第10話 言えない本音
ミナトの町に腰を落ち着けてから、三ヶ月。
朝焼けに染まる宿の裏庭で、木と刃のぶつかる音が、乾いた空気を細かく裂いていた。
「そこ、力みすぎだ!」
レンの声は、いつものように淡々としている。
ユウマは額に汗を浮かべながら、短めの片刃剣を構え直した。
この三ヶ月でようやく自分のものになってきた剣だ。
飾り気もなく、村の鍛冶屋が打つような素朴な造り。けれど握りは手に馴染み、重さも今の自分にはちょうどいい。
「はぁ……はぁ……。分かってるんだけどさ。
レンさんの打ち込み、普通に殺す気あるだろ」
「当たり前だ。実戦で相手が遠慮してくれると思うな」
木剣を構えたまま、レンは欠片も悪びれない。
少し離れた場所では、イツキとユナが互いの間合いを測っていた。
イツキは双短剣。右は軽く、左はわずかに重い。
左右の重さを変えることで、フェイントとリズムの変化をつけるタイプの武器だ。
ユナは腰に小さめの杖、背中に短い弓。
札と組み合わせることで、近〜中距離を行き来する戦い方を、ここ最近は徹底的に叩き込まれてきた。
「ほらユナ、下がると見せかけて前だ!」
「わっ――ちょっと待っ……!」
イツキが軽口を叩きながら踏み込む。
ユナは慌てて杖で一撃を受け流し、そのまま札を一枚滑らせた。
足元に淡い光の線が走り、イツキの足首に絡みつく。
「おっと」
動きが一瞬だけ止まり、その隙を狙ってユナが杖で脇腹を小突く。
「いってぇ! お前、遠慮って言葉知らないの?」
「どの口が言ってるのよ」
ユナが、少しだけ得意げに微笑んだ。
「今のは?」
「簡易の足止め札。三歩分だけ動きが鈍くなるの」
「……おお。やればできるじゃん」
「最初にそれ言いなさいよ!」
そんなやり取りを横目に見ながら、ユウマはもう一度構えを整えた。
(さすがに、三ヶ月前の俺とは違う……はず)
筋肉はつき、握力も増した。
剣を振ったときの軌道も、以前よりはだいぶましになっている。
それでも――
「ユウマ」
レンが、ふと木剣を下ろした。
「何か、肩のあたりがざわついているな」
「……バレてるか」
ユウマは苦笑し、右肩をさすった。
禍鬼に噛まれた跡を中心に広がった痣は、今も消えない。
禍鬼の気配が近づくわけでもないのに、ときどきこうして、内側からじわりと熱を持つ。
「痛いのか?」
「痛いっていうほどじゃないけど、なんか……火照る感じ?
ヤバいときの前触れなのか、ただの“気のせい”なのか、いまだに判断つかない」
「分からないまま“頼りにする”のが、一番危ない」
レンは淡々と続けた。
「あの力は確かに心強い。
だが、出せば出すほど“ツケ”が溜まる類いの力だ。
あてにし始めた瞬間、いざという時にお前自身が立てなくなる」
ユウマの背筋に、ぞくりとした冷たさが走る。
「だからこそ――この拠点にいるあいだに、一番鍛えるべきなのは腕力でも脚力でもない」
レンは、ユウマの胸を指さした。
「ここだ。感情のコントロール。
“失いたくない”って思っただけで、町中で目を真っ赤にされても困る」
「……それは、ほんとに困るな」
想像して、思わず顔をしかめる。
「禍人化は“最後の手段”として残しておけ。
その前に、お前自身がどう動くかを先に決めろ」
レンは一拍置き、ほんのわずかだけ視線を柔らかくした。
「それができるようになるまで、お前たちをここで鍛えると言ったのは、そういう意味もある」
ユウマは剣を握り直し、小さく頷いた。
「……分かった。
少なくとも、自分の感情くらいは、自分でどうにかする」
◆ ◆ ◆
その日の午後。
町外れの小さな林で、一行は野盗まがいの連中と小競り合いをしていた。
事の発端は、ミナトの警備兵からの依頼だった。
「最近、この辺りの街道で荷車荒らしが出てる。禍鬼じゃねえが、商人たちには立派な“脅威”でな」
粗末な地図を机の上に広げながら、警備兵は申し訳なさそうに眉を下げる。
「本当なら隊を出したいが、人手が足りねえ。
英雄隊の皆さんにまで頼むのは心苦しいんだが……、ついでの時でいい、目についたらで構わねえんだ」
「引き受けよう」
レンは即答した。
「禍鬼だけが脅威じゃない。
道が荒れれば、物資が届かず、村も町も干上がる。
――それに、ちょうどいい」
「ちょうどいい?」
イツキが首をかしげる。
「人間相手の戦い方も、覚えておく必要がある」
レンは、さりげなくユウマの方へ視線を向けた。
「禍鬼はためらわず斬れるが、生身の人間はそうはいかない。
刃の“止めどころ”を知らない者は、いざというとき必ず誰かを殺す」
「だから嫌なんだよ、人間相手って……!」
今、その言葉通りに文句を言っているのはイツキだった。
双短剣で相手の武器を弾き飛ばしながら、口だけはいつも通りよく回る。
「禍鬼ならまだしも、生身の人間は手加減めんどくさいんだって!」
「だったら文句を言う前に、さっさと終わらせろ」
レンは冷静に、相手の膝を払って地面に転がした。
殺さない程度に痛めつけ、立ち上がれないようにする。
ユナは後方から札を投げ、逃げようとする者の足元に閃光を走らせて目を眩ませる。
ユウマは――その中間に、ぽつんと立っていた。
(……殴るだけなら、今すぐにもできる)
手にした剣の重さを、掌が覚えている。
けれど、刃をどこまで入れていいのか、どこで止めるべきなのか。禍鬼のように「殺していい相手」ではない分、その線引きが分からない。
「おらぁ!」
イツキの蹴りが一人を地面に叩きつける。
レンは別の一人の腕を極め、武器をもぎ取った。
残った一人が、焦ったように後ずさる。
「くそっ……こんなガキどもに!」
そう叫びながら、そいつは後ろを振り返った――ふりをして、体の向きを半分だけ変えたまま、突然横合いに飛び出す。
その先にいたのは、札を構えるユナだった。
「――!」
頭の中で、何かが一瞬で灼ける。
目の奥が熱くなり、視界の色が揺らいだ。
(間に合え――!)
ユウマは剣を投げ捨て、地面を蹴った。
足場を砕きそうな勢いで踏み込み、野盗に向けて腕を伸ばす。
指先に、骨を砕き肉を裂く感触が、ありありと浮かんだ。
あの夜、禍鬼の喉を引きちぎったときの手応えが、脳裏に蘇る。
右肩の痣が、服の下で灼けるように熱を帯びた。
(――ダメだ)
それでも、ほんの一瞬だけ足が止まる。
その刹那――
「ユナ!」
横合いから飛び込んできた影が、野盗の手首をはじき飛ばした。
イツキだった。
男の顎に容赦ない膝蹴りがめり込み、野盗は白目をむいて崩れ落ちる。
「ユナ、大丈夫か?」
「え、ええ……ありがと、イツキ」
ユナは胸を押さえながら息を整える。
そのすぐ後ろまで、ユウマが駆け込んできた。
「ごめん、間に合わなかった……!」
「いや。間に合ってたよ。ギリで俺の方が速かっただけ」
イツキは、わざとあっけらかんと笑ってみせる。
ただ、その目だけが少しだけ険しかった。
「……全員、生きてはいるな」
転がる野盗たちを一通り確認してから、レンが安堵とともに息を吐いた。
「縄をかけて町まで運ぶ。こいつらの処分は警備兵に任せる」
「了解」
イツキはさっさと縄を取り出し、器用に結び始める。
ユウマは、その場に剣を拾いながら、右肩を押さえた。
痣の熱は、まだ完全には引かない。
「ユウマ?」
ユナが、じっとこちらを見ていた。
「……大丈夫。禍人化はしてない」
「そういう意味で聞いたんじゃないんだけど」
ユナは小さくため息をついた。
「後でちゃんと、肩見せて」
◆ ◆ ◆
宿に戻ってから、裏の物置小屋の中で、ユナはユウマの肩に新しい包帯を巻き直していた。
薄暗い小屋の中には、乾いた木と薬草の匂いが漂っている。
「やっぱり、少し赤くなってる」
「見た目そんなに変わってないなら、気のせいってことで」
「気のせいを“気のせい”って片付ける人は、こんなに強ばった顔しないの」
ユナは、包帯を引き寄せる手を少しだけ強くした。
「さっき、途中で止まったでしょ」
「……見てたか」
「見てたよ。目の色、変わりかけてた」
ユナの声は淡々としているのに、その指先だけが震えていた。
「だからユウマ。さっきも言ったけど、ちゃんと動いてたわよ。
全部一人でどうにかしなきゃなんて、誰も言ってないでしょ」
「でも――」
「もし、あそこで禍人化してたら?」
ユナは包帯の端を結びながら言う。
「ユウマはまた、あの激痛と一分間の動けない時間を背負うことになる。
その間に、別の禍鬼が来たら? もっと強い敵だったら? 誰が守るの?」
「……」
「『ユナを守るためなら、それでもいい』って顔、しないで」
図星を刺され、ユウマは言葉を失った。
「だからね」
ユナは、少しだけ笑って見せる。
「さっきみたいに、普通のユウマで全力で動いてくれれば、それでいいの。
……それに、もし本当に間に合わなかったとしても」
そこで言葉を切り、視線を落とした。
少しの沈黙のあと、ぽつりとこぼす。
「ユウマが、そこまでして守ろうとしてくれたって分かるだけで、きっと私は救われるから」
「そんなの、“守られてない”だろ」
思わず、声が出た。
「俺がやりたいのは、“守ったつもりになる”ことじゃない。
本当に、誰も死なせたくないんだよ」
「……うん。知ってる」
ユナはそれ以上言い返さず、包帯を結び終えると、そっと手を離した。
「だから、お願い。
自分を道具みたいに扱うの、やめて」
それが、彼女の“言えた”本音だった。
ユウマは、何も返せないまま頷くしかなかった。
◆ ◆ ◆
夕焼けが、ミナトの外れの丘を赤く染めていた。
ユウマは一人、草の上に腰を下ろし、町を見下ろしていた。
宿の裏庭で揺れる洗濯物が小さく見える。
(三ヶ月――あっという間だったな)
剣の握りは馴染んできた。
体力もつき、禍鬼相手でも一方的に蹂躙されるだけじゃなくなってきた。
それでも、あの夜のことは、何一つ終わっていない。
村が襲われた夜。
守れず、救えず、ただ見ていることしかできなかった自分。
(今度こそ、誰も死なせない。そう思ってるはずなのに)
さっきの戦いでも、結局ユナを守ったのはイツキだった。
喉の奥に、形にならない苛立ちが引っかかる。
「なぁ、ユウマ」
背後からかけられた声に、ユウマは振り返った。
イツキが、手をポケットにつっこんだまま立っていた。
「レンさんが、夕飯前に呼んでこいってさ。
町の警備兵から、何か追加の話があるらしい」
「……そうか」
ユウマは立ち上がりかけて、イツキの顔をちらりと見た。
どこか気まずそうに視線を逸らしている。
しばらく、二人とも黙った。
風だけが、丘の草を揺らしている。
先に口を開いたのは、イツキの方だった。
「なぁ、ユウマ」
「ん?」
「お前さ」
イツキは空を見上げたまま言う。
「ユナのこと、好きだろ」
ユウマは、足を止めた。
夕焼けが、彼の横顔を赤く染める。
「……どうだろうな」
「どうだろうな、じゃねぇだろ」
イツキは苦笑とも溜め息ともつかない声を漏らした。
「別に、責めてるわけじゃない。
ただ――見てりゃ分かるって話」
「だったら、お前だって同じだろ」
口から出た言葉は、自分でも予想していなかった。
「イツキだって、ユナのこと……」
そこまで言いかけて、言葉が喉で止まる。
イツキが、初めてまともにユウマを見た。
「……ああ。そうだよ」
短く、あっさりと。
「俺は、ユナが好きだよ」
心臓が、嫌な音を立てた気がした。
「だからさ」
イツキは、草を踏みしめる音を立てながら、ユウマの隣に並ぶ。
「お前が勝手に“全部自分が背負う”みたいな顔してんの、見ててムカつくんだよ」
「勝手に、って……」
「村が襲われた夜、お前が何もできなかったのは知ってる。
身体ずたずたになって、それでも立とうとしてたのも、見てた」
イツキの声は、珍しく真っ直ぐだった。
「だからさ。
“誰も失いたくない”って気持ちも分かる。
……分かるけど、それを理由に、全部一人で抱え込むなよ」
「別に、抱え込んでるつもりは――」
「あるだろ」
イツキは、一歩踏み込んだ。
「今日だってそうだ。
お前、禍人化しかけたの、自分で分かってただろ。
それでも、ユナに手ぇ伸ばそうとした」
「それは――守りたかったからだろ」
「守りたかったのは分かってんだよ!」
イツキの声が少しだけ上ずる。
「でもな、あのまま禍人化して、別の禍鬼でも出てきたらどうするつもりだった?
お前が動けない間に、誰かが死んだら、“守れなかった”ってまた自分責めるだけだろ」
「そんなこと――」
「あるよ。絶対、ある」
イツキは、ユウマの胸ぐらを軽く掴んだ。
「お前が自分をゴミみたいに扱うたびにさ。
ユナの顔がどんだけ曇ってるか、分かってんのか」
「……」
「お前、自分を犠牲にすりゃ全部丸く収まるって、どっかで思ってるだろ。
“罰を受けてるから許される”みたいな顔してんのが、ムカつくんだよ」
「ふざけんなよ」
気付けば、ユウマも声を荒げていた。
「俺が自分のことしか考えてないみたいな言い方、やめろよ」
「じゃあ聞く。
さっき、禍人化しそうになったとき、お前、俺のこと考えてたか?」
「……」
「考えてなかったろ」
イツキは、自嘲気味に笑った。
「“ユナを守らなきゃ”ってことしか、頭になかったろ。
俺のことなんか、きっと一秒も浮かばなかった」
「それは――」
「別に責めてんじゃないって」
言いながらも、その声には確かな棘があった。
「俺だって、ユナのことになると頭真っ白になる。
だから、お前の気持ちも分かる。
でもな――」
イツキは、拳をぎゅっと握った。
「そのくせ、お前は“ユナには何も言わない”」
「……」
「好きだとか、守りたいとか、怖いとか。
何ひとつ、本音を言わないくせに、勝手に自分を犠牲にしようとすんなよ」
それは、イツキ自身にも向けられた言葉だった。
ユウマは思わず言い返す。
「お前だって同じだろ。
ユナの前でヘラヘラふざけて、ごまかして――
本当に大事なこと、何一つ言ってない」
「言おうとしてんだよ!」
イツキの拳が、ユウマの頬を打ち抜いた。
乾いた音が、丘に響く。
ユウマの身体が後ろに揺れ、頬に熱と痛みが走る。
殴り返そうと思えばできた。
それでも、拳は握ったまま、振り上げられなかった。
沈黙のあと、イツキがぽつりとこぼす。
「殴りたかったのは、お前じゃなくて、多分自分なんだろうけどさ」
「だったら、自分殴っとけよ」
ユウマは頬を押さえながら吐き捨てる。
「俺に説教する前に、自分のことどうにかしろよ」
「それは、お互い様だろ」
イツキは、らしくもなく弱々しく笑った。
「ユナの前でいい顔して、カッコつけてさ。
ほんとは怖くて仕方ないくせに」
図星だった。
その一言が、ユウマの一番痛いところに突き刺さる。
「……勝手にしろよ」
それが、やっと出てきた精一杯の反撃だった。
「ああ。勝手にする」
イツキは踵を返し、先に丘を降りていく。
その背中を見送りながら、ユウマは拳を握りしめたまま動けなかった。
◆ ◆ ◆
その夜、ユウマとイツキはほとんど口をきかなかった。
同じ宿の中にいながら、あえて視線を合わせようとしない。
ユナはその空気の変化を敏感に察したが、原因を聞く勇気は出なかった。
(何かが、少しずつズレ始めてる)
胸の奥に、小さな不安がわだかまる。
それはまだ名前も形も持たないまま、喉元に引っかかっていた。
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