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41話 追憶――グレイン・ランゲイル②


 深夜、俺は自宅近くの空き地で日課の素振りをしていた。

 日が昇れば旅立ちだから、寝たほうがいいのは分かっている。

 それでも、どうしても怒りが煮えたぎって、寝てなんていられなかった。

 

 強く、鋭く。

 それだけを考えて、一心不乱に剣を振った。

 だから、王城で起きていたことに気付きもしなかった。

 

 大きな足音が聞こえ、振り返る。

 すると、血相を変えたゲントルが駆け寄っていた。

「アイリスちゃんが居なくなっちゃった!」  

  

 ゲントルの叫びを聞いてすぐ、あの日の光景が浮かぶ。

 結界の中を覗き込む、夥しい数の魔物の目。

 

『ヒメサマ』

『ミツケタ』 

『ツレテク』


 人類と同じ言葉だから、意味は分かる。

 だが、底知れぬ悍ましさを感じたのを、今でも鮮明に思い出す。

 

 ――アイリスは魔物に連れ去れたんじゃないか?

 

 可能性を考えただけで、俺は吐いた。


「大丈夫!?グレイン君!?」

「……馬だ」

「うま?」

「そうだ馬だ……! すぐにアイリスを追う……ッ!」


 緊急事態だというのにセンドの姿が見えず、ゲントルの馬は用意できなかった。

 俺は単身で平原を疾走する。

 魔王の根城があると言われる西に向かって、ひたすら真っすぐに駆ける。

 夜の静けさが怖ろしく鮮明で、ぐちゃぐちゃになった頭の中と向き合う他なかった。


 結界の縁を示す刻印に超えてすぐ、

「……ッ!」    

 疑念が確信に変わる。

 

 大地を覆う見渡す限りの草花が、全てひしゃげていたのだ。

 まるで、幾万の足に踏みつぶされたかのように。


 そして、空気中に残留する狂気的な悪臭。

 先刻までここにいたであろう醜悪な化け物の、恍惚とした表情が目に浮かぶ。


 間違いない。

 アイリスは、結界を出た。

 そして、引寄せられた魔物によって、連れ去られたのだ。


「……殺す」


「殺してやる……ッ」  

 

「皆殺しにしてやる――ッ!」

 

 怒り、焦燥、不安。

 俺は感情の全てを殺意に変えて、馬を西へ走らせる。

 だが、刹那の内に地面から射出された鎖によって拘束され、落馬した。

 

「何しやがんだテメエ――ッ!」

 鎖による拘束魔法の使い手を、俺は知っていた。

 だから、振り返ることが出来ずとも、そいつに怒りをぶつけることが出来た。


「どこへ行くつもりだ?」

 センドの冷静な口調が背後から近づいてくる。

「アイリスを連れ戻しに行くに決まってんだろうがァ!? 邪魔すんじゃねえよ!!」

「なら落ち着け。まずは態勢を整えてからだ」 

 ヤツの平然とした態度はずっと気に入らなかったが、この時ばかりは許せなかった。


「落ち着け?整える?……ンなコト言ってる場合じゃねえよッ! 魔物に連れて行かれたんだぞ!? 今この瞬間もアイリスは怖え目に遭ってんだぞ!? すぐに助けてやらねえといけねえだろうがァ――ッ!」

 怒りのままに。

「ほどけよッ!? なァ!? ほどけって言ってンだろうがァ!?」 

 焦燥するままに。

「早くしろやァ――!!!」

 不安に押しつぶされるままに。

 叫んだ。

 

 でも、センドは沈黙した。 

 身体を拘束され、地べたに這いつくばり、何も出来ない俺に冷淡な眼差しを向けているに違いなかった。


「頼むよ……!なぁ……? ほどいてくれよ……」

 己の無力さを思い知らされて、

「アイリスが結界の外に出ちまったのは、俺のせいなんだよ……!」 

 張り詰めていたものがほころぶ。

「俺があの時、ちゃんと気付いてあげられたら……こんなこと……」 

 罪悪感が湧き出す。

 

 アイリスは、勇者が死ぬことに負い目を感じていた。

 それが、あの夜の出来事をきっかけに増幅して、思いつめていたんだ。

 そんなこと、少し考えりゃあ分かるはずなのに。

 俺は、アイリスを幸せにする為に魔王を殺す、それだけで頭がいっぱいだった。 

 

「行かなきゃいけないんだよ……。約束したんだ……。俺が……絶対……!」  

 悔しくて、涙が出た。

 俺はこれまでの勇者にはならねえと息巻いて、幸せにするとか、ただの女にしてやるとかそんな言葉だけ吐いて、

「俺が弱いから……! 安心させてやれなかったから……ッ! アイリスは一人で決めちまったんだ……!」 

 結局はアイリスに背負わせた。


「俺は……最低だ……!」

 嫌いだったどんな勇者よりも、俺は気持ちのわりいヤツだった。


「立て、グレイン」

 センドは鎖の魔法を解除して、温度の無い声を出す。

 うずくまったまま立てない俺に、言葉を続ける。


「先日奴らが言っていたことからして、アイリスが連れて行かれたのは魔王城だろう。魔物の体力と脚力ならば百日足らずで辿り着くだろうが、俺達はそうはいかん。今から追ったところで追いつくはずもなく、ここは旅の準備を整えた上で向かうべきだ」


「でもそれじゃあ……」

「俺達の到着が遅れれば遅れるだけ、アイリスは酷い目に遭うだろう。しかし俺達がロクな準備もせずに向かえば間違いなく死ぬ。そうなればアイリスを救う者が居なくなり、アイリスはそれこそ死ぬまで苦しむことになる」


 想像しただけで、腸が煮えくり返る思いがした。

 激情が血液を沸騰させて、耳鳴りがした。


 俺は痛む心臓を抑えながら立ち上がり、センドに向き直る。

「それだけは絶対許さねえ……!」  

 

 背後からアイリスの悲鳴を幻聴しながら、街に戻った。

 

 明け方、俺とセンド、ゲントルの三人は結界の外に出た。

 センドの召喚した馬を昼夜問わず走らせて、睡眠、食事は最低限に、ひたすら進み続けた。

 

 俺達の旅は順調だった。

 順調すぎた。


 百二十日の道程の中で、魔物と一匹も出会わなかったのだ。

 屍の森、砂の大地、獄炎の山脈……。

 西に向かうにつれ、魔力の影響が色濃く過酷な環境、危険な魔物が待ち受ける。

 そのはずだったのに、魔物の影すら見なかった。

 

 一日一日と過ごす度、俺の心にはどす黒い膿のような不安が広がっていった。


 凍てつく森を抜け、視界が開けた時、大気中の魔力量が跳ね上がるのを感じた。

 眼下に見下ろすは、人の住めなくなった魔物の巣窟――死の大地。

 空気が壊死したみたいに黒ずんで、太陽の光を血の色に変えている。

 草一つ見当たらない荒廃した大地が彼方まで延び、その先にようやく西の果てが見えた。

 

「大きな穴……かな?」

 ゲントルが呟いた。

 遥か先の大地が、円形に塗りつぶしたみたいにドス黒くなっているのを見てだろう。

 まるで、そこだけ世界から消滅してしまったみたいな、それがどんどん広がっていって、この世界を覆い尽くしてしまいそうな、異様さを帯びていた。


「いや、違うな」

 センドの言葉に俺達は意識を向ける。

 しかし、続く言葉は無かった。

 俺達は黙々と走り続けたが、募り続ける不安が呼吸を乱した。


 死の大地での行軍は、十日を要した。

 月光も日光も病んだ色に変えられて、常に景色が赤黒い。

 昼夜の感覚は曖昧になり、一帯が携えた悍ましさが、俺達に眠ることを許さなかった。

 

 だが、体力が尽きる前に俺達は辿り着いた。

 馬から降り、断崖の上から、大地を穿つ黒き大穴を見下ろす。

 

 俺は言葉を失った。

 

「……ウソ、だよね?」

 ゲントルも、現実と思えないようだった。


「嘘でも幻でもない。これは紛れもない現実だ」

 平然と応えるセンドは、あまりにも冷静すぎた。

 勇気の祝福が発動しているのだと、すぐに分かった。

   

 大穴は、大穴じゃなかったのだ。

 ただ丸くえぐられて、他よりも低くなっていただけの、黒い大地。

 中心には、文明を持たない魔物どもが建てたとは到底思えない、漆黒の巨城が聳えていた。

 そこが魔王城だと、俺達が目指していた場所だとすぐに分かったが、そんなことどうでもいいとさえ、その時は思った。

 

 黒い大地が、蠢いていたから。

 王都の何倍も広大な土地を、

  

 ――数百万の魔物が覆っていたから。

 

 大陸中の全ての魔物が集まっている。

 そう確信できるほどの、数と種類。

 

 そいつらは皆、魔王城を凝視していた。

 見開いた目をまばたきすらせず、自失したように涎を垂らす。


 双頭の邪龍が見えた。

 かつて大陸中に栄えたと言われる人間の文明を悉く滅ぼしたと言われる、厄災の魔物。

 ざっと視線を回しただけで、七十体はいた。


 百腕の巨人が見えた。

 北方の命を叩き潰した棍棒が鈍い光を放つ。

 百五十はいた。


 砲台の魔獣が見えた。

 山をも砕く魔弾を放ち、大陸の地形を変えた巨大な砲身。

 二千はあった。


 弄び殺す緑の原人(ゴブリン)

 殺戮しかしない黒毛の魔狼(ウルヴス)

 屍に寄生する触手尾(リーパー)

 血と臓物で出来た肉人形(デスマン)

 咀嚼し続ける大笑顎(スマイル)

 

 人を殺す為に産まれたような化け物共が、王都よりも広い大地を埋め尽くしていた。

 

 「こんなのどうしろって言うんだよ……」

 膝が力を失って、その場にへたりこんだ。

 ゲントルもうわごとを僅かに呟いて、同じように膝を折る。


 この世の終わりを見ているかのようだった。

 

 いや、本当はこの世界はとっくに終わっていたのだ。

 結界の祝福のお陰で、俺達は終わった世界で生きていられた。

 それだけだった。

  

 勝てるワケが無かった。

 大陸に住む人間の何十倍もの魔物を、三人で倒す方法なんて絶対に無い。

 

 絶望以外のコトなんて、出来るはずが無かった。

 

「グレイン、ゲントル。立て」

  

 センドだけが、立ち向かおうとしていた。

 勇気の祝福ってヤツは、つくづくイカレたモンだと思った。

「立ってどうするっつうんだよ!? 勝てるわきゃねえだろうがァ!? 俺達は城に着くどころか、ここを降りた途端に殺されて終わりだぁ!! 」 


「ならアイリスを諦めるのか?」


 冷淡な口調が、心臓を突き刺した。


「諦めたいワケねえだろうが……っ! でも……こんなもん……どうすることも出来ねえよ……」


 俺、センド、ゲントル。

 俺達は全員強い。だからどうしたっていうんだ?

 

 眼下を覆い尽くす数百万の異形共を殺しきって、魔王を殺して、アイリスを救う。

 そんなことが人間に出来るわけがない。


「ごめん……ごめんなさい……アイリス……!」  

 無力感に蹲り、涙がこぼれる。


 その時、

「グレイン、よく考えろ。俺が勝てない戦いに挑んだことがあったか?」

 センドがそう言った。

 

 無表情に魔物を見下ろす横顔に、俺は目を見開いた。

「まさか……詠んだのか?」


「あぁ」

 短く応えた。


 でも、信じられるはずもない。

「テメエが詠めんのはたかが数時間だろ……? その数時間で俺達がうん百万の魔物を殺すって? つくんならもっとマシなウソつけよ……!」


 勇気の祝福が、冷静なセンドに悪さをしているのだと思った。

「勇者ってのはどいつもこいつも……! 仲間が死なねえように考え巡らせんがテメエだろうが! ただの死にたがりになってんじゃねーよ!?」


「死にたがりか。確かにそうだな」

 センドは他人事のように言った。

「お前の指摘は正しい。勇者とは、魔物に殺されることを望む呪いを背負う者のことだ。現に俺も、魔物に殺されることを望んでしまっている」 


 勇気の祝福は、呪い。

 衝撃的な事実を、センドはただ事実として述べた。

 産まれてからずっと勇者に対し感じ続けていた気色悪さの正体に、俺は激情を隠せない。

 

「ふざけんじゃ――」

 殴り倒してやろうと胸倉を掴んだ時、

「だが、信じてくれ」

 センドは言った。


「俺を信じてくれ。グレイン、ゲントル。俺を信じて、戦ってくれ」 


 数百万の魔物を敷き詰めた黒い大地が、眼下で蠢く。

 一体で国を亡ぼすようなヤツもわんさかいやがる。

 誰が何と言おうと、世界最低の場所だ。

 人間の命なんかゴミみてえに遊ばれちまう。

 そこへ飛び込めと、呪われた死にたがりが言っている。

 

 そんなモン、一緒に死のうって言ってるようなもんじゃねえかよ。 

 

 俺は、そう思った。

 だから、自殺に付き合う義理はねえと、突っぱねてやるべきだった。

 

 でも、センドの空色の眸を見て、

「テメエ……マジで勝てると思ってやがるな……?」 

 思わず身震いした。


 死地に向かう奴の目じゃなかった。

 ずっと先、遥か未来を見ているような、熱い光を宿した目だった。

 相変わらずの仏頂面は、俺達を何度も救った、まさしく勇者の顔だった。


「あぁ」 

 愛想の欠片もねえ、いつも通りの短い返事。

 俺達が世界で最も信頼する、勝利の予告。

    

「……もう。しかたないなぁ」

 カインドが立ち上がる。 

「すごいイヤなんだけど、センド君が言うんだから、やるしかないよねぇ……?」

 未だ疑心暗鬼でありながらも、身体は熱を宿していた。


「あぁそうだ。理解したなら武器を構えろ」

 センドは崖下を見下ろしながら、応えた。

 

「くそっ……やってやるよ……!」 

 未だに勝てるイメージが湧かない。

 でも、センドに乗ってやろうと思った。


 どのみち、アイリスを救うにはここを超えるしか道は無い。

 どんなか細い可能性だろうと、それが目に見えた自殺行為だろうと、なんにだって縋りついてやる。


 力が滾る。


「まず俺が魔法で風穴を開けるから、お前らはそこに飛び込め」

「「了解」」

「俺はここから支援する。背中は任せてくれていい。お前らは心置きなく


 ――皆殺しにしろ」


「「了解!」」 


 断崖に並び立ち、眼下の大群を睨みつけた時、

「グレイン、最後に一つだけ伝えておく」

 戦意を最高潮まで昂らせやがった張本人が、水を差しやがる。

 

「んだよ……! 別れの挨拶は受けつけねえぞ?」

 怖気づいちまったか?

 わざと冗談めかして言った。

  

「先の未来で、アイリスを待て」

  

「……は?」

  

 聞き返した時には、既にセンドが杖を構え、魔力を練り上げていた。

 大気中の膨大な魔力が杖の先端にある宝玉に凝集し、眩い閃光が周囲を照らす。

「光の神よ。今こそ御身の剛力をもって、人に仇なす異形共に正義の鉄槌を下し給え」

 閃光はやがて、頭上の赤黒い曇天を穿ち、黒く蠢く大地に一筋の光を落とす。


「――『神の怒り(ゴッドレイ)』」    


 詠唱を終えたと同時、光は灼熱の光線となる。

 空気を焼き切るほどの超高温が、魔物の頭に降り注ぐ。


 轟音。烈風。

 世界が波打っていると錯覚するほどの衝撃が身体を打つ。

 黒く塗りつぶされていたはずの大地に、僅かな領土を手に入れた。

 

「……行くぞオラァ!!!」

「うんっ!」

 戦いの火蓋が切って落とされた。

 雑念を振り払うように咆哮し、ゲントルと共に断崖を跳躍する。

 

 勝てるワケが無いと思いながらも、俺達の表情は明るかった。

 センドが勝てると言っている。

 先陣を切り、こうして風穴を開けてくれた。

 

 結果は目に見えている。

 人間三人なんてちっぽけな戦力で、大陸中の魔物を一遍に相手取るとか、正気じゃねえ。

 だが、

 

 ――絶対に勝つ。

 

 そんなことを考える空中でのひと時。

 


 無数の魔弾が、俺達が跳躍した断崖を襲う。

 爆散した岩石と共に、赤い雨が降り注ぐ。


 着地した俺達のすぐあとに、なぜかセンドも降りてきた。

 断崖の上から援護するって、背中は任せろって、言ってたのに。


「おい……待てよ……!」

 

 頭だけで、降りてきやがった。

 


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