46話 箱
『人間が美味くなっている』
ある日、同胞がそんなことを言った。
人間は攻撃的で武器を使う上に酷い味がする。
それが我々にとっての常識であり、私の魂にも生まれつき刻まれていた知識だ。
なぜ同胞は人間を食べようと思ったのか?
本当に美味しいのか?
疑問を解消する為に、私は人里近くの森に潜伏することにした。
ほどなくして、木々の開けた場所に一人の人間が現れた。
金髪碧眼の、若い人間の女。
倒木に腰かけて、何をするでもなく空を眺めていた。
武器は無く、魔力は高いが人間の範疇。
私は背後から襲い掛かった。
だが、人間の女は非常に強かった。
私の攻撃をいとも容易く躱して、拳だけで私を打ちのめす。
身動きとれないほどに痛めつけられ、死を覚悟した。
「貴方、いい魔力してるわね! 私の配下にしてあげるわ!」
女は瀕死の私に治癒魔法をかけながら、快活に言った。
「イミが……ワカりマセん」
「じゃあ分かるまで言ってあげる! 私の配下にしてあげるわ!」
「ワタシは……マモのデス」
「見れば分かるわよ! でも大丈夫なの! だからほら? さっさと配下にしてください、って言いなさい!」
「イヤだ、とイッタら?」
「もっと痛めつけるわ!」
問答無用とはまさにこのこと。
「……ワかリマシタ」
魔物としての生存本能に抗うことが出来なかった。
すると、
「ホント!? やったぁ!!」
女が笑った。
丸い光を思わせる、華やかな笑み。
その笑顔を見た瞬間、全身を何かが駆け巡る。
そして、変わった。
人間。強い。横暴。
女に対する印象はそれだけだった。
でも、そうじゃなくなった。
陽光で編んだ金色の髪。
星を浮かべた水面のような碧い眸。
玉の如き白い肌。
これほど美しく、尊いものがあったのか。
私は、世界で最も価値があるものに出会った。
そう確信した。
「それじゃあ今から願いを言いなさい! 一つだけ叶えてあげる。あっ!でも世界征服とか規模の大きいものはダメよ? あとなんか人がたくさん絡むのとかも多分ダメ! 強くなりたいとか、私と仲良しになりたいとか、そういうのにしなさいね?」
見惚れていた私に、彼女はそんなことを言った。
「でも仲良くなりたいとかだったら別に願わなくていいからね? なってあげるから。嬉しいでしょ? 絶対そうよね?」
普段なら神にでもなったつもりか、と一蹴するような話だが、私は答えた。
「ニンゲンに、ナリたイ……」
私も価値があるものになりたかった。
そうなれば、彼女とずっと一緒にいられると思ったのだ。
「……分かったわ!」
彼女は私に向けて、手のひらをかざす。
手のひらには黒い星型の紋様が四つ並んでいて、内の一つが枠線だけになっている。
それをじっと眺めていると、眩い光が私を包む。
次の瞬間には人間の姿になっていた。
「うんっ! 私好みのイイ男になったわね! ちょっと苦労してそうなのが特にいいわ! でもちんちんは速やかに隠しなさい?」
彼女はひとしきり喜んだあと、顔を手で覆う。
私が股間を手で隠すのを確認すると、彼女は私に魔法で作った鏡を見せた。
そこには、黒い髪の精悍な顔立ちの男が写っていた。
肌ツヤからして彼女と同じくまだ未成熟のはずなのだが、彼女よりも幾分年を重ねているようにも見える。
これが苦労してそう、ということなのだろうか?
イイ男、なのかは分からないが、少なくとも整っているようには思えた。
しかし、
「なぜ耳が尖っているのですか? あなたは丸いのに」
「その方がイケてるからよ!」
「そうですか……」
本当は彼女と同じ耳が良かったが、彼女は尖った耳のほうがいいらしい。
私は自分の新しい姿が好きになった。
「ふふふっ!」
彼女は突然、噴き出したように笑いだした。
「どうしたのですか?」
「だって、あなた人間なりたてホヤホヤなのに、とっても苦労してます!って顔なんだもの!」
「おかしいですか?」
「だって人間としての中身は空っぽなのよ? それなのにすごく頼りになりそうで……ぷぷっ!」
私は自分が何もしていないのに彼女が笑っているのがよく理解できず、困った。
すると、彼女は急に手を叩いて、
「ボックス!」
目を見開いて言った。
「それはなんですか?」
「貴方はこれから私の配下として色々なことを経験して、どんどん人間らしくなっていく。まるで空っぽの箱に詰めていくみたいにね。だからボックス。それが貴方の名前!」
彼女は私に手を差し出して、笑う。
「私はエイシャ! これからよろしくねボックス!」
彼女の手を取って、私の人生が始まった。
エイシャはエンシャンティアという人間の国の女王だった。
先代王である父親が貴族の謀略により死亡し、齢十四にして戴冠することとなったのだ。
突然転がり込んできた責任、命を狙われる恐怖、不安定な情勢。
彼女の華奢な双肩にはあまりにも重い。
だが、彼女は強かった。
王族としての気高い意思と、腐敗した貴族共への敵意。
エイシャは困難に立ち向かうことを決めた。
そして、優秀な護衛を求めた。
貴族との繋がりがなく、高い戦闘力を持つ護衛を。
そこで、彼女は魔物を従えることを決めたそうだ。
なんとも突飛な考えだが、人間になりたいと望む魔物に出会ったあたり、彼女は世界に愛されている。
彼女は『願いの祝福』という特殊な力を有していた。
生涯で四回だけ自分や他の者の願いを叶える、というもの。
私を人間に変えたのもその祝福によるもので、手のひらの星型は一つ叶えるごとに色を失っていく。
彼女の星は残り二つになっていたので、もう一つは何に使ったのか尋ねると、「貴方に勝つ」と願ったそう。
彼女は大事な四つの願いの内半分を私の為に使ってくれていたのだ。
私とエイシャはそれから、過酷な政争に身を置くこととなった。
あらゆる手でエイシャを玉座から引きずり降ろそうとする貴族達。
貴族に扇動され、王の交代を迫る民衆。
突如として始まった魔物の侵攻。
逆境に次ぐ逆境が、私達を襲った。
だが、いくら苦しくとも辛くとも、私とエイシャは手を取り合い、支え合った。
十一年後、エイシャは誰もが認める王となった。
貴族は畏れ、民衆は敬い、平和が訪れた。
血の巡りが良くなった国は豊かになった。
そして、私達は結ばれた。
エイシャは王冠を外せば、一人の甘えん坊の女性だった。
私達は互いの健闘を称えるように、出会えた感動を分かち合うように、愛し合った。
子供が産まれた。
エイシャによく似た、金髪碧眼の可愛らしい女の子。
アイラと名付けた。
耳が尖っていないことをエイシャは残念がっていたが、私が「エイシャと同じ耳ですね」と言うと笑ってくれた。
平穏が訪れた国で、私達は幸せに暮らした。
二人とも甘えん坊で挑戦的で、私を方々へ引っ張り回して、困らせるのを楽しんでいるようだった。
大変だったけれど、彼女らが笑っているだけで、私は幸せだった。
ある日、エイシャの手のひらの星が、一つ減っていることに気付いた。
何かあったのではないかと不安になった。
「エイシャ、何をお願いしたのですか?」
私が聞くと、彼女は満面の笑みを浮かべ、
「な~いしょっ!」
と言った。
結局私が何度聞いても教えてくれることはなかったけれど、彼女の濁りない幸福ぶりが私の不安を取り除いてくれた。
私の箱は、いつしか明るく賑やかなもので満杯になった。
でも、アイラが十六歳になった時、突如として幸福を奪われた。
深夜。
轟音と絶叫に叩き起こされた私とエイシャは、寝室の窓から外を眺めた。
「なによ……これ……?」
街が夥しい数の魔物に蹂躙され、火の海と化していたのだ。
これまでも侵攻はあった。
だからこそ防衛に力を入れ、都市間の主要道は兵に巡回させるなど、魔物への対策は十全だった。
だが、あまりにも規模が大きすぎた。
数万、いや数十万の魔物の軍勢。
大型の魔物も多数、多腕の巨人や双頭の龍など、私がかつて見たこともないような魔物も確認できた。
彼らはまるで理性を感じさせない様子で、視界に入った人々を芥のように踏みつぶしながら、街の中心――王城へ向かっていたのだ。
「エイシャ、貴方はアイラと共に逃げてください」
「貴方はどうするつもりなのよ!?」
「配下としての務めを果たします」
私はアイラに微笑みかけて、窓から飛んだ。
何度も私の名前を呼ぶ声が背中を打って、心が痛む。
それでも、なんとしてでも愛する妻と娘を守ると誓い、魔物蔓延る業火の中へ飛び込んだ。
「かつての同胞よ。これより先へは一歩も通しません」
私は魔物を殺し続けた。
龍も巨人も、等しく物言わぬ骸へと変えた。
殺して殺して、殺し続けるうち、私の身体は限界を迎えた。
数十の魔物に囲まれて、私の膝は力を失う。
立ち上がることが出来ず、魔力も底を尽きた。
だが、心は晴れやかだった。
時間は稼いだ。
エイシャとアイラも今頃、遠くに逃げおおせているだろう。
私はエイシャから貰った人生を、たくさんの愛で詰まった箱を、閉じる時が来たのだと、死を受け入れた。
そのときだった。
『ヒメサマ』
一匹の魔物が東を見ながら、悍ましい声で呟いた。
すると他の魔物も一様に同じ言葉を呟いて、東へ向かって走り出したのだ。
強烈な不安が胸を打った。
彼らの向かう先にアイラとエイシャがいるという確信を覚えた。
使い果たした身体が、まるで引き寄せられるかのように動いた。
痛みで全身がバラバラになりそうだったが、足が止まることは無かった。
魔物の背を追っていくと、東の草原地帯に行き着く。
全身を砕かれた魔物の骸が大量に散らばっていて、エイシャが戦っているのだとすぐに分かった。
それでも尚十万を優に超す魔物が生きていて、状況は絶望的だった。
魔物の間をすり抜けて、魔物の意識が集中する場所へ向かった。
そこには、血みどろで横たわるエイシャと、縋り泣くアイラがいた。
エイシャには、下半身が無かった。
「エイシャ――ッ!」
すぐさま駆け寄り、治癒魔法をかけた。
目も虚ろだが、僅かに息があった。
しかし何度治癒を試みても、一向に回復の兆しがない。
『ヒメサマ』
また、魔物が呟いた。
『ツレテク』『オイデ』『コッチ』『ハヤク』
魔物達は、アイラを凝視していた。
アイラの右手甲に見知らぬ紋様が浮かび、赤黒の禍々しい光を放っていた。
アイラは世界に呪われたのだと、確信した。
「……ボ……ック……ス」
掠れた僅かな声がした。
エイシャは残された力を振り絞るように、手を差し伸べる。
私がその手を取ると、彼女は言った。
「ね……がい……を……」
エイシャが何を求めているのか。
何をしようとしているのか。
全て分かった。
「愛する娘を……守る力をください……!」
「わ……った……」
エイシャの眸が光を失うのと同時、私の身体が光に包まれ、前腕に紋様が現れた。
目に見えぬ力は私を中心に広がって、魔物達は遥か彼方へ飛ぶ。
私は『結界の祝福者』となった。
絶対不可侵の領域を生みだす、神の如き力。
亡き妻が娘の為に残した、娘を守る為の力。
七百年以上も前の話だ。
あの日からずっと、私は守り続けている。
私の愛したエイシャの血を引く、愛おしい孫娘達を。
呪いに縛り付けられた彼女らを、かつての同胞の手の及ばない場所で、匿い続けている。
そしてそれは、呪いが消え失せた今も、変わらない。
「貴方に二つ質問があります」
王城のエントランス。
私の前に現れた、獣のような眼差しの男に言った。
「聞いてやるよ、ジジイ」
男は獰猛な笑みを浮かべる。
「どうやって入ってきたのでしょう?」
生物を通さない結界で王城を囲ったはずだった。
「なァに、ちょいとした小細工だ」
男は表情を変えぬまま答えたが、髪の色がかつての茶色に戻っている。
おそらくは、身体の一部を結界内に投げ込み、再生することで結界を抜けたのだろう。
「何をしにいらっしゃったのですか?」
二つ目の質問を投げかけた。
答えなどとうに分かっているが、聞かずにはいられなかった。
すると、男は首の関節を鳴らしながら、
「決まってンだろ? テメエに会わせてえヤツがいるんだ」
軽い口調で言った。
「そうですか」
男はあの子の為にここまで来た。
あの子はやはり、勇者の真実までたどり着いてしまったらしい。
とても聡明で好奇心の強い子だ。
あの頃と何も変わっていない。
あの子が今も結界に触れているのを感じる。
表情が浮かぶ。
――きっと、泣いている。
「お帰り下さい」
かつての勇者に手をかざす。
愛する孫娘を、今度こそ、何がなんでも守り抜く。
たとえ孫娘が愛したこの男を退けてでも。




