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⑨クロード、友人を誘う


 父が知り合いの屋敷へ呼ばれ、クロードは同行した。正確な日付は覚えていないが、たしか十二、三の頃だったと記憶している。その男性は様々な美術品を収集するのが趣味で、屋敷には絵画や彫刻をはじめとした様々な芸術作品が整然と飾られていた。


 個人の屋敷での収蔵数としてはかなりのもので、クロードは素直に感心してしまう。大人達と付かず離れずの距離をとりながら、忙しく作品に見入っていた。

 その中でふと目に着いたのは、透明で平たい酒瓶だった。ガラスの中には精巧な帆船模型が収められている。三本の太い帆柱と張り巡らされた索具まで作り込まれていた。


「おや、気になるかい? ところでこの船の模型、どうやって瓶の中に入れたと思う? わかるかな?」

「おじさんが作ったのですか?」

「いいや、友人から譲り受けたのさ」


 主人の言葉でようやく、クロードはそれが不思議な構造であるのに気が付いた。模型の大きさは、ガラス瓶の入り口よりも明らかに大きい。模型を組み立てると、瓶の中に入れられる大きさではなくなってしまう。


「……」


 屋敷の主人は笑みを浮かべながら、考え込むクロードを見下ろしている。その時に別の場所にいた父から声が掛かって、質問の答えは有耶無耶になった。結局正解がわからないまま、クロードは屋敷を辞したのだった。




 戻りました、と母親や出迎えてくれた使用人への報告もそこそこに、クロードは上着を預けてよそ行きの衣装を解いた。置時計を窺うと夕食まで半端な時間帯である。飲み物だけをお願いして、楽な服装に着替えたクロードは私室とは別の方向へ向かった。


 一階にある日当たりが良くてと庭がよく見える一室の扉を合図すると、返事がある。部屋の住人は寝台で枕を背もたれにして本を開いていた。


「今日の体調はどうだ? グレイセル」

「クロードおかえり。見ての通り、いつもよりは気分が楽だよ」


 少しくせのある黒髪と、子供に似つかわしくない理知的な眼差しが印象的な少年である。彼はグレイセルと言う名前で、現在子爵邸に療養のため滞在していた。


「……この部屋、寒くないか」

「そう? 僕は平気だから、クロードが気になるなら」


 病人は冷えないように気を付けなさい、とクロードは彼に何度か忠告している。にも拘わらず彼は無頓着なのか、いつも曖昧な笑みを浮かべるばかりである。使用人が飲み物を運んできてくれたついでに、暖炉に火をつけるのをお願いした。快く了承した相手がよいしょと暖炉に向かって身を屈めて、燐寸(マッチ)を擦って薪に火をつける一連の作業を見守った。

 独特の匂いがしばらく近くに漂って、クロードは少し安堵した。彼の元へ行くと、いつも病人特有の気配が部屋を満たしている。薬の残り香や、神経質なほど清潔に整えられた室内の空気を前に、いつもひどく落ち着かない気分になった。


「今日は遅かったね。チェスはどうしようか?」

「うん、それよりグレイセルに聞きたい事があって」


 このグレイセルという少年は、クロードの友人兼話し相手という名目で一室を与えられている。肺が悪いが移る病気ではない。元気な日にはこうして、クロードが彼の部屋を訪ねて遊ぶのが習慣となりつつあった。大抵、チェスに興じるのがいつもの流れである。二人は同じくらいの実力で、勝ったり負けたりでほぼ拮抗していた。

 クロードは彼が寝台から彼が起き上がるのを待って、出先で見せてもらった奇妙な品物の話をした。芸術品の中にさらりと紛れ込んだ、酒瓶の中に作られた精巧な帆船模型である。


「ああ、ボトルシップだね。どれくらいの大きさだった?」

 

 こちらの説明が終わらないうちに、グレイセルは正答と思われる名前をさらりと挙げてみせた。きっと彼は知っているだろうな、とクロードは薄々予想していたので、そのまま話を続けた。


「持ち主に、どうやって中に入れたのか知っているか尋ねられたけれど、僕にはわからなかった」

「ああ、あれはね……」


 グレイセルは読んでいた本を閉じて、指先で何か細かい作業を進めているような仕草をした。模型がまだ小さな部品のうちに酒瓶へ入れて、細い器具を使って後から中で組み立てるのだという。ははあ、と応じてはみたものの、実際は半信半疑である。


「作れる人は手先が器用だと思う。世の中には面白い事を考える人がいるものだよね」


 一しきり喋って喉が渇いたらしいグレイセルは、やや冷めてしまった飲み物に口を付けている。喉に良いとされているはちみつ漬けのレモン汁を温めたものだった。


 もし彼が出先で一緒に居たら屋敷の主人はどのような態度だったのだろうと、クロードはちらりと頭を過る。父の友人とやらは、自分の知識を披露したくて仕方がない表情だったのが見て取れるほどだった。あのさ、とクロードは口を開く。


「僕は知らないのに君は知っていたから、すごいなって思って」

「……本当にすごいのは、作った人じゃないかな。きっと器用な人で、すぐに習得できるはずもないだろうから。たくさん失敗したり、途中で嫌になる事もあったと思う。きっと友人に贈るまでに、たくさんの時間がかかっているよ。それでも投げ出さずに取り組む人こそ、一番じゃないのかな」


 クロードがここへやって来るまで引っかかっていた気持ちまで、グレイセルはすらすらと明瞭に言葉にして説明してしまった。起きていられる時、彼は人と話すのが好きな性格らしい。

 彼と会話していると、まるで二つか三つ年上に相手してもらっている気分になる。ちなみに自分達は同い年で、さらに誕生日はこちらの方が先にも拘わらずである。


 新しい友人を得て嬉しい反面、彼が自分より優秀な人間であるという事実を既に把握している。そして知識をひけらかさない人間性まで持ち合わせている彼を尊敬するべきなのに、素直にできないでいる。随分と幼稚な振る舞いだと呆れつつも、クロードは誰にも打ち明けないままだった。





 

 今から二月ほど前、父に呼ばれた。隣に母も座っている。二人の顔を見る限り、深刻な話というわけではないらしい。


「話し相手?」


 クロードにとっては予想外の提案だった。そのような役割の者が必要とされるのは、もっと小さな年齢か、格式高い家柄の子供だと思っていた。子爵家はこの一帯では名家だけれど、貴族全体でみればそこまでの地位ではない。


「診療所で療養している子供の一人が、クロードと同い年でね。治療のために今とは別の環境、特に話し相手がいる場所が必要だとお医者様が見立てている。そこで我が屋敷に相談が持ち込まれたというわけだ」


 子爵領には、身体に良い効能がある温泉を中心とした保養地がある。身体の調子が思わしくない者やその親族関係者が滞在したり、中には移住してくる者もいた。最近屋敷で雇ったアスティンという庭師なども、そのような事情でここへ移って来たのである。


 その子供は移る病ではなく、大人になるにつれて緩解が見込める状態であるらしい。また、当人が本をたくさん読める環境を望んでいるそうだ。

 大抵の場合、話し相手というのは迎え入れる家の親族か傘下の家の子供と決まっている。しかし今回は客分の扱いであるらしい。その子はこの辺りの出身ではなく、王都方面から移って来たのだという。


「私は既に何度か顔を合わせているが、とても良い子だよ。礼儀正しく頭もいい。クロードも彼と交流して、お互いに良い影響を受けるだろうと思って」


 父はその子供の階級の話はしなかったが、それなりに裕福な家の子供であると推測された。

 現状、クロードは友人には困っていない。子爵家の一人息子であり、定期的に大人が社交と呼んでいるような場が子供達にも設けられていた。将来に向けて、友人関係構築を目的とした顔合わせは既に始まっている。


「話し相手ですか……」


 考え込むようにして両親の反応を窺いながら、クロードには疑問が浮かぶ。この件を主として進めているのが誰なのか、よくわからない話だった。少なくとも自分が話し相手を欲しているわけではない。

 本人が子爵邸での滞在を希望しているというのなら、なかなかはっきりと物を申す子供である。子爵家は下級貴族とはいえ、この一帯を古くから治める領主の家柄である。


 保養地の医者が意向であれば、診療所にある寝台の数が足りていないのかもしれない。比較的元気な子供は別の場所に移動させるつもりという可能性もある。

 もしくは父個人の方針となると、息子に話し相手が必要だと思って前々からそのような子供を探していたのだろうか。しかし、今まで話の流れに出て来た事はなかった。


「お二人が決めた事であれば、従います」


 結局、クロードは嫌だと拒否するような話でもないだろうと返答した。気が合わないのであれば、つかず離れずの距離で接するだけ。こちらの返答に、両親は安堵したような表情だった。

 できるだけ近いうちにという言葉通り、数日後には荷物と遠めに見ても線の細い少年が父と医者に伴われてやって来た。


 わざわざ子爵邸に滞在を希望するような図々しい態度ではなく、グレイセルという大人しく利発な少年だった。乗馬をはじめとした身体に負担のかかる運動はできないそうで、屋敷内の階段を日に何度か昇り降りしている。それ以外は部屋で本を読むか横になって過ごし、天気のいい日は庭先へ出て一緒に散策した。そのように過ごしているうちに、クロードとグレイセルは仲良くなった。



「……近くに港があるから、ボトルシップはいい趣味だ。僕はまだ海を見に行った事はないけれど」


 クロードが様々な考えを巡らせているところへ、グレイセルが口を開く。彼も新しい生活に慣れて、なかなか外出できない日々が退屈でもあるに違いない。


「たまに用事のついでに港へ寄ってもらって、海と船を眺めると楽しいよ」

 

 クロードの返答に、彼にしては珍しく興味深そうに聞き入っている。これは珍しい流れだった。大抵の場合、役回りは決まっている。瓶の中にある模型の一件と同じく、クロードが知らなくてもグレイセルは本で読んだなどと言って把握していた。何しろ彼の知識は、自分の両親が驚くほどなのだから。


「グレイセルはまだ海を見た事がなかったのか。王都から来たのなら、無理もないかもしれないけれど」


 博識な彼でも、まだ未知の世界はあるらしい。クロードはいつもより饒舌に、あれこれと聞かれていない事まで付け足した。


 出航予定時間が近づくと、船員たちが忙しく動き回って声を掛け合って索具を解き、碇を巻き上げる。クロードは港へ行って、その光景を幾度も見た事があった。


 港には旅立つ人々や見送る側の歓声、そして風の音と海の匂いが満ちている。そうして広げられた帆の隙間から降り注ぐのは、目を眇めるほど眩しい日の光。その全てが出航を祝福しているような、高揚と緊張が入り混じった独特の空気がクロードは好きだった。

 

 両親は一人息子がしつこくせがんではしゃぐので、クロードが幼い頃は何かと用事を見つけて港へ寄っていたそうだ。二人はいつも笑って当時の話をするけれど、昔の我がままを全く覚えていないため、あまり面白くはない。


 それから自分達のような階級の子供達にとって、一時期でも隣国へ渡ってあちらの国の優れた芸術文化に触れておくのは大きい。その後の社交界における必須の経験と言って差し支えない。

 もしこの新しい友人の体調が回復し、一緒に旅立てる日が来たら。船出の賑やかな空気と海のきらめきの中で、出立する瞬間の想像図が浮かび上がった。


「ねえ、グレイセル。いつか君の肺もよくなったら、一緒に隣国へ行こう。真っ白い帆が風を受けて、海へ向かって滑り出す時、それは何にも代えがたい最高の瞬間だ」


 安全に管理された場所が目的地とはいえ、帰国予定日まで全て自分の判断で過ごすのである。これは厳しい規律や監視の中で成長する貴族階級の子息達が、密かに楽しみにしている事に違いない。

 

「……一緒に?」


 グレイセルはしばらく目を瞬いた。クロードの提案を前に、じっくりと考え込むように黙ったままだった。


「うん、そうだね……。ありがとうクロード、誘ってくれてすごく嬉しい。いつか一緒に行けたらいいね、海の向こうにある美しい国へ」


 きっと最高だ、とグレイセルははにかむように笑う。そしてじゃあそろそろ、と彼は寝台の下にあるチェスの道具一式を取り出して見せた。二人は色の違う駒を配置に並べて、いつものように向かい合って対戦を始める。ああでもないこうでもない、やっぱり今のはなし、と賑やかに遊び始めた。


 降って湧いた存在のグレイセルだが、クロードは彼を友人として受け入れた。どうしてこの屋敷で療養する事になったのか、最近はあまり気にならなくなっている。


 この時の彼が内心で何を抱えていたのかなど、クロードには何一つわかりはしなかったのだけれど。


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