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「〜♪ 〜〜♪」
エリオットの執務室に、誰かの歌声が流れてきた。
どうやら開け放たれた窓から柔らかい風にのって、ここまで届いているようだった。
エリオットは風にそよぐカーテンに誘われるように、窓辺に立った。
窓の下には、歌いながら寝具を干しているメガネをかけたメイドがいた。
リタだ。
彼女は楽しそうにニコニコしていた。
そんな彼女を見ていると、リタがエリオットの視線に気付き顔を上げた。
「あ! ……うるさかったですね。申し訳ございません」
リタが、青ざめながらペコリと頭を下げた。
「うるさくないから大丈夫だよ。リタはいつも楽しそうだね。なんでかな?」
エリオットは穏やかに笑った。
「エリオット様が、ぐっすり眠れますようにって願いを込めてるからですかね?」
リタがエヘヘと少し照れながら笑った。
そしてまた、ペコリと頭を下げ仕事に戻っていった。
エリオットは、ちょこまかと動く彼女をしばらく眺めていた。
リタは本当に楽しそうに、メイドの仕事をしていた。
そんなリタを見ると、エリオットは安息を感じることが出来た。
「エリオット、喜べよ。お見合い相手が3人もいるぞ」
クリフがそう言ってニヤニヤしながら部屋に入ってきた。
手には複数の書類を持って。
「速いね。もう見繕ったの?」
クリフがその書類を執務机の上に広げだしたので、エリオットも近付いた。
兄アーサーが結婚して落ち着いたので、次はエリオットの番ということらしい。
最近になってエリオットの結婚話が持ち上がり、両親が早急に動いて相手を見つけてきたそうだ。
「まず1人目はーー」
クリフがお見合い相手を説明し出した。
エリオットは複雑な心境で聞いていた。
王族だから、恋愛感情など何もない縁を繋ぐだけの結婚だとは理解していた。
けれど、これからずっと一緒に過ごす人を選ぶなんて、人生の岐路に立たされている気分だった。
楽しさなんて感じない、胸が詰まる思いだった。
3人の釣書には肖像画もついていた。
その1枚がふと目に止まる。
思わず手に取って、まじまじと見つめた。
そこには銀髪の美しい女性が描かれていた。
「そのクローディア様がいいのか?」
説明をしていたクリフが中断して、エリオットを見てきた。
「……そうだね。3人の中だと彼女かな」
エリオットは、肖像画からクリフに目線をうつすと苦笑した。
「何が決め手になったんだ?」
「見た目かな?」
「確かに1番可愛いけど……肖像画だからな。実物が違うとか後で揉めるなよ」
クリフが笑いながら持ってきた書類をまとめだした。
「クローディア様の釣書と肖像画だけ残しとくよ。じゃぁ俺は返事をしてくるから」
優秀な側近は、まとめた書類を持って、足早に部屋を出て行った。
クリフと入れ替わるように、メイドのリタが入ってきた。
「失礼します。お掃除をしにきました」
リタがペコリとお辞儀をする。
「入っていいよ」
「ありがとうございます。奥の部屋からしますので、執務室はエリオット様がいらっしゃらない時にします」
リタが相変わらず少し俯いたまま喋った。
「……リタの掃除姿が見たいから、執務室からお願い出来る?」
「そんなっ……埃が舞ってエリオット様に害が及びます」
リタが思わず顔をあげてエリオットを見ていた。
彼女をこんな近くで真正面から見たのは、初めてかもしれない。
「リタは可愛い顔してるんだね」
「えっ!?」
リタの顔がみるみるうちに赤くなった。
エリオットも、何気無く言ってしまった自分の言葉に照れた。
「…………」
2人は気まずくて、お互い目線を逸らした。
「あ、エリオット様、お見合いするんですね!」
リタが、目線を逸らした先にあった、執務机の釣書や肖像画に気が付いた。
そして、気まずさを跳ね除けるように明るく振る舞った。
「そうなんだよね」
「楽しみですね」
リタは嬉しそうニコニコ笑っていた。
そして、少し戸惑いながらも、エリオットに言われたからか執務室の掃除を始め出した。
「こっちの窓も開けますね」
「寒くないですか? 何か羽織る物をお持ちしましょうか?」
「さすがにエリオット様がいる執務机は今度にしますね」
リタは相変わらず、忙しなく動いて仕事をこなしていっていた。
エリオットは執務机用の椅子に座り、執務の書類に目を通しながらも、時折りそんな彼女の様子を見ていた。
…………
お見合いするって言っても、すごく嬉しそうだった。
ちょっとは嫌そうにして欲しかったのに……
って、何考えてんだろ??
エリオットは頬を少し赤らめながら、目の前の書類に集中した。
エリオットの中で、リタはお気に入りの従者の1人だった。
ただそれだけ。
エリオットは自分の中に生まれた気持ちを、そう決め付けた。