62話 追憶――○○〇③
アイリスが結界の外に出るまでの十数日は、仕上げの作業に費やした。
ゲントルに黙ってドムナー家に顔を出し、全てを話した。
ゲントルの両親――ウィーク、カインド夫妻には、のちにキャリーの面倒を見てもらう必要があるからだ。
キャリーはボックスから隠す必要がある為、キャリーはドムナー家で生まれ育つことになる。
本当の両親も度々会いに来るが、ドムナー夫妻が育児のほとんどを担う他、俺の魂を呼んでからもしばらく世話になる。
負担を強いることになる為、こちらも前もって説明する責任があった。
なにより、彼らの息子を死なせてしまう。
俺が死ぬ前に、謝罪をしておかねばと思ったのだ。
世界平和やアイリス、グレインの活躍と言った明るい未来から、ゲントルの死という悲しい現実まで、彼らが信じられるまでとことん話した。
「すまない。ゲントルの死を予め知りながら、平和な未来の為、なにより平和をもたらすアイリスとグレインの為、俺はゲントルが死を免れる為の努力をしない」
フードを取り、頭を下げ、正直に事実を語る。
包み隠さないことが誠意だと思ったからだ。
ドムナー夫妻は泣いた。
だが、大事な一人息子を殺す俺を責めはしなかった。
悲しみを帯びた、しかし優しく暖かな眼差しを交わしながら、
「ゲントルは……夢を叶えたんだねぇ、お母さん」
「そうねぇお父さん……あの子ずうっと言ってたもの……『皆が笑って過ごせる世界にするんだぁ』って」
ゲントルは俺達にも、いつも同じことを言っていた。
寿命が長い父と母がいつか広い世界で楽しく生きていけるようにと、誰よりも平和を願っていたのだ。
ゲントルにも平和な世界を見せてあげたかった。
「……すま…ない……!僕の……俺の……所為で……!」
感情を殺そうとしても、涙が溢れた。
ドムナー夫妻はそんな俺を黙って抱きしめてくれた。
落ち着いてから、ドムナー夫妻に何か返したくて、明るい未来を教えたくなった。
「三百年後の未来には、ゲントルの弟がいた。俺の子孫をよく笑わせてくれる、とても気のいい男だった」
「……そっかぁ。それは嬉しいことだねぇお母さん」
「ええお父さん。ゲントルも弟を欲しがってたから、きっと喜んでくれるわねぇ」
息子の死を知ったばかりの二人に言うことはやや躊躇われたが、言ってよかったと思えるほど、いい笑顔をしてくれた。
「そうだぁ!」
ウィークは大きな手を叩いて、
「センド君、キミが名前をつけてくれないかい?」
「あらいいわねお父さん!」
詠んだ未来にない展開だった。
だから断ろうとしたのだが、名前が浮かぶ。
触手となったアイリスが、彼を見てこう呼んでいた。
「コドムナー」
口が勝手に呟いた。
「コドムナーか。うん。とても賢そうな名前でいいねぇ。きっとセンド君みたいな頭のいい子になるよぉ。ねえお母さん」
「そうねぇお父さん。センド君の子孫の子を笑わせるくらいだもの。きっとエッジの効いたジョークを言えるんだわぁ」
ドムナー夫妻はまだ見ぬ息子に想いを馳せる。
『ピエぇいロぅ~!』
コドムナーの珍妙なダンスが脳裏を掠めたが、とても言えなかった。
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「アイリスをデートに誘うべきだ」
旅立ちを四日後に控え、思いつめた様子で鍛錬ばかりのグレインに言った。
デートの目的は三つ。
一つはアイリスが魔王を己が手で殺そうとする精神の仕上げ――グレインに対する想いの再認識と、覚悟の醸成。
一つは三百年後のアイリスとグレインを繋ぐヒントを残す――鉄の指輪とハムフレッド。
そして三つ目が、グレインを三百年後に送る為の準備。
つまり――再生の祝福を発現させること。
神より与えられると言われる祝福だが、勇者となり神の本性を知った身からすると、それはあり得ない。
基本的に神が欲望を満たす遊び場でしかないこの世界で、人間にとって恩恵しかなく、かつ神の遊びの障害となる祝福はあまりにも歪。
その上勇者となった瞬間に魂に刻まれる知識に、祝福は言及されていない。
おそらくは第三者――神に近しい何者かが、人の想いの強さに反応して配っている力だ。
死、という生物が決して逃れることの出来ない世の理を否定するほどの祝福は、どれほどの想いがあれば授かることができるのか?
具体的な目安を知ることは未来を詠めるだけの俺に出来るはずもない。
だからこそ、とにかくグレインにはまず油断してもらう。
アイリスとの将来を感じさせるような楽しく安らかなひと時をあえて過ごさせることで、アイリスが密かに抱える覚悟を気取らせない。
そして、アイリスが結界を出た末に自責の念に苛まれ、魔物共を前に無力感に押しつぶされてもらう。
グレインをアイリスを救うまで死ねない男にするには、負の感情を含めたグレインの内面全部を引きずり出して、それを総動員して何者かにぶつける。
多くの計略が絡むデートだったが、基本的にグレインのやりたいようにさせた。
ただデートの前日から当日にかけては俺達がバカをやれる最後の時間だった為、服装に関してだけは思う存分遊ばせてもらった。
グレインをからかい過ぎた結果アイリスに怒られることになったが、それも含めて楽しかった。
目的は極めて後ろ暗い。
女性をエスコートする、という意味では大失敗もいいところ。
だが、実に良いデートだった。
デートの夜は各地を回る必要があった。
まず、魔王城方面の結界の縁でアイリスと会う。
目的は二つあり、一つ目は「グレインは死なない」と伝えること。
やがて心を繋ぎ止めることになる重要な言葉だった為、結界に出る直前――覚悟が醸成しきった状態で伝える必要があった。
二つ目は感謝と激励。
世界を救うことになるアイリスと、いずれこの記憶を見るアイリスに、敬意を表しておきたかった。
次に向かったのは王城――ボックスの足止めと最後の指示。
罪悪感に苛まれ弱り果てていくこれからの三百年の為に、いずれ帰るアイリスを迎えるという希望と義務を与えた。
その結果三百年後には愛情と責任感ゆえに最大の障害となるのだが、ボックスのいない未来にアイリスの幸福はない。
彼の心臓が動くのをやめてしまわないよう、出来る限りの真実を伝えた。
無論
最後はグレインの無謀な先走りを抑止し、翌日俺達は旅に出る。
魔物がおらず危険は無いが、だからこそグレインは不安を募らせる。
百日を超える長旅は精神的苦痛をもたらし、グレインの内面を膨張させていく。
俺達三人の最期の旅だったが、楽しむ余裕などなかった。
魔王城を眼下に望む断崖まで辿り着くと、グレインは絶望した。
数百万もの軍勢、災害級の大型魔物。
アイリスに惹きつけられた大陸中の魔物の狂気に満ちた眼差しが、魔王城に注がれる。
強き心身を持つセンドでさえ膝を折るほどの異様な光景に、俺は恐怖を覚えない。
今すぐ魔王の元に向かい、魔王に殺されろ。
植え付けられた勇者としての矜持が頭の中で騒ぎ立てる。
三百年後の幸福な光景を知らなければ、俺はそれに従っただろう。
俺はおそらく何らかの方法で魔王の城までたどり着き、殺され、センドかグレインの誰かが俺の一部を持ち帰る。
それが、本来勇者に選ばれた者として進むべき未来。
だがその未来には、絶望の果てに魔王を吸収した姫も、苦痛の果てに魔物を根絶やしにした偽の勇者も、平和な世界も存在しない。
だからこそ、俺は砲台の魔獣の砲撃を避けない。
仲間を無謀な戦いに扇動するのも、センドを見殺しにするのも、全ては世の理に抗う為。
進むべき未来を破り捨て、進みたい未来を掴む為。
センド。
お前が望む未来は、グレインとアイリスが叶えてくれる。
父も母も弟も、笑顔の絶えない日々を送る。
だから、ここで死んでくれ。
グレイン。
お前はアイリスに再会できる。アイリスを救える。
三百年後の平和を、お前は手繰り寄せる。
だから、苦しんでくれ。
アイリス。
グレインは生きる。お前をいつまでも待っていてくれる。
ボックスがいつまでも愛してくれている。
だから、魔物になってくれ。
「俺は先に逝く。あとは頼む」
魔弾の雨を仰ぎながら呟く。
罪悪感と感謝。
喪失感と希望。
たくさんの思いを抱えて、死んだ。




