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12話 触手VS執事長③


 「結界、というのは街を覆う『魔物を入れない結界』とやらか?それがどうしたというのだ?」

 ヒメをアイリスではない、と断定するボックスがその証拠として提示したのが、「結界」だった。

 

 ニョロの質問に頷くと、老執事は静かに語り始めた。

 「街を覆う結界、そして城を覆う結界。これらは全て王家の姫様方が代々受け継いでこられた『結界の祝福』によるものでございます。祝福の力の継承条件については様々ありますが、かの祝福は母から娘へ、娘が十六歳になる、もしくは母が命を落とした時に継承されてゆくものです。現在は当代の『姫』であり国王であらせられるレイニア様が祝福を保持されております」

 

 結界の祝福については記憶で見たから知っている。

 しかし、

 「レイラ、お前自分のことを姫だと言っていなかったか?」

 「来週に実際なるんだからいいでしょ? 称号を前借りしただけよ」

 レイラはまだ姫ではないらしい。確かに彼女の右手甲には祝福紋が無い。

 

 「続けてくれ」とニョロが言うと、ボックスが咳払いをしてから、

 「もし、仮にアイリス様が生きていたとしましょう。『結界の祝福』はアイリス様の娘が十六歳になる、もしくはご本人が亡くなることで娘に継承されます。しかし、アイリス様は子を成されなかった。この場合、『結界の祝福』はアイリス様が亡くなるまで保持されるため、王家に祝福の力が継承されることはないのです。ですが、事実として祝福は継承され、今日に至るまで結界で我々国民をお守りいただいております。つまり、アイリス様は故人であることは確定、ひいてはお嬢さんがアイリス様であるはずがないのです」


 ニョロはしばし沈黙し、ボックスの主張を考察する。

 彼の言う祝福の継承方法そのものに嘘を含んでいる可能性はあるが、記憶で垣間見たアイリスが姫になったばかりの十六歳だったことからも概ね正しいとみるべきだ。

 となると、アイリスが子を成していなかった、という部分。記憶では勇者の子を産む習わしがある、ということだったが、アイリスは何かしらの原因で子を作らなかったということだろうか。

 それなら……

「アイリスが子を成していない場合、そもそも何故『結界の祝福』が継承される? 仮にアイリスが死んでいたとすれば、お前の言う継承条件を満たすものがいなくなるはずだ」

「仰る通りですが、実際はアイリス様のお母上が祝福を再継承されました。人々を守る祝福を途絶えさせんとする神のご意思でしょうな。その後アイリス様のお母上がお世継ぎを産まれた為、今日までの継承に至っております」

 

 つまり子がいようがいまいが、『結界の祝福』は巻き戻してでも王家の間で受け継がれる、ということらしい。

 アイリスが考えていた通り、まさしくいつまでも付きまとう「呪い」だ。

「つまり、お前が言いたいのは『結界の祝福』がアイリスの母親に継承された以上、アイリスが生きているはずがない、ということか?」

 ニョロの問いにボックスは「ええ」と短く同意する。

 

「だが、それはアイリスが死んだ、という証拠だろう? お前らが言う祝福か何かの力でアイリスがこの姿に生き返った可能性を否定できるものではないはずだが」

 

 もはやボックスの嘘を暴く為の手札は出し切ってしまったが、ニョロは諦めるわけにはいかなかった。

 このままボックスの言い分を受け入れてしまえば、「アイリスの記憶を取り戻す」という目標達成が不可能になる。

 根拠も何も無いが、王家と共に歴史を歩んできた老執事に話をさせる為ならば、何だってする覚悟だ。 


 「お前が思うかつてのアイリスではないのかもしれないが、俺の中にいるアイリスは記憶を取り戻すことを望んでいる。頼む。教えてくれ、お前の知っていることを」

 

 ニョロは生まれて初めて頭を下げた。

 レイラに謝罪するボックスを見て、これが誠意の表明に効果があることを知ったのだ。

 ボックスが隠していることを詳らかにするという目的あっての打算的行動ではあるが、これが今切ることが出来る手札の中で最も有効である確信があった。

 なぜなら、ボックスが持つアイリスへの深い情を知っているからだ。

 アイリスの名を出し、頼み込む。さすれば――


 ボックスの信念は揺らぐ。

 「ボックス、頼む。アイリスの為を思うなら、今ここで隠していることを全て教えてくれ。お前だけがたよ……」


 お前だけが頼りなんだ、と言いかけた時だった。



 「貴方はッ! 絶対にアイリス様ではないッ!!!」

 

 突如、鬼気迫る叫びと共に鈍い音が脳天に響き、ニョロの身体を強張らせる。

 すると、すぐさまレイラとメルダの悲鳴が聞こえ、恐る恐る顔を上げる。


 視界に入ったのは――テーブルに拳を打ちつけたボックスの姿であった。

 拳からは血が流れ、息も乱れており、これまでの穏やかな様子とは明らかに異なる。

 音が聞こえそうなほどに歯を食いしばり、目元には涙が滲む。

 その大きく歪んだ表情は、怒り狂っていると言えば易いが、そうも言い切れない複雑な感情が渦巻いているように見えた。

 

 ひた隠しにせんとするただならぬ意思か、はたまた揺るがぬ真実か。ニョロにそれを窺い知る術は無い。

 しかし、しわがれ顔に埋められた二対の眸は、たしかに信念めいた光を宿していた。

 

 そしてそれは、ニョロを黙らせるには充分であった。

 

 「……申し訳ありません。取り乱してしまいました」

 息を整えながら、ボックスが静かに謝罪する。

 

 しばしの沈黙の後、慌てて表情をとりなしたレイラが手を叩き、

 「……そう!その話はもうお終いにしましょう!すごく話が逸れちゃったけど、本題は違うんだから!本題はこの子を私の侍女に……その、えっと」

 話をニョロの侍女採用に戻そうとするが、それがどうやら絶望的らしいと気付いたのか、急速に口ごもってしまう。

 

 当然である。

 そもそも侍女採用の為に考えていたであろうレイラの策に乗らずニョロが暴走した結果、採用担当であるボックスを怒らせたのだ。

 いくら王族といえど、流石にこの状況で強行的に採用を薦めるのは難しいと判断しているらしい。


 「レイラ様には申し訳ございませんが、このお嬢さんを採用することは出来ません。理由はお分かりですな?」

 「え、ええ。ざ、残念だけれど、仕方ないわね」

 未だ怒気を残すボックスに気圧され、レイラは目を逸らしたまま同意する。


 どうやら、ニョロの不採用が決まったらしい。

 これの意味するところは、もうアイリスの記憶を紐解く手がかりを得る機会を失った、ということである。

 

 ――これからどうすればいいのか?

 策が完全に裏目に出たニョロは、呆然と天井を仰ぐ。


 真実はニョロには到底開けることの出来ない扉の向こう側にあった。

 

 ニョロの理性が告げている。

 これ以上はどうしようもない。手立てが無い。不可能である。

 

 これ以上本件に関する思考、行動は無意味。


 ――諦めよう。

 ニョロはそう判断した。せざるを得ない状況になった。

 

 しかし、しばし静観していたもう一人が、それを許さない。


 (絶対にアイリスちゃんだもん!!)

 ヒメである。

 

 (お城に住んだら絶対思い出すもん!いっぱい思い出すもん!)

 

 (こうなったらぜ〜ったい!絶対アイリスちゃんだってお爺ちゃんに言わせるんだから!!ふ〜んだっ!)


 脳に響くゴキゲンななめな声に、ニョロは思い出した。

 

 脳髄を内側から四散させるような強烈な轟音。

 触手本体の制御を奪い、生存すら危ぶまれるほどの痙攣。


 ――脳内に号泣爆弾を抱えていることを。

 

 恐怖という感情をレイラによって初めて実感したニョロにとって、ただ痛み苦しみを回避する、という理性的行動として忌避していたヒメの号泣は、そんな生優しいものでは無くなっていた。

 恐怖を覚えたてのニョロの脳は、その苦痛を何倍にも拡大解釈し、その結果もはや「死」と並ぶ根源的恐怖となっていたのだ。

 それこそ――理性的なニョロを本能的に突き動かすほどの。


 咄嗟の、まさに反射的行動と言える。

 ニョロは尻尾を伸ばしてボックスの腰に巻きつけると、縮む勢いでボックスの顔にしがみつく。


「――ぅ!?」

 小柄とはいえそれなりの圧力を受けたボックスは呻き声を上げるが、そんなことはニョロの興味の外である。

 それどころか、ニョロの脳内はヒメの号泣に対する恐怖以外の感情、思考は頭にない。

 

「ボックス、城で働かせてくれ」

 あいもかわらず感情の乗らない声。

 しかし、感情は尻尾が巻きつく強さとなって伝えてくれる。


「頼む。このままでは泣いてしまう」

 涙は出ていない。顔を歪めてもいない。

 しかし「泣きつく」という表現が相応しい。

「――ゔ!! ――!」

 顔を抱きしめる力が次第に強くなり、ボックスはニョロの背中をタップ。

 しかしニョロはそれどころではない。


「このままでは死んでしまう。助けてくれ」

「――!――!――!」

 心からの懇願である。命からがら助けを求めているのである。

 生存本能が一切の思考を凌駕し、唯一自分をヒメから助けてくれるであろうボックスに、ただひたすらに命乞いをする。 

 

「死にたくない。助けてくれ。死にたくないのだ」

 

 この時、その場にいる全員がこう思ったという。

 

 

 ――死んでしまうのはボックスの方なのでは?

 と。

 

 

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