30話 追憶③ー2
「結界の外ってお前……まだダメに決まってんだろ!? 結界が無くなっちまうってあの長生き執事も言ってたじゃねえかよ!? 俺がちゃんと魔王倒しゃあ出れるんだからそれまで待てねえのかよ?」
私の提案に、グレインは腹を立てているようだった。
彼の怒る気持ちは理解できなくもない。
彼は私を連れ出す為に、姫というしがらみから解き放つ為に、魔王を倒そうとしてくれているのだ。
私が結界の外に出たいと言い出すのは、彼にとっては自分の自信や努力を戦う前から否定されたような気がしたのだろう。
それに関しては申し訳なさを覚える。
しかし、この反応は想定済みである。
「待てないとかそういう話ではないの。その長生き執事――ボックスが言う『結界が無くなる』というのが本当かどうか確認したいのよ」
すると、グレインは呆れたような顔で小首を傾げた。
「は? そりゃあ一体どういうことだ? テメエが作ってる結界が消えるかどうかテメエで分かってねえのかよ?」
「貴方も祝福者なんだから知っていると思うけど、祝福は発動を意識して効果を発揮するものと、無意識下で常時発動しているものがあって、私の結界は後者。つまり今ある結界は私が張ろうとして張っているわけじゃないの。だから結界がどうすれば無くなるのかも、どうやって作るのかも把握していない。今張っている結界が能力上限だから新しい結界を作れないということと、王都の外に出れば結界が無くなるということをボックスから『聞いた』だけ」
「だからあの爺さんは結界から出るなって言ってんだろ? 無意識に張ってて消し方も分かんねえ結界がもし消えちまったら、やべえことになんだぞ? それを分かって言ってんのか? お前がいくら可愛いからってそれは許さねえぞ?」
グレインの語気が強まって、私を咎めるように眉を顰める。
そんな彼の視界を遮るように手で制し、
「もちろん考えなしに試す、ってワケじゃないわ。私は民を危険に晒す可能性は低いと考えている」
「その根拠はなんだ?」
私の手をどけたグレインに再度、私は二本の指を立てた。
「今私達を囲んでいる結界は街の周囲にある『魔物を入れない結界』と城の周囲にある『誰も入れない結界』の二つ。もし結界の解除条件が『祝福者が結界の外に出ること』だった場合、何故私は毎晩城の外に出られるのかしら?」
「そりゃあ……色々あんだろうよ? 結界ごとに解除条件が違ったりすんじゃねえの?」
以外にもまともな反論が返ってきて驚いた。実は頭も切れるのかも。
しかし彼が考え着くことなら当然私も考えたことだ。
「確かに魔物だけに作用するものと全生物に作用するものがあるのだから解除条件も違う、なんてあり得る話だわ。でも考えてみて? 魔物だけに対象を絞った結界の解除条件が、全生物に作用する結界――つまりより強力な結界よりも厳しいのはおかしくないかしら?」
グレインは少し悩まし気に呻ると、小さく頷く。
「つまり強え結界を自由に出入りして問題ねえから、それより弱え結界から出ても問題ねえんじゃねえか、って言いてえワケか。こんな可愛い上に賢いのかよ。やっぱすげえな!」
「その通り。ボックスは心配症だから、私が危ない目に遭わないように嘘をついている、と考えているわ」
彼は私の言い分に粗方納得したように見えた。
だから、私は本題に取り掛かる為、少し姿勢を正す。
咳払いをして喉を整えて、
「それで、なのだけれど。もし私が結界の外に出ても問題ない場合、貴方の旅についていくから」
「あ?」
彼は数秒私の言葉を反芻するように沈黙したあと、間の抜けた声を漏らした。
「だから、貴方と一緒に魔王を倒しにいくって言っているの。私が戦えるのは知っているでしょ?」
理解していないようだったから改めて伝えてあげると、彼の形相は一変した。
「ダメに決まってんだろうがぁ!? 結界の外に出て問題なかろうがテメエが死んだら意味ねえだろ!? 俺ら勇者が魔王討伐に出られんのは結界があってこそなんだよ! それは王族のテメエらが一番知ってることだろ!?」
グレインはまるで私のことをわがまま聞かん坊のように怒鳴りつけた。
こうやってすぐ怒鳴るところは好きじゃない。
……いや別に他のところが好きってわけでは決してないけれども。
しかし弱者扱いされるのは腹が立つ。
「だから戦えるって言ってるでしょう。私は吸収の祝福者でもあるのよ? もしかしたら貴方より強いわよ?」
私が挑発的に言ってやると、彼は鼻で笑う。
「吸収だかなんだか知らねえが、俺より強いは吹かしすぎだぜ? 魔物と戦ったこともねぇ奴が調子のんじゃねえぞ?」
挑発されると、自分に自信があるグレインは必ず乗ってくる。
そう確信があった私はつい口元を緩ませる。
「じゃあこうしましょう。これから私は結界の外に出て、貴方の前で魔物と戦う。もし貴方がついていっても問題無いと判断したら私を旅に連れていく。どうかしら?これなら万が一の時も貴方が守ってくれるんだから安心でしょう?」
私の提案に、彼は顔を顰めた。
「そんなことさせてたまるかよ! もしそれでケガでもすりゃあ……」
そもそも私を危険な目に遭わせたくない彼にとっては、私が強いかどうかなど知る必要は無いのだろう。
だが、私は自信がある。
実践経験など無くてもそこらの魔法使いとは比べ物にならない魔法の才能と強力な祝福を持つ私なら、結界の中に隠しているのは勿体無いと彼に思わせることが出来る。
だから、ここで彼に頷かせる必要がある。
私は彼の言葉を遮って、
「あら?もしかして勇者様には、私を守れる自信が無いのかしら?」
彼の自尊心を煽る軽蔑の視線を送る。
すると、彼は眉間に皺を寄せ、身体をわなわなと震わせながら、
「バカにすんのも大概にしろや箱入り娘がァ……」
不機嫌な低音を漏らした。
「なによ、怒ってるの? 勇者のクセに私一人守れないグレイン様がぁ? ふふ。無理しちゃダメよぉ。怖いんでしょ?」
煽る。蔑む。軽んじる。
彼の誇りを踏み躙ってでも、私は私の将来をこの手で掴む。
「んなわけねぇだろうがァ!? たとえ魔王が何匹来ようがテメェにゃあ傷一つつけさせねぇよ!!」
グレインは獰猛に吠えると、私を抱き寄せて窓の外に飛び出した。
作戦成功である。
「ねぇグレイン」
怒りを露わにしつつも私を優しく抱く彼に、少しだけご褒美をあげようと思う。
「一緒に貴方と旅が出来たら、きっといい思い出になるわ」
「……うるせぇ。不良少女」
素っ気なく返した彼の横顔は、少しだけはにかんだように見えた。
今夜は月がよく見える。
――――
大結界に行く前に、彼は小さな酒場に寄った。
何故か扉があったであろう場所に大穴が開いていて、店内も瓦礫が散らばっていた。
数人の客が騒がしく酒を飲んでいることから営業はしているらしいが、廃墟同然といった佇まいである。
美しきエンシャンティアにこんな場所があったことに本当に驚いた。
何用でこんなところに私を連れてきたのかは知らないけれど、惚れた女性に立ち入らせるような場所では決して無い。
私が横顔を睨みつけていると、グレインは店内に鎮座する、彼の二倍以上の大きさがある大岩に話しかけた。
「よぉゲントル! ここにいやがると思ったぜぇ!」
すると、その大岩は首を回してこちらを見た。
どうやらこれは大岩ではなく、巨人族の背中だったようだ。
「おやグレイン君〜。どうしたんだい?」
ゲントルと呼ばれた彼は大きな顔を穏やかに緩ませて、ゴツゴツとした見た目からは想像もつかない愛嬌のある声を返した。
地べたに座りながら酒樽を手掴みにする様子から素行が良いとは思えないから、おそらくグレインの仲間なのだろう。入り口が壊れていたのもこの巨人の仕業と見える。
「ちょっとセンドの手を借りたくてよぉ! どこにいるか知らねえか?」
「あぁそれなら……ここにいるよぉ」
ゲントルは大らかに微笑むと、身体を反らして視界を開ける。すると、黒いフードを深々と被るいかにも陰気な男が酒を飲んでいた。
グレインはその男に歩み寄って乱暴に肩を組み、
「いるじゃねぇかセンドてめぇ〜!もっと俺います!って雰囲気出せやコラァ?」
「出しているが? 気づかなかったお前が注意散漫で薄情なだけであって、俺に非はない」
センドというらしい男は無愛想な声を並べるが、抵抗する様子も嫌がる様子もない。正反対な性格に見えるけれど、意外と仲は悪くないのかも。
センドはグレインにもみくちゃにされるまま「それで」と切り出すと、私に視線を向けた。
「アイリス姫を連れて何の用だ? まさか結界の外に出しても問題ないか詠んでほしい、なんて馬鹿を言いにきたわけではあるまいな?」
「なんで分かるの……!?」
少し離れたところでしばらく傍観していた私は、彼の無感動な物言いに驚嘆を漏らした。
私がこの企てを明かしたのはつい先ほどのグレインだけ。彼がセンドに何かを話したようにも見えなかったし、センドと私は初対面で、仮にセンドがボックスのように目敏い男だったとしてもここまで正確に言い当てられるわけがない。
――心を読まれた?
内側を覗き見られているような心地がして、私は戸惑いを隠せなかった。
「ぎゃははは! センドてめぇ俺のこと詠みやがったな?」
グレインはそんな私を見るや大笑いすると、二人の紹介を始めた。
黒フードの男はセンド・フューツ。
魔法の開発が趣味の生粋の魔法使い。
王都でも有数の影響力を持つフューツ商会の次男坊で、子供の頃に一度会ったことがあるらしい。陰気すぎて覚えてないけれど。
彼は「人詠の祝福者」で、触れた人の少し前の過去と少し先の未来を見ることが出来るらしい。
巨人の男はゲントル・ドムナー。
心優しき力持ちとのこと。
まぁ見た通りというか、温厚で強靭という巨人族の性質そのものといった印象。
武勇の知れ渡った有名な戦士らしい。
二人はグレインの魔王討伐の旅にも同行する仲間だ。
つまり、私の仲間、ということね。
どうやらグレインはただ私の煽りに感情的になったわけじゃなく、センドに私の未来を詠ませ、安全性を確認する狙いがあったようだ。
「あら? あれだけ言っといて、結局人に頼るのね?」
なんだかグレインにしてやられた気がして、少し意地悪したくなった私。
でも、彼はきょとんとした顔で、
「当たり前だろ? お前を守る為だからな」
なんてさも当たり前のように言い放つ。
「――っ!」
あまりにも小っ恥ずかしいことをいきなり言うものだから、私はとても顔が熱くなった。
「ラブラブだねぇ」
「ふむ。今にも性交渉を始めそうな勢いだ」
「せ……!? するわけないでしょバカ!」
私は下世話なバカ二人を怒鳴りつけたけど、彼らはまるで私を面白がるように……
「真っ赤になっちゃって可愛いねぇ。アイリスちゃんは発情期なんだねぇ」
「するなら裏手に回れ。あそこなら多少声を出しても見つかることはない」
「ダメだよセンド君。お姫様なんだからどれだけ発情してても外ではしないよ」
「ふむ? 確かにそうだな。それにもう散々した後なのかもしれん。すまないアイリス姫。野暮を言ってしまったようだ」
「……もん」
「「ん?」」
「まだしたことないもんっ!!」
私はつい叫んでしまった。
発情期とか、散々したとか、そんなエッチなことばっかり言うのだもの。
でも、これは言っちゃいけないことだった。
下世話コンビは顔を合わせたあと、グレインを呼び寄せて内緒話を始めた。聞こえる音量で。
「グレイン君まさかしてないの?」
「あぁヤッてねえ。だってアイリスが可哀想じゃねえか」
「可哀想とかそういう類の話ではないだろう。勇者と姫の子作りは俺らの旅立ちの条件だ。さっさと孕ませろ」
「んなもん俺の知ったこっちゃねえよ。そんな条件無視して旅立っちまえばいいだけだろうが。俺は魔王を倒すまで絶対アイリスに手は出さねぇ」
「もしかしてちんちん壊れちゃったの?」
「壊れてねぇよ! もう決めたんだ!何がなんでも手は出さねぇ!」
「お前を馬鹿だと思わなかったことはこれまで一度も無いが、ここまで馬鹿だとは知らなかった。結界うんぬんどころでは無いな」
「バカバカうっせぇよ! いいからアイリスを詠めって……」
「それでは今からお前に精力が三千倍になって理性を失う魔法をかけるからズボンを脱げ。最悪折れてしまうからな」
「そうだね。あの魔法の出番だ。ズボンを脱がないと折れるけど」
「待て待て待て!!……折れるって何が!? お前らマジでやめろ!!?」
グレインを困らせる下世話コンビ。
自分が言っちゃったのが原因ではあるのだけれど、これ以上黙って聞いていられない。
私は魔力を手のひらに凝集し――
「黙りなさい!!!」
彼らを冷凍した。
つい魔力を込めすぎてグレインも巻き添えにしちゃったのは申し訳ないけれど、必要な犠牲だと考える他無いわ。
……。
あとでほっぺにチューくらいなら、してあげてもいいかしら。




