31話 追憶③ー3
大衆酒場とは往々にして騒がしく下品だと聞いている。
この酒場とて、それは同じだろう。
でもこの日ばかりは、冬の墓場を思わせる冷ややかな静寂が流れていた。
というか、私が流していた。
中でも、キンキンに冷えた床に正座する二人の男にとっては、本当にここが墓場になりえる状況だ。
私は彼らの周りをゆっくりと歩きながら、冷酷な視線を落とす。
「貴方達。いいかしら? この国の姫であるこのアイリス・エンシャンティアに対して無礼を働き、あまつさえいかがわしい魔法を使用して私に乱暴させようとした。この意味が分かる? 巨人の貴方」
「ふ、不敬罪です……」
私に発情期だのなんだとほざいたゲントルは目いっぱいに縮こませた大きな身体を震わせながら、私が優しく教えた通りの罪状を述べる。
「そう。不敬罪。貴方達はね、不敬罪を犯したのよ。エンシャンティア法典第四条によれば、不敬罪を犯した者はどうなるのかしら? 陰気な貴方」
「……極刑」
グレインにいかがわしい魔法をかけようとしたセンドは日陰者らしく俯いたまま、私がすこーしだけしっかり教えた刑罰を述べる。
「その通り。私が貴方達にされたことを城に持ち帰れば、貴方達の首と身体がお別れすることになる。つまり――」
しっかり溜めた後、彼らの耳元まで近づいて、
「――私はいつでも貴方達を殺せるってこと。お分かり?」
私の言葉に彼らは必死に頷いた後、
「「アイリス様。この度の多大ナルご無礼、大変申し訳ごザイマせんデシタ。また、恩赦を賜りマシタこと、ソノ叡慮には最上の感謝を申し上げると共に、コノ不肖なる我々の全てをモチマシテ、貴方サマに捧げルことをココニ誓いマス」
私がちゃんと教えてあげた言葉を述べた。
これで彼らは私の言いなりとなったワケだから、結果的に追い風が吹く形となったわけだ。
「よし。特別に許してあげる」
彼らは安心したように息を吐き、姿勢を崩す。
すると、センドが話しかけてきた。
「アイリス姫。何故姫であるお前があれほどの魔法を使える? 護身としてある程度学ぶとは聞いているが、お前のそれは尋常ではない。それどころか、十六歳という年齢を鑑みれば、いずれ魔法使いの頂にすら手が届くほどの才だ」
彼は私の魔法の凄さに気付いたようだ。
じいじの反応からしてこうなるだろうとは予想していたけれど、やはり私は強いらしい。
私を旅に連れていくかどうかをグレインが判断する際、同じ魔法使いである彼の意見は有効だろうから、私の力を教えておくのは良い手ね。
お前呼ばわりは流石に張り倒してやろうかと思うけれど、まあ物凄く褒めてくれているから不問にしてあげる。
「同じ魔法使いのよしみで教えてあげる。私の『吸収の祝福』の力よ」
「吸収? アイリス姫は『二つ持ち』だったのか。して、それはどういうものだ? 何が出来る?」
「魔力を吸い取って自分のものに出来る力よ。人に触れたり魔法を受けたりすれば吸収できるわ。だから私に魔法は効かないし、魔法を吸収したらどうやってその魔法を使うのかも分かるの」
「最高の魔法使いであり、魔法使い最大の天敵、ということか。治癒魔法は使えるのか?」
「もちろん」
私の肯定に何やら思わし気に頷いた後、センドはグレインを呼びつける。
「グレイン。アイリス姫を魔王討伐の仲間に加えるべきだ」
「――! テメエまでそう言うのかよぉ……」
グレインが項垂れる一方、私は表情の綻びを抑えることが出来なかった。
まさに作戦通り。完全に私の思い描く通りにことが進んでいる。
「彼女がいるといないでは旅の成功率が段違いだ。無論、彼女が結界を出ても問題なければの話だが、彼女を結界の中で遊ばせておくのは人類にとって損失だ」
「そうは言うけどなぁ……。そんなにスゲエのかよ?」
「世界最強になれる可能性がある逸材、と言えばわかりやすいか。実力だけで言えば、世界を救う旅に彼女を連れていかないのはもはや魔物に与していると思われてもおかしくないほどの愚策。彼女が参加しないなら俺も降りる決意を今したくらいだ」
「マジか……」
もうこれはほぼ決まり、と考えてもいいだろう。
あとは結界のことだけ。
それも、センドの力で危険を冒さずに調べることが出来る。
ここまでの流れが完璧すぎて、もはや世界が私の為にあるのではと勘繰ってしまうくらいだ。
私は上機嫌に手を叩きながら、話を次の段階に進める。
「それじゃあ結界を出ても結界が消えないのかどうか! 早速『人詠の祝福』で詠んでくださるかしら?」
すると、センドは少し考えた後、
「それなら結界の近くまで行ってからの方がいい。俺の『人詠』で見れるのは前後の数時間。よって出来るだけ結界に触れる直前で詠むべきだ」
センドは大予言者というわけでは無いらしい。
でも結界への影響が分かれば充分。
納得した私達は月夜の下に繰り出した。
王都を守る「魔物を通さない結界」は周辺の森や川などを巻き込んだ、かなりゆとりを持たせた大きさになっている。
仮に結界を魔物に包囲されても五万人もの民が飢えないようにする為だ。
街を出ると、センドが三頭の馬を召喚する。
その内一頭が明らかに大柄だった為、すぐにそれがゲントル用だと分かった。
一頭足りないのだけれど、と言おうとした時、
「ほらよっ」
とグレインが私を抱え上げ、白い馬に乗せてくれた。
すると彼も同じ馬に飛び乗ると、私を後ろから抱きしめるように手綱を握る。
「あぶねえからちゃんと捕まってろよ?」
私から彼の顔は見えないけれど、きっといつもの子供みたいな笑顔をしているのだろう。
彼のことだ。
絶対に今の状況が、エンシャンティアの女の子にとってどういうものなのかなんて知らない。
――勇者の絵物語の最後のページ。
魔王を倒し、姫を救い出した勇者が白馬に乗って城へ帰る。
姫を後ろから抱きしめるように手綱を握る勇者が、姫に言う。
『しっかり捕まっていてくださいね』
同じなのに、全然違う。
絵物語の勇者は聡明で、礼儀正しくて、美しい。
グレインはおバカで、口が悪くて、小汚い。
絵物語と現実はあまりにも違う。
絵物語の勇者を見た幼い私は、未来の勇者にこうされることを夢見ていた。
ドキドキして、ニヤニヤして、もじもじした。
でも今は………
「おいなんで手ぇ離すんだよ! 掴まれって言ってんだろ!?」
心臓が今にも飛び出そうなくらいバクバクしてる。
顔も熱くてたまらなくて、笑ってなんていられない。
顔を隠すのに必死で、身じろぎする余裕なんてない。
あの頃の私に教えてあげたい。
――現実のほうがずっとずっと凄い、って。
――――
月夜の草原を一時間ほど走らせると、結界の縁を示す刻印が見えてくる。
結界は目に見えないから、誤って結界に出てしまわないように印を打ってあるのだ。
私達は馬から降り、結界の直前まで近づく。
すると、センドが魔法の光を取り出して、結界をぼんやりと可視化させた。
「アイリス姫。準備はいいか?」
センドの問いに頷くと、彼は自分の「祝福」について話し始めた。
「俺の『人詠』は前後数時間程度の過去と未来をみることが出来る。だがその内容を詳しく話すことは出来ない為、見た内容によっては俺に判断がつかない場合がある。その時は俺に『はい』か『いいえ』で答えられる質問をして、アイリス姫が結界を出るかどうかを判断してくれ」
「わかったわ」
彼は私の返事を聞いた後、私の手に触れる。
その瞬間、
「――!?」
センドは苦悶の声を上げて膝を折った。
彼の表情は見えないが、良からぬものを見たことは言うまでもない。
そう判断した私は、取り決め通り問いかける。
「結界に何か問題が起きたの?」
「いや……違う」
センドは首を振るが、その異常なほどに困惑した様子は私達に緊張をもたらした。
でも、私が結界を出たことによって起こりうる悲劇として想定していたのは、結界が無くなる、もしくは小さくなること――つまり結界の異変だ。
だからこそ結界が無くなるか、ではなく包括した言い方をしたのだが、そうではないらしい。
そうなると考えられるのは………
「誰かが怪我、もしくは死亡するの?」
「違う。違うが……これは一体どういうことだ? 意味が分からない……」
狼狽を声に漏らす彼に、全員が小首を傾げる。
結界に異変は無く、誰も死なないのであれば、他に何があると言うのだろうか?
「どうすんだアイリス? なんかヤベえ予感がするぜ」
「うん。センド君がこんなに動揺するのは初めて見たからねぇ」
グレインとゲントルはあくまで私に判断を委ねる構えではあるものの、その表情は警戒の色が強い。
とにかく想定外の何かが起こることは確定。
しかし、誰も怪我せず結界も問題ないのであれば、ひとまず民を危険に晒すことは無い。
だからこそ、私が旅についていく為には先々の懸念になることは今確認しておくべきだ。
見たところ周囲に魔物も居ない。
ここはひとつ将来の為――踏み出すしかない。
「一瞬。一瞬だけ、出てみるわ」
私の決断に、グレインが大きなため息をつく。
すると、彼とゲントルが顔を見合わせた後、二人して結界の外に踏み出した。
「何があっても俺らが守ってやるから、俺らと結界の間に来い! 出たらすぐに戻れ!」
グレインとセンド、そして結界。
三つの壁に囲まれた、一人分の空間。
おそらく結界の外で一番安全な場所だ。
「じゃあ行くわよ? さん……にい……いち……」
数を数えながら限界まで近づいて、右手を前に出す。
「ぜ……」
恐る恐る、震える人差し指を差し出して、結界をなぞる。
「ろ」
爪の先が、僅かに結界の外に触れる。
――その刹那。
「戻れええええええ!!!!!」
グレインの並々ならない咆哮。
その声は確実に私に向けて送られた言葉であるはずなのに、とてもそうは思えないほどの「怒り」が込められていた。
それはまるで死に瀕した獣の断末魔のようにも、遥か彼方にいる何かを威嚇するようにも聞こえた。
えも言えぬ恐怖を覚えた私の身体は、完全に硬直してしまう。
しかし、次の瞬間にはグレインが身体を翻し、私を庇うようにして結界に逃げ込んだ。
ゲントルは私達を担いで後ろに下がらせると、私達に背を向けて結界の外を威嚇する。
「な、なにが……」
声を震わせる私に、ゲントルの背中が答える。
「くるんだ」
そう言った彼の身体中の筋肉が膨張し、赤い蒸気が立ちこめる。
沸き立つ体温が伝わってくるほどの明らかな臨戦態勢。
それなのに彼の声は酷く冷たくて、それが本当に恐ろしく感じた。
グレインとセンドも立ち上がり、私を守るように武器を構える。
「なに、が……?」
私は体中の血が氷水のように冷たくなるのを感じながら、必死に口を動かした。
答えてくれたのは、グレイン。
「魔物が来やがるんだよ!! それも数匹とか、数十匹とか、そういう次元じゃねえ!!!」
そのあとに続く言葉を聞く前に、私もようやく気付くことが出来た。
地鳴り。
羽ばたき。
這いずり。
何かがこちらに近づいてくる――轟音。
そして、視界が僅かにとらえ始めた。
空を埋め尽くす影。
蠢く大地。
「この周辺にいやがる魔物――その全部だ!!!」
ビタ
嫌な音がした。
ビタビタ
何かが張り付いた音。
ビタビタビタビタ
見えない壁が、少しずつ見えるようになっていく。
私は今、壁に見られている。
ビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタ
壁に目が増えていく。
赤くて、大きな、目。
目が積み重なって、壁が出来ていく。
ビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタ
ビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタ
数百………数千………数万。
たくさんの目が、結界の中を覗き込む。
――音が止んだ。
でも、別の音がしはじめた。
『ヒメサマ』
『ヒメ』
『ヒメサマ』 『ヒメ』 『ヒメサマ』
『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメ』ツ『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメ』ケタ『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメ』『ヒメ』『ヒメサマ』ミ『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』ツ『ヒメ』『ヒメ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』ケ『ヒメ』『ヒメサマ』タ『ヒメ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメ』ミツ『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメ』『ヒメ』ケ『ヒメサマ』『ヒメサマ』タ『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメ』『ヒメサマ』『ヒメ』
彼らは皆、私を見ている。
私のことを、呼んでいる。
自分の右手甲に浮かぶ人型の紋様を見て、私は確信した。
――嗚呼、これは私に課せられた「呪い」なのだ、と。
『ミ ツ ケ タ』
私の「呪い」が、赤黒く瞬いていた。
彼らの呼び声に応えるように。




