表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

芝居小屋の入村

夜、廃墟のような古びた家の中に冷気が潮のように押し寄せ、隅々まで満たしていた。 青い炎はすでに消え、家の中には朽ちた家具と腐敗臭の漂う木の床だけが残されている。外には牛乳のように濃い霧が漂い、月光を遮っている。遠くから虫の鳴き声がかすかに聞こえるが、その中に混じる低く不気味なうなり声が、さらに周囲を不安にさせていた。


竹村真一は壁に寄りかかり、目を細めて座っていた。血刀は膝の上に置かれ、一見すると休んでいるように見えるが、全身の筋肉は張り詰め、まるでいつでも獲物を狩る準備ができた獣のようだった。彼はこのような環境を決して信用しない。特に、先ほどのあの奇怪な出来事を目撃して以来。


その隣では、ゆいが体を小さく丸めて震えていた。真一が一時的に貸した外套に包まり、蒼白な顔で怯えた表情を浮かべている。目を閉じているものの、その恐怖のせいで完全に眠ることができていないのは明らかだった。


竹村真一は軽く息を吐き、手を伸ばしてゆいの頭をそっと撫でた。低く落ち着いた声で言う。

「怖がるな、寝ろ。寝ないと背が伸びなくなるぞ。」


ゆいは目を瞬かせ、泣きたいのを必死に抑えているように見えた。蚊の鳴くような小さな声で尋ねる。

「お兄ちゃん……本当に大丈夫なの?」


竹村真一は一瞬黙り込み、破れた扉の方に目を向けた。そして、毅然とした声で答えた。

「心配するな。俺がいる限り、お前には誰も指一本触れさせやしない。」


ゆいは唇を噛みしめ、小さな顔を服に埋めた。

「でも……あの女の人、すごく怖かった……それに、村脳のおじいさん、もしかしてお兄ちゃんを裏切るつもりなんじゃ……?」


竹村真一は答えず、冷たい目で部屋の隅々を見渡した。彼も村脳を信用していないが、この状況下では他に選択肢がないのも事実だった。

「じじいのことは気にするな。あいつは生き残るためなら何でもする。寝ろ。余計なことは考えるな。」


その声は冷静でありながら、どこか命令口調だった。ゆいは小さく頷き、まだ恐怖を感じているものの、真一の言葉を信じて目を閉じた。疲れ切っていたせいか、ほどなくして彼女は朽ちた家の冷たい空気の中で眠りに落ちた。


ゆいが眠ったのを確認した竹村真一は、ゆっくりと立ち上がった。扉の近くに向かい、血刀を手元に立て、外の霧に覆われた闇をじっと見つめる。その目は冷たく鋭い。眉間に小さな皺が寄り、彼の思考が明らかに何かを警戒しているのがわかった。青い炎は消えたが、木彫りの像が崩れた際に生じた黒い煙が、まだこの空間に漂っているような、得体の知れない圧迫感が残っている。


「……あの女、何者だ?」彼は低く呟き、刀の柄を指でゆっくり撫でた。


突然、遠くから微かな足音が聞こえてきた。まるで枯れ葉の上を歩くような音だ。音はかすれ、どこか遠いようで近いようでもあり、その出所はわからない。音は霧の中を漂うようにして響いている。


竹村真一の目が鋭く光り、血刀を握る手に力がこもる。その全身が弓のように引き絞られ、一触即発の緊張感が漂った。


足音が次第に近づくかと思うと、急に止んだ。そして代わりに、四方八方から低く不気味な笑い声が響いてきた。それは村脳のような声にも聞こえたが、どこか異質で深淵から響くような音色だった。


「……眠れ、小僧……その先に進むほど、戻れなくなるぞ……」


竹村真一は冷たく鼻を鳴らす。「出てこい。脅しはいいから、姿を見せろ。」


だが、その返事はさらに深い沈黙だった。


その時だった。妙な音が耳に入ってきた。

「チャーン……チャチャーン……」


その音は低く伸び、どこか古めかしい楽器の音色に似ていた。そしてその音に続くようにして、遠くから歌声が響いてきた。声はか細く、近づいたかと思えば遠ざかり、奇妙な旋律が一層不安を煽る。


「お兄ちゃん……この音、何?」ゆいは怯えた様子で真一の袖を引っ張った。


竹村真一は足を止め、音の聞こえる方向を睨みながら眉をひそめた。

「……芝居か?」


「芝居?」ゆいは驚いたように目を見開く。「こんな場所で、芝居をやる人がいるの?」


村脳が静かに笑いながら遠くを見据えた。煙管を口にくわえたまま、低く呟くように言った。

「九幽の地では何でもありだ。芝居小屋があっても不思議じゃねえ。……だがな、坊主。これは普通の芝居じゃねえ。」


竹村真一が鋭い目で問い詰めた。「どういうことだ?」


村脳はゆっくりと煙を吐き出し、その声に重みを込めるようにして言った。

「ここにいる芝居小屋はな、人間のためじゃなく、魂のために芝居を打つんだ。」


「魂を……?」竹村真一は眉を寄せる。「何の冗談だ?」


「行けばわかるさ。」村脳は意味深な笑みを浮かべる。「だが、忠告しといてやる。この芝居は、人間が聞いていいもんじゃねえ。」


竹村真一はそれ以上言葉を返さず、血刀を握り直すと音のする方へと歩みを進めた。



荒れ果てた土地を越え、竹村真一たち三人はついに音の発生源にたどり着いた。

そこには、芝居の衣装を身にまとった異形の集団がいた。


彼らの顔には厚く油彩が塗られており、ある者は濃い眉毛を描き、ある者は不気味な笑顔を作り出していた。その姿は遠目に見ても、人間ではなく歪んだ木偶人形のように見えた。鮮やかな色の芝居衣装をまとい、小道具を手にしながら円を作り、古びた芝居台を取り囲んでいた。


芝居台の中央には、背の高い痩せた男が立っていた。彼の顔には生旦净末丑のうち「じん」の仮面のような化粧が施されており、鼻梁は高く突き出し、目は深く落ち窪んで冷たく空虚だった。痩せた手に握られているのは一つの破れた扇。扇の表には、血に染まった山水画が描かれていた。


「チャチャーン、チャチャーン……」

低くしゃがれた声が芝居台から響き、伴奏するかのように古びた楽器の音が周囲を満たしていた。男の歌う言葉は意味をなさないものの、その旋律には抗いがたい引力が込められているようだった。


竹村真一は遠くから彼らを睨み、眉間に皺を寄せた。「……どう見ても、生きてる人間じゃないな。」


「当然だ。」村脳は冷笑を浮かべながら答えた。「奴らは、生者じゃねえ。死者のために芝居を打つ連中だ。」


竹村真一が冷たい声で問いただした。「どういうことだ?」


村脳は煙管をくわえながらゆっくりと語り出した。

「こいつらの芝居小屋は、九幽の古い掟さ。連中は訪れた土地で一つ芝居を打つ。ただし、それは生者のためじゃねえ。奴らが歌うのは、さまよえる魂のためだ。そして、芝居が終わる頃には……魂は奴らの腹の中だ。」


「魂を喰らうのか?」ゆいは小さな手で口を覆い、震える声で尋ねた。「じゃあ、もし生きた人間が聞いてしまったら……?」


村脳はちらりとゆいを一瞥し、軽い調子で言い放った。

「生きた人間だろうと逃げられねえよ。奴らの歌声に魂を引きずり込まれる。近づけば近づくほど抜けられなくなり、最後には……お前の魂も奴らの一部になる。」


ゆいの顔はさらに蒼白になり、竹村真一の腕をしっかりと掴んだ。

「お兄ちゃん、お願い……近づかないで……」


だが竹村真一の目は冷たく鋭いままだった。その視線は芝居台の上をじっと見据えている。

「だが、奴らがここで芝居を打ってるのは……ただの気まぐれじゃなさそうだ。」


「ふん……」村脳は口元に薄い笑みを浮かべた。「その通りだ。奴らは待ってるんだろうよ……誰かのためにな。」


竹村真一は目を細め、冷ややかな声で言った。「俺のため、ってか?」


「さあな。」村脳は肩をすくめた。「だが九幽の掟は、特別な運命を背負った奴には辛いもんだ。まあ、坊主、お前の命格がどうしようもなく特殊だってのは間違いない。」


芝居台の前での対峙


竹村真一は血刀をしっかりと握り、芝居小屋の怪人たちに向かって堂々と歩き始めた。


「お兄ちゃん!だめだよ、行かないで!」ゆいは必死で真一の腕を掴んだが、彼はその手をやんわりと振りほどき、冷たく笑った。

「害するつもりか?なら試してみろよ。どっちが喰われるか、決めてやる。」


村脳はその場に立ち尽くしたまま、煙管をふかしながら一部始終を眺めていた。その目にはどこか複雑な表情が浮かんでいる。

「この小僧……怖いもん知らずだな。」


竹村真一は芝居台から十メートルほどの距離で立ち止まり、鋭い目で一群の怪人たちを見据えた。そして冷たい声で問いかけた。

「おい、お前ら。芝居を打ってるようだが……その観客は誰だ?」


芝居台の怪人たちは一斉に動きを止め、全員が同時に竹村真一を見つめた。


中央の背の高い男が頭を上げ、口元に歪な笑みを浮かべた。その口から見える尖った歯は、まるで猛獣の牙のようだった。

「……客人が来たな。」男は低く呟く。「俺たちの芝居は、お前に聞かせるためだよ。」


「俺に?」竹村真一は冷たく鼻を鳴らした。「ふざけた芝居だな。これで俺に何をさせたい?」


男の笑みはますます不気味なものとなり、その声はさらに低くなる。「俺たちはただ掟に従ってるだけだ。訪れるべき者が訪れたならば、その者に芝居を打つ。それが、俺たちの役目だ。そして――今回の主役は、お前だ。」


「主役だと?」竹村真一は血刀を握り直し、目を細めた。「その掟とやらに興味はない。だがな、もし俺に何かするつもりなら――この刀で試してみるか?」


芝居台の頭領は笑いながら台から降り、背後の怪人たちがぞろぞろと彼の後に続いた。彼らの動きはぎこちなくも整然としており、まるで一糸乱れぬ操り人形のようだった。


頭領は竹村真一の目の前に立ち、冷たく澄んだ声で言った。

「掟はお前が決めるものじゃない。俺たちの芝居を聞いた以上――あとは天命に従うだけだ。」


「天命?」竹村真一は冷笑した。「俺は命なんて信じないし、お前らの脅しも通用しない。どうしてもやりたいなら――」


彼は血刀を正面に構え、その刃を鈍く輝かせながら低く呟いた。

「この刀で、お前たち全員ぶった斬るまでだ。」


次の瞬間、周囲の空気が奇妙に歪み始めた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ