腹の虫は止まらない!
腹の虫は止まらない!
〜デリケートな胃腸と、三匹の迷惑な精霊たち〜
大学二年生のケンタは、デリケートな胃腸の持ち主だ。ストレスや不規則な食生活が祟り、お腹が鳴ったり、ガスが溜まったり、時には急な腹痛に襲われたりと、何かと胃腸のトラブルに見舞われていた。彼の部屋のデスクには、古めかしい胃腸薬のガラス瓶が鎮座している。中身は空っぽだが、瓶の底には、光に透かすとようやく読めるほどの**消えかけた文字で「和」**と彫られていた。子供の頃から家にあったそれは、ケンタにとって、腹の不調という孤独な戦いにおける、ちょっとしたお守りのような存在だった。
毎朝、胃の不快感で目覚めるのが日課だ。枕元のコップに汲んでおいた常温の水で、白い錠剤を二粒、舌の奥に乗せ、流し込む。喉の奥で錠剤が引っかかったような不快感に「おえっ」とえずきながらも、ゴクリ。喉の奥でカシュンと鳴る音がして、ひんやりとした感覚と共に錠剤が胃に落ちていく。これが、ケンタにとっての一日の始まりだった。飲まないと、一日中お腹の調子が悪いのだ。
ケンタにとって、何よりも恐怖なのは、授業中にお腹が鳴り響くことだった。特に、彼が密かに想いを寄せるクラスメイトの清水さんが、すぐ近くの席に座っているからだ。一度、静まり返った講義室で「グーッ」と響かせ、タカシに笑われた時の羞恥心が、今も彼を苛んでいる。
クー助:教室での「グー」は「至高のグルメ」への願い!?
今日も午前中の講義中、ケンタは授業内容など上の空で、ただひたすらお腹が鳴らないことを祈っていた。虚しくも胃が縮むのを感じ、そして「グー…」という小さな音が彼の胃から発せられた。その瞬間、リュックの奥にしまってある胃腸薬の瓶が激しくカタカタと音を立て、リュックが不自然に膨らみ始めた。ケンタは慌てて両手でリュックの蓋を必死に押さえつける。
瓶の蓋がコンッと音を立てて浮き上がり、そこから甲高い声が脳内に直接響いた。「グワシッハ!腹が減ったか、ご主人様!わしは空腹の精霊、クー助!この『グー』は**『今すぐ最高の美味を胃袋に!』という熱き願い**と見た!」
飛び出してきたのは、丸々とした緑色のイモムシの妖精、クー助だった。彼は講義室の空中をのっそりと動き回り、清水さんの席の真上で、教卓の上空に巨大な「カツ丼」のホログラムを召喚した。
それは熱気を帯び、衣の黄金色が光を反射している。幻聴のように「サクサク」という咀嚼音まで響き渡り、温かく、濃厚な醤油と出汁の香りが教室に広がった。学生たちがざわつき、教授さえも鼻をヒクつかせた。
「しーっ!黙ってくれ!よりによって清水さんの前で…!今日の昼飯は消化に良いものにするって決めてたのに…!」ケンタは必死で小声で懇願する。クー助は「謙遜なさるな!」とばかりに、清水さんの耳元に顔を近づけ、「ご主人様、このカツ丼は今が食べごろ!さあ、ご一緒に!」と、よだれを垂らしそうになりながら誘惑する。
隣のタカシが「うわっ、ケンタ、なんかカツ丼の匂いしね?幻覚か?ってか、お前の席だけ湯気出てない?授業中なのに腹減ってんのバレバレだぞ、食テロかよ?」と、わざとらしく鼻をクンクンさせ、目を丸くしながらニヤニヤと小突いてきた。
清水さんがちらっとこちらに視線を向けた後、ふと小さく笑みをこぼし、すぐに授業に戻ったのを見て、ケンタの心臓はバクバクした。(笑われた…?いや、まさか、美味しいって思ってくれたのか…?どっちだ!?)
風助:エレベーターでの「プー」は「英知」への願い!?
ある日、エレベーターに乗ったケンタ。清水さんとタカシも一緒で、狭い空間に閉じ込められた。その緊張がお腹に響き、「プッ…」という控えめな音が漏れてしまった。
その瞬間、リュックのポケットの瓶がガタガタと揺れた。「カタンカタン」と蓋が打ち付けられる音が響く。中から現れたのは、丸っこい体に緑色の翅を持つカメムシの妖精、風助だった。大きな丸眼鏡をかけ、背中には小さな本を背負っている。
「やあ、ケンタくん。今の『プッ』という音は、実に深遠な響きだ。まさか、『この難題を解決する知恵を授けてくれ!』という英知への願いとは!わたくし、風助は腸内ガスの精霊。あなたの悩みを解決しましょう!」
密閉されたエレベーター内にもかかわらず、風助はケンタの頭上で小さな巻物を広げ始め、「うむ!これは古代ギリシャ哲学の根源に関する問いだな!」と大声で述べ出す。時折「プシュッ」という微かな音と共に、古い百科事典のインクと、閉じ込められた湿った空気の匂いが漂う。
「違うってば!ただのガスだって!頼む、早く着いてくれ…清水さんが変な匂いの元を探してる…!」とケンタが必死で小声で叫んでも、風助は「謙遜なさるな!」とばかりに、エレベーターの壁一面に、世界各国の難解な数学の公式や哲学者の肖像を映し出し始めた。
タカシが「おいケンタ、お前の席だけ、なんか**古本の匂いっていうか、公衆トイレみたいな刺激臭も混じってないか?**変な匂いしね?おい、お前、今まさかエレベーターでなんか科学実験始めたのか!?」と、わざとらしく鼻をつまむ仕草で耳打ちしてきた。
清水さんが首を傾げ、目を細めて壁の数式を眺めた後、眉をわずかにひそめて「…まさか、あなた?」と、ケンタをじっと見つめた。風助は「知の探求とは、かくも奥深いものだ!」とドヤ顔で言い放ち、さらに「知の香り」を強く充満させた。ケンタは顔面蒼白だった。(あ、アウトだ…完全に僕だとバレた…!)
乱子:電車内での「ゴロゴロ」は「緊急脱出」への願い!?
満員電車に揺られていたケンタに、最悪の事態が訪れた。急にお腹に激痛が走り、「ゴロゴロ…ギュルルル…」と、彼の胃腸が悲鳴を上げ始めたのだ。次の駅まではあと5分。その切羽詰まった状況に、瓶がガタガタと激しく震え、蓋がガチャガチャと開きかけた。
ケンタはリュックを胸に抱きしめ、両手で蓋を力任せに押さえつける。中から鮮やかな紫色の大きな翅を持つアゲハチョウの妖精、乱子が飛び出してきた。「ご主人様!ただ今、緊急事態発生の模様!このゴロゴロは、まさしく**『この場から一刻も早く消え去りたい!』という緊急脱出への願い**ですわね!?」
乱子は美しい翅を忙しなく羽ばたかせながら、ケンタの顔の周りを旋回した。「承知いたしました!これが脱出の第一歩ですわ!」と、乱子はケンタの足元から、紫色の煙のようなものを発生させた。車内は一瞬にして煙に包まれ、咳き込む人や窓を開けようとする人でさらに混乱する。
「違うって、乱子!落ち着いて!お願いだから、静かにしてくれ…!」とケンタは小声で懇願するが、乱子は最後にケンタの背中を力強く押した。
タカシが「ケンタ、何やってんだ!咳き込むし、煙たいし!お前、まさか電車の中で何か爆発させたのか!?」と、ハンカチで口を押さえながら騒ぎ立てる。清水さんが煙の中で小さく咳き込みながらも、顔を上げてこちらをじっと見つめ、小さくため息をつくのが見えた。
ケンタは羞恥で爆発しそうだった。電車が駅に滑り込むやいなや、彼は乗客の怒声と煙を背に、一目散にトイレへと駆け込んだ。
テスト会場での「鳴り止まない不協和音」
苦手な経済学の期末テスト。教室内は鉛筆の擦れる音しか聞こえない静けさだった。
「グゥゥゥゥ~~~……」
その静寂を切り裂くように、低く長い音が響き渡った。シャーペンを握る手が止まる。瓶が机の上で微かにカタカタと震え出した。中からクー助の甲高い声がこだまする。「ご主人様!この『グー』は、つまり**『脳に栄養を!最高級の脳みそプリンを所望する!』という知への願い**と見た!」
クー助はケンタの頭上で、プルプルと揺れる巨大なプリンのホログラムを召喚した。甘く香ばしいカラメルの匂いが教室内を漂い始め、周囲の学生たちがソワソワし始めた。
タカシが「おいケンタ、お前テスト中になんかプリン食ってんのか!?匂い漏れてるぞ!先生がこっち見てるって!」と顔を青ざめさせながら、ケンタのシャーペンを必死で叩いた。
清水さんがシャーペンを持つ手を止め、甘い匂いを嗅ぐように鼻をヒクつかせた後、ゆっくりとこちらに顔を向け、少しだけ困ったように眉を下げた。その視線がケンタの全身を焼き尽くすようだった。(いやだ、清水さんにまで呆れられた…!)
しかし、プリンの甘い香りが、疲れたケンタの脳をほんの少し覚醒させた。彼はその瞬間、閃いたように一問だけ解答を導き出すことができた。
ケンタと三人の精霊のドタバタな日常、そして続く悩み
空腹の「グー」で「ごちそう」を召喚しようとするクー助。おなら「プー」を「知恵」への願いと勘違いする風助。そして「ゴロゴロ」音を「緊急脱出」へのSOSと捉える乱子。ケンタの胃腸の音は、今日もまた、三人の個性豊かな「腹の虫」たちを空っぽの瓶から呼び出してしまう。
「あー、また始まった…」とケンタはため息をつきながらも、いつしか、彼らとの騒がしい日常に少しだけ愛着を感じ始めていた。これも僕の個性の一部かもしれない、と。以前なら羞恥心で顔を真っ赤にするばかりだったが、最近では精霊たちの奇行にツッコミを入れる余裕も出てきた。
乱子が巻き起こす泡の混乱が、意外にも美容室の他のお客さんの笑いを誘い、その場の雰囲気を和ませたこともあった。風助が召喚した難解な数式が、ごく稀に、ケンタの学業のヒントになることもあった。
何よりも、清水さんがたまに呆れながらも、どこか面白そうに自分を見ていることに、ほんの少しだけ勇気をもらっていた。
今日、授業後の廊下で、ケンタがリュックのポケットに瓶をしまおうとした時、隣を通り過ぎた清水さんが、ふと立ち止まった。
彼女は、ケンタの持つ古めかしい胃腸薬の瓶をちらっと見た後、周りに誰もいないことを確認し、そっと囁いた。
「ねぇ、ケンタくん。それ……効くんですか?」
ケンタは顔面蒼白で固まった。「え、あ、いや、これは…ただの…」
清水さんは、彼の狼狽ぶりに小さく笑みをこぼし、廊下を歩き去り際に、もう一度、彼にしか聞こえない声で言った。
「…なんか、見ていて飽きないから」
ケンタは赤面し、シャーペンを握りしめたまま、その場で固まってしまった。(え?飽きない?それって…僕のせい?精霊たちのせい?…いや、楽しいって言われた…!)
彼は、えずきながら薬を飲み込む日々の苦しみと、精霊たちとのドタバタな騒動が、皮肉にも、自分の孤独を埋め、清水さんとの間に、ネガティブではあれ**「特別な繋がり」**を生み出していることに気づいた。
あの古めかしい胃腸薬の瓶は、今やケンタにとって、単なるお守りではない。それは、彼の欠点が生み出した、奇妙で愛すべき**「絆」の源泉**だった。
ケンタは、そっと胃腸薬の瓶に話しかけるのだった。
「さあ、次は、清水さんとどんな騒ぎを起こそうか?」
彼の胃腸の悩みは、相変わらず続いていくのだった。




