38話 役立たず②
書庫で記憶を見た翌日、ニョロはレイラを連れ立って街に繰り出した。
運動不足の両者の足取りは緩慢。
ニョロはレイラを担いで飛ぼうとしたのだが、泣き喚く姫君がそれを許さなかった。
王都エンシャンティアの外縁部――平民街。
実に壁内面積の半分を占めるその場所は、多くの民の活気が溢れている。
治安は巡回衛兵により保たれているが、狭小な路地も多く、それ故に歩き慣れない者が目的地に行きつくのは平易なことではない。
しかしニョロの歩き姿には確信めいた力強さがあって、レイラもまた、息を切らしながらそれに続いた。
目的地であるフューツ公園――住宅ひしめく中に歯抜けのように土を露出させた空き地に辿りついた頃には、とっくに昼食時を過ぎていた。
民はひと時の休憩を終え、午後の営みを始めている。
そんな中、公園には数名の人間がいた。
土遊びをする子供達と、ベンチでサボる不良衛兵。
「あ! 姫様だ!」
「ほんとだ! 可愛い!」
「尻尾の生えた子もいる! 飛ぶらしいぜ!?」
「えー!絶対嘘だ!」
「ウソじゃないよ! 母さんが前に言ってた!」
子供達は非日常的な邂逅に声を弾ませて、泥だらけで駆け寄る。
「おいガキども、わりいが大事な話があるから、どっか行きやがれ」
「え? なんで?」
「いいからいいから! 行かねえと怖え衛兵のお兄さんが逮捕しちまうぞ? あァん?」
子供達は文句を言いながらも、ちょうど空腹を感じたらしく走り去っていく。
衛兵はその後ろ姿を暖かみある眸で見送ってから、ニョロらのほうへ滑らせる。
「そんで何だっけか? 俺が勇者グレインだって?」
嘲るように言った。
「そうだ。不良衛兵クリンカー。お前はなぜ生きている? なぜ名を偽っている? 勇者グレインの物語はどこまでが真実だ?」
ニョロの感情なき物言い。
衛兵は声を弾ませながら「待て待て」と連呼して、
「グレインっつうのはアレだろ? 三百年も前に魔王と同士討ちになって死んだっつうヤツのことだろ?」
「そうだが」
「んじゃあ生きてるワケねえだろうがよ! それがなんでテメエの言う不良衛兵捕まえて、尋問みてえなコトになってんだ?」
「それは先から俺がお前に質問していることだ。なぜお前はここにいる?」
「ったく話が通じねえ……!」
衛兵は不機嫌そうに頭を掻いて、大きなため息をつく。
「まずなんで俺がグレインかもしれねえって思ってんのか、それを話せ。順序がちげえんだクソガキぃ」
「かもしれない、ではなく、お前がグレインなのは確定している」
「あーうっせえ! じゃあなんで俺がグレインなのか言えよ早くよぉ!」
半ば投げやりな衛兵は空を仰ぎ見るように姿勢を崩した。
ニョロは開いた股のスペースにちょこんと座り、「あァ……?」と怪訝な顔をする衛兵を無視して話し始めた。
「お前がグレイン・ランゲイルであるという根拠は四つある」
「結構多いな……って尻尾邪魔だなア!?」
目の前を揺れる桃色尻尾に荒げた声が飛ぶが、ニョロは無視。
「まず一つ目の根拠がコレだ」
ニョロはポッケから、書庫で見つけた鉄の指輪を取り出す。
すると、
「……これをどこで見つけた?」
剣のような冷たさを帯びた声。
「王城の書庫だ。『勇者アーサーの冒険』という絵本に挟まれていた。本に保護魔法が掛けられていたからそれほど錆びずに済んだのだろう」
「そうか……。貸してみろ」
衛兵の声色に温もりが戻る。
ニョロの手のひらから指輪を取って、まじまじと見つめる。
「これはお前が魔王討伐の旅に出る前日、アイリスに贈ったものだ。そしてお前の錆びた指輪と対になるものでもある」
ニョロは足と尻尾をプラプラさせながら、淡々と語る。
「鉄の指輪、それも錆びたものをずっとつけてるなんておかしい。きっとそこに深い理由があるはず。そうニョロは考えたのよね?」
隣に腰かけたレイラが付け加える。
粗野な振る舞いの衛兵を警戒しやや距離を取っていたのだが、ニョロに振り回されているところに親近感を覚えたか、微笑ましげに表情を緩めている。
「そうだ。お前の指輪にもアイリスとお前の名が刻まれているのだろう?」
衛兵からの答えは無い。
ニョロはふむふむと頷いて、
「そして二つ目。お前がいつも独り寂しく食事しているこの空き地は、かつてアイリスと『はむふれっど』を食べたパン屋があった場所だ。そうなのだろうレイラ?」
「ええ。土地履歴を調べたところ、百二十年ほど前まで『ジャム』というパン屋があった確認が取れたわ。今はフューツ商会が所有しているけれどね」
「だそうだ。お前の『はむふれっど』も当時の店の味を再現しているのだろう? 味の難解さ加減がちょうど同じだったゆえ、当時のお前の発言と合わせて根拠となり得ると考えた」
ニョロは足の気だるさを感じ、深く座り直す。
押し黙る衛兵の腹にもたれかかり、
「そして三つ目がお前が……」
「待て待て待て!」
突然声を荒げる衛兵。
ニョロの尻尾がぴくんと跳ね上がり、またゆらゆらと動き出す。
「どうした? 反論は聞くぞ」
「いや反論っていうか……」
顔を上げると、衛兵の困惑する顔が見えた。
そして横には拳を小刻みに前に出すレイラ。応援のつもりと見える。
「なんでそんなことを俺が知っているのか?――そう思っているな?」
「あぁ……」
「お前に初めて会った時に言っただろう」
ニョロはそう言って緩慢な動きで立ち上がった後、衛兵と対面する形で座り直す。
疑問符を顔いっぱいに浮かべる衛兵にぐっと顔を近づけ、
「俺はかつて姫だった、とな」
表情は特筆すべきことが一切ない無表情。
しかし尻尾がゴキゲンに揺れる。
レイラが何やら悔しそうにしているのは、おそらく決め台詞への羨ましさゆえ。
衛兵は手で顔を覆っていて、その隙間からは苦悩が見てとれた。
「まさか……そんなワケが……いや、ありえねえ」
自問するように繰り返し呟き、それを否定する。
一人の男が現実を直視できていない中、国の姫たるレイラはそれを見てご満悦。
王都エンシャンティアの昼下がりである。
でも、ニョロはその反応に首を傾げた。
「あり得ない? そんなことはないはずだが?」
「いや……ありえねえだろ? お前がまさか……そんな。だってもう三百年だぞ?」
衛兵は置かれた状況の不合理さに憤りを覚えているようだった。
そんな衛兵にニョロは平然と言う。
「お前はいつかアイリスが帰ってくると思っていたのだろう?」
「んなワケねえだろ!? 俺はもうとっくの間に諦めて……」
「なら何故、お前はあのとき壁の外にいたのだ? 結界に壁。周辺の魔物は駆除済。門も近くないあの場所で、何をしていたというのだ?」
かつて、ニョロは衛兵を誤解していた。
粗暴ゆえに仲間外れにされて、壁の外で暇していたのだと。
でも、そうじゃないのだと、今ははっきりと分かる。
「お前はずっと待っていたのだ。約束の為にパンを作り続け、壁の外にいるかもしれないと探し回りながら。アイリスと過ごしたこの街で、自身の名をクリンカーと偽ってまで」
衛兵の顔が歪む。
粗暴さが完全に抜け落ちた、潤いを含む眼差しがニョロを見つめる。
「話せグレイン。お前が過ごした三百年を」
グレインの呼吸が乱れ、嗚咽が混じる。
鍛えた身体を弱弱しく震わせて、何度も頷く。
「アイリスは、ちゃんと帰ってきたぞ?」
ニョロの尻尾がおずおずとグレインの頭へ伸びて、優しく触れる。
撫でている、とは言い難いが、つついているわけでもない。
そんな、中途半端な接触。
しかしそこには確かな慈しみが、不器用な愛情があった。
「俺は……俺はァ……!」
涙を零すグレインが、華奢で小さな身体を抱きしめる。
ニョロは尻尾だけを動かして、なすがまま。
「ずっと……待ってた……!待ってたんだぁ……!」
「お前が居なくなってからずっと……!」
「うわあああん――!!!」
まるで子供のように、目も憚らずに泣いた。
グレインの姿はニョロの心を激しく揺さぶって、少女の目も潤いを帯びた。
じわじわとそれが涙に変わろうとする時、
「まあ俺はアイリスではないがな」
ニョロは呟いた。
「えぇ……?」
グレインの涙はすぐに乾いた。
それを見たレイラは、さっと顔を伏せた。




