42話 追憶――グレイン・ランゲイル③
「嘘……だろ……?」
血みどろの頭部が地面を跳ねる。
鈍い音と共に転がってきて、足元に血だまりを作った。
「うわぁ……うわああ……!」
センドが死んだ。
可能性すら感じさせてくれない確実な死が、俺の前に転がっていた。
俺は震える手で亡骸を抱きかかえようとした。
でも、
「グレイン君――ッ!」
周囲は夥しい数の魔物に囲まれていて、悲しみを叫ぶ余裕すら無い。
ゲントルの声が、そう気づかせてくれた。
こちらを凝視する無数の目と対峙するゲントルは、センドの亡骸を一目見ることすら出来ないでいた。
筋肉を隆起させ、赤い蒸気を立ち昇らせる大きな背中はもの悲しさを携えていて、俺の心に火をつけた。
「ぶっ殺してやるァア――!」
剣を抜き、ゲントルの反対側の異形に向けて怒気を放つ。
それに呼応するように、魔物達が一斉に跳躍する。
最初に間合いに飛び込んできたのは、緑の原人が四体。
「ウルァアアアア!」
初撃の切り上げで一体を袈裟切りに、続く一体を脳天から真っ二つにする。
残りの二体は前蹴りで転ばせて、まとめて心臓を貫く。
「これで四――ッ!」
討伐数を叫ぶうちにも、更なる攻撃が押し寄せる。
緑の原人が七、魔狼が四。
「死ねコラア!」
剣に魔力を込め、伸ばした刀身で横薙ぎ。
噴き出した青い血がカーテンのように視界を遮る中、
「十五――ッ!」
次の攻撃に備え剣を構える。
その時、背中に触れる熱い感触。
「グレイン君生きてるぅ!?」
「ザコばっかりだァ!死ぬワケねえだろうが!」
「ふ~ん。何体やっつけたの?」
「数えちゃいねえ! だが百はやったなァ!お前はどうだよ?」
「ボクは四十八かなぁ。グレイン君頑張ってるねぇ」
「……だろ?」
二人とも息を乱しながら、軽口を叩きあった。
たった数秒。束の間のひと時。
互いの生存を声だけで感じ、戦意を高揚させる。
「センド君の分まで、頑張ろうね」
「おう……! 墓を作ってやんねえとなァ……!」
そうして、戦いを再開する。
幸い、俺達が降りた地点には大型の魔物は居なかった。
小型の魔物もアイリスの呪いの影響を受けているからか知性を感じず、ほとんどのヤツらは城の方を眺めているばかりで、こちらに気付いたヤツらも考えなしに突撃してくるだけ。
平時と比べて格段に弱体化しており、その上一斉に襲ってくるわけでもない。
砲台の魔獣による超長距離からの砲撃も初撃以降なく、俺達は順調に討伐数を伸ばしていった。
しかしどれだけ倒そうと、数百万の中のほんの一部に過ぎない。
そのうえ迫りくる敵を捌くのが限界で、前進することは叶わない。
アイリスがいると思われる魔王城は遥か遠くに見えるまま。
俺達の命は薄氷の上にあった。
大型の魔物がこちらに気付けば。
大勢の魔物に一斉に襲われれば。
砲台の二射目が来れば。
一つでも踏み抜けば即座に命を終える。
アイリスを救うことが出来なくなる。
センドを弔うことも。
センドが勝てると言ったことだけを心の拠所として、俺達は戦い続けた。
戦って戦って、いつの間にか限界を迎えていた。
一瞬、振り抜いた剣を構え直すのが遅れる。
その隙が、ちょうど魔狼の跳躍と重なった。
「――ッ!」
獰猛な牙が、左前腕と右の大腿の肉を食いちぎる。
激痛が更なる隙を生み、肉を吐き捨てた魔狼の追撃を躱せない。
右腕に二頭の魔狼の牙が食い込み、苛烈な痛みと共に血しぶきが上がる。
「――ッウルァアアアア!!!」
意識が明滅する中、咄嗟に右腕を地面に叩きつける。
魔狼の顎が緩んだ一瞬の間に、血みどろの腕で剣を振り抜いた。
その時、前方で轟音を伴った土煙が上がる。
立ち昇る粉塵の中に、無数の小型魔物が見えた。
「ついに来やがった……!」
轟音の正体は足音だった。
地鳴りの如き重低音が迫り来て、傷ついた内臓を揺らす。
魔物を搔き分けるようにして、そいつは来た。
「百腕の巨人……!」
岩壁を思わせる黒き巨躯から無数の剛腕を伸ばす二足の魔物。
左右に一本ずつ生えた一際大きな巨腕には、鉄塊を思わせる棍棒が握られている。
人の言葉を流暢に操る魔物だと聞いていた。
しかし張り付いたような笑顔を浮かべていて、とても理性があるとは思えなかった。
見開かれた両の目に俺が映っているのだと感じた時、全身の血が凍り付くようだった。
百腕の巨人に見いった瞬きほどの時間。
「危ない――ッ!」
ゲントルの鬼気迫る声と共に、強烈な打撃が背中を襲う。
受け身を取れずに地面に叩きつけられた俺は衝撃に呻き声をあげるが、すぐに漏らしたような悲鳴に変わる。
熱を帯びた液体が頭上から降り注いだのだ。
それは赤かった。
そして、あまりにも多い。
「ゲントル――ッ!」
咄嗟に振り返った。
でも、遅かった。
視界に捉えることが出来たのは、赤黒く染まった棍棒をつがえる百腕の巨人。
足元には、ぐちゃぐちゃに叩き潰された肉塊があった。
だが、激情すら覚える余裕もなく、強烈な存在感に背後を取られていることに気付く。
振り返った刹那、
「ぁ……!ぁあ……!!」
満面の笑顔が見下ろしていた。
無数の腕が俺を掴み上げた。
「――ァアアアアアアアア!!!」
手や脚、脇腹。
握られた場所が、綿みたいに容易く潰れた。
「マオウザマ、マダカナー?」
悍ましい声が、鼓膜を揺らした。
「イツ、ヒメザマ、グレルノ、カナー?」
「アショビダイネー? ダクザン、アショビダイナー!」
百腕の巨人が、そう言った。
俺に、ニヤニヤとした気色のわりい顔で。
痛いとか、苦しいとか、どうでもよくなった。
コイツを、コイツらを、魔王を、殺さないと。
殺意が瞬く間に増殖して、
「テメエら皆殺しにしてやるァアア!!!」
出せる限りの声量で叫んだ。
「ンー?」
百腕の巨人は張り付いた笑顔のまま首を傾げた。
俺の渾身の叫びは、ちょっとした威嚇にすらもならなかった。
手足を握るヤツの腕に力が入っていくのが分かった。
俺は怒りのままに叫び続けた。
手足を反対方向に引っ張られていた。
俺の叫びは痛みと恐怖に塗れる絶叫となった。
身体が真っ二つに裂けた。
叫ぶことすら出来ず、投げ捨てられた。
打ちつけられた先には、小型魔物が待っていた。
ヤツらは俺の残骸で遊び始めた。
ちぎったり、こねたり、叩いたり。
食べもせず、ただ弄ばれた。
俺は、そうやって死んだ。
そのはずだった。
バラバラにされた俺の身体が、まるで巻き戻したみたいに瞬時に再生したのだ。
傷も疲労も綺麗さっぱり無くなっていて、手のひらもマメ一つない、新品の身体。
再生した身体の胸部には、偽の勇気の紋章の代わりに円を描く矢印の紋様が浮かんでいた。
俺は祝福を受けたのだと気付いたが、即座に立ち上がることは出来なかった。
怖かったのだ。
身体が新品になろうとも、心はつい数秒前までの苦痛を覚えている。
生き返ったところで、あの巨人に勝てるわけがない。
身体が震え、剣を握ることすら出来ないまま、俺はまた小型魔物共の玩具にされた。
でも、今度は瞬時に身体が治る。
四肢をもがれる痛みが、内臓を引きずり出される苦しみが、延々と続く。
俺はただ叫ぶことしか出来なかった。
痛い、苦しい、でも立ち向かうのも怖い。
生き地獄だった。
叫び声につられたのか、百腕の巨人がこちらに歩み寄る。
「ナンデ? ナンデイギデルノ? オカ、シイネー?」
俺を見下ろしながら、悍ましい笑みを傾ける。
俺の恐怖に満ちた絶叫は聞こえてすらいないようだった。
「ハイ」
掛け声が聞こえた刹那、巨大な棍棒が俺の身体を肉塊にする。
でも棍棒が地面を離れた時には俺の身体は元通りになっていて、巨人は「ドウシテドウシテ」と呟きながら、俺を鷲掴みにする。
――また、アレをされる。
「ごめんなさいごめんなさいィ! もうやめてくださいィ!!」
俺は子供みたいに泣きじゃくって、笑う巨人に懇願する。
だが巨人はまるで探し物でもしているみたいに、首を傾げて俺の中身を漁る。
一回、二回、三回、四回……。
苛烈な苦痛の隙間にある僅かな死の感覚が、一つずつ積み重なっていく。
なんでこんな目に遭っているんだろう?
死ねない身体に壊れていく心が、呟いた。
すると、激烈な刺激に麻痺していたはずの脳が、かつて聞いた言葉を一つだけ取り出した。
『祝福には役目がある』
かつて、センドが祝福のことを詳しく話していた際に言っていた言葉だ。
俺は祝福なんて無かったからなあなあで聞いていたのだが、それだけは何故か頭に残っていた。
俺に突如授けられた『再生の祝福』の役目はなんだ?
そう考えた時、思い当たるのはただ一つ。
――アイリスを救う。
だって、俺はその為に――
「勇者になったんだ……!」




