②子爵、結婚式に参列
「ううむ、やはり子爵殿に 『ぜひ!』 と言わせたいものだ」
ははあ、とまだ少女だった頃のシャロン・メイベルは父の気合が入った宣言に、まじまじと聞き入った。あの冷めた眼差しの子爵がぜひ! などと熱のこもった視線をこちらに向けるのは、想像が難しい。
クロードという人は、お隣の子爵領を治める当主である。数年前に十代半ばという早さで、爵位と領地を父君から受け継いでいた。身体を悪くして保養地で暮らしている先代を相談という形で頼りつつも、いかにも貴族然とした佇まいは有名だった。最初の頃は混乱もあったようだけれど、今は落ち着いているらしい。
さて、シャロンの生家でもあるメイベル男爵家は、商売で成功した家系である。暖かい気候と先進的な文化を誇る隣国へ渡る港が近い立地を生かし、流行をいち早く取り入れて順調に事業を拡大している。
そのメイベル男爵が更なる利益を目指して目を付けたのは、隣接する領地を運営している独身の子爵殿であった。年頃の娘をぜひぜひ、と各所で相手を捕まえて、せっせと売り込んでいるところである。
「……けれどお父様。お言葉ですけれど、本日も子爵殿はしかめ面のままでしたね」
シャロンは父に大人しく従って、色々な場所で偶然を装ってクロードに行き会っていた。形式に則って挨拶を交わし、雑談に興じながら相手の様子を窺っている。相手の態度こそ丁寧だが、目や口元が毎回引き攣っている。初回など、シャロンが口を開こうしたのを半ば遮る形で、社交辞令で話を終わらせてしまったほどであった。
こちらの意図に全く気が付いていない、という線は薄い。何しろ有能な子爵殿である。メイベル男爵も秘密裏に動いているというわけでもなく、シャロンの友人達は興味津々でどうなの、と会う度に進捗を尋ねてくるほどであった。
つまり脈がないのでは、とシャロンは薄々感じている。
「子爵め。このように可愛い娘を前に、よく平静でいられるものだ。私が若い頃は結婚する前の妻の、一挙一動に舞い上がって呆れられていたというのに」
手ごわいな、と父は難攻不落な子爵について様々な見解を並べ立てている。その合間に、後は楽にしていなさい、と父は気を遣ってくれた。シャロンはありがたく、馬車の居心地の良い座席にもたれて目を閉じる。今後展開予定の作戦案に、素直に耳を傾けておいた。
クロードと初めて個人的に話をしたのは、冬の辺りだったとはっきり記憶している。当時の日記に明記されているので間違いない。いつもより、寒くなるのが早い年でもあった。
彼は既に子爵の地位を得て数年が経っているものの、まだ少年といって差し支えない年齢でしかない。早すぎる代替わりを案じる声はたびたび耳に入るけれど、一人息子で父君の体調が思わしくないとなれば、他に選択肢はないのだろう。この時は父の画策ではなく、行き会って会話したのは想定外の出来事だった。
ある朝の早い時間、シャロンは父と共に教会へ向かった。目的地はいつも世話になっている場所ではなく、隣にある子爵領に立地している。
というのも以前、お世話になった庭師の娘さんが今日、結婚式を挙げるらしい。アスティンという庭師は子爵邸に勤め、腕前は周辺で評判になるほどだった。メイベル男爵邸の庭には、この辺りでは珍しい品種の薔薇が植えられている。そのアスティンが快く協力してくれたおかげで、枯らさずに済んだのだった。
「他所のお嬢さんの晴れ舞台だ。祝う人間が多いのに越した事はない。それに雰囲気を見ておくのは良い経験になるよ、シャロン」
「ええ、その通りですね」
服装を整えて参列、お祝いを渡し集まった人々の末席に加わる程度であれば、先方の負担にはならないだろうという考えである。一応早めに到着して話を通しておかなければ、と親子は早い時間に敷地内へ到着した。
今朝は随分冷えることだ、とシャロンは思う。北からやって来る冬の気配が、日々の暮らしのそこかしこに現れ始めていた。まだ早い時間帯なのも重なって、暖かいこの地方にして随分と空気が冷たい。式の大半は教会内で進行するけれど、せめて太陽が顔を出してくれると助かるのに、と雲が覆う空を見上げた。
シャロンには兄と年の離れた弟がいる。弟のティムは春の終わり頃に体調を崩していた時期があった。医者を屋敷へ呼んで診察してもらい、とにかく安静にして薬を飲むようにという診断である。
しかし薬が苦く匂いが強いのも相まって、弟は泣いて嫌がった。良くなるまで飲み続けるよう説得したが、一度は薬を隠して誤魔化そうとしていた。それはやってはいけないと叱りつつも、やんちゃな弟が憔悴した様子には胸を抉られるような思いだった。毎日のように庭を駆け回って遊んでいたのが一転、自室の寝台から動けなくなって、お腹が空かない、などと言う。
症状が長引いてなかなか完治せず、友人と遊べないので気分転換もできないでいる。兄は海の向こうにある隣国への遊学を取りやめ、弟のそばに残るべきかと考え始めたほどであった。
それとちょうど同じ頃、庭の花壇に植えてあった薔薇がどうにも元気がない。咲く花の数が目に見えて少なくなって、緑の葉が黄色く褪せてしまっている。このまま枯れてしまうのではないかと、素人目にもわかるほどだった。
ただの偶然にしても、日に日に表情が曇る弟と元気のない薔薇が、どうしても重なって見えてしまう。これはよくない傾向、と父は伝手を頼って近隣で庭木に詳しい人物を探し始めた。何人か見に来てくれたけれど、薔薇は珍しい品種であるらしい。メイベル邸以外で見かけた事がないためになかなか打つ手がない日が続いた。
父が諦めずに色々な方面からあたった結果、子爵のところで雇われている新顔の庭師が適任なのではないかという話が持ち込まれた。ここへ移る以前の雇い主は、花木の品種改良に熱心な好事家であったらしい。早速連絡してみると、快く屋敷へ派遣してくれた。
「……ああ、これは珍しい。この土地で目にするとは」
やって来た庭師は、アスティンと名乗った。父よりやや年上の男性は、これは北の地方で人気がある品種だと説明する。彼は敷地内を一通り見て回って、この辺りに植え替えるのはどうかといくつか具体的な候補を示した。父の許可を得て薔薇を剪定し、植え替えや肥料、土壌について的確かつ詳細に説明してくれた。指示に従った結果、薔薇は数日もすれば目に見えて元気になったようだった。
「庭師殿は、他の土地から移って来たのですってね」
「ええ、そうです。今は子爵邸で。自分の技術と知識を評価してくださっているから、仕事にも張り合いが出ます。こんなにありがたい事はありません。クロード様もお若いですが、とても優しい方です」
シャロンがアスティンと話している横で、父と母と兄が弟に寄り添って辛抱強く話をした。見ての通り正しい知識と環境を整えてやれば、おのずと花は咲く。病気も一緒で、お医者様のいう事をよく聞いて、きちんと薬を飲んで早く治そうと真摯に優しく説得した。そうして、弟はようやく納得したのである。
そのような経緯でお世話になった庭師アスティンの可愛い娘さんが結婚式を挙げる話を聞き、メイベル男爵はシャロンを連れて出向いた、というわけである。
それにしても、冬に挙式するのは珍しい。当たり前だが大抵は気候の穏やかな季節、特に花が多い時期に人気が集中する。
女の子がいる家は教会に少しずつ積み立てをして、日取りを押さえられるように話を通しておく。少しでも季節に恵まれた時期に式を挙げられるように、というわけだ。この制度で割をくうのは別の場所から移住した人間なので、アスティンには日取りを押さえる順番がなかなか回って来なかったのだろう。
親子は到着して馬車を下りた。屋敷近くにある普段立ち寄る教会と建物の大きさは同じくらいだったけれど、目の前に広がる敷地そのものはずっと広々としていた。緑の少ない今はやや寂しい景観だけれど、春になれば美しい庭園を見物に来る人で賑わう場所として知られている。
敷地の門を潜ると、石畳の小道が続いていた。その先で庭師のアスティンが、誰かと話し込んでいる。相手はこちらに気が付いて目を丸くした。
「ああ、これはメイベルの旦那様とお嬢様ではありませんか。お久しぶりです、今日は教会に何か御用事で?」
「もちろん。貴殿にはお世話になりましたので、ほんの気持ちだけでもと思いましてな」
父はお祝いの贈り物の用意があると伝えた。後日、商会の者がそちらの住居を訪ねる許可が欲しい旨を説明する。アスティンは飛び上がらんばかりに感激し、丁寧に感謝の言葉を重ねてくれた。そうしてから、居合わせたもう一人がようやく口を開いた。庭師の雇用主、つまり子爵のクロードである。
「……メイベル殿、わざわざ出向いて下さって」
「子爵殿、その節はお世話になりました。感謝してもしきれないほどです。こちらは娘のシャロンでして、今後ともぜひお見知りおきを」
父が紹介してくれたので、シャロンは軽い会釈をしながら若い貴族青年の様子をそっと観察した。彼の佇まいは噂通りの、冬の冷たい風がよく似合う風貌の青年である。色味の薄い金の髪ときれいな碧い瞳が印象的だった。
「お二方、出席してくださるのなら祭司様に知らせておきますね」
庭師の案内でメイベル親子は教会へ入って、快く承諾が得られた。しかし式まではまだ随分と時間がある。アスティンと父はその場に引き留められたため、シャロンは敷地内を散策する事にした。
建物の外へ戻ると、先ほどの子爵殿が教会の正門付近に立っているのが見えた。何事かじっと考え込んでいる様子である。シャロンが戻って来たのに気が付いて顔を上げた。
「子爵殿、改めてはじめまして。今日は随分と冷えますね」
「ええ、こちらこそ。たしかに、今年は寒くなるのが早いようだ」
当り障りのないやり取りの間にも、子爵は小道をゆっくりとした足取りで進みながら、周囲をよく観察しているらしい。邪険にされているような雰囲気でもなかったので、シャロンはその後をついて歩いた。
「子爵殿も、式が始まるのをお待ちですか?」
「ええ、まあ。それまでに準備を済ませておかなければ、と思いまして」
あまり社交の場には姿を現さないクロードだが、密かに憧れている婦女子は多い。そろそろ結婚を検討していてもおかしくない年齢のはずが、浮ついた話も聞かないのが不思議なほど。そのように噂されているらしい。
「……アスティンから、弟君が体調を崩していたのが快方に向かったと聞きました」
「ええ、本当は今日も来たがっていたのですが、やはり万が一にも体調を崩してはよくないと説き伏せました。母が付き添っていて、兄のグラントは隣国へ出ているので私が」
「お元気になられて本当によかった。そして特別な日に来てくださって、アスティンも嬉しいはずです。かつて私の屋敷にも昔、療養のために滞在していた友人がいましたから。仔細を耳にして、気が気ではなくて」
二人でしばらく敷地内を歩いていると、クロードが一度歩みを止めた。少し待っていて欲しいと言って、クロードは停めてある馬車へと近づき、温かそうな大きい布を手に戻って来た。
「どうぞ。式の際、ひざ掛けにでも。今は動いているのであまり気になりませんが、教会の中はかなり冷えます。構造上、あまり暖かくはできないようなので」
予想外の気遣いに、シャロンはどう対応するべきなのか、判断が付かなかった。躊躇いつつ、遠慮して受け取らないのは却って失礼かと思って結局、ありがたく受け取った。綺麗にしてお礼と共に返却すれば失礼にはあたらないだろう。手触りは申し分なく、腕に抱えただけでじんわりとした温かさが伝わって来た。
「……子爵殿、お気遣いありがとう存じます」
「最近は出番がなくなって退屈でしょうから、相手をしてくださると助かります。たまには馬車の中ではなく、美しい式を見物したいでしょう」
はあ、とシャロンはありがたく羽織る事にしながら、子爵は妙な言い回しをするものだと感じずにはいられない。まるでこのひざ掛けが人間のような口ぶりである。場を和ませようとしている言い方でもないため、なおさら不思議だった。
「……それにしても、私の友人もアスティンに散々、療養中の話し相手になってもらっていて。世話になったから、祝いたいと言っていたのに」
子爵はため息をついた。かつて彼の屋敷には、肺を患った同年代の少年が療養のため滞在していたらしい。本が好きで頭がよかった、と遠い目をしながら説明した。
「あの、失礼ですがそのご友人は、今……」
「失礼、言葉選びが紛らわしかった。今は隣国へ渡って、発明家か芸術家、もしくは自称魔法使いとしてとにかく金策に励んでいるようです。手紙だけが唯一の消息というありさまで、もう何年も戻って来ていない」
そちらの兄君と顔を合わせているかもしれませんね、と子爵は付け加えた。海を挟んだ隣国は、優れた芸術文化を有している。後学と見聞を広めるために遊学するのは、裕福な階級の青少年に推奨されていた。シャロンの兄も、語学と商会の今後に向け、弟が元気になったのを見届けた後で海を渡っている。
隣国へ渡る人の中には、本気で芸術家を目指す場合もあるけれど、大抵は数年で見切りをつけて戻る場合が多い。この辺りでも、そのような噂話はよく聞こえて来る。しかし子爵の友人の話を、シャロンは聞いた事がなかった。もし同郷の者に再会したとなれば、兄は手紙で報告してくれるだろう。
シャロンの反応を前に、どうかお気になさらず、と彼は言う。しかしその横顔には複雑そうな表情が浮かんでいた。