13話 じいじのおせなか
「うううー。ボックスー。助けてくれー」
「――!……――。……」
「まずは離しなさい! ちょっと! ボックスが死んじゃうから! メルダ!人を呼んできて!できるだけ多くよ!」
「は、はいっ!!」
汚部屋、もといレイラの書斎にて、今まさに殺人事件が起ころうとしていた。
部屋を出たメルダ含め、全員が助けを求めているという混沌とした現場である。
加害者となりつつある桃色触手の幼女:ニョロはもはや本能のままに助けを求める獣と化していた。
一方被害者、もとい死者となりつつある長命の老人:ボックスは徐々に抵抗が鈍くなっていく。
その現場を目の当たりにする次期姫:レイラはニョロを引き剥がそうと力を込めるが、ここにきて自身の運動不足を痛感する。
つまるところ、書斎を殺人現場とするかどうかは、ボックスが持つ「長命の祝福」による生命力に懸かっているのである。
ニョロの全力命乞いが始まってから十五分、ようやく人を引き連れたメルダが現着。
助っ人達は庭師や料理人、衛兵やピエロなど、計八名の錚々たる面々が集まったのだが、詳細は人命危機の為割愛する。
十人掛かりの死闘の末、
「――っぷは! し、死ぬかと思いましたぞ……」
約五分後に、ボックスの肺が久方ぶりの酸素に歓喜した。
しかし、依然桃色の尻尾は一息つく老紳士めがけて延伸を図り続けており、精鋭達による懸命な押さえつけにより辛うじて阻止されている状況。
本体である幼女は未だ「助けてくれ」「死にたくない」などと繰り返し供述し、必死に老人に手を伸ばす様は経緯を知らされていない精鋭達の心を強く打った。
「助けて、あげないんですか……?」
ひとまずの危機が去ったことで幼女に対する同情のムードが高まり、ついに一人の純朴なピエロが、恐る恐ると言った様子で質問を投げる。
事情を知るレイラ、メルダはボックスにちらりと視線を送るものの沈黙。
その様子に何かを感じたのか、庭師、料理人、衛兵の三名は同様に沈黙を決める。
だが、純朴なピエロが同調することは無かった。
「こんなに小さな女の子ですよ……?な、なんで助けてあげないんですか?」
事情を知らぬ無知故の、素朴な疑問。
それに対し、慌てた様子の太ったピエロが、
「そ、それはじ、事情が、あ、あるんだよ! そ、それに、この子、た、たすけて、って言ってるのに、む、無表情……だし」
すると、それに大きく頷いた軟派なピエロが、
「たぁしかにぃ!なんかこの子、ちょっとおかしくねぇ?尻尾がピンニョロだぁしぃ、ほっとけばお爺ちゃん死んでたっしょ? やばくね? これエンシャンのティア的にぃ、敵じゃね?」
身体をクネらせ、首を左右に振りながら軽々しい物言い。しかし状況を見るにボックスが死にかけたということは事実。こうなるのも仕方ない、という空気が流れ始める。
「断じて敵ではない」
しかし、その空気を断ち切ったのが、被害を受けたはずのボックスその人であった。彼の一言で一気に緊張感が走り、書斎に沈黙が訪れる。
老執事は沈黙の中、何かを後悔するように顔を抑え、項垂れた。
だが、その沈黙をものともしない者がいた。
硬派なピエロである。
「少女の正体は知らない!あなた方と少女に何があったのかも知らない!しかし!しかしだ!事実、少女は今!助けを求めている!これほど助けを求めてる少女に、大勢の大人が寄ってたかって……!こんなの、イジメじゃないか……!」
肩を震わせ、思いの丈を叫ぶ。
彼の言葉は彼の言う通り無知が産んだ独りよがりな正義であったが、しかし少なからず罪悪感を覚えていたらしい大人達の、少女を抑える意識に一瞬の陰りをもたらした。
――その隙を、ニョロの本能が見逃さなかった。
尻尾を強く波打たせて拘束の綻びを穿つ。
「あっ!こら〜ん!」
色気漂う胸毛のピエロがいち早く反応するが、時既に遅し。
すぐさま跳躍したニョロがソファで項垂れる老執事の背中に飛びついた後であった。
「またこの子は……!」
レイラが遅れて反応し、ニョロを引き剥がそうと手を伸ばすが、それを手で制したのは他ならないボックス自身である。
「大丈夫ですぞレイラ様。今回は口を塞がれておりませんので」
そう言うと、ボックスは息を一つ吐いてから、
「本当に手のかかるお嬢さんですなぁ」
と、何やら感慨深げに呟いた。
「その子、どうするの?」
レイラが未だ項垂れたままの老執事に恐る恐る尋ねる。
すると、顔を上げたボックスは清々しい笑顔で答えた。
「このお嬢さんの面倒はしばらく爺が見るとしましょう」
「え、それって侍女にするってこと?」
「いえ、違います。あくまでこの子の身元を調べ、帰るべきところに帰すまで。その間爺が責任をもって預かる、ということです。さて……と」
ボックスはそう言って立ち上がると、さもニョロの重さなど感じていないかのように軽やかな足取りで扉に向かう。
「どこ行くの?」
レイラの問いに扉の前で身体を翻したボックスは、深く一礼して答えた。
「執事長としての勤めが御座いますので、これにて失礼致します」
――――――――――――――――――――――――
心地よい振動。ゆったりとした足音。枯草のような匂い。
――たしか助けを求めていたはずだが。
ニョロはようやく戻った思考で状況把握を始めようとしたが、暖かなまどろみに落ちていく。
そんな中、ふと脳裏に浮かぶ光景があった。
アイリスの記憶だろうか?
しかし、前回と比べて随分と霞がかった、曖昧な記憶。
『じいじ、おんぶちて!』
どこか分からない。しかしすごく天井が遠い。
ただ、目の前を歩く男に、何かして欲しかったのだ。
『おや、お疲れですかな?』
男はこちらを向くと、やさしい笑顔を見せた。
『ちがうの!じいじのおせなかにのったほうが、おかあさまのところにいっちばーんはやくつくの!』
そうだ。お母様に会いたかったのだ。
でもそれだけじゃなかった。そんな気がする。
『ははは!これはこれは聡明であられますなぁ。確かに!爺の手足は長いですから、御母上のいらっしゃる所へ瞬く間に着きましょうなぁ!』
じいじはたまに難しい言葉を使うから、わからないことも多いけど、いつも私に付き合ってくれた。
『そうでしょ〜?だからおんぶ!おんぶちて!』
『ですが、横着してはなりませぬぞ〜。ご自分の脚で出向かれてこそ、御母上もお喜びになられるのです。爺におんぶされますと、御母上はガッカリされてしまうやもしれませぬなぁ』
じいじはおおげさだ。おかあさまはそんなことでおこんないもん。でも、そういう事では無かった気がする。
『うーん……。でも、でもね……?じいじのおせなかがいいの』
何か言いたかったけど、恥ずかしかったのだ。
だからもじもじしちゃったの。
『おや?それはどうしてですかな?』
『じいじのおせなかにのるとね、すっごいなんか、うれしいの……。だからね?じいじのおせなかにのりたいの……』
そうだ。私はじいじにおんぶして欲しかったのだ。
早いとか横着とか、そういうことでは無かった。
じいじとなかよししたかったの。
『はっはっは!そうですかそうですか。……それじゃあ仕方ありませんなぁ』
じいじはわたしがのれるようにしゃがんでくれた。
わたしがじいじのおせなかにぴょんってすると、おちないようにぎゅってしてくれるの。これがすっごくうれしくて、じいじとなかよし、っておもったの。
『じいじのにおいする』
『それは爺だからですなぁ』
じいじはちゃいろくなったはっぱのにおいがしてすき。
ゆっくりゆっくりあるいてくれるのもすき。
ゆらさないようにしてくれるけど、ちょっぴりゆれるのもすき。
『じいじ、おにわぐるぐるしたい』
すぐにおわっちゃうのがいやだったから、じいじにおねがいしてみたの。
そしたらじいじはこまっちゃった。おしごとでいっつもたいへんだもの。
でも、
『本当に手のかかるお嬢さんですなぁ』
じいじはにこってしてくれたの。
――――――――――――――――――――――――――
「おや、ようやく目を覚まされましたか」
未だうつろなニョロに声を掛けたのは、ニョロをおぶるボックスであった。
ニョロは意識を回復させながら、周囲を見渡して状況の確認を試みる。
場所は絢爛な装飾を施された家具が並ぶ広い空間。王城のどこかの部屋だろう。
窓の外はめっきり暗くなっており、どうやらかなり寝ていたらしい。
「レイニア陛下の執務室にございます」
室内にはボックスとニョロの他に二名の侍女が壁際に控えており、前方奥には机に向かう金髪碧眼の女。
おそらく彼女がレイニア――ボックスの話に出てきた現在の姫であり王でもあるという女だろう。
ボックスは王前に跪くと、
「陛下、一つお願いがあり参上しました」
お願い、というのが何かは分からないが、ニョロの興味を惹いているのは人間の王だ。
頭を下げるボックスの背中から首を目いっぱいに伸ばし、王の様子を覗く。
なるほど、これはレイラの母親だ。
一目で分かるほどに、彼女はレイラとよく似た女だった。
というよりも、ニョロにとっては正直なところ、レイラとほとんど同じ容姿に見えた。
絢爛なドレスを身に纏い、頭部には青い宝玉を嵌めたティアラが輝く。
そして右手甲に人型の紋様――アイリスにもあった結界の祝福紋。
(しゅご~い!! 本物のお姫様だぁ~!!!かんわいいい!!)
いつの間にやら起きていたらしいヒメが大層喜んでいることからして、彼女の装いは姫らしいようだ。
しかし、王らしいか、というとそうではない。
「あ~爺やぁ~! おもてをあげよぉ~! お仕事手伝ってよぉ~! もうしんどいよぉ~!」
レイニアは初めから目の前の書類に向かって苦し気に呻き声をあげていたが、ボックスに気付くやいなや机につっぷしてしまい、泣き言を漏らす。
配下の人間や部外者の前だというのに、それら一切の目をはばからず、涙や鼻水で顔はぐしょぐしょであった。
高度な文明を築く人間の王、ということでニョロにも少なからず先入観はあったのだが、そういった王らしさという部分に関しては「無い」と断言できる様相である。
――人間が滅ぶ日は近い。
眼前で童女のように泣き喚く王に、ニョロは人間という種の行く末を見た。




