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19話 ニョロのきもち


 「レイラ様、本日は継承式で披露されるスピーチをレイニア陛下にお聞かせになるご予定があったのでは?」

 「あっ!!! そう、だったわねっ!! すぐに行くわ!」

 

 レイラは何か予定があったらしく、ボックスの言葉を聞くやすぐに退散。

 ニョロは未だドアの前に立ったまま、背中で老執事の存在を認識している。


 ボックスに声を掛けられる前までニョロが考えていたのは、来週レイラが結界の祝福を継承すれば、執務室の結界が解かれて秘密を探り放題になる、ということであった。

 だからこそ、今はボックスを警戒させるようなことは控えるべきであり、ましてやこんな現場を見られることなど失態中の失態。

 

 一方、秘密を隠したいボックスからしてみれば、来週までに秘密を明かそうとするニョロを城から排除したい、と考えるのは当然である。

 よって、今この状況は、ボックスにとっては秘密の在処に手をかけられてしまった、という大義名分を得た状態であり、ニョロにとっては絶体絶命。


 ニョロが後ろを振り返ることも出来ないほどに硬直させているのは、そんな意図を持っているだろうボックスに対する恐怖――



 

 ――のはずだった。


 ニョロが実際に胸中に抱えていたのは、恐怖とは異なる感情であった。

 ボックスのことは疑っている、というよりは何か隠しているという確信がある。

 それは荷馬車から飛び出した時から今まで変わらない。

 

 しかし、変わったものがあるとすれば、それはニョロの感性。

 人間に寄生して以降、徐々に感情を習得してきたニョロが、アイリスの記憶を二度も追体験し、その鮮明な感情を知覚したのだ。

 ニョロがボックスに対して抱く感情は、徐々にアイリスが抱いていたそれに近づきつつあった。


 つまり、ニョロが今抱えている感情の正体は、ボックスの嫌がることをしてしまっている、という()()()である。

 

 本来ならば強行策に出てもおかしくない場面であり、攻撃を視野に尻尾を構えているはずだった。

 だが、今のニョロは床にだらりと垂らした尻尾をただ弱弱しく揺らしているだけの、まさに無防備といえる状態。

 

 (だいじょうぶ?)

 ヒメの不安げな言葉が、俯いたまま微動だにしないニョロの固く結ばれた口元を微かに震わせる。


 動かなければならない。

 この危機を脱する為にすべき行動はなんだ?

 言い訳をするか? どうしたら許してもらえる?

 言い訳の必要はない。許してもらう必要などない。

 ボックスは隠匿する者であり、目的の達成を阻む者。

 ひとまずはこの場を逃亡し、体制を立て直すべき。

 

 でも、じいじに嫌われてしまわないだろうか?

 じいじが悲しんでしまわないだろうか?

 

 たかが一人、老いた人間の表情を想像しただけ。

 たったそれだけのことが、目下の危険に対する防御行動の一切を否定してしまう。

 生来の合理的思考と他人から植え付けられた感情の狭間で、ニョロは「人間らしさ」という心理の奔流に


 ――溺れる。


「お嬢さん」


 しかし、穏やかで明るいしわがれ声が鼓膜を揺らしただけで、がんじがらめの脳内も、強張った身体も、まるで魔法のように解けてしまう。

 

 ニョロはゆっくりと振り返る。

 恐る恐る、ではない。

 何かに期待していたような、待ち望んでいたような。

 そんな不思議と高鳴る鼓動と共に、ゆっくりと振り返る。

 

 そこには、しゃがむボックスの背中があった。

 

「ちょっとお庭を歩きませんかな?」

 

 肩越しにボックスの笑顔が覗く。

 

 ニョロは口をもにょもにょとさせて一秒、

「構わないが」

 老執事の背中に飛び乗った。


「仕事はいいのか?」

「少しくらい構いませんとも。これも長く勤めた爺の特権ですな」

 

 はにかむ爺の腰には、桃色の尻尾がぎゅっと巻かれている。



 王城の玄関を出ると、剪定された草木が彩る見事な庭園が現れる。

 城門に続く歩道を横目に少し歩くと、色とりどりの花々に囲まれた園路があり、城壁を沿うようにぐるりと庭園を一周できる造りになっていた。

 

 花の香り漂う小道を漫遊しながら、ボックスは花や草木の話をした。

 ニョロは植物に興味を持ち得ないが、時折「そうか」と相槌を打つ。

 しかしその口元は、何やらずっともにょもにょとしていた。

 

 そうして半周ほど歩いた頃、「そういえば」と何やら聞きた気なボックス。ニョロが耳を傾けると、穏やかな口調で話し始めた。

「お嬢さんはアイリス様のご記憶を見た、と仰っておりましたが、一体どのようなものを見られたのですかな?良ければこの爺に少しお聞かせ頂けますか?」


 ニョロは一度目に見た記憶である肖像画の記憶を話した。老執事は遠い記憶を噛み締めるように頷きながら聞いていた。

 そこでボックスが長い思い出話をして、アイリスに怒られていたことを話すと、しわがれ顔が大きく口を開けた。

「はっはっは!! そういえばそんなこともありましたなぁ!『老人の話は長い!』といつも叱られておりましたぁ!」

 笑い飛ばすような口調だが、そこには懐かしむような、かつての主を憂うような、もの悲しさを帯びているように思えた。

 しかし、ここで老執事の口が閉じることは無かった。

 それどころか、ここからしわがれ声が加速する。

 

「あれはアイリス様が八歳の頃でしたか。私が寝室で眠っておりましたところ、廊下から『じいじー!じいじー!』としきりに爺を呼ぶ可愛らしい声がありまして。飛び起きた爺は、あぁこれはアイリス様が何やら爺にしてほしいことがあるのだ、とすぐに分かったのですが、もう夜更けも夜更け。こりゃあ大変なことが起きているやも知れぬ!と心配になりまして廊下に出ますと、アイリス様が絵本を片手に何やら怒っているご様子。はて?眠れなくて爺に絵本の読み聞かせをご所望なのかな?と考えたのですが、いざ用件を尋ねてみますと、アイリス様はこう仰いました。『夜に勝つ』と。はて?ともう一度聞き返す、なんて野暮をした私ゃあアイリス様の寝室に監禁されましてな?それから一晩中絵本を何周も何周も読み聞かせられまして。その上寝そうになるアイリス様を絶対に起こすようにと厳命されたものですから、こくりこくりと小首を揺らすアイリス様を起こさねばなりませんでした。それはもう心が痛む中、アイリス様を想って肩を叩きましたところ、なんと『眠いからどこかに行け』と申されたのです!後になって話を聞きましたところ、何も覚えていない、と仰って!さすがに爺もその日ばかりは仕事を休もうかと本気で思いましたぞ。あーそうそう!あの日なんてもっと……」


 背中の寝息に気付くと、ボックスは目尻を下げる。

 

「もう一周、しましょうかな」

 

 小声で呟いた後、静かに、ゆっくりと、続く小道を歩いた。



――――――――――――――――――――――



 ニョロが城の調査を始めてから三日が経った。

 その間城中を探し回ったが、結局記憶を見ることは無かった。

 当初より危惧していた通り、アイリスの謎に繋がるものは殆ど隠蔽されているようだ。

 

 要するに、ニョロの目的を果たす為には、結界に閉ざされたボックスの部屋を捜索する他ない、ということである。

 現在の姫であり隠蔽に加担する国王レイニアから、秘密の解明を望む次期姫レイラに結界の掌握権限が移る継承の日。それ以降がニョロの勝負の時となった。


 そんな中、来客があった。

 レイニアにでもレイラにでもなく、ニョロへの来客である。

 当然人間の知り合いなどいるはずもないニョロは意図を図りかねる来客に警戒心を持ったが、レイラと共に一階の応接室に足を運ぶと、そこにいた男に微かな見覚えがあった。


「うぴっ! お久しぶりですねぇ!お姫様ぁ!!」

(きらいっ!!)

 

 奇妙な笑い声、人を小馬鹿にするような態度、そして髪の無い頭。

 王都に到着してすぐに捕まり、連れて行かれた詰所にいた男。小汚い衛兵クリンカーの同僚こと――名も知らぬ髪の無い衛兵である。

 

 「名無し毛無しの衛兵か。何の用だ?」

 不良衛兵の側にあった不快な何か、程度の印象でしかない男の唐突な訪問に、ニョロは一切の興味が無い。


 しかし、そんなニョロの問いに開いた毛無しの口は、思いがけない内容を話した。

「そんなふてくされちゃってぇ、本当に可愛くないですねぇ! 折角キミの正体が分かったから教えにきてあげたのにぃ」

 

 ――あり得ない。

 

 ニョロはそう思った。

 ヒメの正体はアイリス、これはもう揺るがない事実。

 三百年前の人物な上に多くを秘匿されている彼女に、こんな頭の軽そうな一衛兵が辿り着くはずがない。

 だとするならば、珍客が言う「正体」とはアイリス以外の人物を指している可能性が高い。

 では一体、誰を、何を根拠に、ヒメの正体だと言うのか?

 

「どこの誰だ。早く教えろ」

 ニョロの問いに、待ってましたとばかりに身を乗り出した男が答える。


「キミの正体は『キャリー・ドムナー』――ペイシャン村に住んでいた()()()()()()です」


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