③子爵、タネを蒔く
失礼、と彼は話題を変えるためか、何の変哲もない布袋をどこからか取り出した。中に手を入れて、何か細かい黒い石のような粒が握られている。それは植物の種によく似ていて、クロードは無造作にあたりにばら蒔き始めた。彼の意図の読めない行動に、シャロンは困惑してしまう。
「子爵殿、これは……?」
「どうかお気になさらず。今日の式は、新郎も新婦も他の土地から移って来ているのです。庭師が花の少ない季節ではあんまりだ、と屋敷の者達が大変に嘆いていまして。そこで私が日ごろの感謝を込めて、花を用意する役を買って出たのですよ」
はあ、と困惑しつつシャロンは頷く。気にするなという方が難しいけれど、とりあえず素知らぬ顔を装って、種まきのような動作をしている子爵の挙動を隣で見守った。
「……」
もう少し詳細な説明を求めても、失礼にあたらないだろうか。シャロンが考え込んでいると、子爵も困っているらしい表情を浮かべている。何度かまばたきをしてもう一度目が合った時、心なしかクロードは先ほどよりやわらかい眼差しを浮かべているように思えた。
「……あなたがもう少し幼い方だったら、魔法、とからかうのですがね」
「……もう、見た目ほど子供ではありませんよ」
思ってもみない台詞を向けられて、シャロンは返答に詰まった。目の前の相手とは、そこまで年齢が離れているわけではない。たしかに年若い頃から当主として公の場で職務に励んでいる相手と比べれば、こちらはまだまだ赤子のような存在に思えるのかもしれない。しかし相手にそのように見られているとなると、少しも面白くなかった。
立ち振る舞いや衣装選び、髪型に至るまで今まで以上に試行錯誤している。少しでも大人びて見えるように気を遣っているのだ。
「それは失礼。……今まで友人本人以外と共有した事がない話なものですから」
とりなすような子爵の口調には、こちらを侮る気配は感じられない。しかしそれにしても魔法など、絵本の中にしか存在しない素敵なゆめまぼろしであるはずだ。それをあの子爵が口にするというのは、なんとも不思議な気がしてしまう。
「……こちらを出た船がたどり着く隣国の港町には、本物の魔法使いがいるそうですよ。手のひらから花や、光や、鮮やかな炎を取り出して、サロンなどで披露しているそうで。その人物が私に、アスティンにどうかよろしく伝えてくれというわけで」
「という事は、つまり……」
話の流れからすると、かつて子爵邸で療養していた彼の友人、そして隣国の港町にいる魔法使いとやらは同一の人間であるらしい。今は海の向こうで商売に励んでいるというわけだ。話からすると奇術師や手品師の類だろうか、とシャロンは推測した。
しかしそのように興味深い話があれば父か兄が教えてくれそうなものだが、残念ながら初めて耳にする話である。
「メイベル殿の耳に入っていないとなれば、その程度かもしれませんね。順調に顧客を獲得している、と手紙では羽振りの良い話が綴られていても、実際どのような状況なのかは定かではない。上手くいっていない近況など、こちらには知られたくないでしょうから」
「……ご友人でいらっしゃるのに?」
「友人だから悟られたくない、という複雑な心境が往々にしてあるものですよ、お嬢さん」
口ぶりからして、彼と友人がいがみ合っているような間柄でもないだろうに、なんとも複雑な心境であるらしい。
シャロンにとって家族は心地よい場を形成し、助け合うものだ。友人関係においても大きな違いはない。子爵が言葉を選んで話したのは大人がよく口にするような、人間関係における事細やかな事情、機微などとして呼称されるものなのかもしれない。
「……よかったらどうぞ。友人の作品の一つです。屋敷へ持って帰って、花壇の隅へ蒔いて水を。……私の口から聞くより、実物を見た方がよほど感動的でしょうから」
クロードがそう言ってこちらに二つ三つ寄越して来たものは、先ほど蒔いていたらしき指先ほどの大きさの、植物の種に似た粒である。シャロンは拒まずに受け取って、大切にハンカチへ包んでおいた。
「……いつ、いかなる時も。夫婦となる二人は手を取り合って、……」
式に集まったのは、花嫁と花婿の友人や仕事仲間と思われる年若い集団である。それから子爵邸に勤める庭師アスティンの同僚らしき男女が多かった。その隅に父と共に座りながら、シャロンはクロードから借りた温かいひざ掛けをありがたく使わせてもらった。機能性が高いようで、参列者や父が時折寒そうに顔をしかめている横で、シャロンは平気な顔をしていられた。途中で父をつついてひざ掛けを伸ばして共有しておく。二人はまるで春の日差しの中にいるように温かく、心地良く過ごす事ができた。
クロードが言っていた通り、石造りの教会内部はしんと冷えている。けれど集まった人々は新しい門出を迎える二人のため、静かだが希望に満ちた雰囲気で進行を見守った。
祭司による、主として夫婦となる際の心構えについての説法が披露され、式は順調に進行していく。誓いの言葉を述べて指輪を交換し、一通り形式上の手続きが恙なく終了した。そうして最後、出席者達は教会から旅立つ二人を見送るために立ち上がった。
聖堂の扉が大きく開かれた瞬間、教会に集まった人々は呆気にとられるか、息を呑む気配がした。外には季節特有の淡いやわらかな日差しが降り注いでいる。そしてその向こうに、多くの人々が集まっているのが見えた。どの人の顔にも困惑や好奇心が浮かび、不思議がるような囁き声がシャロンの耳にも届くほどだった。
「これは、一体……?」
そして何より、どこか寂しげだったはずの敷地内は一変していた。敷地内の小道に沿うようにして鮮やかな緑が、いつの間にか見事な花園を形成している。先ほどシャロンがクロードと散策していた時には、確かに何もなかったはずの場所だった。どうやら薔薇の樹であるらしく、咲いているのはシャロンが初めて目にする、青い花であった。
その時に子爵が祭司の横をすり抜けて行って、声を張り上げた。
「今日は主役がいる、控えなさい」
簡潔で的確な、何より身分を有する者の一声で、人々は慌てて花嫁と花婿を優先するべく後ろへ下がる。祝福の鐘が打ち鳴らされ、拍手と歓声が惜しみなく贈られた。
人々の輪の隅で、クロードはこちらに声を掛けて会釈をした。自分は先に帰る、という合図であるらしい。
「あの、子爵殿」
「私はただの代理で、今日の主役ではありませんから。……それでは」
シャロンは何か一言でも話をしたかったけれど、クロードはこっそりと人々の輪を抜けて行ってしまった。そして主役二人も教会を後にすれば、集まった人々の関心は青い薔薇へと向かう。ところが、何とかして採集できないかと苦心するのをしり目に、本当にゆめまぼろしのように跡形もなく消え失せてしまった。その上肝心の子爵は、とっくに屋敷へ引き上げてしまっている。結局、真相は何一つわからないままになってしまった。
そもそも青い薔薇という品種は、本来存在していないのである。好事家がこぞって産み出そうと苦心しても、未だに実現していないらしい。
腕の良い庭師の娘が、事情によってあまりよろしくない時期に挙げた挙式。しかし奇跡のような青い花々と多くの人々に祝福された幸せなひと時として、近隣では長く語り継がれる不思議な出来事であった。
後日、庭師のアスティンが家族を連れて男爵邸を訪ねて来た。お互いに先日のお礼を口にして、良い式だったと感想を述べあった。そうしてやはり、話題はあの不思議な花園へと言及される。
「ところで、結局あの不思議な青い花は、一体……? 品種改良の分野において、青い薔薇はまだ実現していないという話でしたが」
「……それが、肝心の子爵殿に尋ねても、要領を得ない説明ばかりでして。あまりに奇妙な出来事で、会う度にみんながその話をしてくれますよ。こちらとしては嬉しいのですけれども。何より、綺麗だったのは間違いないので」
「……」
客人が引き上げて行った後で、自室へ下がったシャロンは机の引き出しにしまったあるハンカチをそっと開いた。中にしまわれている花の種らしき黒い粒を指でつついてみたけれど、特に反応はない。
クロードは花壇に蒔いて水を、と説明していたのは覚えている。友人や家族の前で披露しようと思えば、おそらく不可能ではない。
先ほども実は子爵殿の友人が、と口を挟むべきか悩んでいた。しかし結局シャロンは誰にも真相を打ち明けなかった。
どうやら、クロードは青い薔薇に関する問い掛けから逃げ回っているらしい。何を考えているのか、隣国にいるという友人でもある魔法使いの話をシャロン以外の人間に披露する気はないようだった。
昔、子爵邸に身を寄せていた子供が大人になって、と自分の評判をより高める美談として披露しても罰は当たらないはずだ。しかし当人が何も説明しないため、シャロンもクロードから聞いた話を披露する理由も気持ちも見当たらない。結局、不思議な青い薔薇に偶然遭遇した幸運な一人として、突き通すしかなかった。
「……おかしな人」
正直に自慢したらいいのに、ともらった花の種らしき物を指先でもてあそびながら、シャロンの呟きはあの日の子爵へと向けられる。
日記帳を開いてその日の出来事を満足のいくまで書き付けた後、シャロンは子爵の不可解な言動を書き加えておく。そうして、何故自分まで口を噤んでいるのか、手を止めて考え込んだ。
「『もう少し幼い方』 だったらからかう、だなんて」
それは耳に入った話を片端から広めるような子供ではない、とクロードに示したいからなのかもしれなかった。