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2話 触手、初めての子守り

 

 「改めて聞くが、本当に自分が誰なのかが分からないのか?」

 

 やせ細った少女の足はぎこちなく、ぺったんぺったんと泥土を鳴らす。

 脳内の暴嵐が止み、ようやく自身の飢えと渇きに気付いた触手は、水辺に向かいながら少女に問う。

 

 すると、(うん)と力ない同意が頭の中で響く。


 道中、触手は彼女と出会ってからいままでの経緯を話した。

 知能が未発達ゆえにあまり理解していないのか、動揺はすれど泣き出すことは無かった。

 そこでいくつか問答をしたところ、彼女は物や生物の名前などのある程度の知識を有しているものの、自分に関する記憶の一切を失っていた。

 周辺に人間の集落は無くどこから来たかを推測するのも困難であり、彼女の「帰りたい」という願いを叶えるのは現時点では絶望的、というのが結論である。

 

 問答と思考を繰り返すうちに、小さな川に到着する。

 触手はほとりにしゃがみこむと、身体を乗り出して水面を舐める。

 「ごぼっ!」

 (ごぽっ!)

 が、目測を誤って鼻が浸水し、あやうく溺れるところだった。

 (もー!なんでワンちゃんみたいにお水飲むの? 変なのー!うふふ!)

「変じゃないが」

 ――そうか。人間なのだから手で掬えばいいのか。

 触手は動物歴が長かったせいで癖づいてしまっていたようだ、と自己を俯瞰する。


 しかし意図せずではあったものの、少女が機嫌を取り戻した。

 精神性が幼稚だから泣きも笑いも易い。

 触手は彼女の機嫌を制御できる可能性を見出した。

 

 充分に喉を潤した後、近くに成る赤い果実を尻尾を伸ばして収穫すると、

 (すごーい!オレンゴの実だぁ!)

 少女が歓声を上げる。

 果実にかじりつくと口内に甘味が広がり、飢えが和らいだ。

 (甘くておいしいねぇ~)

 

 どうやら少女は身体が経験する感覚を知覚しているようだ。甘味や尻尾が精神安定に有効と考えるが、痛みや苦しみは再び脳を炸裂させかねない。

 触手は尻尾を立てた。


 そのまま水辺に腰かけてオレンゴの実をつまみつつ、置かれている状況を整理する。

 

 未知の原因により寄生解除が出来ないが、それはおそらくがんじがらめの鎖のイメージに関係している。

 そして少女が泣き止む条件として家に連れ帰る約束をしたところ、イメージが絡み合った鎖から錠付きの拘束具に変わっていた。複雑に絡まってほどけなかったものが、鍵さえあれば解錠できるものになったということは……。

 推測の域を出ないが、これは寄生解除を阻む原因を取り除くことが出来るようになったことを暗示しているのではないだろうか。

 つまり、少女を家に帰すことで寄生解除が出来るようになる可能性がある。

 希望が多分に含まれた推測だが、約束を反故にする手立てが無い以上、約束を果たす他に道はなさそうだ。


 触手は当面の目標を決定付けると、次は手がかりを求めて水面に映る似姿を観察する。


 まず赤い髪と眸だが、これは彼女の血縁者を探す上で役に立ちそうだ。この色合いの人間はこれまでに見たことがなく、珍しい可能性がある。

 服には手がかり無し。ポケットも何も入っていない。

 髪と眸以外に特筆すべきことはなく、顔立ちもごく平凡で……


 (ねえ可愛い? 可愛い?)

 

 「……とても可愛らしい顔立ちをしているな」

 触手が忖度すると、(やったぁ!)と跳ねた声が聞こえた。

 

 次に、少女と出会った時のことを思い返す。


 場所は人里離れた深夜の森の、それも最深部。人間が一人手ぶらで来るような場所では決してない。

 酷く痩せていたこと、毒などの影響は見受けられないことから死因はおそらく餓死。

 こんな場所に用があるとは考えられず、迷い込んで遭難したと見るのが妥当か。

 そういえば、彼女は死ぬ間際に何かを言っていた。なんだったか?

 確か……『ヒメ、だったの。だから、あの人の、ところに』

 ……ヒメ? 聞き覚えの無い言葉だ。

 

 「ヒメ、という言葉に聞き覚えはあるか?」

 (ヒメ? あー!お姫様ならワタシ知ってるよ! きれいで可愛い女の子でね?キレイなドレス着てて、おっきなお城に住んでるの!それがどうしたの?)


 触手は「お姫様」を地位の高い人間の女と推定した。

 

 「お前が死ぬ間際に言っていたのだ。『ヒメだったの』とな」

 (えぇ~!ワタシお姫様だったのかな!?やったあ!)

 少女の声色が弾む。

 触手は少女が「お姫様」であると仮定して捜索することにした。

 

 「自分が姫だったとした場合、何か思い出すことはあるか?」

 しばしの沈黙が続いた後、

 (……あっ! お城!)

 少女はかつての光景を垣間見たかのように答えた。

 「どんな城だ?形は?場所は?」

 (おっきなお城!白くておっきいの!形はちょっと分かんない……。場所も分かんない!)


 少女の答えに、鳥に寄生していた頃の記憶を巡らせる。


 遥か東に見えた人間の都市に特徴と近似する建造物があったような覚えがある。まずはそこをあたってみるか。

 

 「今後の方針が決まった。俺達は東にある都市に行く。そこに大きな城があったはずだ」

 (そのお城がワタシのお家なの?)

 少女の問いに首を振る。

 「まだ分からん。だが行く価値はあるはずだ」

 (でも……)

 機嫌を取り戻したはずの少女が言い淀む。

 続く言葉はおそらく「違ったらどうしよう」だろう、と触手は考える。

 しかし、触手とて同じである。なにせ、見当違いであればまたあの泣き叫びを受け止める羽目になるのだから。

 触手は苦痛を思い返し、尻尾が縮こまる。

 

 だが、触手は再び尻尾を立てた。

 可能性がある場所をしらみつぶしに探してでも、一刻も早くこの拘束から抜け出したい。

 触手はこのいつ炸裂するかも分からない爆弾を脳に抱えたまま森で過ごす考えは無かった。

 自分を渦中に引きずり込んでおきながら、躊躇いがちになっていつまでも居座られては困るのだ。


 触手は高い知性により少女の幼稚な感情を理論的に考察し、如何にして機嫌を維持し感情爆弾の起動を遅らせるかを考えた。

 そして、至った答えが三つ。

「俺がお前を必ず家に連れ帰る」

 甘い約束と、

「長い旅になるかもしれないが、必ずな」

 長期的視野を持たせることと、

「分かったか?ヒメ」

 仮称をつけることだ。

 

(ひ、姫って呼ばれちゃったぁ……!ふひひ!)


 「だから今みたいに笑って過ごして欲しいのだ。もう泣かないでくれ。約束してくれるか?」

(うん!約束する!ぜ〜ったい泣かないよ!だってお姫様だもん!)

「時間がかかっても、嫌になるなよ?」

 (頑張りますっ! ふひひっ!)


 ――ここまでゴキゲンになるとは、人間の子供は存外扱いやすいらしい。

 触手はヒメを軽んじた。


 それから二、三個のオレンゴの実をポケットに詰め、出発の準備を整えていると、しばらく唸っていたヒメが何か思いついたらしい。

 

 (ニョロちゃん!)

「いきなりどうした」

 ヒメの突然の発言に尻尾が跳ねる。

 触手は発言の意図に考えを巡らせようとしたが、幼稚ゆえの突火な言動と断定し思考を中断。

 

 すると、ヒメから想定外な答えが返ってきた。

 (あなたのお名前だよ!ニョロニョロおしっぽのニョロちゃん!ずうっと考えてたの!ニョロちゃんって呼んでいい?)


 ――名か。

 触手は魔物ゆえに名を持たなければ、その必要性を感じていない。人間の身体を借りた今でもそれは変わらない。

 しかし、ヒメの機嫌を取るという点で、彼女がつけた名を受け入れることに利益を見出す。


「別に構わん」

 (やたー!ニョロニョロ尻尾が可愛いニョロちゃん〜♪)

 返事を聞いたヒメは意気揚々と、調子の外れた歌を口ずさむ。

 ニョロの無表情とは裏腹に、尻尾が左右に揺れていた。

 

 

「それではヒメ、出発だ」

 (しゅっぱ〜つ!)

 ニョロはそう言って四つん這いになると、桃色の尻尾を根本の近くで直角に曲げる。

 すると尻尾の先がゆるりと円を描き、それは次第に風切音を伴う持続的な回転となる。

 やがて回転は揚力を生み、少女の手足が地面を離れ、上へ上へと押し上げる。


 東の城までの道のりは長く、少女の痩せた足で踏破出来る距離では無い。

 だが、人間の身体には魔物と同じく、魔力を魔法に変換する器官がある。

 そして魔物が持つ魔力量は、人間のそれを大きく上回る。

 

 つまり――空を飛ぶなど造作もない。


(わぁー!!)


 地を這う夜霧を押しのけて、高木の間を突き抜けると、月夜の大世界が現れた。

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