**第10章:命劫初现**
竹村真一は地面に倒れ込み、右手で胸を押さえながら荒い息を繰り返していた。額には大粒の汗が滲み、全身から力が抜けていく中で、彼の中に何かが確実に変化しているのを感じ取っていた。逆命の呪印は単なる刻印ではなく、まるで生き物のように彼の身体を侵食している。それは命劫という未知の存在がもたらす邪悪な力だった。
「くそっ……なんだこれ……!」真一は苦しげに咳き込みながら、胸の奥が引き裂かれるような痛みを感じていた。彼の肌の色は次第に蒼白になり、汗と混じった血のような匂いが漂っていた。
「お兄さん、大丈夫?」ユイは慌てて彼のそばに駆け寄り、その様子に目を丸くした。「お兄さんの……首に何かついてる!」
「首?」真一は息を荒げながら、震える手で首元を触った。すると指先に触れたのは、冷たくて粘り気のある何かだった。それは皮膚の一部のようでもあり、妙に弾力があった。
「何だこれ……?」真一はふらつきながら近くの岩に寄りかかり、暗がりの中で首元を覗き込んだ。
そこに現れたのは黒い肉腫。皮膚の下で蠢くように動き、細い血管のようなものがその周囲に絡みついていた。そして肉腫の中央には裂け目のような亀裂があり、そこから微かな赤い光が漏れている。それは、まるで閉じた目のようだった。
「……おいおい、何だよこれ!」真一は目を見開き、思わず叫んだ。「俺、今度は体にこんなもん生える呪いでもかかったのかよ!」
彼は思わずその肉腫を引き剥がそうと手を伸ばしたが、ユイが慌ててその手を止めた。「ダメ!触っちゃダメ!村の人が言ってた……命劫の痕は絶対に動かしちゃいけないって!」
「動かすなって……」真一は怒りを堪えながら言い返した。「これが十分災厄じゃないってのか?こんなもん、早く引き剥がしたほうがいいに決まってるだろ!」
しかし、その時、真一の体がピタリと硬直した。背筋を冷たいものが這い上がるような感覚と共に、耳元で何かが囁くような低い声が聞こえ始めたのだ。
「……逆命者よ……その命はすでに我らのもの……」
「誰だ!?誰が喋ってる!」真一は頭を押さえながら叫んだが、周囲にはユイしかいなかった。
「お兄さん、誰もいないよ……怖いこと言わないで……」ユイは怯えた様子で真一を見つめたが、真一の耳にはその声がさらに大きく聞こえていた。
「命は覆せず、天もまた変えられず……逆命者は皆、邪崇と成る。」
「黙れ!」真一は頭を抱え、声を振り絞って怒鳴った。しかしその声は止むどころか、さらに強まっていく。
その瞬間、彼の首元にあった肉腫が微かに動いた。中央の亀裂が徐々に開き、そこから黒い瘴気が漏れ始めた。その瘴気は空気中で渦を巻きながら、真一の体にまとわりつくように入り込んでいった。
「うっ……!」真一は全身が冷たく硬直するのを感じ、胸を押さえたまま地面に膝をついた。
その時、彼の右腕に異変が起こった。腕の表面に黒い鱗のようなものが浮き出し、それが皮膚を覆い尽くしていく。鱗は不規則な形をしており、暗い光を反射しながら、まるで硬質な装甲のように変化していった。
「お兄さん、手が……!」ユイが怯えた声で指をさしながら叫んだ。
真一は目を見開き、自分の手を見つめた。右手は完全に鱗に覆われ、指先には鋭い黒い爪が伸びていた。それは人間の手ではなく、獣や妖怪のような姿へと変わり果てていた。
「ふざけんなよ……俺、妖怪にでもなってんのか!?」真一は恐怖と怒りの入り混じった声を上げた。
その時、彼の首にあった肉腫が完全に裂け、中央に現れた赤い目がゆっくりと開いた。それは血管に覆われた異様な眼球で、真一の体を通して何かを見ているようだった。
「……っ!」
目が開いた瞬間、強烈な陰煞の気が真一の体から吹き出し、周囲の温度が急激に下がった。地面には白い霜が降り始め、空気中に氷の粒が舞い始める。
「うああああ!」真一は痛みに耐え切れず、吠えるような声を上げた。その赤い目がギョロギョロと動き出し、周囲を見渡し始めた。そしてそこから放たれた赤黒い光が、地面に触れると同時に大きな裂け目を生み出した。
「止めて!お兄さん、もうやめて!」ユイは泣き叫びながら彼にすがりついたが、真一の体は完全に操られ、右手の爪で地面を引き裂き続けた。
「クソッ……!」真一は残された力を振り絞り、逆命の呪印に意識を集中させた。彼の手のひらから再び赤い光が放たれ、それが徐々に体を蝕む陰気を押し戻し始めた。
「……消えろッ!」真一は一瞬の隙をついて、自分の首元に拳を叩き込んだ。
「バキッ!」
その衝撃で肉腫が破裂し、そこから溢れ出た黒い瘴気が空中に溶けていった。赤い目も閉じ、体を縛っていた力がようやく解けた。
竹村真一はその場に崩れ落ち、荒い息を繰り返しながら地面に手をついた。
ユイは慌てて彼のもとに駆け寄り、彼の腕を支えながら涙声で尋ねた。「お兄さん、大丈夫?死んじゃわないで……」
真一は苦笑しながら、かろうじて言葉を返した。「……ギリギリ生きてるさ……まだな。」
だが、その目の奥には恐怖が滲んでいた。
「……これが命劫ってやつなのか?それとも、この呪印自体が……俺をもっとヤバい化け物に変えようとしてるのか……」
彼は自分の手を見つめながら、再び湧き上がる恐怖を押し込めるように深く息をついた。




