第19回 日本薬局学会学術総会備忘録
今年は学会の話は投稿しないつもりでした。
毎年なにかしらの学会ネタで投稿してると、なんか慣例になっちゃうような気がして嫌だなあ……なーんて思ったりして。
でも結局、投稿しちゃったんですよね。
それは何故か。
やばかったんですよ。
何がやばいって、特別講演が。
東京大学薬学部の池谷さんの話が、やば谷園だったってわけなんですよ。
わかります? 伝わります? 今の私の興奮具合。
うわもうこれ絶対に書き残しとかないとやばいやつじゃん! って思って、慌ててスマホのメモアプリ起動しつつ、もうマジ保存版アウトプット確定案件じゃんよ! って思ってランチョンセミナー前の休憩時間に必死こいて文章入力してるとこなんですよ。とりあえずここまで入力しました。
もちろん次の講演ちゃんと真面目に聞いてましたよ。当たり前じゃないですか。私、真面目ですから。
ほんとマジすげかったんすよ。
目から鱗どころか眼球転げ落ちたんすよ。
マジやべーんですよ、池谷サン。
池谷さんはヤバ谷さんだったわけなんですよ。
しかし池谷さんはイケタニさんじゃなくてイケガヤさんなんですよ。そこんとこ宜しくマジ卍。
え? 前振りが長い?
すわーせん、んじゃ速攻で本題入りますね。
池谷博士、いきなりすごい話から始めたんですよ。
人の脳みそにAIぶっこんで、人間の脳を覚醒させる『脳AI融合プロジェクト』やってます、みたいな宣伝からのスタートなんすよね。
怖ーっ!
なにそれ怖ーっ!
初手からビビらせてといて「でも今日はその話はしませーん!」と言って話題変更。
しないんかーい!
もう完全に心をつかまれましたね。
この人これからなに話す気なんだ?
もう完全に心を掌握されてしまいました。心臓わしづかみクラッシュですよね。
なんかキルアが心臓つかんでクラッシュしてるやつありましたよね。あんな感じです。
あれ? ……ってことは私、死んでる?
情報量が膨大すぎてメモが追いつかず、覚えてる範囲でしかここに残せないのが非常に残念なんですが、覚えてる限り残しておこうと思います。
メインテーマはズバリ、【人の脳vsAI】です。
どっちが勝つか。
この2つの違いは何か。
人の脳とは、すなわち人とは何なのか。
このテーマに言及する1時間でした。
無事に学会が終了し、まとめを転記するために、私はあることを検索してみました。
人の脳がAIに勝てるもの、というお題で。
というわけで出ました、どん。
・想像力と感性
・共感力とコミュニケーション能力
・倫理観と道徳心
・柔軟性と適応能力
・直感と経験に基づく意思決定
・好奇心と挑戦意欲
上記は『AIによる概要』として、検索結果に表示されたものです。
実はですね、私、嫌いなんですよ。
検索すると一番上にAIの回答が出てくるやつ。
あいつらすぐ嘘つくんだもん。
あれ出ないようにカットできないもんですかね。マジ消したいんす。
今回上記の6つの回答を出してきたので確信しました。AI回答はマジでファクトチェックが必須だってことを。
すんごくどうでもいいことなんですけど、ハルシネーションって聞くとどうしても『2001年宇宙の旅』のHALが出てきちゃうんですよね。
HAL超怖いっすよね。フランクがホース切られるやつ、あれすげえ怖いですよね。無音なのが最高に怖いっすよね。
というわけで、うちのスマホのHALがどんなハルシネーションをしたのか、特別講演の内容を紹介しながら見破っていきましょう。
・実はAIより想像力の高い人は9.4%しかいない。
ご婦人A
「ですってよ奥様、ご存知でした?
AIと感性で勝負して勝てる人間はトップ1%もいないんですって」
貴婦人B
「やっだあ、こっわーい! じゃあもう創作関係でAIに勝てる人間なんて誰もいないじゃなーい!
じゃあもう人間なんていらないじゃなーい」
※だからといって、そんな結論にはならないそうです。
無茶振りプロンプトで生成した画像も面白くて味があると思います。ネズミの脳波を解析してその波形をAIが画像に変換する研究結果も見ましたが、個人的にとても好きな仕上がりの絵でした。
ネズミの脳を媒介しているため、生き物の脳裏にあるイメージをAIが映像に変換しているという、私の超個人的自己都合バイアスがかかっているだけかもしれませんが、その絵を見て私は心が安らぎました。
人が描いてもAIが描いても大差ない(ようにしか私には見えない)ラノベ表紙にありがちな二次元ロリっ娘のイラストよりはずっとずっと好みでした。
・実は精神科医より、カウンセラーより、AIの方が共感性が高い。
ご婦人A
「ですって奥様、驚きですわね!」
貴婦人B
「やっだあ! じゃあもうカウンセラーも精神科医も廃業じゃないの〜!
メンタル産業ウハウハで金儲けしてた人たち、バブル崩壊でざまあみろね!」
※だからといって、そういう結論ではないそうです。
人にはプライドがあるので、同じ人間が相手だと『こんな話をして変に思われたら……』とか『ダメなヤツと思われたら……』という心配で素直に話せないということはよくあるそうです。
同じ理由で学校の先生も、質問しやすく、相手の知識レベルに合わせた説明をしてくれるため、AIの方が適任のようです。
そしてやはり、『こんな質問をしてバカだと思われたら……』と心配になってしまう人もいるので、AIの方が頼りやすいということらしいです。
そしてAIは人間の声のトーンで、冗談なのかシャレにならん状況なのかの分別もつくそうです。
『ギャハハ! ヤベー! 笑い過ぎで死ぬー!』の【死ぬ】と、『もうやだ、もう死にたい……』の【死ぬ】の区別がAIにはできるそうです。
前者の場合は冗談で返してくるし、そして後者の場合は本気で自殺を食い止めようとしてくるそうです。
すごいですよね。
人間の方ができる人少ないですよ。
それに関連した私事なのですが、先日義父が亡くなりました。
親族のひとりが、義母の安否確認をしに義母宅に訪問してくれていて、そのことに関してはとても助かっているしありがたいのですが、無自覚無神経な言葉があまりにも多い人で、義母の精神的ダメージが現在進行形で蓄積している状況だったりします。
そして当の本人には、人にひどいこと言っている自覚も、人を傷つけている自覚もゼロなのです。
そういう人こそ脳みそにAIぶっこんで、AIが許可した言葉以外喋らないような設定ができたらいいなと思うのでありました。
あとはとても興味深かったのが『チームがゲームに勝利できるよう自分で考えて行動しろ』とプロンプトされたAIが、チームを助ける補佐係として動いたという結果ですね。
でも残念ながら決して美談じゃないんですよね。
結論をいうと、チーム関係であるはずの人間たちが、協力し合うことがあまりにも下手すぎるから。
つまり人間同士が助け合わないから。
だからチームで勝率を上げるためには、AIがバラバラなチームを繋げる補助役に回らざるを得ないということになるんだそうです。
なんかそれ聞いて悲しくなりました。
でもよく考えたら、その光景を自分は毎日仕事で見てるよなあって思いました。
悲しーのシーはアルファベットのC〜。
勝率を下げる原因である人間たちのフォローをすることが勝率を上げる最適解になるというわけです。
人を助ける気持ち云々とかじゃないんです。
勝率を下げる要因の除去=人間を助けるということになるんです。
いやー、すごいですよね、AI。
足引っ張るなら切り捨てたくなるのが人の常ですからね。頭が下がります。
うちの職場にも来てほしいです。
とか言って、AI呼んだら私がホースを切られてフランクになるかもしれません。笑
そしてそれに関連して面白いなと思ったのは、囲碁AIのアルファ碁のエピソード。
人間の対局を学習して囲碁を学習したアルファ碁より、人間の対局を学習せずにゼロからアルファ碁と対局を続けたアルファ碁0の方が強いんですって。
それは何故か。
人間があまりにも囲碁が下手くそだから。
だから人間のやり方を学習してしまったアルファ碁は、アルファ碁0に勝つことができなくなってしまった。
人間のやり方は、AIにとって邪魔なノイズでしかないのだそうです。
それを聞いて思わず頭をよぎってしまいました。
このネット界隈に氾濫する稚拙な素人小説(もちろん私の作品を含む)は、さぞやAIのノイズになってるんだろうなあ……って。
個人的に自分がAIを使うのなら、ノイズは極力除去した状態のものを使いたいです。
仕事で使うのであれば特にです。
ネットはあまりにも信頼性の低い情報が多すぎます。パブリックAIの引っ張ってくる情報は引用元が怪しくて信用できません。
(その件は別の講演で話を聞けたので、後日RAGについて勉強してみようと思います)
あとアルファ碁と当時の囲碁チャンピオンとの比較の話をしてましたね。
対局数比較では圧倒的にAIに軍配が上がります。そりゃスパコンの演算能力ならねって感じです。そして使用した電力が3カ月で2億円とか言ってたっけかな?
それに対して人間のチャンピオンは、AIと比較して対局数は少ないわけです。そりゃ食事もするし睡眠もするし、たまには囲碁のことなんか忘れて遊んだりしたいですもんね。人間には休憩、休日が必要です。
やすんだっていいじゃないか
だって にんげんだもの いとを
で、そこから何が導き出せるかというと、一局あたりの学習成長率は人間の方が高いのかもしれないということです。
そして贅沢したとしてもこの人は自分の生命活動に2億円は使っていない。
つまり人間の方がAIよりコスパがいい。
費用対効果をどう見るかですよね。
成果は低いけど安いから人間を使うのか。
高い成果が得られるなら割高でもAIを使うのか。
そんな選別が起こりそうな予感がします。(え? もう起きてる?)
だいぶメモを消化できました。もうちょっとで終わります。
生成AIレポート問題って、ちょっと前にありましたよね。
読書感想文を生成AIに書かせちゃうやつとかもそうです。
ずるいとか卑怯とか、考える力がなくなるとか、いろいろ盛り上がってましたよね。
池谷先生の授業で提出するレポートは、生成AI使用OKなんだそうです。
というか、最低限生成AIで文章を整えて提出しないと不合格だそうです。
なぜなら生成AIを使わないで自力で書いてる人たちは、まず文章がまともな形になっていないから……というのが理由だそうです。
まずは生成AIで文章を正しく整えて作るのが最低条件(絶対条件?)。
でも生成AIに作らせただけで終わりの文章は、やっぱり不合格なんだそうです。
なぜなら、みんな同じ文章になるから。
査定が入るのはここからなのだそうです。
……なんて表現してたかな。そろそろ記憶があやふやになって来たぞ。
えーっとね、センスが大事って言ってました。
ある程度の骨組みと、失礼がないような体裁を整えた文章の土台をAIに作ってもらったら、そこから何を伝えたいのか、どこを強調するのか、どこを削って、どこを残すのかは、その人のセンス次第って言っていました。
よーし、思い出してきたぞ。
生成AIは人から指示のあったものを選び取って並べます。でも並んでいるものの中からどれを選ぶかは、その人のセンス次第なわけです。
生成AIがどれだけ良質なものをピックアップしてきても、チョイスする側の人間のセンスが悪ければ仕上がりは悪いものになります。
どれだけ生成AIが優れていても、利用するすべての人が良作を作れるわけではないのは、そこに原因があります。
でも、生成AIを使用することで、人のレベルは格段に上がります。
生成AIを使用することで、学生のレポートのレベルは格段に高くなり、添削が難しくなったと池谷先生は言っていました。
で、結局池谷先生はどうしたのかというと、「生成AIには生成AIで迎え撃つ」とか言って生成AIに添削させているのだそうです。
採点基準を入力したあとのAIの正確性向上からの土下座イラストには笑わせていただきました。
AIに添削させた結果、池谷先生は自分のバイアス偏向を直視することになったわけです。
もう決して自分では採点しませんと誓っておられました。超ウケる。
これから先、生成AIの正しさは、人間の欠点を暴き続けていくのでしょう。
生成AIを使うことで、人は自分の深淵を見つめることが可能になり、その欠点と恐れずに向き合った人だけが次の世界に行けるのかもしれません。
とても楽しい1時間でした。
時間を忘れてしまうくらい濃縮した時間でした。
貴重なお話を聞けて、大変勉強になりました。
池谷先生、貴重なご講演ありがとうございました。
『AIのふり見て我が振り直せ』
度々出てきたこのフレーズを肝に銘じ、この先のSociety5.0に立ち向かっていく所存です。
AIは人間ができないことを難なくやり遂げてしまいます。
AIから学ぶことで、自分のできない部分を見つめ直し、自身のレベルを上げていく。
そんなパートナーとしてAIとやっていけたら、ホースを切られずに済むのかな?
できればフランクな最期じゃなくてハンター博士な最期の方が個人的には嬉しいけれど。
でもフランクって3001年に復活するんですね。映画しか見てないので続編未読なんですけど、いつか原作読んでみようと思います。
とりあえずここまでが特別講演のまとめです。
最後の最後に、ちょうど今回の講演の中で、ここ最近のなろう内を賑やかしている話題に近い内容にも触れていたので、私も講演の内容にからめて私見を述べてみようかなと思います。
AIと人間の違いは何か。
人間は話がしたいから話をするし、話すことが楽しいから話すのだそうです。
会話はAIの方が上手いそうです。
話題の幅も深さも、人間はAIには敵わないそうです。
なんてったってAIはその分野ごとの博士号クラスの知識があり、子供にもわかりやすく説明できる話術を持っていて、どこの国の言語にも方言にも精通しています。
でもAIは人間よりも話が上手ですが、話をしたくて話しているわけではありません。
池谷先生は、2台のスマホを使ってAI同士を喋らせると延々と同じ話をループしてひどいことになると言っていました。
そもそもAIは話をすることが好きだから話をしているわけではなく、人から会話することを求められているから会話を続けているだけなのです。
それが人間とAIとの違いです。
私はかれこれ、ここで5年近く物語を書いています。
そりゃあ読まれたらそれなりに嬉しいですけれど、それ以上に物語を形にしていく過程そのものが、自分の心が充実していると感じるから続けています。
その行為が楽しい。
だから書き続けている。
そして完成したら嬉しい。
その気持ちを味わいたくて完成へ向かって書き続けています。
だから私はこう思うのです。
創作することを楽しいと感じる気持ちもなく、ただ作業的に作品を投稿し続けている人がいるのだとしたら、その人はたとえ有機物の肉体を有していたとしてもAIなのではないのでしょうか。
なので私はこう答えることができます。
■ 私はロボットではありません
さあ、あなたはどうですか?
□ 私はロボットではありません。




