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⑪クロード、少し大人になる


 ここしばらく体調良く過ごせていたグレイセルだが、自分との諍いが原因で発作を起こしてしまい、屋敷には医者が呼ばれた。翌日また足を運んでくれた際に声を掛けてみると、お友達はしばらくすればよくなって遊べますよ、と先生は言う。お優しいですね、と付け足されると非常にばつの悪い思いだった。


 大事をとって、許可を出すまで会うのは当面控えなさい、と父が言う。クロードは大人しく指示に従った。窓掛は閉じられたきりで、中の様子は窺えない。


 両親からの叱責と、自分との諍いで無理させたせいで寝込んでしまったという罪悪感。それからまだ収まらない憤りでまとまらない思考を抱えたまま、クロードは一人で庭先に腰かけて何もせずにいた。


『別に僕は、君の方がずっと強いからと言って不貞腐れたり、父上に屋敷から追い出すように進言するような意地悪な人間ではないつもりだ』


 もっと穏便に話をする機会を探るべきだった。それは全くその通りである。しかし友人が密かに、いつまでもこちらの機嫌を窺っているような関係性でいるべきだったとも思えない。

 クロードはこれ以上一人で考え込んでいても無意味だと感じて、誰かと話たかった。しかし友人は寝込んでいる上、諍いのただ中にある。外から来る教養の先生方も今日は誰も呼んでいない日だった。


 仕方なくクロードは立ち上がって、屋敷の中や広い敷地内を一人で歩いた。時折見かける使用人達は何事もなかったように仕事をしている。下手な事を口にして、クロードの機嫌を損ねたくないのだろう。


「……アスティン、いいところに」


 クロードは屋敷の裏手へ回って、庭師のアスティンを捕まえた。雇っている中では一番新顔のためか、他の者達の流れに上手く乗り切れていない。あっさりとこちらの求めに応じてくれた。


「仕事をしていていいから。疲れたら一息ついてもかまわない。剪定する枝を一本選ぶのに一時間かかっても、見ているだけだから」


 クロードは庭師の後ろについて回った。普段敷地内を散歩する時は、あらかじめ整備された小道を通る。しかし庭師は通り道を外れて、樹木のすぐそばで仕事をしている。彼を追いかけて歩くと、住み慣れた場所でも新鮮に映った。

 春先から夏にかけて、木々の隙間から日差しがまるで雲間から覗く陽光のように降り注ぐのを見るのが好きだった。けれど今は寒い季節で、枝先に色褪せた葉がところどころ残っているだけだった。 

 アスティンは手際よく作業を進める一方、経験と集中力を有する難しい仕事にも熱心に取り組んでいる。さすがに一時間はかからないけれど、手入れする枝を決めるのに様々な角度、高さから熟考してから鋏を入れた。硬い枝を、切れ味の鋭い刃物が切断する小気味よい音に、クロードは耳をすませた。

 

「クロード様、私で良ければ話し相手を務めさせていただきますよ」


 彼は作業の手を止めないまま、さりげない口調でこちらを気遣ってくれた。結局仕事の邪魔になってしまって謝罪したけれど、アスティンは気にした様子もなく笑うばかりだった。


 この庭師がこの辺りの出身でない事は、身体つきやわずかな訛りなどに現れている。結婚していて、妻と娘と弟子を一人連れて移住してきた人間だ。細君の身体があまり良くなかったようで、保養地で療養するためという経緯は耳に入っていた。一家は使用人棟で暮らしているので時折見かけるけれど、アスティンの奥さんは以前より足取りがしっかりしている。日に日に良くなってきているらしい。それから彼の腕前は確かで、植物に関する造詣が深い。


「……前の職場は辞める時、引き留められなかったのか?」


 あまり聞いてはいけない話のような気もしたけれど、庭師が気を悪くした様子はなかった。彼のように仕事だけでなく、住む場所まで変えるとなると相当な決断が必要になる。今より待遇や給金がよくなる保証はどこにもないからだ。


「ああ、まあ何と言いますか、色々と重なったのですよ。ここの保養地は評判が良いから前々から検討だけはしていて。私の年齢的にも、雇用主を変える最後の機会であるとか、そのような具合ってわけです」


 以前アスティンが仕えていた主人は息子に代を譲ったが、どうも使用人達に対する態度の違いが目についたそうだ。彼は重用されていたけれど、もし機嫌を損ねた場合にどのような扱いになるのかは想像がつく。給金や待遇に不満はなく、細君の薬代も考慮すればなかなか踏み切れなかったのが、とアスティンは話してくれた。


「……妻が寝込んでいる時は、私ができるだけ家の事をやって。そりゃあ万全とは言えませんから娘によく手伝ってもらいましたけれど。とにかく生活の基盤は住んでいる場所ではなく、ここにあると啖呵を切って子爵領へ移ったわけですね」


 彼は腕のあたりを軽く示して見せた。優れた技量の持ち主でもある庭師だからこそ、家族を説得できたのだと言いたいらしい。すごいな、とクロードは素直に感心してしまった。


「……若君様は、グレイセルの坊ちゃんと諍いをしたのですってね。……ここだけの話にしておいて欲しいのですが、あのお友達はそれなりのお屋敷で暮らしていた時期があるのでは?」

「どうやらそうだったらしい。知られたくなかったようだけれど」


 グレイセルが身体の事情で追い出されるまで貴族の後継だったとなれば、クロードよりもずっと身分が高い可能性もある。こちらの返答を聞いて、庭師は納得がいったように静かに何度か頷いた。


「差し出がましいかもしれませんが、クロード様を見込んでお願いします。病人の言動を、どうかあまり真に受けないでくださいね。身体が弱っていて、まるで全てがだめになってしまっているような気持ちで横になっていると、別人のように気が塞いでしまうものです。本当に見ていられないですよ」


 彼は少しの間だけ作業を止め、手元に視線を落としたままでいた。ここへ移る以前の家族の様子を思い返しているようだった。


「病人は身体だけでなく、心が弱ってしまいますから。私も娘も看病していて、それが一番大変でした。今までできていた事がそうでなくなって、迷惑ばかり掛けているのだとよく泣いていましたよ」

「……うん、覚えておく。ありがとう、アスティン」

「なんだか結局、私ばかり話をしてしまってすみません。若君様も、病人が苦しそうなのを見て気を揉まれたでしょうから」


 きっとよくなりますよ、とアスティンは穏やかに言葉を切った。どうやら、こちらが口を開くのを待ってくれているらしい。気を遣ってくれているのが、ありがたかった。

 

「……僕は、あいつとお互い良い刺激を受けられる友人だと思っていた。けれど実際、上手くやっていると思っていたのはこちらだけだったのかもしれない。向こうはいつも、こちらの機嫌を損ねない事に必死だったのだと思う」


 クロードはアスティンに、グレイセルの諸事情は除きつつ、出先でのやり取りを打ち明ける。そうすると別の日にあった会話を思い出した。

 一緒に隣国へ行こう、とクロードが何も知らず提案した時の事である。港にいる船が出航する様子をのんきに披露していた時、相手はどんな気持ちだったのだろうか。いつもは饒舌な彼が、その時だけは静かだったのをよく覚えている。自分の今後の処遇が何もかもわからないままで、彼は表に出さなかったが苛立たせたのは想像に難くない。


「なるほど、それで喧嘩になったのですね。そのような理由での不正行為はよろしくないですし、かといって……」


 アスティンは使用人の立場から、双方を弁護しようとじっと考え込んでいる。とりかかっていた木の剪定は一通り終わったようで、周囲にちらばった枝や葉を集め始めた。手押し車を持って来て積み込み、別の場所にまとめているらしい。


 庭師達が集めた落ち葉や枝、花ガラを捨てるための穴の底を、クロードはじっと覗き込んだ。美しく咲いた花々も徐々に色あせて萎み、庭師達によって刈り取られる。ここは樹木たちの墓地にも等しい場所なのである。


「それでも対等な友達でありたいと表明したのには、きっと大きな意味があると思いますよ」


 アスティンの声で、考え込んでいたクロードは我に返った。そうであって欲しいと、気持ちが届いていて欲しいと心の底からそう感じた。

 庭師は運んできたものを全て穴の底へ入れると、まるで教会で行う時のような丁寧な祈りを捧げている。


「今、穴の底へ埋めた落ち葉や花ガラですけれど。とても信じられないかもしれませんが、埋めたものはいつか土に還って良い肥料になります。綺麗な緑やお花を咲かせるための大事な礎になるのですよ」


 何年もかかりますけれど、とアスティンは続ける。


「よそ者の所見を述べさせていただければ、あの坊ちゃんはおそらくきっと、クロード様のように優しい子供や、子爵夫妻のような方々と初めてお会いしたのではないでしょうかね」

「……そのように褒めてくれるのはアスティンくらいだ」


 アスティンが手放しで褒めてくれるので、クロードは曖昧な表情を浮かべておいた。自分が特別に善良な人間だとは思っていない。まあまあ、と庭師は親しみやすい笑みを浮かべたまま先を続ける。


「諍いをした直後は他の事が目に入らないかもしれませんけれど、今は落ち着いてグレイセルの坊ちゃんを心配しているじゃないですか。相手もきっと身体が辛いのが落ち着いたらきっと、もう一度話したくなっているはずですよ」




 

 ようやく面会の許可が下りたのは、それから数日後の事だった。顔を合わせ、やや憔悴した様子のグレイセルが何か言う前に、クロードが先に口を開く。


「……謝らなくていい。でも、チェスの勝ち負けを誤魔化す必要はない。これから一度も勝てなくなったとしても、僕はいつか逆転できるように試行錯誤を続ける」


 先日アスティンに話を聞いてもらった後も考え続けたが、クロードは結局自分の発言を撤回しなかった。相手の内心がどうであれ、彼と友人でいたいという気持ちが変わる事もない。   


「一緒に海の向こうへ行こう、と誘ったのも撤回しない。二人で行けば、きっと楽しいと思う」


 クロードが伝えた言葉に、グレイセルしばらくは目を伏せて黙っていた。しばらくしてわかった、と短く返答する。それからまた数日間彼はゆっくりと過ごして、ようやく以前と同じような生活を取り戻した。 



 チェスで全く勝てなくなった以外、諍いを経て劇的に何かが変わったわけではない。彼もまだ気を遣っているのか、寒くても自分から暖炉をつけようとはしなかった。そして暗くなっても明かりをつけようともしない。そのせいで彼は分厚い眼鏡を手放せなくなって他の子供達に随分からかわれたけれど、あまり気にした様子はなかった。


 薬と快適に寝る場所だけで贅沢だ、と彼は一度ぼそぼそとクロードに訴えた。その時は本を読んでいたので、あまり気にするなと返事してそれきりである。


 その後も何かにつけて言い争いもそれなりに発生したが、長引かせてまた発作が起きると困るので、お互いに妥協しあう事を覚えた。

 喧嘩したところで、それ以降も同じ屋敷で顔を合わせる間柄。大人が介入すると些細な喧嘩が大きくなる。それは面倒だと双方認識しているので、長引かせないのが肝要だと適度に切り上げるやり方を身につけた。


 そのうちグレイセルは部屋で退屈を紛らわせているうちに思いついた、と奇妙な事を始めた。初めて見た時は全く理解できなくて、クロードは大人に言いつける事すらしなかった。

 一番初めは花の種らしきものを持ち出し、青い薔薇を咲かせて見せた。その次には燐寸(マッチ)を使わずに、ランタンに明かりを灯した。煌々と部屋を照らし暖め、居候が快適に本を読む手助けをした。


「……これは一体何だ? 手品?」

「発明だよ、発明」


 クロードは問いただしたが、相手の説明はさっぱり要領を得ないものであった。

 街を見物した帰り道、馬車が迎えに来るのを待たずに小川のほとりを歩いて帰った夕暮れ時には、彼はおもむろに水の中へと何かを投げ入れた。周囲が薄暗くなっていく中、淡い光が小川の流れの中をぼんやりと漂って、家路を急ぐ自分達の足元を少し照らしてくれた。奇妙だが美しい光景だと、クロードは思った。


 本人は頑なに発明と称しているが、時代が違えば教会に突き出して矯正してもらうのが正しい対処法のような気がする。しかし、彼はクロード以外の前ではまだ研究中だと言い張って見せる事はしなかった。それで結局、こちらも他の人間にも言いつけるような事はしなかった。



「この青い薔薇を、……いつか、庭師のアスティンの一番幸せな日に贈ろうと思うから、その日まで内緒にして欲しい。いつも話し相手になってくれて嬉しかったから」


 彼がそのような素敵な企みを持ち掛けたので、クロードはそれに乗っかったというわけである。

 この調子でグレイセルは数年間、子爵邸という環境で養生したおかげなのか、肺はよくなった。しかし目の方は悪いままで、大人になっても瓶底のような分厚い眼鏡である。


「……そのよくわからない発明のようなもので、目は治せないのか?」

「当たり前だろう。魔法じゃあるまいし」


 グレイセルは何を言っているのやら、という顔をしている。クロードは大変腹が立ったが、慣れとはおそろしいものである。突っかかる気力も湧いてこないのであった。


「……隣国に行けば仲間がいるかもしれないな」

「どうだろうね。でもこちらではできないような体験を積んで、もっと改良できるかもしれない」


 楽しみだ、と彼は嬉しそうに呟く。そろそろ二人で隣国へ出る許可を、父が出してくれるかもしれない年齢に達しつつあった。

 

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