27話 ボックスの秘密
夜更けのエンシャンティア城は、たとえ結界に囲われていようと、街と平等に闇が落ちる。
だからこそ、王都で最も空に近い王城は、月を見上げるのに最適な場所だ。
今夜も、つい先ほどまでは澄みきった黒、と言うべきほどに雲一つない空だった。
しかし、継承の日をあと数刻に控えた今、月の光は届かない。
聖堂内で爆ぜた光弾は、眩い閃光を四散させ続けており、聖堂を一つの照明に変えていたのだ。
純白の王城がその光を反射し、煌々と周囲の闇を晴らす。
だが、瞬きの内に光は失われた。
光源が魔法のように消え失せて、再び月の光のみが闇をぼんやり照らす。
聖堂内部。
高窓から落ちた月明りが、木片やタイル片が散在した無残な床面を露わにする。
その空間には、三つの影があった。
月光を纏いて眠る次代の姫レイラ。
高温となった尻尾から蒸気を立てる少女ニョロ。
その中心に佇む黒衣の老人ボックス。
少女と老人は押し黙ったまま、それぞれの想いを乗せた眼光を互いに向けあっていた。
少女の表層に顕れていた感情は、その大部分が怒り。
固く噛みしめた歯を剥き出しにし、荒ぶる尻尾で地面を叩く。
その様子は憤怒した獣のようで、しかしその眸には涙を湛えていた。
激情の最中、ニョロは初めての感情である怒りを知覚していた。
これが怒りというものだと、極めて冷静な理性が自己の現状を囁く。
だが、なぜ自分がこれほどまでに怒っているのかは、今はまだ分からない。
出所が不明なままの感情を噴き出したまま、ニョロの思考は眼前に並び立ついくつかの現実から、隠されていた真実を詳らかにしようとしていた。
黒いローブに身を隠し結界に身を守られる老人は、ただ呆然と佇む。
憤怒に身体を震わせ涙を湛えた少女を見つめながら、固く閉じられた唇が小刻みに震えている。
押し黙ったままのボックスに見かねたニョロは一度視線を切り、大きく息を吐く。
「お前が答えたくないのなら、俺が代わりに話してやる」
そう言ってゆっくりと立ち上がると、ボックスを睨みつけたまま、少しずつ歩み寄る。
自らが構築した、おそらくは真実であろう推理を、静かに語り始めた。
「王都を魔物から守る結界……王城を侵入者から守る結界……聖堂の神秘を守る結界。これらの結界は全て、エンシャンティア家の娘に代々引き継がれてきた『結界の祝福』によるもの。その力は無意識下で発動及び維持されるものであり、だからこそ千四百年もの間結界が存続し、国民を守り続けてきた。その間幾人もの勇者を送り出すことで魔王の討伐を成し、結界の外さえも平和な世界にして見せた。まさに王家が王家たりえてきた、民を守る力だ。だが――それは虚構だった」
「虚構では……ありません……」
ニョロの言葉に顔を歪め、咄嗟に俯いたボックス。
言い訳は弱弱しく、それでも尚秘密にせんとする姿は痛々しい。
ニョロはそんな爺の様子に喉が閉まるような感覚を覚えながらも、前方を隔てる透明の壁に手を振れる。
「お前なのだろう? ボックス。永きに渡りこの街を守り続けてきた――結界の祝福者は」
未だ怒りを内に秘めたまま。
しかし、ニョロから発された言葉は、その表情は、憂いを帯びたような柔らかさを備えていた。
「違います……! 違います! 私は長命の祝福者です! 長年結界の祝福者たる王家の皆様に仕えてきたのが何よりの証! お嬢さんも記憶を見た、と仰っていたでしょう? 私は尋常ならざる長命を授かっただけの、老いぼれです!」
ボックスはニョロの言葉をかき消すように言葉を荒げた。
ローブを乱暴に脱ぎ捨て、右前腕に刻まれた年輪のような紋様を見せつけて。
しかしニョロは表情を変えず、首を横に振る。
「ではなぜ、お前の前に結界がある? レイニアが遠くから危機を察知して結界を張った、なんて言わせんぞ?」
ニョロの追及に、俯いたまま沈黙を返すかに見えた。
しかし、表情をとりなしてニョロを見据えたボックスは、穏やかに話し始める。
「それは元々、ここに結界があったのです。私にはレイラ様が無事に継承を終えられるよう見守る役目があったのですが、長生きと言えどもただの使用人にございます。もしお嬢さんのように強い攻撃をされてしまえば、私にはレイラ様を守る手立てがありません。ですからレイニア様、引いては歴代の姫様方には、こうやって聖堂、および儀式台の周囲を覆う結界を張るようお願いしているのです」
老獪さを遺憾なく発揮し、ボックスはさも平然と言葉を並べ立てた。
この期に及んで真実をひた隠しにせんとする様は、ニョロの表情から柔和さを取り除く。
「ならば聞かせてもらおうか? お前がレイラの右手の甲に――人型の紋様を刻んでいた理由を」
ニョロが梁の上から見た光景。
それは、ボックスが何らかの魔法によって、レイラの手甲に紋様を刻印する姿であった。
紋様は人型――つまりレイニア、アイリス、肖像画に描かれた歴代の姫達と同じ「結界の祝福紋」。
これが意味するは、ボックスから聞いた王家の歴史に嘘がある、ということだ。
押し黙るボックスに向け、ニョロは推論を語る。
「エンシャンティア家にはそもそも、祝福など継承されていなかったのだ。しかし、王という立場を確固たるものとする為に神秘性、絶対性を付与させる必要があった。そこで、結界の祝福を持つお前は『結界の祝福を王家の娘が継承する力とすること』を考えた。それからお前は発現条件などを隠蔽に都合の良いよう改ざんし、継承の日という虚構を作り上げ、十六歳になった姫に偽の紋様を刻むようになった。今日に伝わる王家の歴史は、王家の地位を保つ為にお前がでっち上げた、ただの物語だ」
すると、ボックスは頷いた。
だが、それはニョロの推理を肯定するものでは無かった。
「私は確かに一つだけ隠していることがありますが、貴方の推理のほとんどが的外れ、という他ありません。この場を見られて勘違いされているようなので真実を申し上げますと、私が隠していたのは、姫様方が継承する『結界の祝福』には紋様が無い、ということでございます。結界の祝福は継承という発現条件含めて他の祝福とは性質が大きく異なり、紋様も表出しないものでした。目に見えない結界の性質が紋様にも表れたのでしょう。ですが、それでは民衆を安心させられない。民を守る象徴として、目に見える紋様が必要だったのです。ですから私は姫様方の右手甲に、民を代表する人として、人型の紋様を刻印することにした、というわけです。証拠を見せることは出来ませんが、結界の祝福は確かに姫様に継承されており、日を跨げばレイラ様にも間違いなく継承されます」
ボックスの反論は極めて冷静に行われた。
だが、あまりにも冷静すぎる。
仮に結界の祝福に紋様が無いということが真実であれば、それは何としても隠蔽したいことのはず。
反論するよりもまず、現場を目撃した者を制圧し、口を封じる措置を取るべき場面だ。
それなのに、あまりにも自然すぎる論調。
自然すぎるがゆえに、まるでこのようなやりとりを想定していたかのような違和感があった。
その違和感は、ニョロに「ボックスの弁は嘘である」と確信させる。
「ではお前が長命の祝福者ではない、という点で話をしよう。アイリスの記憶にもお前がいたことからして、長命だという事実は揺るぎないものだ。お前が聖堂中に催眠魔法を充満させるほどの、人間という規格を外れた魔力を有しているのも長命ゆえに培ってきた研鑽の賜物と言える。だが、それならば何故、お前は治癒魔法でその欠けた耳を治療していない?」
「それは私が治癒魔法を使えないからで」
「それならば、俺が治してやろう。俺の魔力をもってすれば、お前の耳くらい元の形に治すことが出来る」
ニョロの矢継ぎ早な提案に、ボックスは沈黙する。
治癒魔法は人間にとって希少な魔法、ということをニョロは想定していた。
一方、魔物であるニョロは生まれた瞬間から、治癒魔法を扱うことが出来た。
対象が生きてさえいれば治癒が可能、という点で、死体に寄生するニョロは尻尾の再生程度にしか使えなかった魔法だが、ボックスの嘘を暴くこの時の為にあったのか、とニョロは思う。
「どうした? 治癒してやるから、結界を出ろ」
「そう言われましても、私は結界から出られませんから……」
ボックスとニョロを隔てる正面の結界は外部からの侵入だけでなく、内部の者を閉じ込める力もあるらしい。
それをボックスの口から聞くことこそが――ニョロの狙いであった。
「それはおかしいぞ? この結界がお前を閉じ込めるものだとするならば――何故お前の照明魔法は天井に到達した?」
ニョロは尻尾を揺らしながら、ボックスの表情を見上げる。
これまで通り、次の返答を長考している顔。
しかし、ボックスの口から言葉が出てくることは無かった。
レイラとボックスを防護する為の結界、という理由付けをボックス自身がしたのだ。
照明魔法の発動時は既にレイラに紋様を刻む最中だったことからして、その後に結界を張ったという逃げ道は通用しない。
「お前はこの結界から出ることが出来るはずだ。そして俺の治癒魔法を受けることも出来る。しかしそれを拒む理由――お前の耳が人間とは違うからだ」
「………違います」
「お前はドムナー家――巨人族のような『長命種の亜人』であり、耳に何らかの特徴を持っていた」
「違います………!」
「しかし王家に結界の祝福者としての功績を譲る為、自らの祝福を偽る必要があった」
「違います!」
「そこで考えたのが、特徴ある耳を削ぐことで人間に擬態し、生来の長命を祝福の力と偽ることだった」
「違う!!」
言葉を荒げ、ニョロを睨みつける様は、これまでの冷静さを失っていた。
眸には確かに決意めいた光を宿し、怒りを携えた形相はあまりにも威圧的。
ニョロは恐怖に足を竦ませ、思わず尻もちをつく。
しかし、眸にいっぱいの涙を溜めながら、精一杯の言葉を絞りだす。
「執事長ボックス………! お前は、長命の……亜人であり、結界の、祝福者だ……!」
腰が引け、尻尾を不安げに抱きながら、涙ながらの言葉。
幼き探偵は慣れない大声に喉を枯らしながら、懸命にボックスを見据える。
だが、身体を震わせ、肩を上下する容疑者は、まだ諦めていなかった。
「違うと言っているだろう!!!」
絶叫、もしくは咆哮ともいうべき、感情を爆発させた叫び。
ニョロを見下ろした形相はもはや殺意を思わせるほど。
それに対し、ニョロの幼い感情は――うずくまることを選んだ。
ニョロは向けられた憎悪に立ち向かう術を知らない。
ましてやそれが、愛してやまない「じいじ」から発されたものなのだ。
じいじを幸せにしたくて頑張った。
今だけは我慢して、じいじの嘘を暴かないといけない。
だって、この先にきっとじいじを笑顔に出来るから。
簡単に壊れてしまった。
ニョロの覚悟も決意も志も、怒れるじいじを前にして、いともたやすくバラバラになってしまった。
床に這いつくばり、嗚咽を漏らし、身に余る恐怖に身体を固め、生存本能すらどこかに消え去って、ただその場でうずくまる。
ひたすらに身体を小さくして、身に降りかかる恐怖に耐えるだけ。
それだけしか、今のニョロには出来ない。
(ニョロちゃん)
しかし、恐怖一色の脳内を塗り替えんとする声があった。
(もうちょっとだけ、がんばろ?)
ヒメである。




