「ただ、イツキが繋いだ命を、ちゃんと使うかどうかは、俺の問題なんで」


 ユウマは、腰の柄にそっと触れる。


「今は、まだ答え出せません。

 世界救うとか、でかい話は正直、胃もたれするんで」


 苦笑を一つ挟む。


「でも――少なくとも、“イツキが守ろうとしたもの”を、自分から踏みにじるような生き方だけはしない。

 それだけは、ここで決めておきます」


 広間の空気が、わずかに変わった。


 若き君主は、静かに顔を上げる。


「それで十分です」


 真剣な眼差しで、ユウマを見据える。


「救世主かどうかは、君が生きた先で決まる。

 私たちは、その選択の場を整える責任があるだけ」


◆ ◆ ◆


 謁見が一段落したところで、君主はレンとソウマに視線を向けた。


「次は、“誰が禍鬼を仕掛けたか”の話です」


 その一言で、空気がまた変わる。


「村で見つかった結界の痕跡については、先にソウマから報告を受けています」


 君主は、屏風の横の地図に目をやる。


「術式の骨組みはアシハラの結界術に近い。

 だが、書き込みの癖と符の組み方が違うと聞きました」


 ソウマが頷く。


「はい。村を覆っていた結界も、今回の穴の罠も、

 “アシハラ式を下敷きにした、どこか別の流派”の手です」


 ユウマたちは黙って耳を傾ける。


「書き方そのものは……王都で保管している古い書式に似通っています。

 ただ、その書式はもともとこの国のものじゃない」


 若き君主は、指で地図の一角をなぞった。


「書塔自治国アルキュオン」


 七つの国のひとつ。

 巨大な書塔と、膨大な術式・文献を管理する自律国家。


「あそこから、数年前にいくつかの“召喚関連の写本”が流れてきた。

 正式なルートではない。裏の市場を通じて」


「……盗まれたってことですか」


 ユウマが思わず口を挟む。


「盗まれたのか、意図的に流されたのかは分からない」


 君主は首を振る。


「ただ、村を襲った結界と、今回あなたたちが落とされた罠――

 両方の術式には、“アルキュオンで使われている書体”が混じっている」


「アルキュオンが黒って決めつけるには、材料が足りない」


 ソウマが補足する。


「術式だけなら、誰かが書塔から盗んだ文献を勝手に使ったと考えることもできる。

 ただ、今回の村の位置と、禍の広がり方、境界の噂の動き方を全部合わせて考えると――」


「書塔自治国アルキュオンが、この件に関与している“可能性は高い”」


 君主が言葉を引き取った。


「あなたたち三人が結界に閉じ込められた罠も、同じ手合いの仕事でしょう。

 だが、現時点では“そうとしか思えない”という段階に過ぎません」


 断定はしない。そのギリギリの線を、意図的に踏み越えない言い方だった。


「だからこそ、軽々しく“犯人”とは呼べない。

 アルキュオンとは、今も表向きは交流がある」


「……じゃあ、どうするんですか」


 ユナが不安そうに問う。


「何もしないわけにはいかないだろ」


 代わりに答えたのはレンだった。


「少なくとも、どこの誰がユウマや村を狙ったのかは、はっきりさせる必要がある」


「その通りです」


 君主は頷く。


「そこで――一つ、頼みがあります」


◆ ◆ ◆


 謁見を終え、広間を出た先の回廊。


 そこには、見慣れた二人の姿が待っていた。


「……ユウマさん」


 巫女服姿のユイが、息を呑む。

 駆け寄りかけて――けれど、途中で足を止めた。

 巫女としての立場が、先に身体を律したのかもしれない。


「ご無事で……よかった」

「連絡が途絶えて……本当に、胸が潰れるかと思いました」


「……ユイさん」


 ユウマは短く頷く。

 それ以上、上手い言葉が出てこなかった。


 ユイはユウマの背後を見て、表情を曇らせる。

 すぐに悟ってしまったからだ。


「……イツキさんは……?」


 ユウマの喉が、きゅっと鳴った。


「……死んだ」


 ユイが口元を押さえる。

 声は出ない。ただ、目だけが揺れた。


 その少し後ろで、ツバサが静かに頭を下げる。

 

「……俺は、村に残ってた」

「復興の護衛と警戒の当番だ。……昨夜、引き継ぎが済んだ」

「村はひとまず落ち着いた。だから、戻ってきた」


 ツバサは唇を噛み、拳を握る。


「でも……間に合わなかった」

「そこにいれば、何か……」


「足りない言い訳だ」


 レンが淡々と遮った。


「村の護衛は任務だ。お前はそれを果たした」

「それに――」


「お前一人で、どうにかできる相手じゃなかった」


 ツバサは悔しそうに目を伏せ、ゆっくり頷いた。


「ユウマさん」


 今度はユイの声だ。

 涙を押し込めるように、少しだけ強く言う。


「ごめんなさい……私は王都へ戻る途中で、何も知らないまま……」


「ユイさんのせいじゃない」


 ユウマは首を振った。


「それぞれ任された場所で動いてたんだ。

 仕方ない」


 ユイは目を潤ませながら、微笑んだ。


「……前より、ちょっとだけ格好良くなったね」


「今それ言う?」


 ユナが小さく突っ込んで、少しだけ空気が和らいだ。


◆ ◆ ◆


 その後、一行は王城の小さな作戦室に集められた。


 部屋の中央には、七つの国を描いた地図と、禍源域の位置が示された板。

 同じ部屋にいるのは、レン、ソウマ、ユウマ、ユナ、ユイ、ツバサ。

 そして若き君主。


「さっきも言った通り、アルキュオンの関与は“濃厚だが断定はできない”」


 君主が口火を切る。


「だからこそ、軍を動かして圧力をかけるわけにはいかない。

 下手をすれば、その瞬間に戦になる」


「だから、少数で行く」


 レンが簡潔に言った。


「王都から公式に大軍を送るんじゃなく、あくまで“調査と交渉”」


 君主は頷き、ユイに視線を向ける。


「ユイ。君には、アシハラの巫女としての立場を使ってもらいます」


「アルキュオンへの親書を持って、ですか?」


「そうです。

 “禍源域の調査”という名目なら、先方も無下にはできませんから」


 ユイは、きゅっと背筋を伸ばした。


「分かりました。」


「レンとソウマは、その護衛兼監視をお願いします」


 君主は、二人に視線を移す。


「アルキュオン側が何を隠そうとしているか、目と耳で確かめてください」


「了解」


「…………了解」


 レンとソウマがそれぞれ頷く。


「ツバサ」


「はい!」


「君はレンの補佐をおねがいします。」


 ツバサは唇を噛み、力強く頷いた。


 最後に、君主の視線がユウマとユナに向く。


「そして――この旅の鍵は、あなたです。ユウマ」


「俺ですか」


「アルキュオンが“何のために”禍と召喚の術を弄んでいるのか。

 もし本当に関わっているのなら、その中心には必ず“器”がいる」


 君主は言う。


「君と同じ、あるいは君に似た、何かが」


 ユウマは、無意識に喉を鳴らした。


「行くかどうかは、君が決めればいい。

 ここに残って静かに暮らすこともできる。私が保証します」


 少しの沈黙。


 ユウマは、腰の柄にそっと触れた。


 イツキの剣――今はただの、欠けた柄だけ。


「……イツキが見たら、絶対面白がるだろうな」


 ぽつりと呟く。


『お、世界がどうとか言い出したぞユウマ。腹でも壊したか?』


 あの軽口が頭の中で流れる。


「行きますよ」


 ユウマは顔を上げた。


「アルキュオン。

 あいつらが本当に、村を、イツキを巻き込んだのかどうか――この目で見て確かめたい」


 ユナが、隣で静かに頷く。


「なら、あたしも一緒に行く。

 どこまで行くことになっても、ユウマの隣は譲らないから」


「勝手に決めんな」


 ユウマが苦笑する。


「お前の隣は、お前のもんだろ」


「……なにそれ。ちょっといいこと言おうとしてない?」


 ユイがくすっと笑う。

 ツバサも、緊張した顔のまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「決まりだな」


 レンが短くまとめる。


「アシハラ代表――ユイ。

 護衛兼実力行使要員――レン、ソウマ、ツバサ。

 そして禍人――ユウマと、その“制御役”のユナ」


 君主は静かに頷いた。


「この一行を、アシハラから書塔自治国アルキュオンへ派遣する。

 名目は“禍と召喚に関する共同調査”――実際には、“真相の確認と牽制”」


 部屋の空気が、少しだけ引き締まる。


◆ ◆ ◆


 作戦室を出て、城の外れにある渡り廊下を歩きながら。


 ユウマは空を見上げた。


 王都の空は高く、禍で焼けた村の空とは全然違う。

 それでも、心のどこかで、あの日の煙った空とつながっている気がした。


「……イツキ」


 腰の柄を軽く叩く。


「お前が“繋いでくれたその先が、ここらしい」


 俺は、世界を救うとか英雄なんてことはどうでもいい

 ただ、「英雄と呼ばれるべきやつ」が、目の前で死んだ事実だけは変わらない。


(だったらせめて――)


(お前が命張って繋いだ先くらい、ちゃんと見てくる)


 ユナが隣に並ぶ。


「アルキュオンって、どんなところなんだろうね」


「本と塔と、ややこしい大人が山ほどいそうな場所」


 ユウマが適当に答えると、ユナは笑った。


「じゃあ、ユウマが一番苦手そうな場所だ」


「うるせぇ」


 軽口を交わしながらも、足取りはもう前しか向いていない。


 レンは少し前を歩き、ソウマは無言で周囲の気配を探っている。

 ユイは胸元の御札を握りしめ、ツバサは背中の刀の重みを確かめるように歩いていた。


「……イツキ。繋いだ先、ちゃんと見てくる」

 ユナが隣で頷く。

「うん。行こう」

 

 遠く、雲の切れ間の向こうに――白い塔の影が、かすかに見えた。

今日で禍人編が終わりで、明日から英雄編が始まります

次話は【毎日21時30分】更新です。続きが気になったらフォロー/★で応援してもらえると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ