34話 グレインという男②
――勇者グレインが生きていた。
レイラが呟いた仮説は、ニョロがいくら思考しようと至ることの出来ないものだった。
アイリスの記憶を垣間見るニョロにとって、グレインとは与えられた蛮勇によって旅に出ようとしているだけの、過去四十九人の勇者と同じ末路を辿る者だった。
ゆえに現代に伝わる勇者グレインの輝かしい歴史に嘘がある場合、それは魔王討伐を成した者が別の者だった、という仮説を立てたのだ。
しかし、レイラは違った。
頭の中にあるいくつもの部品を積み上げていくように立ち上がり、
「だって魔物をほぼ絶滅まで追いやった男なのよ? 魔王がいくら強くたって、たかが一匹の魔物! グレインは魔王を討伐した後、自分の足でそのことを伝えたのよ! 相討ちということにした理由はわからないけれど……そうよ!そうだわ! 勇者グレインは死んでいなかったのよ!」
レイラは勇者の力を信じて疑わない様子。
確かに一理ある。
魔王といえど、大陸中のほぼ全ての魔物を単独で殺した男と同等の実力を持つとは思えない。
勇者が生還し討伐の旨を王家に伝えたと考えれば、軟弱な人間共が魔物の巣窟での出来事を知ることが出来たことと辻褄があう。
しかし……。
「ねえニョロ? あなたもそう思ったから、勇者を調べようと思ったんでしょ?」
レイラの好奇心に満ちた眸を、ニョロは真っすぐに受け止めることは出来ない。
仮に「グレインは祝福に踊らされただけの蛮勇だった」と無情な真実を答えた場合、どうなるかは目に見えているからだ。
彼女は優秀な頭脳を持つ。ゆえに一つの情報からでもニョロと同じ仮説までたどり着くだろう。
そして、ゆくゆくはボックスが人生を賭してひた隠しにしてきた真実に手を届かせる。
そうなれば、ボックスの数百年の努力が無駄になってしまう。
ニョロはじいじとアイリスを会わせる為に、じいじと決別することを決めた。
だから、アイリスの記憶を紐解けるなら、ボックスを傷つけることも厭わない。
それが最終的にじいじの為になるのだから。
でも、こればかりは約束をしたことだ。
真実は究明するが、それをみだりに人に話したりはしない。
「その通りだ」
目を逸らしたまま、短く応えた。
「あなた、ウソが下手ね」
間髪いれずに、レイラが言った。
ニョロはレイラの洞察力を甘く見ていた。
「やっぱり話す気なかったんじゃない……。 折角ここまで二人で頑張ってきたって言うのにあんまりだわ」
レイラは天井を仰ぐようにしながら、ため息まじりに言う。
「聖堂で何があったの?」
表情をとりなしてから、押し黙るニョロに聞く。
「……何もない」
「ウソおっしゃい。何も無かったらなんで魔力切れで寝込んだりするのよ?」
ニョロは目と尻尾を泳がせながら、言い訳を考える。
でも、レイラは待ってくれなかった。
「魔性の呪い」
「――!」
レイラの呟きに、ニョロの尻尾が飛び跳ねる。
「目は口ほどにものを言う、って言葉があるけれど、あなたの場合は尻尾ね」
彼女は微笑しながらそう言って、表情を固めたニョロの周りを漫遊する。
「お休み中の貴方がうなされながら言ってたの。『魔性の呪い』『私だったんだ』『私のせいで……』ってね。聞いた時は全く意味が分からなかったのだけど、貴方がそれを隠そうとしたことで、全てのピースが嵌ったわ。
――私が受け継いだこの紋章は、結界の祝福紋ではない。そうでしょ?」
「……何を根拠に」
「貴方がアイリスの記憶を見るのは、記憶に連なる何かに触れたり、触れた上で眠ったりした時。つまり、貴方がうなされながら見ていた記憶は、聖堂で新たに知り得た情報が鍵だったということになる。そしてそれは私の右手に刻まれた祝福紋にまつわること、と考えるのが自然。とすると、貴方が何を『魔性の呪い』だと言い、何に自責の念を覚えていたのかは自ずと見えてくる」
「そもそもずっと違和感はあったのよ。数ある祝福の中で、結界の祝福だけがあまりに特殊すぎることにね。継承とか無意識下での発動とか、まるで何かを隠す為にこじつけてるみたいじゃない? それが『呪い』という言葉を聞いてストンと落ちた。これが祝福ではない別の何か――その『魔性の呪い』とやらなら、誰かさんが隠してこじつける意味も理解できるわ。そしてその誰かさんのことが大好きなお嬢さんが、下手な嘘までついちゃったコトもね」
レイラはまるで全てを見透かすような視線を送ってから、いたずらに笑う。
一方のニョロは、看破されてしまった罪悪感と気恥ずかしさから、前に持ってきた尻尾をモミモミ。
すると、レイラはニョロをぎゅっと抱きしめて、
「大丈夫。誰にも言わないから」
と、耳元で囁く。
「本当か?」
「ええ。ホントよ。だってこんなのバレたら一大事だもの」
ニョロはじっと考えた後、
「……ありがとうございます」
と、レイラと頬を合わせあった。
それから、ニョロはレイラに見たことを話した。
聖堂にボックスが現れ、催眠魔法を使ったこと。
レイラの右手甲に偽物の紋章を刻んだこと。
ボックスが結界の祝福者であったこと。
そして、記憶で見たこと。
「……魔物を惹きつける呪い?」
「そうだ。夥しい数――王都の人間をものの数分で皆殺しにできるほどの数の魔物が、爪の先が結界の外に触れただけで現れたのだ」
レイラは顔を引きつらせながらしばし熟考した後、
「でもその呪いはどこかのタイミングで消滅して、今はボックスが『結界の祝福が姫に継承される』という嘘の辻褄合わせの為だけに、同じ見かけの紋様を刻んでいる……ということでいいのよね?」
ニョロが頷くと、レイラは安堵を湛えた表情でへたりこんだ。
「じゃあ私が結界の外に出ても、魔物に群がられたりはしない、ってことね……!」
「そのはずだ。出る予定でもあるのか?」
「だって私は姫探偵なのよ? 世界の謎を巡らなきゃ!」
レイラは茶目っ気たっぷりの笑顔を見せる。
好奇心旺盛で何にも縛られない性質の彼女にとって、右手の紋章が何の力も持たないことは自由を意味する。
ニョロは「そうか」と淡泊に返したが、揺れる尻尾はレイラをよりゴキゲンにした。
「それで、さっきの勇者についての推理はどうだったの? 合ってたの?合ってたんでしょ?」
ずいと顔を寄せ、眸を輝かせるレイラ。
ニョロはあまり嫌じゃなくなったことを感じながら、
「完全に的外れだ」
「え……」
大層自信があったらしく、口をあんぐりとさせたレイラに言葉を続ける。
「勇気の祝福とは、魔物に対する恐怖を覚えなくなる、というだけの力だ」
「……本当なの?」
「真実だ。その上、グレインには魔王を倒せるほどの実力があるとは到底思えなかった。あれは平凡な人間だ」
シュンとしたレイラは俯きがちにニョロを見る。
推理を看破されたことが効いているらしい。
「それじゃあ、貴方はどう考えているの? まさか……アイリスが倒した、なんて言わないでしょう?」
「それ以外にあるか? アイリスの母が祝福を再継承した、というボックスの言い分から考えて、呪いが継承されなくなったのはおそらくアイリスの失踪がきっかけだ。勇者が大した力が無いとなるとアイリスが何らかの方法で倒した、と考える他ない」
レイラは納得できない様子で口を歪ませながら熟考。
その結果、
「やっぱりそれはおかしいわよ。仮にアイリスが強くても、数万の魔物に囲まれた状態で無事魔王城に辿り着き、魔王を仕留めるなんてことが出来るとは到底思えないわ」
「ならやはりグレインが倒したとでも言うつもりか? 魔物を前にして震えていた男だぞ? それこそ到底考えられない」
「ちょっと待って……震えていた?」
何かに気付いたようなレイラが目を鋭くさせて言った。
「そうだ。幾万の魔物を前にして、鎧から音が鳴るほど身体を震わせていた。ヤツが魔王に敵わないと考えたからこそ、アイリスは自責の念に駆られ……」
記憶で見た情景を振り返りながら言葉を紡いでいたニョロが、ハッとする。
「恐怖を感じていた……?」
――アイリスの記憶に存在する矛盾
勇気の祝福の力によって蛮勇を手にしたはずの男が、魔物に恐怖していた。
それが意味することはつまり……
「グレインは本物の勇者じゃない……ということか……?」
二人は顔を見合わせて、混沌を深めるアイリスの時代に思いを巡らす。
魔性の呪い、アイリスの失踪、魔王の死、ボックスの嘘。
そして、グレインの正体。
ここへきて、グレインという登場人物の存在感が高まる。
「もっと調べてみましょうか」
「そうだな」
レイラ主導の元、勇者グレインに関する書物を総ざらいすることになった。
しかし、結局新たな情報を見つけることは出来ないまま、日没を迎えることとなる。
「う~ん。これもダメね」
レイラは眉間に皺を寄せながら、本を床に投げ捨てる。
そうやって積み上げられた本の山は彼女の書斎こと汚部屋を連想させ、ニョロは冷たい視線を送る。
それにしても、姫になったばかりだというのに一日中書庫にいるとは、人間は本当にこの女に政を任せるのだろうか。
ぶつぶつと何かを言い始めたレイラから離れるように、ニョロは手のつけていない書棚に向かう。
レイラいわく、グラフト以前の勇者について書かれた古書が並べられているとのこと。
どれも年季が入っており、饐えた匂いがする。どうやらかなり古いらしい。
適当に一冊、低い場所にある書を手に取ってみると、わずかな魔力を感じた。
施されているのは劣化を防ぐ魔法だが、魔法自体に綻びがあり、もう長くは保てないだろう。
表紙を見ると、剣を掲げる男と寄り添う女が描かれている。
(勇者アーサーの冒険……)
ヒメが呟いた。
「知っているのか?」
(んーん。読んだだけ)
「そうか」
ヒメが字が読めるという新事実に、ニョロは僅かに違和感を覚える。
ただ、それは優先すべきほどのことではない。
たしか勇者アーサーは、アイリスら当時の子供が憧れた男だったはず。
「では代わりに読んでくれ」
そう言って、本をめくる。
癒着しかけていた紙同士がバリッと音を立て、少し尻尾が跳ねる。
(わかったー)
ヒメの返事が脳内に響いた時。
裏表紙の辺りから、スルリと一枚の紙が抜け落ち、
床に落ちた際に甲高い音を立てた。
「なに!?なんの音!?」
レイラが少し離れたところで騒いでいる。
「何かが本から落ちただけだ」
尻尾を高々と吊り上げるニョロは冷たく彼女をあしらって、紙を拾う。
紙とは思えない質量を感じ、ニョロは紙を掲げてまじまじと観察。
すると、またしても紙の間から何かが抜け落ちて、先ほどよりもやや鮮明な甲高い音。
「なんだ?」
ニョロはコロコロと転がるそれを追いかけて、棚に当たって止まったそれを拾い上げる。
それは――指輪だった。
わずかに錆を帯びた鉄の指輪。
「さっきから何なのよ!」
進捗の無さから不機嫌なレイラがいつもより足音を立てて近づいてきて、ニョロが見つめる指輪に気付く。
「鉄の指輪なんて、趣味が悪いわねぇ」
普段全裸で過ごしている女が言えることでは無い、と思ったニョロだが、その意図を込めた視線を送るだけ。
「あら裏に何か書いてある……ア……イ……」
レイラは目を細めながら、ぽつぽつと読み始め、途中から言葉を失う。
「どうした?何が書いてある?」
手元を背伸びしながら覗き見るニョロに、レイラは答えた。
「二人の男女の名前が書かれていたわ。男はグレイン・ランゲイル。女がアイリス・ランゲイル。つまりこれは
――アイリスとグレインの結婚指輪ね」
そう聞いた途端、ニョロの意識が遠のく。
四つ目の記憶の蓋が開く。




