57話 死した男が語ること
――結界の祝福の消滅。
七百年もの間、呪われし姫を守り、閉じ込めてきたボックスの権能が役目を終えた。
それの意味することとはつまり、呪いからの解放を意味する。
記念すべき、祝うべき瞬間だった。
しかし、これまで祝福を保持していたボックスも、魔物との死闘を演じたグレインも、結界の中で育った最後の姫であるレイラも、深刻な面持ちで庭園を駆ける。
「城門を開けます!」
ボックスは走りながら、閉ざされた城門に手をかざす。
驚異的な魔力を込められた念動力が、錠を施された門扉をいとも容易く引き剥がす。
「ニョロ――ッ!」
グレインが即座に強烈に地を蹴り上げ、いち早く城門をくぐる。
しかし、ニョロの姿を認められず、
「ニョロ!ニョロ――ッ!」
悲壮な顔で叫び続ける。
やや遅れ到着したボックスだが、グレインの様子を見るや顔をしかめる。
「アイリス様……!」
「なに!? ニョロいないの!?」
二人に駆け寄りながら、声を上げるレイラ。
二人が首を振るのを見て、少し思案をくぐらせた後、
「結界からはずっとアイリスの反応があった。そうよねボックス?」
「……ええ。ずっとアイリス様を感じておりました。意識を外したのはレイラ様とレイニア様がいらっしゃった時です。しかしまた意識を戻した時にはもう……」
自責の念に顔を歪めるボックス。
「……つまり、その間に祝福が喪失し、同時にニョロもこの場を去った、ということ。まだ、遠くへは行っていない、王都の中にいると考えていいはずよ!」
「……ええ」
「もう! 貴方の所為じゃないわよ! ウジウジするよりもまずニョロを見つけてから!そうでしょ!?」
「……! 仰る通りです……!」
レイラに快活に励まされ、ボックスの眸に力が戻る。
その時、グレインは城壁の傍に佇む童女に気付く。
金髪だが、背格好がニョロ――キャリー・ドムナーによく似た、幼い少女。
「おい……テメエ……」
衛兵として夜間に一人出歩く少女に声をかけるのは当然のこと。
一方で今はそんな場合ではないことは理解していた。
しかし、グレインが声をかけるに至ったのは、その少女から漂う異質な雰囲気。
どこか覚えのある、異質さだったからだ。
「何か用かグレイン・ランゲイル……いや、今はクリンカー二等衛兵か?」
少女はグレインの方に振り返り、冷淡な眼差しを向けた。
平淡な物言いも、感情の乗らない視線も、ニョロと酷似している。
だが、グレインはすぐに正体を察した。
その――
「テメエ……センドか……?」
空色の眸を見て。
「久しいな。グレイン」
少女は無表情にグレインを見上げ、言った。
「なんで……テメエが……?」
「この娘――キャリー・フューツは魂呼の祝福者でな。祝福が発現次第俺の魂を呼び寄せるよう、旅立つ前に兄に言葉を残しておいたのだ」
結界の消滅、ニョロの失踪、三百年前に死んだ友との再会。
度重なる不測の事態にグレインは動転し、センドの言葉を上手くかみ砕くことが出来ない。
しかし、ボックスが語ったセンドの真の祝福、少女の身体をキャリーと名指したこと。
それらはグレインに一つの真実を導いた。
アイリスがニョロとなるまでを、そしてニョロとなってからこれまでを、そしてニョロのこれからを。
全てを知っている。
「テメエ!……知ってるコト、全部話せ……!」
「そんな暇はあるのか? お前はすぐ気を立たせ、順序を見誤る。年を重ねても変わらないな」
「……ッ!」
かつて何度も窘められた平淡な口調。
だが、感傷に浸る余裕も、口答えしている時間もない。
「ニョロは……アイリスは……どうなった!?」
「この身体に触手が無いのを見れば分かるだろう。拘束が解かれ、自由になったのだ」
「記憶を見た……ってコトか……?」
「そうだ。俺が見せた」
「お前が……?一体どういう」
「分からないか? 俺がニョロをここまで導き、つどアイリスの記憶を見せていた。キャリーの身体に拘束していたのも俺の魔法。お前達がニョロに合えたのは俺のお陰、ということだ」
平然と語る少女を見下ろしながら、激情が拳を固め、眸に憎悪がこもる。
――俺のお陰。
その言葉で限界に達し、グレインは少女の胸倉を掴み上げる。
「テメエふざけんじゃねえよ――ッ!?」
「ふざけてなどいないが。あとこの身体は俺のものじゃない。だから離せ」
怒号を浴び、間近で煮えたぎる眼差しを突きつけられても、少女の顔はピクリともしない。
「なんでアイツを止めなかった!?」
「ニョロがそう望んだからだ」
「望んだだぁ……!?」
「あぁ。ニョロはこう言っていた。自分が人間に戻ろうとも、幸せなのは自分だけだ、と」
「テメエ――ッッ!」
拳を振りかぶる。
「グレイン殿……ッ!?」
ボックスがそれに気づき、慌てて止めに入る。
「どうされたのですか……!? それだけはいけません!」
「あぁ!? ガキだからか!?」
「そうです……!」
「中身がセンド・フューツでもかよ!?」
「な……!?」
金髪、空色の眸。
少女の容貌を見て、ボックスは状況を察する。
「それでも……いけません……!」
グレインの拳を抑え、力なく呟いた。
「……くそッ!」
そのあまりの弱々しさに、グレインの怒りは行き場を失う。
ゆっくりと少女を地面に降ろしたあと、
「コイツは人詠の力でアイリスの人生を覗いてたんだろ!? ずっと昔から!最初から最後まで! 一人悩んで結界の外に出ちまうことも! 触手の魔物になっちまうことも知っていやがったんだッ! それなのに……それなのにッ……!」
「どうしてテメエは止めなかった!? 詳しいことを言えなかろうが、誘導でもしてアイリスが結界から出ねえように出来たんじゃねえのかよ!? センドなら出来ただろ!? 」
「出来ただろうな」
「じゃあどうしてアイリスをそのまま行かせたんだよ……!?」
「アイリスを救う為だ」
「は……?」
正気を疑った。
だが、少女は三百年前に見た友と同じ表情をしていて、正気なのだと悟る。
「これの……どこが?」
信じ難いことだった。
困惑を激情が塗りつぶしていく。
「これのどこがァ!? アイリスを救ってるっつうんだよ!? 魔王城で怖ぇ目に遭って、魔物になっちまって、自分のコトも分からねえままこの街に連れてこられて、人の生活を知って、自分のコトを知って……でも人間には戻れねえッ!! 」
「幸せなわけ……ねえだろうが……!?」
やりきれなさが、無力さが、グレインを襲う。
センドにアイリスを待て、と言われた。
その通りにしていた。
それだけ。
信じることしか出来なかった自分に、センドを責める資格はあるのか?
自分の口から発した言葉が、まるで自分を責めているようにも思えた。
「テメエはアイリスを……どうしてえんだよ……?」
頬を涙が伝った。
憤りをただぶつける自身を嫌悪した。
「だから言っただろう。アイリスを救う為だと。何度も言わせるな」
「……! だからこれのどこが……!」
「お前は一つ大きな思い違いをしている」
センドがグレインの眸を覗き込みながら言った。
「アイリスを救うのは俺じゃない」
その言葉に、その場の誰もが硬直する。
しかし、グレイン、ボックスの眸は力を宿し、センドの言葉を待ち構える。
センドは二人の顔に視線を回した後、
「今からお前達に大事な話をする。疑問を解消する時間はないから黙って聞け」
「まず、ニョロはアイリスであってアイリスではない。人格が完全に破壊されている為、いくら記憶を見せようが当時のアイリスの人格は復活しなかった。そして、これから復活することもない。つまり、お前達が再会を望むアイリスはもういない、ということだ」
ボックスへ視線を回し、
「お前がどれだけ懺悔しようが罰を望もうが、ニョロには響かない。アイツはもうお前が嘘で守り続けてきた孫娘じゃない」
グレインに視線を回し、
「お前が夜に交わした将来の約束も、ニョロには関係がない。アイツはもうお前が幸せにしたいと想い続けてきた姫様じゃない」
「それでも、お前達は救いたいと望むのか?」
「当たり前だろうが……!」
グレインが獰猛な眼差しをして言った。
「人格が戻らねぇからなんだっつうんだ? 魔物になっちまったからなんだっつうんだよ? 強ぇトコロも、優しいトコロも、ズバズバ言うクセに本音だけは言えねえところも……アイリスのまんまじゃねえかよ。センド、テメエの話聞いて再確認できたぜ。アイツはやっぱり俺が幸せにしてえ女だ。なにがなんでもな……!」
「そうか。ボックスはどうだ?」
センドの問いにボックスも頷く。
「あの子にはもう辛い思いをしてほしくない……!」
鬼気迫る表情と、悲壮に歪ませた表情。
センドは二人の顔に視線を二巡させてから、
「俺が何故これまでニョロを導き、今になって拘束を解いたか、その意味をよく考えろ」
抑揚の失せた口調で語り始めた。
「出自は魔物でありながら人間の女を愛し、その血族を七百年もの間見守り続け、人の世を維持し続けた者。
凡夫でありながら姫を救わんと器にそぐわぬ野望を抱き、魔物共を打ち滅ぼす力を手繰り寄せ、三百年の死闘の果てに平和をもたらした者。
お前達の望みはなんだ?
何の為にここまで生きてきた?
お前達には何が出来る?
人の生涯を見据えた男が死して尚お前達の元へ現れたのは何故だ?
何をお前達に期待していると考える?
やるべきことを成せ。
ここが、お前達の長い長い旅の終着点だ」




