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58話 決意の魔法②


 ボックスは自らの過ちを知って以来、願い続けていることがある。

 

 孫娘達の安寧、幸福。

 呪いからの解放。

 そして――


 罰を受けること。


 罪に対して相応の罰を与えるべき。

 自らが編纂したエンシャンティア法典にもそう記している。

 

 人になりたいと願った罪。

 人と交わった罪。

 神の欲望に触れてしまった罪。

 

 罪を犯した自分は罰されるべきだと、願い続けている。

 だが罰は他の者に降り注ぎ、新たな罪となってボックスに重くのしかかる。


 五十人の姫に呪いを背負わせた罪。

 五十人の勇者に運命を背負わせた罪。

 数多の民を死に至らしめた罪。


 罰を受けることは許されなかった。

 自らの罪だと訴えることも許されなかった。

 

 結界の中の安寧を維持することだけを許され、強いられた。

 そして、新たな罪となる。

 

 数えきれないほどの嘘をついた罪。


 罪が罰を、罰が罪を産む。

 ボックスの生涯は、決して逃れることを許されぬ檻の中から自らの罪によって苦しめられる人々を眺め続け、それを自らの罪ではないと偽ることを強制され続けるという、安全な地獄。


 それを辛いと嘆くことも、他ならぬ自分自身が許さない。

 嘘で固めた彼の箱は、七百年間積み上げられた罪悪感でいっぱいになった。

 

 膨れ上がった罰の執行を願いながら、いつとも知れぬ清算の日を待ちわびた。


 だが、清算をしたのはアイリスだった。

 己が背負えないばかりに、待つことしか出来なかったばかりに、愛する孫娘が罰に身を投じた。


 アイリスを守れなかった。

 妻から授かった守る力がありながら。

 それだけが唯一の責務でありながら。


 守る為、安寧の為とつき続けてきた嘘が、彼女の覚悟を醸成してしまった。

 彼女に全ての責任を押し付けてしまった。

 

 ボックスの人生そのものが、彼女を魔物に変えた。


 これほどまでに罪深いことはあるだろうか?

 

 ボックスは己を責めた。

 責めて責めて責め続けて、しかし罰が落とされることはない。

 罪の意識に心はドロドロになって、それを嘘で固めて、日々を過ごしてきた。


 

 ――やるべきことをなせ。


 センド・フューツの言葉が欠けた耳に届く。

 

 やるべきこととはなんだ?

 自分には何が出来る?


 アイリスを守れず、苦しみしかもたらさなかった自分が、結界の力を失ったこの状況で、一体何が出来るというのか?

 七百年もの間籠城していただけの自分が、一体何を成せるというのか?

 一度は彼女を締め出した自分に、彼女を救おうとする資格はあるのか?


 センドの激励を受けてからも、ボックスは未だ罪悪感に苛まれたままだった。

 どんな姿になろうと、かつてのアイリスの人格が失われていようと、救いたい気持ちは変わらない。

 だが、嘘の鎧を脱いだ今の彼は、ただ自身を卑下するだけの弱々しい老人だった。


 ボックスは己の箱を覗き込む。

 罪悪感、無力感、嘘。

 負の感情がヘドロとなって、箱から溢れ出している。

 醜悪な自分に相応しい中身だと、ボックスは思う。

 

 少しずつそれらを掬い取り、中へ進んでいく。

 すると、金色に光る宝石があった。

 

 一つじゃない。

 ヘドロの中にたくさんの宝石を見つけた。

 どれもこれも金色だが、形が違う。

 光り方も、一つとして同じものが無い。

 そのいずれにも、ボックスには覚えがある。


 これはレイラ様が四歳の頃、寝る前になぞなぞを言い合った時のもの。


 これはレイニア様が十歳の頃、こっそり市場に出掛けた時のもの。


 これはリーシャ様が七歳の頃。

 これはエイミー様が十二歳の頃。

 これはニーナ様が五歳の頃……。


 そうだ。これは全部、

 ――孫娘達の笑顔だ。


 どれだけ嘘に塗れようと、罪悪感に押し潰されようとも、ボックスの近くにはいつも、決して色褪せることのない幸せな顔があった。


 彼女達に本音で接したことは無い。

 いつも罪悪感に焼かれながら、全身を虚構で塗り固めていた。


 でも愛情は、愛情だけは本物だった。

 ボックスは彼女らを心の底から愛していた。

 幸せを願っていた。

 それだけを生きる糧としていた。


 ボックスは気付いた。


 ――そうか。私は、


 孫娘達を愛する為に生きてきたのだ。


 ヘドロの中、ずっと深くに手を伸ばし、宝石を掌で包み込む。

 

 首の前で結んだ可愛らしい手。

 背中に感じる小さな暖かさ。

 『じいじ』

 呼ぶ声が聞こえる。

 少しだけ照れの入った、躊躇いがちな彼女の声。

 いつもは容赦なく振り回すのに、いじらしくなる時がある。

『おにわぐるぐるしたい』

 お願いごとがあるのだと、分かっていた。

『本当に手のかかるお嬢さんですなぁ』 

 少しだけ意地悪を含ませて言うと、

『うふふ』

 嬉しそうに笑みを浮かべる。 


 三百年以上も前のことだが、昨日のことのように思い出せる。

 これは間違いなく、


 ――アイリス様の笑顔だ。

 

 ――――――――――――――――――――――――――

 

 突如現れた結界の消失。

 街の民は怪訝そうにしながらも、徐々に営みを再開する。

 活気が戻りつつある王都の中心で、一人の老人が現実を見据える。


 欠けた耳、皺がれた肌。

 権能を失い、固めた嘘が剥がれ落ち、罪悪感に焼かれやつれた姿を夜風に晒す。

 一層老いを感じさせる佇まいで、平時の滾らせた生命力は無い。

 

 しかし、彼は朗らかに微笑んでいた。

 笑みをそのまま金髪の少女に向け、頷きを交わす。

 

「グレイン殿、私があの子をここにお連れします」

 グレインの横をすり抜けるように、一歩前へ出る。


 城門から伸びる中央通りをなぞるように両手を掲げ、魔力を凝集する。


 ボックスが生涯で培ったもの。

 それは、いかなる負の感情に苛まれようと朽ちることの無かった、孫娘達に対する()()()()()()である。


 本来、結界の祝福は姫を守ることに特化した権能であり、触れた者を特定できるほどの感知機能は無い。

 しかし、ボックスは常に姫を安寧を望み、意識を注ぎ続けたことで、彼女らがもたらす僅かな魔力の揺らぎにすら個性を感じ取ることが出来ていた。

 触手の中の僅かな残滓となったアイリスさえも認識するほどに。

 そしてそれは、アイリスが結界に触れ続けていた先刻の事象を受け、覚醒と言えるほどの境地へと至る。


 結界の祝福を失って尚、ボックスは確信する。

 

 ――今なら、どこにいても見つけられる。

 

 元魔物という出自。

 七百年以上に渡る魔力の醸成。

 

 膨大な魔力を老獪な操作技術を駆使し、魔法を構築。


 ――発動する。

 


 刹那、それぞれ帰途につく王都の民は、皆往々にして安らぐような暖かさを覚えた。

 そよ風のように頬を撫でたそれを振り返り探す。

 後ろには何も無く、小首を傾げて歩き出すが、自然と足取りが軽くなる。

 それぞれ愛する家族の待つ家へ、いつもより少しだけ、気持ちがはやる。


 暖かなそよ風と民が認識したそれは、王城を中心として王都全域に広げられたボックスの魔法であった。


 魔法の本質は、グレインとの戦いで使用した防御魔法と近く、半球状に構築された魔力の壁――いわゆる結界の模倣。

 しかし、その目的が大きく異なる。


 魔法に込められた目的――それはアイリスの発見と確保。

 人や動物、建築物等、あらゆるものの侵入を許容する前代未聞の結界でありながら、アイリスただ一人を感知する。

 感知した際、結界は手のひらに形を変え、包み込むように優しく拘束する。


 平民街の路地。

 何かから逃れようと懸命に這う桃色の触手を、穏やかな空気が触れる。

 

「……見つけましたぞ。お嬢さん」

 

 ――お前の望みはなんだ?

 孫娘達の幸福。

 

 ――何の為にここまで生きてきた?

 孫娘達を愛する為に。

 

 ――お前には何が出来る?

 

 その問いに、ボックスは魔法を答えとした。

 

 絶対的な愛情と膨大な魔力量、結界の祝福者としての経験。

 

 ボックスにしか成し得ない――愛しい孫娘を抱きしめる魔法である。


 

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