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56話 追憶⑤-2


 魔物達は涎を垂らして不明瞭な言葉を漏らすが、私を傷つけることはなかった。

 多腕の人型魔物が私を手のひらに乗せ、魔王城があると言われる西へ向かって行軍する。


 異常な光景だった。

 行軍中、魔物達は私を守るように周囲を固め、犇めき合いながら常識外の高速度で走る。

 景色が瞬く間に遥か後方へ過ぎ去る様はまるで時間を置き去りにしているようで、それだけならば高揚感すら覚えるほどのものだった。

 でも、前を行く個体も横を走る個体も、私を乗せた巨人も、全ての魔物が瞬きすらせずにこちらを見ていた。

 ある個体は首を百八十度回転させ、ある個体は眼球を伸ばして。

 どの位置にいようと、どのような形体だろうと、どのような地形を走ろうと、決して私から視線を切ることはなかった。 

 夢のような速度の旅と、悪夢のように注がれる無数の視線。

 それら二つの非現実が合わさって、ようやく私は結界の外に出たのだと、改めて思い知った。

 

 行軍は日昼夜問わず、速度を落とすことなく続けられたが、私は果実や水などの食事を与えられ、巨人の手のひらの上で眠った。

 時間の感覚は徐々に失われた。

 何日、あるいは何十日。

 長いようで短い時を過ごした。

 

 魔物の巣窟たる魔王城については西の果て、と国の者は皆教えられているが、位置関係については不明確だった。

 しかし、目を覚ましたある日、目的地がすぐそこまで来ているのだと実感した。


 空気が濁っていた。

 赤黒い、もしくは暗い紫ともいうべき色を携えて、肺が呼吸を躊躇うほどに魔力が濃い。

 空に太陽を望むことが出来たけれど、眩い陽光は淀んだ大気に活気を失い、魔力がぼんやりと周囲を照らす。

 

 大地は死んでいた。

 どこまでも荒れ果てた岩地が広がっていて、ついぞ草木を見つけることは出来なかった。

 魔物達はこんな場所でどうやって過ごしているのか?

 人里近くまで来る魔物達は豊かな自然を求めたのか?

 私が呪いを背負っていなければ、魔物が人を襲う理由をこじつけることが出来ただろう。


 死の大地には、昼も夜も無かった。

 景色もまるで変わらず、進んでいるのかも分からなくなってきた。

 だから、私は鈍い光を落とす太陽を目で追うようになった。

 目を覚ました時に太陽がどこにあるか。

 それだけを頼りに、一日を身体に刻んだ。


 四日経ち、魔物達は目的地に到着した。

 月をここから切り出したのか、と思うほどに大きくえぐれた大地の中心に、漆黒の巨城が聳えていた。

 獰猛で理性の失せた魔物達が作ったとは思えない、精巧な建築。

 攻め込まれたことなど一度もないだろうに、手入れはされていないからかところどころ朽ち始めていた。

 

 魔物達は城を囲むように陣取り、私を乗せた巨人だけが、どの魔物よりも大きな扉をくぐる。

 城の内部には、魔物が一体たりとも居なかった。

 前方に階段が伸びていて、その先にまた大きな扉。

 それ以外は何もない、空の城。

 でも、全てが大きく、これは紛れもなく魔物の為の城なのだと理解した。

 これは、世界が魔物の為に作ったのだと。


 巨人は一歩ずつ踏みしめるように階段を上がる。

 まるで、足音を立てないようにしているようだった。

 そう思いふと巨人の顔を見上げた時、心臓が飛び上がった。


 巨人は私を見ていなかった。

 ただ真っすぐ階段の先を見据え、その眸は明らかな畏れを湛えていた。

 その上、身体を小刻みに震わせているのが分かった。

 

 かつて北方の国々をその怪力で蹂躙したと言われる百腕の巨人が、一体何にそれほど恐れているというのか?

 おそらくは、扉の先にいる魔物だろう。

 そして、その魔物は魔王、と呼ばれているのだろう。

 

 決意を滾らせ、目を逸らすことが出来ていた恐怖が、ここへ来て私の鼓動を早める。

 私がこれから出会うのは、立ち向かおうとしているのは、殺そうとしているのは。

 

 ――呪いそのものなのだ。

 

 階段を登り終えた巨人が、扉に手をかける。

 体重を乗せ、頑強な扉が少しずつ開かれていく。

 

 部屋の中央に座すソレが見えた時、

「――ッ!?」

 思わず悲鳴をこぼす。 


 私が感じたのは、恐怖に他ならない。

 しかし、それは敵の強大さ故、だけではなかった。

 

 魔王の正体は、巨大な人型の触手だった。

 どす黒い核のようなものを中心として、剥き出しにした内臓のような無数の触手が人の形を成していた。

 それらは蠢き、這いずり、時折鼓動するように膨縮し、互いを擦り合わせて音を立てる。

 天窓から差し込む赤黒い陽光がぬめりを帯びた表面を反射していた。

 

 ――醜悪。

 

 あまりにも醜く、悪辣な生物だった。

 美しき世界を蹂躙する魔物の王は、まさに美を否定する嫌悪感の具現。

 悪寒が全身を走り抜け、本能が逃走を希求する。

 

 だからこそ、私は逃げなかった。


 このような生物に、歴代の勇者は殺されていたのか。

 私達姫は、このような生物から守られていたのか。


 グレインは、このような生物に殺されるのか。


 ――絶対に私が殺す。


 殺意が恐怖を凌駕した。

 

 硬直する巨人の胸に手を当て、巨躯が有する魔力を吸収する。

 瞬く間に骸となった巨人の手のひらを蹴り、魔王との距離を詰める。


「悪いのだけれど……私には夫がいるの――ッ!」

 

 呪いが赤黒く輝く右手をかざし、吸収した全ての魔力を一点に凝集する。

 

 魔法のイメージはとうに固まっていた。

 幾重にも重なる触手を貫通し、僅かに見える黒い核を打ち抜く超高速の光槍。

 

 巨人から得た魔力は人間が決して獲得することのない膨大なものだった。

 それを一点に集中させれば、どれほど頑強な要塞だろうと容易く射貫くことが出来る。

 ましてや、魔王の装甲は堅強さを感じない触手のみ。

 

 ――殺せる。


 そう確信し、魔法を放つ瞬間。


『オレにムケチャ、ダメ』  

 

 悍ましい声が頭に響いた。

 その刹那、


 かざす右手の肘から先が、床に落ちた。 

 肉を叩くような音が響いて、 

 

「――ぃやああああああ!!!!」

 私は絶叫した。


 断面から大量の血が噴き出して、身体の欠損という非情な事実を告げる。

 痛みは恐怖を後追いするように遅れてきて、苛烈に私を震わせる。


 身体が傷つこうと、私には治癒魔法がある。

 そう思っていた。


 でも、激痛が思考を奪い、魔力を練ることすら叶わなかった。

 少しでも痛みが治まれば治癒をして、すぐにこの痛みから逃げられるのに。

 のたうち回り、叫ぶことしか出来ない。

 

『ヒメ、コッチ』 

 また声がして、伸びてきた触手が私の脚を掴む。


「やめてえええ――ッ!! ごめんなさいごめんなさい――ッ!!」

 

 宙吊りにされた私は負の感情に苛まれ、殺そうと息巻いていたはずの仇敵に許しを請う。

 意思や決意、使命感。

 全てを恐怖と痛みが飲み込んで、私は呪いに屈した。


 それからは、地獄だった。

 魔王は私を妃として、()()()。 


『オレは、アイシデル』

『スキ』

『ヒメ、アイシテル』

 悍ましい声が常に私の脳髄を揺らす。

 

 痛くて、苦しくて、怖くて、何度も死にたいと思った。

 でも、私にはどうすることも出来なくて、ただ叫んだ。

 

「やめて」

「たすけて」

「おねがいします」

「グレイン」

「グレイン」

「グレイン」      

 泣き喚いた。

 喚いて、喚いて、喚き続けて。

 

 愛され続けた。    

 

 日夜を問わず、ひと時の休息すら許されず、私は愛され続けた。  

 

 

 私は食事も睡眠も、愛されること以外何も出来なかった。

 常に苦痛が全身を燃やした。

 身体が動かなくなって、呼吸もままならなくなって。

 痛みだけが、私に生を実感させた。

 

 それなのに、何故か意識が無くならない。

 こんなに痛いのに。苦しいのに。死にたいのに。

 私を苛む負の感情は、私を悍ましい現実に縛り付けた。

 

 ――これは、世界の仕組みを狂わせた罰なのだ。

 天窓から赤黒い太陽がこちらを覗き込んでいるのが見えて、そんなことをぼんやりと思うようになった。


 

 痛みを感じなくなった。

 苦しくも無くなった。

 息をしなくなった。

 でも、生きていた。

 

 辺りに、小さな魔物が大勢いた。

「ママ」

 彼らが、私を見てそう言った。 

 

 私の身体が産まれ出でていたのだと気付いた。

 彼らは産まれてすぐに歩き出して、大きな魔物になった。

 

 私が子を産む時でさえ、魔王は私を愛するのを辞めなかった。

『オレ、ヒメスキ』

『オレ、アイシテル』

『ズット、イッショ』  

 頭の中で、囁き続けた。

 囁かれているのか、考えているのか。

 分からなくなるほど、それは常に私の頭の中心にあった。


  

 脳を直接揺らし続ける囁きに心が麻痺した頃。

 ようやく、私は自分を俯瞰することが出来た。

 

 私は魔王を殺そうとして、ここに来た。

 グレインを助けたくて、ここに来た。

 でも、腕を一つ失っただけで、全部忘れて、許しを請いた。

 それが、腹立たしくて、悲しくて、涙が出た。


 無力だった。

 何の意味もなかった。

 

 そう思った時、ふと、センドの言葉を思い出す。

 

『グレインは死なない』

 そう、彼は言っていた。

 

 私は魔王を殺せなかったのに、どうしてグレインは死なないのだろう?

 考えて、分かった。


 グレインを殺すはずの魔王が、私を愛しているからだ。

 愛されている間は、グレインは死なない。

 

 私は、目だけを動かして、天窓を見た。

 太陽が天窓を跨ぐ回数を数えるようになった。

 数えた日数分、グレインは生きている。

 そう考えて、生きている意味を見出した。

 

 頑張って生きよう。

 そう強く思った。


 

 太陽が百四十八回窓の外を通り過ぎた。

 私は愛され続けていた。

 子供は毎日たくさん産まれた。

 子供達はすぐにどこかに行った。

 

 目を動かして、自分の身体を見た。

 ほとんどあの頃のままだったけど、一つだけ違う点があった。

 

 呪いの紋様が、私の身体を覆っていたのだ。

 全身を赤黒い、煮えた鉄のような紋様が走る。

 悍ましく、醜悪な身体。

 

『ただの女にしてやる』

 グレインの言葉を思い出して、泣いた。


 ――ごめんね。もうダメみたい。

 頭の中で、グレインに謝った。

 

 あぁ、これで百四十九回目。

 今日もグレインは生きている。

 

 

  

 六千五百四十五回。

 

 太陽が通り過ぎた数だ。

 私はまだ、愛され続けている。

 

 魔王は、産まれた子供を食べるようになった。

 私を愛するには魔力が必要らしく、それを魔物から摂取しているらしい。

 

 周りは子供の骨だらけになり、魔王は少し細くなったよう思える。

 

 でも私を愛するのは辞めてくれない。

 

 私の身体は紋様で覆い尽くされてしまったのに。

 もう目以外動かなくなったのに。

 何も感じなくなったのに。


 ずっと、愛されている。


 グレインは、いくつになったかな?

 幸せになれたかな?

 

 奥さんとか、いるのかな?


 少しだけ寂しくなって、泣いた。

 


 一万三千二百四回。


 魔王はやっぱり細くなっていた。

 これまで僅かにしか見えなかった黒い核はもはや剥き出しになっていて、いくつもの触手が力なく垂れ下がっている。

 内臓のようだった色もくすみを帯びた箇所があった。

 

 魔王はそれでも愛し続けた。

 子供が産まれるよりも食べるほうが多くなって、小さな魔物を呼んで食べるようになった。


 私の身体に変化が起きた。

 指が癒着して、手も足も水を入れたみたいに膨らんでいる。

 なんでこんなことになっているのかは分からないけれど、とにかく怖かった。


 じいじに会いたい。

 じいじにぎゅってして、慰めてもらいたい。


 じいじ、勝手に出て行ってごめんね?

 約束破ってごめんね?

 

 毎日、そればかり考える。

 でも、頑張って生きた。

 

 

 二万七千六百三十二回。


 外から、大きな魔物が来るようになった。

 魔王はその魔物達を食べた。

 

 あまり美味しくなかった。

 でも、食べ続けた。

 

 なんで、美味しくないって分かるんだろう?

 不思議だった。


 自分の身体のことは分からなくなった。

 どこが手でどこが足で、どこまでが私で、オレなのか。

 分からなかった。

 

 でも、嬉しいことが一つある。

 それだけは、ずっと覚えてて、その為に頑張ってきた。

 もう少し、もう少しで八十年だ。

 八十年経てば、頑張らなくていいって、ずっと前に決めていた。


 なんで八十年? 

 覚えてたのに、思い出せない。

 とにかく、もう頑張らなくて大丈夫。

 太陽を数えるのを辞めた。

 

 

 

 私…お前…俺だったか?

 もう自分のことを思い出せない。

 手や足があったような気がするが、今は無い。

 骨だけの空間で、大きな殻の下敷きになっているようだ。

 

 黒い殻だった。

 卵か?

 俺はそこから産まれ出でたのか?

 考え始めてすぐ、興味が失せた。

 

 身体を這いずって、外に出る。

 たくさんの魔物が、何かと闘っていた。

 何故かは分からないが、強い嫌悪感を覚え、その場を去る。


 私は這いずる形をしていた。

 だから這いずった。


 どこへ行きのか、何をしたいのか。

 それは分からない。


 ただただ這いずって、今居る場所じゃない場所を目指す。


 荒れた大地をずっと這う。

 氷の森を抜け、炎の山を越え、砂の大地を進む。

 這って這って、死体だらけの森を抜け、ようやく見えた。


 白い城がある、人間の国。

 ここに来なければいけなかった。


 なぜ?

 

 分からなくて、引き返す。

 なぜ来なければいけないと思ったのか、それすら興味が失せた。

  

 水辺に向かい、映る自分を見る。

 顔も無く、何も無い。

 何かの本で見たことがある。

 

 本とは何だ?

 本とは人間が記録等を紙に残し、束にしたものだ。

 そう魂に刻まれている。

 

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