第12話 揺れる禍人、向かう先は書塔の国
世界が、真っ白になった。
耳の奥で、遅れて轟音が弾ける。
砂と石と禍鬼の肉片が混じった熱風が、一気に穴の底を駆け抜けた。
(……イツキ……?)
ユウマは、結界の縁にもたれかかったまま、指一本動かせなかった。
さっきまで禍人化して暴れた反動で、身体の感覚はほとんど残っていない。
動くのは、耳と目だけだ。
視界の中心にあったイツキの背中が、爆光にさらわれる。
その少し手前で、振り返りかけた横顔だけが、焼き付いた。
砂煙が視界を奪い、何も見えなくなる。
「イツキ――!!」
ユナの悲鳴が、喉を裂くように響いた。
爆風がおさまり、煙がわずかに晴れていく。
穴の中央には、黒く抉れた大穴と、燃え残りの禍鬼の躯だけが残っていた。
イツキの姿は、そこになかった。
その時だった。
穴の縁、崩れた岩場の影を、ひとつの黒い人影がすべるように離れていくのが見えた。
外套の裾だけが、ちらりと揺れる。
「レン。ここは任せる」
短くそれだけ言い残し、返事を待つことなく駆け出す。
「おい、ソウマ!」
レンの呼びかけは、空気に溶けていった。
◆ ◆ ◆
「……うそ、でしょ……」
ユナは、足元のふらつきを気力だけでこらえながら、爆心地を見つめていた。
焦げた石と黒い血と土。
人ひとり分の影さえ見つからない。
「やだ……やだよ……」
震える指先が、掴むものもなく宙を彷徨う。
喉の奥から、言葉にならない声が漏れた。
隣で倒れているユウマは、まだ動かない。
それでも、耳だけはユナの声を拾っていた。
(……イツキが……)
胸の内側で、何かが崩れる音がした気がした。
三年間、ずっと隣にいた相棒。
村で一番最初に「ユウマはユウマだ」と言ってくれたやつ。
(守られっぱなしで……俺、何してんだよ)
守られた側が、守るはずの相手を目の前で失っている。
それでも身体は動かない。立つこともできない。
歯を噛みしめた瞬間、胸の奥で、何かがぶちぶちと千切れるような感覚が走った。
◆ ◆ ◆
「……っ」
ユナは、背筋に氷を流し込まれたような寒気を感じた。
倒れているユウマの身体から、黒い“何か”がじわじわと漏れ始める。
皮膚の下を、禍の筋が這うように広がり、前回の禍人化よりも濃い斑が浮かび上がる。
ゆっくりと、ユウマの目が開いた。
その瞳は、血のような赤に染まっていた。
「っ……ユウマ?」
呼びかけに対する返事は、言葉ではなかった。
低く、獣のような唸り声が喉から漏れる。
指先が石を抉り、足元の地面がわずかに沈む。
筋肉が膨れ、血管の代わりに黒い紋が走る。
肩の骨格がミシミシと音を立てて歪み始めた。
(まずい……このままだと――)
ユナは一歩、後ずさった。
怖い。正直、怖い。
けれど。
(ここで逃げたら、本当にユウマがどこか行っちゃう)
それだけは嫌だった。
「ユナ、下がれ!」
穴の縁から飛び降りてきたレンが叫ぶ。
「今のユウマに近づくな!」
レンの言うことは正しい。
理屈では分かっている。
それでも――ユナの足は止まらなかった。
◆ ◆ ◆
震えているのは足だけじゃなかった。
膝も、喉も、心臓も、全部が怖がっている。
(怖いよ……こんなの、怖くないわけない)
それでも、一番怖いのは別のものだった。
(イツキまでいなくなって、ここでユウマもいなくなったら……
あたし、たぶんもう立ってられない)
それだけは、本能で分かっていた。
ユナは息を吸い込む。
「ユウマ」
名前を、いつも通りの声で呼ぶ。
赤い瞳が、わずかにこちらを向いた。
「……ちゃんと、聞いて」
喉の震えを押さえつけるように、一言ずつ、ゆっくりと。
「あたしね、どんなことがあってもユウマから離れない。
怖くても、苦しくても、ずっとそばにいるから」
ユウマの指先が、かすかに震えた。
禍の紋様がさらに濃くなり、身体はもっと人の形から外れかけていく。
「もしさ……いつか本当に、ユウマが禍鬼になっちゃう日が来るなら」
ユナは、一瞬だけ目を閉じた。
怖いことを口にしようとしている自覚はある。
「そのときは、あたしも一緒になる」
レンが息を呑むのが分かった。
「二人で、誰もいないところに行こう。
誰にも見つからない場所で、二人だけで禍鬼になろ?」
ユウマの瞳が、わずかに揺れる。
「そしたら誰も食べなくていい。
誰も傷つけなくていい」
ユナは、ゆっくりと距離を詰めた。
すぐ手を伸ばせば触れられるところまで来て、それでも逃げ場を作らない。
「それでも、ユウマの隣には、あたしがいるから」
足元の石が割れる音も、禍の唸りも、全部背中に押し込む。
「だから、勝手にいなくならないで」
涙で滲んだ視界の中で、赤い瞳を真っ直ぐ見上げる。
「イツキが命かけて守ったユウマを、ここで自分から捨てるなんて、あたし絶対許さない」
最後の一言を絞り出した瞬間、ユナは一歩踏み出し、そのままユウマの身体にしがみついた。
◆ ◆ ◆
熱い。
肌に触れたユウマの体温は、ほとんど火傷しそうなほどだった。
それでも腕を離さない。離す気もない。
「ユウマ……戻ってきて」
耳元で、かすれるほど小さく囁く。
「お願いだから、ここにいて」
ユウマの胸の奥で、何かが軋んだ。
イツキの笑い声。
村の景色。三人で歩いた道。
そして今、涙声で自分の名前を呼ぶユナの声。
(……俺は)
絶対に失いたくないものが、また増えてしまった。
その重さが、胸を締めつける。
怒りと悲しみだけで膨らんでいた禍が、別の形に変わっていく。
「ユナ……」
名前を呼ぼうとした瞬間、禍の奔流が最後のあがきのように暴れ出した。
身体が完全に“人”の形から外れかける。
骨格が軋み、皮膚の下を黒い光が走る。
「……っ!」
ユナは顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、赤い瞳を真正面から見つめる。
「ユウマ」
もう一度、名前を呼ぶ。
「帰ってきて」
思考より先に、身体が動いた。
ユナはそのままユウマの首に手を回し――
そっと唇を重ねた。
◆ ◆ ◆
一瞬、時間が止まったようだった。
ユウマの視界の赤が、ゆっくりと薄れていく。
暴れていた禍の気配が、潮が引くように静かになっていく。
耳鳴りの向こうで、誰かの声が聞こえた気がした。
『お互いがお互いのこと忘れない限り、友達は終わんねーから』
さっきのイツキの声が、勝手に脳内で再生される。
(……そうだな)
ユウマは、かすかに笑った。
禍の紋が、ゆっくりと色を失っていく。
歪みかけていた骨格が元に戻り、赤い光が瞳から抜けた。
全身から力が抜け落ちる。
最後に見えたのは、泣きそうな顔のユナだった。
(……守りてぇな)
その思いを最後に、ユウマの意識は闇に沈んだ。
◆ ◆ ◆
ユウマの身体が、ぐったりとユナの腕の中に崩れ込む。
「ユウマ!」
ユナは慌てて支えたが、もう自分の足も限界に近かった。
二人まとめて座り込む形になる。
禍の気配は、もうどこにもない。
ただ、爆心地の焦げた匂いと、血と土の匂いだけが残っていた。
少し遅れて、レンが駆け寄ってくる。
「……収まったか」
ユナの肩越しに、ユウマの顔をのぞき込む。
さっきまでの“異形”の気配は消え、ただの青年の寝顔がそこにあった。
「レンさん……」
ユナの声が震える。
「ユウマ、また禍人みたいになっちゃって……でも、戻ってきてくれて……」
「助けたのは、お前だ」
レンは淡々と言う。
「俺でも、今のは止められなかった」
そう言いながら、そっとユウマの額に手を当てる。
熱は高いが、命の危険はなさそうだった。
そのとき、穴の縁の方から気配が戻ってくる。
◆ ◆ ◆
砂煙の向こうから降りてきたのは、ソウマだった。
服の裾に枝葉が絡まり、息もわずかに荒い。
ただ、表情自体はいつも通り淡々としている。
「さっきの影は?」
レンが問う。
「見失った」
ソウマは短く答えた。
「人の気配だけ残して、森の中に消えた。
罠の発動場所を遠隔で見てたとしたら、あれが術者か、その手先だろうな」
穴の壁や地面に刻まれた術式を、ソウマは一瞥する。
「少なくとも、辺境の山賊や盗賊の仕事じゃない。
結界の骨組みは王都の式に近いけど、書き換え方が違う」
「……どういうことだ?」
「“誰か”が、王都式の術を別口で学んで、自分なりに組み替えて使ってる感じだ」
ソウマは静かに言う。
「この穴の罠も、村を襲った結界も、同じ系統の手だろう。
ただ、今の段階じゃ『どこの誰か』までは絞り切れない」
レンは、短く息を吐いた。
「王都に戻ったら、その話はまとめて報告だな」
「ああ」
ソウマは頷き、それ以上は何も言わなかった。
◆ ◆ ◆
イツキの遺体は、見つからなかった。
代わりに、爆心地の縁から少し離れた場所で、彼の双短剣と、ちぎれた布だけが見つかった。
その場に、小さな墓を作る。
石を積み上げ、布を結び付けた棒を突き立てる。
名前を書いた板も立派な墓標もない。それでも、それが今できる精一杯だった。
ユウマはまだ目を覚まさない。
レンが簡易の担架を作り、一行は穴の外の林で一泊することに決めた。
夕暮れ。
燃えかけの空の下で、ユナはイツキの石積みの前に膝をついた。
「……ごめんね」
頭を下げる。
「ちゃんと、『ありがとう』って言う前に、こんな終わり方になっちゃって」
石は、当然何も答えない。
それでも、しばらくそこから離れられなかった。
少し離れたところで、レンとソウマが低い声で話している。
罠の術式、村で見つかった結界の痕跡、王都に報告すべき内容――そんな話だ。
ユナには、そのどれもがまだ遠い。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
(イツキが守ろうとしたユウマを、今度はあたしが守る)
そう心の中で決めて、ユナはそっと立ち上がった。
◆ ◆ ◆
翌朝。
ユウマは、薄い頭痛と全身の筋肉痛に包まれながら目を覚ました。
「……どこだ、ここ」
見慣れない木の枝の天井と、湿った土の匂い。
体を起こそうとして、全身に鈍い痛みが走る。
「動かなくていい」
すぐそばから、レンの声がした。
焚き火の向こうで、ユナがほっとしたように息を吐く。
「ユウマ……!」
今にも泣き出しそうな顔で近づいてくるのを見て、ユウマは苦笑した。
「俺、またやらかした?」
「やらかしたどころじゃねぇ」
レンが呆れたように言う。
「イツキの命張った一撃と、そのあと自分の暴走で、こっちは心臓がいくつあっても足りねぇよ」
その一言で、ユウマの胸が強く締めつけられた。
「……イツキは」
声が震える。
レンは一瞬だけ目を閉じ、それから短く首を振った。
「剣と布だけ見つかった。
本人は、ほとんど跡形もなかった」
ユウマは黙って拳を握りしめた。
爪が掌に食い込む。
「お前のせいじゃない」
レンは、淡々と言う。
「あいつは、お前達を守って死んだ。
あいつの顔付き見てたら分かる。自分で選んで、納得して逝った」
「……そんなの、勝手に決めんなよ」
ユウマは、かすかに笑った。
笑ったつもりだったが、声はほとんど泣き声だった。
「勝手に来て、勝手に守って、勝手に死んで……
置いてかれた方、どうすりゃいいんだよ」
ユナは唇を噛みしめていた。
昨夜のこと――自分が何をしたか、全部覚えている。
ユウマがこちらを見る。
ユナは慌てて視線をそらし、それから意を決して顔を上げた。
「あのね、ユウマ」
「ん?」
「……イツキの分までとか、全部背負おうとしたら、たぶんまた潰れるよ」
ユナは、正面から言う。
「あたしもいるし、レンさんもいるし、ツバサさんだってユイさんだってソウマさんだっている。
どこまで一緒にいられるか分かんないけど、それでも、『全部一人で』はやめて」
ユウマは少し黙ってから、ふっと肩の力を抜いた。
「……そうだな」
焚き火の火を見つめながら呟く。
「イツキに怒られそうだしな。
“お前、もっと人使え”とか言いそうだ」
レンが小さく笑う。
「言うな、あいつなら確実に言う」
そう言ってから、レンは真顔に戻った。
「王都に戻る。
村のことも、禍人のことも、今回の罠のことも、全部まとめて報告だ」
ユウマは頷いた。
◆ ◆ ◆
数日後。
一行はアシハラ王都へと続く街道を歩いていた。
ユウマはまだ本調子ではないが、歩ける程度には回復している。
腰には、イツキの双短剣が下がっていた。
やがて、結界の壁と高い塔が連なる王都が見えてくる。
社と祠が幾重にも重なり、城門には巫女服の役人たちが控えていた。
英雄レンと忍びソウマの姿を確認すると、彼らは一行を丁重に城の奥へ案内する。
静かな広間。
畳の上に正座していた若い男が、ユウマたちを見ると立ち上がった。
豪奢ではないが品のある紋付き。
それでも、その背筋の伸び方と周囲の空気で、彼がアシハラの君主だと分かる。
「遠路、ご苦労でした」
若き君主は、まずレンとソウマに頭を下げた。
それから、ユウマたちに向き直る。
「ユウマ。ユナ。イツキは……もういないのですね」
レンが短く頷いた。
「村の襲撃と、その後の経緯はソウマから報告を受けています。
だが、今日はまず――君に謝らねばなりません」
君主は、ユウマを真っ直ぐに見据えた。
「君がこの世界に呼ばれたのは、私たちの“召喚の議”の結果です。
異世界の魂を、この世界の禍を断つ器として呼び寄せる儀式――本来なら、王都の社に降りるはずでした」
ユウマの胸が、冷たくなる。
「だが何らかの理由で、君は辺境の村近くに墜ちた。
私たちの想定の外で、君はこの世界に現れてしまった」
君主の声には、言い訳も軽さもなかった。
「イレギュラーが起こった以上、君がどんな人物で、どんな状況で現れたのか把握する必要があった。
そこで私は、ソウマにだけ極秘の命令を出した」
ソウマが、わずかに視線を落とす。
「“召喚者を探し出し、保護しろ。
同時に、禍との関わり方を見極めろ”」
「結果として、君は禍人となり、村は襲われ、イツキという青年が命を落とした。
それが、私たちの決断の延長線上にあることは否定しません」
若き君主は、深く頭を下げた。
「本当に、すみませんでした」
広間が、静まり返る。
ユウマは、しばらく何も言えなかった。
(……こいつの言葉の向こう側に)
村の風景と、イツキの笑顔と、あの結界の夜がちらつく。
怒りがないと言えば嘘になる。
何かをぶつけたくなる衝動も、喉の奥に引っかかっていた。
でも――隣にいるユナの温もりと、腰に下げた剣の重さが、その衝動をかろうじて抑え込む。
「……謝られて、全部チャラになる話じゃないですよね」
ユウマは、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、この世界に呼ばれた覚えなんてないし。
勝手に呼ばれて、勝手に巻き込まれて、勝手に大事な人まで失いました」
君主は、その言葉を正面から受け止めている。
「それでも」
一拍置いて、ユウマは続けた。
「イツキは、俺を助けて死んだ。
ユナも、レンさんも、ソウマさんも……結果的に、俺を生かす側を選んだ」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「だから――少なくとも、あいつの命を、全部“間違いでした”で終わらせる気はないです」
若き君主の目が、かすかに見開かれる。
「俺がこの世界を救う“救世主”なのかどうかなんて、正直どうでもいい」
そこだけは、はっきりと言った。
「ただ、イツキが繋いだ命を、ちゃんと使うかどうかは、俺の問題なんで」
ユウマは、腰の柄にそっと触れる。
「今は、まだ答え出せません。
世界救うとか、でかい話は正直、胃もたれするんで」
苦笑を一つ挟む。
「でも――少なくとも、“イツキが守ろうとしたもの”を、自分から踏みにじるような生き方だけはしない。
それだけは、ここで決めておきます」
広間の空気が、わずかに変わった。
若き君主は、静かに顔を上げる。
「それで十分です」
真剣な眼差しで、ユウマを見据える。
「救世主かどうかは、君が生きた先で決まる。
私たちは、その選択の場を整える責任があるだけ」
◆ ◆ ◆
謁見が一段落したところで、君主はレンとソウマに視線を向けた。
「次は、“誰が禍鬼を仕掛けたか”の話です」
その一言で、空気がまた変わる。
「村で見つかった結界の痕跡については、先にソウマから報告を受けています」
君主は、屏風の横の地図に目をやる。
「術式の骨組みはアシハラの結界術に近い。
だが、書き込みの癖と符の組み方が違うと聞きました」
ソウマが頷く。
「はい。村を覆っていた結界も、今回の穴の罠も、
“アシハラ式を下敷きにした、どこか別の流派”の手です」
ユウマたちは黙って耳を傾ける。
「書き方そのものは……王都で保管している古い書式に似通っています。
ただ、その書式はもともとこの国のものじゃない」
若き君主は、指で地図の一角をなぞった。
「書塔自治国アルキュオン」
七つの国のひとつ。
巨大な書塔と、膨大な術式・文献を管理する自律国家。
「あそこから、数年前にいくつかの“召喚関連の写本”が流れてきた。
正式なルートではない。裏の市場を通じて」
「……盗まれたってことですか」
ユウマが思わず口を挟む。
「盗まれたのか、意図的に流されたのかは分からない」
君主は首を振る。
「ただ、村を襲った結界と、今回あなたたちが落とされた罠――
両方の術式には、“アルキュオンで使われている書体”が混じっている」
「アルキュオンが黒って決めつけるには、材料が足りない」
ソウマが補足する。
「術式だけなら、誰かが書塔から盗んだ文献を勝手に使ったと考えることもできる。
ただ、今回の村の位置と、禍の広がり方、境界の噂の動き方を全部合わせて考えると――」
「書塔自治国アルキュオンが、この件に関与している“可能性は高い”」
君主が言葉を引き取った。
「あなたたち三人が結界に閉じ込められた罠も、同じ手合いの仕事でしょう。
だが、現時点では“そうとしか思えない”という段階に過ぎません」
断定はしない。そのギリギリの線を、意図的に踏み越えない言い方だった。
「だからこそ、軽々しく“犯人”とは呼べない。
アルキュオンとは、今も表向きは交流がある」
「……じゃあ、どうするんですか」
ユナが不安そうに問う。
「何もしないわけにはいかないだろ」
代わりに答えたのはレンだった。
「少なくとも、どこの誰がユウマや村を狙ったのかは、はっきりさせる必要がある」
「その通りです」
君主は頷く。
「そこで――一つ、頼みがあります」
◆ ◆ ◆
謁見を終え、広間を出た先の回廊。
そこには、見慣れた二人の姿が待っていた。
「……ユウマさん」
巫女服姿のユイが、息を呑む。
駆け寄りかけて――けれど、途中で足を止めた。
巫女としての立場が、先に身体を律したのかもしれない。
「ご無事で……よかった」
「連絡が途絶えて……本当に、胸が潰れるかと思いました」
「……ユイさん」
ユウマは短く頷く。
それ以上、上手い言葉が出てこなかった。
ユイはユウマの背後を見て、表情を曇らせる。
すぐに悟ってしまったからだ。
「……イツキさんは……?」
ユウマの喉が、きゅっと鳴った。
「……死んだ」
ユイが口元を押さえる。
声は出ない。ただ、目だけが揺れた。
その少し後ろで、ツバサが静かに頭を下げる。
「……俺は、村に残ってた」
「復興の護衛と警戒の当番だ。……昨夜、引き継ぎが済んだ」
「村はひとまず落ち着いた。だから、戻ってきた」
ツバサは唇を噛み、拳を握る。
「でも……間に合わなかった」
「そこにいれば、何か……」
「足りない言い訳だ」
レンが淡々と遮った。
「村の護衛は任務だ。お前はそれを果たした」
「それに――」
「お前一人で、どうにかできる相手じゃなかった」
ツバサは悔しそうに目を伏せ、ゆっくり頷いた。
「ユウマさん」
今度はユイの声だ。
涙を押し込めるように、少しだけ強く言う。
「ごめんなさい……私は王都へ戻る途中で、何も知らないまま……」
「ユイさんのせいじゃない」
ユウマは首を振った。
「それぞれ任された場所で動いてたんだ。
仕方ない」
ユイは目を潤ませながら、微笑んだ。
「……前より、ちょっとだけ格好良くなったね」
「今それ言う?」
ユナが小さく突っ込んで、少しだけ空気が和らいだ。
◆ ◆ ◆
その後、一行は王城の小さな作戦室に集められた。
部屋の中央には、七つの国を描いた地図と、禍源域の位置が示された板。
同じ部屋にいるのは、レン、ソウマ、ユウマ、ユナ、ユイ、ツバサ。
そして若き君主。
「さっきも言った通り、アルキュオンの関与は“濃厚だが断定はできない”」
君主が口火を切る。
「だからこそ、軍を動かして圧力をかけるわけにはいかない。
下手をすれば、その瞬間に戦になる」
「だから、少数で行く」
レンが簡潔に言った。
「王都から公式に大軍を送るんじゃなく、あくまで“調査と交渉”」
君主は頷き、ユイに視線を向ける。
「ユイ。君には、アシハラの巫女としての立場を使ってもらいます」
「アルキュオンへの親書を持って、ですか?」
「そうです。
“禍源域の調査”という名目なら、先方も無下にはできませんから」
ユイは、きゅっと背筋を伸ばした。
「分かりました。」
「レンとソウマは、その護衛兼監視をお願いします」
君主は、二人に視線を移す。
「アルキュオン側が何を隠そうとしているか、目と耳で確かめてください」
「了解」
「…………了解」
レンとソウマがそれぞれ頷く。
「ツバサ」
「はい!」
「君はレンの補佐をおねがいします。」
ツバサは唇を噛み、力強く頷いた。
最後に、君主の視線がユウマとユナに向く。
「そして――この旅の鍵は、あなたです。ユウマ」
「俺ですか」
「アルキュオンが“何のために”禍と召喚の術を弄んでいるのか。
もし本当に関わっているのなら、その中心には必ず“器”がいる」
君主は言う。
「君と同じ、あるいは君に似た、何かが」
ユウマは、無意識に喉を鳴らした。
「行くかどうかは、君が決めればいい。
ここに残って静かに暮らすこともできる。私が保証します」
少しの沈黙。
ユウマは、腰の柄にそっと触れた。
イツキの剣――今はただの、欠けた柄だけ。
「……イツキが見たら、絶対面白がるだろうな」
ぽつりと呟く。
『お、世界がどうとか言い出したぞユウマ。腹でも壊したか?』
あの軽口が頭の中で流れる。
「行きますよ」
ユウマは顔を上げた。
「アルキュオン。
あいつらが本当に、村を、イツキを巻き込んだのかどうか――この目で見て確かめたい」
ユナが、隣で静かに頷く。
「なら、あたしも一緒に行く。
どこまで行くことになっても、ユウマの隣は譲らないから」
「勝手に決めんな」
ユウマが苦笑する。
「お前の隣は、お前のもんだろ」
「……なにそれ。ちょっといいこと言おうとしてない?」
ユイがくすっと笑う。
ツバサも、緊張した顔のまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「決まりだな」
レンが短くまとめる。
「アシハラ代表――ユイ。
護衛兼実力行使要員――レン、ソウマ、ツバサ。
そして禍人――ユウマと、その“制御役”のユナ」
君主は静かに頷いた。
「この一行を、アシハラから書塔自治国アルキュオンへ派遣する。
名目は“禍と召喚に関する共同調査”――実際には、“真相の確認と牽制”」
部屋の空気が、少しだけ引き締まる。
◆ ◆ ◆
作戦室を出て、城の外れにある渡り廊下を歩きながら。
ユウマは空を見上げた。
王都の空は高く、禍で焼けた村の空とは全然違う。
それでも、心のどこかで、あの日の煙った空とつながっている気がした。
「……イツキ」
腰の柄を軽く叩く。
「お前が“繋いでくれたその先が、ここらしい」
俺は、世界を救うとか英雄なんてことはどうでもいい
ただ、「英雄と呼ばれるべきやつ」が、目の前で死んだ事実だけは変わらない。
(だったらせめて――)
(お前が命張って繋いだ先くらい、ちゃんと見てくる)
ユナが隣に並ぶ。
「アルキュオンって、どんなところなんだろうね」
「本と塔と、ややこしい大人が山ほどいそうな場所」
ユウマが適当に答えると、ユナは笑った。
「じゃあ、ユウマが一番苦手そうな場所だ」
「うるせぇ」
軽口を交わしながらも、足取りはもう前しか向いていない。
レンは少し前を歩き、ソウマは無言で周囲の気配を探っている。
ユイは胸元の御札を握りしめ、ツバサは背中の刀の重みを確かめるように歩いていた。
「……イツキ。繋いだ先、ちゃんと見てくる」
ユナが隣で頷く。
「うん。行こう」
遠く、雲の切れ間の向こうに――白い塔の影が、かすかに見えた。
今日で禍人編が終わりで、明日から英雄編が始まります
次話は【毎日21時30分】更新です。続きが気になったらフォロー/★で応援してもらえると嬉しいです。




