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28話 じいじと触手


 うずくまるニョロの脳内にヒメの言葉が優しく響く。


(ニョロちゃんはすっごいがんばってるのは知ってるよ? これまでずうっと、わたしとの約束を守るためにいっぱい考えてくれたもん)


 まるで諭すような、労うような。

 そんな温かさが、恐怖一色の脳内に僅かな思考をもたらした。 


(でもね? いまのニョロちゃんがわたしとの約束を守りたいのは、 じいじのことが大事だからでしょ?)


 ニョロは小さく頷く。


(うん。そうだよね? でもいまここでやめちゃったらね? たぶんニョロちゃんはずうっとつらいと思うの。じいじにイヤなことをしちゃった、っていうのが、これからずうっと残って、毎日毎日つらいなぁって思いながら、生きていかなくちゃいけないの。今日までがんばってきたことがぜーんぶダメになっちゃうことよりも、ずうっとイヤなことだと思うの)


「でも……」


 ――恐怖に勝てない

 

 ニョロは僅かに反論しようと口を開いた。

 しかし、ヒメはそれを許さなかった。


(それはね? じいじも一緒なんだよ?)


「――!」

 身体をピクリとさせたニョロに、ヒメは続ける。

 

(ニョロちゃんががんばってるのと同じくらい、じいじもいっぱいがんばって、ニョロちゃんに隠そうとしてるの。じいじもつらくなっちゃうのがイヤで、がんばってるの。 でも、ニョロちゃんはじいじが隠していることを知らなきゃ、じいじがうれしくなれない~!って思ってる。そうでしょ?)


 ニョロは頷く。


(どっちも、じいじがつらくなっちゃわないように、うれしくなれるようにがんばってる、ってことなの。それなのに、いまここでやめちゃったら、じいじもニョロちゃんもイヤな気持ちになっちゃうんだよ?) 

  

 ニョロは頷く。


(イヤだよね? それじゃあどうするの? やめちゃう? それとももうちょっとがんばる? )


 

(――ニョロちゃんはどうしたい?)

 

 「………る」


(なあに?)


 「…んばる」


(ちゃんと、じいじにも伝わるように言いなさい!)


 ヒメの発破は、ニョロの強張る身体を持ち上げる。

 

 溢れる涙を拭い、解き放たれた尻尾がゆらりと舞う。

 砕けた決意を拾い集め、身体を竦ませる恐怖を力に変える。


 ニョロはふやけた眸で大事なじいじを捉え、


 「がんばる……!」


 最後の賭けに出る。


 魔法によって硬化させた尻尾を背後に向け、出来うる限りの長さまで延伸させる。

 先端を鋭利に尖らせて、確実に「殺せる」だけの魔力を込めた。

 

 鋭利な先端が向きを変え、収縮を開始する。

 聖堂の空気を穿ち、粉塵を巻き上げながら、高速の刺突が向かう先は、

 

 ――手を広げたニョロの後頭部。

 

 背後から迫る死の恐怖に身体を震わせながら、ボックスに求める。


 「俺を助けてくれ。じいじ」

 

 

 次の瞬間には、ニョロの視界は黒に覆われていた。

 

 枯草の匂い。

 骨ばった暖かみ。


 ボックスの胸の中。

 

 死を逃れた安堵感と、じいじに抱きしめられた多幸感に包まれ、ニョロの顔は大きく歪む。

 しかし、必死に嗚咽を飲み込んで、涙を押し返して、言葉をはっきりと伝えられるだけの感情を取り繕う。


 「じいじは、これまで頑張ってきたのだな。一人でずっと」

 

 刺突を結界で防ぐだけで良かったはずだ。

 それなのに自分を守る結界を抜け出して、庇うように抱きしめた。


 ニョロの言葉に込められていたのは、敬愛と慰労。

 ここへきて、ニョロは黒ローブの正体を知った時に覚えた怒りの意味を理解した。


 許せなかったのだ。


 じいじがずっと一人で秘密を守り続けなけらばならなかったことに。

 何百年もの間、自分の色んなことを犠牲にして、王家の為に尽くしてきたことに。


 だから、ニョロは思ったのだ。

 

 ずっと頑張ってくれたじいじに、


 「ありがとう。じいじ」

 

 感謝を伝えたい、と。

 

 ボックスの表情はニョロには見えない。

 しかし、抱きしめる腕の力が強まったのが分かった。

 身体の震えが伝わってきた。


 泣いているのだろう。


 ニョロはそう思うと、堪えていた涙が溢れ出した。

 

 「じい、じ。 ずっと、がんばった、ね」


 ニョロの言葉のあと、じいじの嗚咽が落ちてきた。


 彼の身体を尻尾で覆う。

 じいじが少しでもうれしくなるように。

 

 先端で白髪を優しく撫でる。

 じいじがまた笑ってくれるように。

 

 じいじの気がすむまで、ずっとそうしてあげたいと、ニョロは思った。

 でも、


 これをするべきなのは、アイリスだ。

 記憶を浸食された触手ではない。


 自分ではダメなのだという思いが、ボックスの身体を押しのけた。

 

 「このことは誰にも言わない。お前は全ての準備を終え、明日に備えてくれ」

 ニョロはそう言うと、ボックスに背を向け歩き出す。

 

 背後に感じるじいじの存在が、強烈に後ろ髪を引く。

 すぐに抱きしめてもらいたいと、だきしめてあげたいと、感情が叫ぶ。

 それでも決して振り向かまいと心に決めて、いつになく重い足を引きずるようによたよたと、じいじに見えない場所を目指す。

 

 「アイリス様ァ!!!」


 背後から自分以外を呼ぶ声がして、ニョロの足が止まる。

 あれだけ何度もアイリスではないと言っていた男が、少女の身体に向けて、その名を呼んだのだ。


 「どうか! どうかもうこれ以上! 記憶を辿ることはお止めください!! お願いです! この爺のお願いにございます! お願いですから、今の貴方の人生を歩んでください!! 記憶以外のことならば貴方の望むままにします! 爺が出来る限りのことを! それ以上のことだって! 何だって叶えてみせます! ですからぁ! もうこれ以上、ご自身の過去を! 思い出さないでください!」


 涙ながらの絶叫であった。

 枯れた喉を裂くようにして、まるで命乞いをするかのような、魂からの懇願。


 ニョロはその場でしゃがみこんだ。

 あまりの罪悪感に、立っていられなくなったのだ。


 「アイリス様ぁ……。お願いします。お願いします……! どうか! どうか……」


 どうして、自分は彼の懇願を断らなければいけないのか、と自問自答さえした。

 ニョロの脳裏には、甘い言葉にも聞こえたからだ。

 彼の言う通りにすれば、自分は大好きなじいじと一緒に暮らしていけるかもしれない。

 孤独な日々に戻ることなく、優しいじいじとずっと。

 

 しかし同時に、ニョロはこの場から逃げ出したいとも思った。


 アイリスがどうしようもなく羨ましかったのだ。

 自分はこれほど頑張っているのに、自分を待つのは新たな死体を見つける生活。

 アイリスにはこれほど大事にしてくれる人がいるのに、自分には誰もいない。


 これ以上、じいじの叫びを聞いていられなかった。

 だから、ニョロは振り返ることなく、一言だけ返す。


 

 「俺はニョロ――触手の魔物だ」


 聖堂を覆う結界は、いつの間にか無くなっていた。

 


 聖堂を出て、しばらく歩いた。

 レイラの寝室まで行こうと、ふらつきながらも懸命に足を出す。

 

 ニョロは本当に疲れていた。

 だからこそ、感情に向き合う余裕が無く、思考することに逃避していた。


 疲労で身体が重く、心は擦切っている。

 しかし、嫌なほどに思考が回る。


 ボックスの正体は真の結界の祝福者であり、王家の姫に継承されるという話は嘘。

 生来の性質である長き人生の中、その秘密を守り抜いてきた男。

 

 この秘密は、エンシャンティアという国の根幹を揺るがすものだ。

 仮にこの情報が外部に漏れてしまえば、反乱の火種とすらなりえる。

 

 しかし、彼の最後の懇願の様子からして、彼が本当に秘密にしたいことは別にある。

 それもあの老獪なボックスが、ニョロをアイリスと呼んだ上で、何の策略もなく、ただ懇願するほどの秘密。

 

 実際、今回暴いたボックスの秘密は、アイリスがヒメとなった謎を解決に導くようなものではなかった。

 それどころか、祝福を継承したレイラと共謀し、結界に閉ざされたボックスの書斎を調査する、という当初の作戦の目が完全に潰えたのだ。

 

 ニョロはようやく城の玄関に辿り着く。

 しかし、鍵がかかっていた。


 どっと押し寄せた疲労感が、ニョロをその場に沈める。

 明瞭だった思考がみるみるうちに遠のいていく中で、二つの疑問をニョロに残した。

 

 その疑問には何の根拠も無く、しかしずっと気がかりを覚えていたこと。

 ボックスへの追及の際に自分で発した言葉でありながら、一方で本当にそうか?という自分がいた。

 

 一つ。

 何故ボックスは全ての民を騙すという業を背負ってまで、王家の秘密を守り続けているのか。


 一つ。

 本当に何の祝福も持っていないのなら、何故エンシャンティア家は王家となれたのか。


 この二つの疑問への回答は、翌朝に判明することとなる。

 


 ――アイリスの記憶の蓋が開いたのだ。

  

 

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