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54話 選択


 ニョロは泣き腫らした顔をだらりと下げたまま、明かされた真実と迫られた選択を反芻する。


 ニョロはかつてアイリスだった。

 しかしアイリスと呼べる生物では無くなっていて、記憶を取り戻したとしても、アイリスに戻れるわけではない。


 センドとキャリーは、ニョロに自分がアイリスであると理解させた上で、人としての生活を送る選択肢をもたらした。

 森でキャリーを発見した時から今までのすべては、ニョロに人間の幸福を体験させ、その選択を選ばせる為に計画されたものだったのだ。


 衝撃的な真相と情報量に胸が苦しくなる。

 もう抱えきれなくて、今にもまた泣き出してしまいそうで、それなのに重大な決断を求められている。

 

 人として生きることが出来るのなら、どれだけ幸福なのだろうとニョロは思う。

 アイリスの記憶を探ることを辞めたら、じいじはこれまでみたいに一緒にいてくれるかもしれない。

 ご飯を食べさせてくれたり、話をしてくれたり、おんぶしてくれたり。

 もしそうなら、本当に嬉しい。

 グレインもハムフレッドをまた作ってやる、と言ってくれていた。

 グレインは約束を守る男だから、きっと本当に作ってくれる。

 二人とまた過ごせる。

 それを考えただけで、頭の中で想像しただけで、心がぽかぽかする。


 ニョロはキャリーに寄生してから獲得してきた感情について、アイリスの記憶が鮮明すぎる故の副作用だと考えていた。

 そう考えることで、自身が胸中に抱える想いの数々をアイリスの所為にしてきた。

 そうしないと、抱えきれなかった。

 

 だが、センドの言葉ではっきりと分からされた。

 この感情は、アイリスの思考を移した模倣品ではなく、紛れもないニョロの、ニョロという生物の気持ちなのだ。

 

 じいじにおんぶしてほしいのも。

 グレインにご馳走してほしいのも。

 二人と離れたくないのも。

 全部、ニョロの気持ちだ。

 

 じいじに会いたい。

 尻尾を巻き付けたり、口の中に手を入れて、じいじの困った笑みをまた見たい。

 帰ってきたときに「おかえりなさい」って抱きしめてほしい。


 グレインに会いたい。

 言い合いをしても結局嬉しそうに笑うのをまた見たい。

 また肩に乗せてもらって、街を歩きたい。

 

 溢れてくる想いから逃げることが出来ない。

 もう言い訳は出来ない。

 

 だからこそ、ニョロは決断し、顔を上げる。

 赤くなった頬には新しい涙の筋が流れ、唇を震わせる。


(決まったか?)

 センドの問い。

 ニョロは小さく頷き、答える。


「俺は……魔物に戻る」 


(いいのか?)

「……あぁ」


(ニョロちゃん、本当にいいの?)

「……あぁ」    


 ニョロの決断の背景にあったのは、頭の中で想像したボックスとグレインの表情である。


「このままキャリーの身体を借りて、人間として過ごしたとしても……幸せなのは俺だけだ」 

 

 ニョロが想像した彼らは、とても寂しい笑顔をしていた。

 ニョロの先にある何かを見つめ、今にも泣きそうになる、そんな笑顔。

 

 じいじがおんぶしたいのも。

 グレインがご馳走してあげたいのも。

 全部、アイリスなのだ。

 だから、あの二人にどうしてもアイリスを会わせてあげたいと思ったのだ。

 だから、二人に「アイリスに会わせてやる」と言ったのだ。

 

 でも、もうアイリスが復活することはない。

 ここにいるのは、かつてアイリスだっただけでアイリスにはなれない魔物がいるだけ。

 

 もう約束を果たすことは出来ない。

 会わせる顔が無かった。

 

「キャリー」

(どうしたの?)

「俺がアイリスだった、ということは二人に伏せておいてほしい」

 

 ニョロは、どうしても自分の姿を彼らに見せたくなかった。

 二人は強い愛情を持つ一方、アイリスに大きな罪悪感を抱えているから。

 きっと、自分の所為だと辛くなってしまうから。

 二人には、幸せでいてほしいから。

 

(わかった)

 しばらくの沈黙の後、キャリーはそれだけ答えた。

 

(言い残すことはあるか?)

 アイリスの記憶通りの、センドの抑揚のない声。

 そこに感情を見出すことは出来ない。

 しかし、時間がないのだろうと、ニョロは思った。

 

「いや、無い」  


(では、記憶を見せる)     

「あぁ、頼む」


 そう言うと、徐々に脳内が朧気な白に覆われていく。

 これまでの幸福が霧の中に消え去っていくような気がして、少し怯える。

 

 そんな中、ニョロは一つ、思い出した。

 こういう時、言わなければいけないと教えられた言葉があった。


「ヒメ」

 あえて、そう呼んだ。

 

(ん?)

「……ありがとうございました」


(どうして?)

 ヒメは年下の子を諭すような言い方をする。

 じんわりとした暖かみが心の芯を解きほぐすような、優しさに溢れた口調。


 それはニョロの表情を歪めさせるのに充分だった。


「じいじに……あえたのも……ぐれいんとあえたのも……ぜんぶ……ヒメのおかげ……だからっ……!」   

 

「ありがと……っ! うっ……あり……がどっ……!」 

 

 嗚咽し、しきりに喉をしゃくりあげ、涙ながらに感謝を叫ぶ。

 それは、ヒメへの感謝であり、人間としての生活への別れの言葉でもあった。

 

(うん。こちらこそ、ありがとねっ!) 

 ヒメの明るく朗らかな返事が、人として聞く最後の言葉。

 そう思った時、

 

「ごめん……なさい……! ごめ……うぅ……うわあああん……!」 

 

 後悔が溢れ出す。

 

 もう二人と会えない寂しさ。

 二人にアイリスを会わせてあげられない罪悪感。

 二つが折り重なって、冷たい涙を落とさせる。

 枯れることは決して無いだろうと思える悲涙の中、自らが歩み出した絶望の中、アイリスの記憶が流れ込む。


 ――さようなら。


 頭の中で、呟いた。

 

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