14話 異常者の母
「たちゅけてよ~! 爺やぁ……。もうおちごとイヤぁ…… 」
(かわいそう……)
机に伏し、涙ながらに助けを乞うは、エンシャンティア王国の姫――結界の巫女であり国王:レイニア・エンシャンティアその人である。
魔物であるニョロでさえ人間の行く末を憂うほどの体たらくであり、なんだか既視感、というか身に覚えがある幼稚さである。
それはともかくとして、こんな王なら早く変えてしまえばいいのに、と考えたニョロであったが、次の王は全裸の怪物ことレイラであった。
世も末である。
どうやら心配事が尽きそうにないと見える老執事はたまらずため息をつくが、まずは目の前の心配事に対処することを決めたようだ。
重い腰を上げ、大きく咳払いをした後、
「陛下、爺やと呼ぶのはおやめくださいと何度も申し上げておりましょう。それに王であらせられるレイニア様の職務にございますので、私めが触れることなどあってはなりません」
一見冷たいともとれる態度でレイニアを突き放す。
「やだやだやだ~! もうお仕事いやっ! や~らない! もうや~らない!」
しかし遂には駄々をこね始める始末。
改めて言うが、世も末である。
これにはボックスも早々にして二度目のため息だ。
「これほど情けないお姿とは、カインズ殿下がご覧になればどう思われるでしょうなぁ」
口を尖らせるボックスがそう言うと、何か思い立ったらしいレイニアがたちまち背筋を伸ばす。
「だーりん? だーりんはいつ帰ってくるの!? ボックス! だーりんはいつ帰ってくるの!?」
「予定では明日……」
「やったぁ! だーりんだーりんだ~りぃん~!」
(だぁりぃん~!)
レイニアは小躍りを始め、それに共鳴し始めたヒメ。
脳の内外から意味不明な歌唱を聞かされるニョロだが、国王に感じた身に覚えの正体に気付いた。
レイニアから感じる幼稚さは、まさにヒメそのものである。
ヒメはただ記憶を失っているがゆえ、身体が幼いゆえの幼稚さ、と考えていたが、王族の血に流れる呪いなのかもしれない。
ここへ来てアイリスの記憶を全て取り戻したとしても幼稚のままである可能性が浮上し、ニョロの懸念が一つ増えた。
しかし、レイニアが大喜びを体現するのは些か早かったらしい。
ボックスの言葉はまだ終わっていなかったのだ。
「……ですが、カインズ殿下は出立の際、私にこんなことを仰っておりました。『レイニアっぴがおちごとちゃんとちてないならぁ~帰らないにょ~ん』と」
「だ~りんのだ!は男こn……なぁんですってえ!?」
ボックスが老執事らしからぬセリフを吐いたことも、レイニアが何かを歌いかけたことも置いておくとして、レイニアはいたく動転したようだ。
「ですから陛下が今のように怠けていらっしゃると、いつまで経ってもカインズ殿下はお帰りにならない、ということです」
ボックスは好機、とばかりに追い打ちをかける。
すると、レイニアは涙ながらに、しかし覚悟を決めたらしい面持ちでボックスを見据え、
「今日中に終わらせるわ」
と、それは強い信念を込めた言葉を吐いた。
「それで、私めが参った理由ですが、一つお願いがございまして」
話を切り出したボックスだが、書類をテキパキと処理し始めたレイニアは一瞥をくれず、
「なにかしら? このまま聞くから言いなさい」
「このお嬢さんを一時的に、私が預かることになりましたので、許可をいただきたく考えております」
ボックスはニョロを一度降ろすと、レイニアに見えるように抱え上げる。
無我夢中だった為にそのことを知らなかったニョロは僥倖とばかりに尻尾を跳ね上げたが、一方で懸念もあった。
預かる、というのは城内での活動を行える状態なのか?ということである。
仮にボックス――アイリスの謎を隠そうとする者の監視状態に置かれる場合、行動を著しく制限されてしまうからだ。
そうでないことが最も好ましいが、想定を外れなかった場合は手を考えなければならない。
しかし、命乞いはかなり効果があったらしい。
ニョロは内心ほくそ笑み、尻尾は左右に大きく振れていた。
すると、しきりに動く尻尾に気付いたのか、ようやく顔を上げるレイニア。
まじまじとニョロの容姿を観察した上で、机に並ぶ書類の一枚を取り上げると、
「ピンクの尻尾が生えた赤い髪の女の子って……昼間にあったっていう侵入者騒ぎの子!? 何がどうなったら貴方が預かるっていう話になるのよ!?」
いかにも理解できない、といった様子で手を広げる。
それから、ボックスはニョロを預かることに決めるまでの経緯を話した。アイリスの話は省略されたが。
要約すると、世論に押された、ということだった。そこをかなり強調していた。
ニョロも今回ばかりはアイリスの話を出すことはせず、黙って話の行く末を見守る。
だが、
「ふーん。そういうことね。まあいいんじゃない……って言いたいところだけど、ダメよ」
「――! それは一体どういう理由ですかな?」
レイニアの回答は予想外だったらしく、ボックスの身体が大きく反応したのが分かった。
このまま追い出されては困るニョロはつい追及しそうになるが、先に口を開いたのはレイニアであった。
「ボックス、貴方は来週の継承式の準備で忙しいでしょう? その子に構ってあげる時間なんてないでしょう?」
どうやらニョロを追い出すという話ではなく、あくまでボックスが面倒を見る、ということに対する「ダメ」らしい。
ニョロは安堵、というよりもまさに好都合の展開に尻尾を揺らす。
ボックスは忙しい、ということは監視体制も脆弱になる可能性が高く、それならば城内の調査も容易いというもの。
「ご心配いただきありがとうございます。しかしながら、私ならできます。実際、午後の業務は彼女を背負いながら行いましたが、至って問題はございませんでした」
しかし、ボックスは食い下がった。おそらくニョロを警戒してのことだろう。
「そういうことじゃなくて、遊び盛りの子を貴方の仕事に連れまわすなんて可哀想でしょ? ねー? そうよねー?」
ここでレイニアから発言の機会が回ってくる。レイニアはニョロを見た目通りの少女と思っている節がある為、多くを語る必要は無い。
ここはヒメのような幼稚な言葉を用いるべきだ。
「スゴク、アソビタイヨー!」
(ぷっ! 変なのー!)
「ほら、この子もこう言ってるじゃない」
幼稚な言葉遣いはやはり効果的だ、とニョロは納得の様子。
実際酷いカタコトな上に無表情だった為、まさに異常な言動であったが、白熱する討論の中で気にする者はいなかった。
「そうは言いますが、この子を独りにしておくほうが酷というものでしょう! この子は寂しがり屋です!」
「ヒトリ、スキー! オレ、ヒトリスキー!」
(あはははは!)
「ほら、この年頃は一人でも日が暮れるまで遊んじゃうわよ。それに寂しくなったら空いてる侍女が相手をしてくれるわ」
ボックスは中々首を縦に振らず、討論は続く。
正論を述べるレイニアとやや感情的なボックス。
討論が始まる前とは立場が逆転したかのような構図である。
しかしながら、ボックスの様子には少々の違和感を覚えてならない。
ニョロの印象では、ボックスとは基本的に感情を抑え、微笑みを絶やさないことで会話の優位を得ようとする者であり、実際その態度がニョロを苦しめた。
最終的には感情を露わにした叫びが決め手となったが、それもそれまでの前振りが効いていたからだ。
レイニアと討論するボックスには、その余裕が無い。
「他の者じゃダメなんです! この子は私のおんぶが……!」
ボックスは何かを言いかけて黙り込んでしまった。
何を言おうとしたのかは気がかりだが、やはり明らかに変調をきたしている。
そしてその隙を事務作業ついでのレイニアが見逃さなかった。
「そこまで言うならレイラにこの子の相手をさせましょう。 継承式の主役だけど、そんなにやることないでしょ?」
ここへ来ての理外の化け物レイラである。ニョロが生物の中で最も警戒しているとさえ言える人間であり、先の討論の影響で調査に及び腰の可能性も高く、監視者としてはボックスに次いで願い下げだ。
ここはどうすべきか、とニョロが思考を巡らせている間、会話は進んでしまう。
「レイラ様は次期姫です! 世話役などさせるわけにはいきません! それに当日の流れや衣装の採寸、それら諸々の最終確認がございますぞ!」
「それだけでしょ? あの子は賢いから大丈夫よ。それよりも、あの子の奔放さと脱ぎ癖。アレを治すのにちょうどいい機会だと思うの。一度お世話する立場になった方がいいわ」
「しかし……」
このままではレイラの性格矯正に使われてしまう。
ニョロは策を練るが、一度策に溺れている以上、特に効果的な一手でない限り打ち出し辛い状況である。
悶々と思考する中、ニョロの背後――扉の外から声がした。
「お母様、失礼いたします」
レイラである。
「ちょうどいいわ」とレイニアが侍女に目配せすると、侍女によって開かれた扉からレイラが現れた。
ドレスは着たままだ。
レイラはニョロとボックスを一瞥するや驚いた様子だったが、
「お母様。先日の件でご相談がありまして……」
「先日?……あぁ貴方が侍女の体毛を無断で採取していたことかしら?」
「いえそれではなく。ガルダ公国の大使の件です」
「あぁはいはい。総排出孔を見せるよう迫った挙句泣かした件ね?」
「そうです」
異常な親子が異常な内容の会話を平然と行う中、ボックスは苦悶の表情を見せる。
あまりの心労に力尽きたか、ニョロをゆっくりと床に下ろした。
本当に苦労しているらしい。
ニョロとて老執事に同情を禁じ得ない。
そこからはレイニアによる説教が始まったが、着地地点は、
「だから貴方はこの子のお世話を通じて、もっと人を理解しなさい!」
ニョロの身柄をレイラに委ねる、ということであった。
「分かりましたわ……お母様」
レイラは反省してますよ、と言わんばかりに項垂れる。
しかし視点の低いニョロからはよく見えた。
――レイラが邪悪な笑みを浮かべているのを。




