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エリオットは16歳に、シルヴィアは18歳になった。
この頃のシルヴィアはもう、笑いもしなかった。
エリオットが愛を伝えれば伝えるほど、彼女の心が離れていくのを感じた。
「エリーは、いつもいつも私を好きだと言ってくれますが、具体的にはどこが好きなのですか?」
「全部。シルヴィーの光り輝く銀髪も、夜空のような深い青色の瞳も、可愛い笑顔も全てが大好き」
シルヴィアの可愛い問いかけに、エリオットは答える。
だけど彼女は悲し気で、冷たい目線をエリオットに投げかけた。
何か伝え方を間違えているのかな?
……でも、シルヴィーが何を望んでいるのか分からない……
エリオットは不甲斐ない自分に嫌気がさしていた。
エリオットは自室の執務机に向かい、目の前の書類をぼんやりと眺めていた。
16歳になったので、少しずつ王族としての執務をこなすようになっていたからだった。
「全然、身が入ってないじゃないか」
側近のクリフが、執務室にあるソファに座り寛いでいた。
「…………」
エリオットはそんな彼を一瞥しただけだった。
「失礼します。リラックス出来るハーブティーを持って来ました」
メイドのリタが、エリオットたちの部屋に入り頭を下げていた。
彼女はもう一人前のメイドになっていた。
毎日ここの担当じゃなさそうだが、遠くにいるのを見かけた時は、いつも元気にニコニコ笑っていた。
「エリオット様、どうぞ。お仕事お疲れ様です」
リタがやっぱり俯きながら、エリオットの執務机にハーブティーを置いてくれた。
自信がないのか恥ずかしいのか、リタがエリオットの前で俯くのはクセだった。
「ありがとう」
エリオットは笑顔を浮かべて受け取った。
リタは小さく頭を下げると、クリフにもハーブティーを配りに行った。
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エリオットの父親である国王主催の、盛大な夜会が開かれた。
シルヴィアの出身地である隣国からも、彼女の兄であるサクレス王子が出席していた。
シルヴィアは久しぶりに会う兄に、嬉しそうに会いに行っていた。
エリオットは声をかけられた貴族と談笑しながらも、彼女の様子を目で追ってしまっていた。
そこで決定的な物を見てしまう。
サクレス王子の近衛に話しかけられたシルヴィアが、彼にニッコリと笑顔を向けたのだ。
「…………」
エリオットが長らく見ていない、シルヴィアの愛らしい笑顔だった。
胸が苦しいほど締め付けられて、たまらずにエリオットはシルヴィアの元に向かった。
「シルヴィー、踊ろう」
エリオットとシルヴィアは手と手を取りあって、優雅に踊り出した。
長年寄り添っていた2人は息がピッタリだった。
でも……
心はとても離れてしまったよね……
エリオットは目の奥が熱くなったのを、口をキュッと結んで我慢した。
なのに言葉が勝手に口から溢れた。
「僕を置いていかないでね」
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翌日、執務室でクリフと喋っていたエリオットは、不思議な感覚に襲われた。
さっきまで考えていた何かが、綺麗さっぱり無くなったみたいな喪失感があった。
クリフもしばらくぼんやりして「……あれ? なんの話してたっけ?」と首をかしげていた。
エリオットはフラフラと、執務室から繋がる自室に歩いていった。
そして、そのまま隣の寝室に入り辺りを見渡した。
「……どうしたんだ?」
後から追って来たクリフが、様子のおかしいエリオットに声をかけた。
「…………」
エリオットは熱心に壁を見ていたが、諦めたようにクリフの方へ振り返った。
「何でもないよ」
さっきのエリオットは、何もない壁を見ていた。
その場所は、恋の女神のディーテに消されるまでは確かにあった、シルヴィアの部屋の扉の場所だった。
それからエリオットは、たびたび不思議な感覚に襲われた。
兄アーサーの結婚相手であるセラフィを見た時に、何かを思い出しそうになった。
庭園のお茶会が出来る場所を見て、何かを思い出しそうになった。
ある甘いお菓子を見て、何かを思い出しそうになった。
けど、朧げな輪郭だけ浮かんですぐに消えていった。
何だろう、この感覚は?
僕は、何か大事な物を忘れている?
けれど……思い出せない……
エリオットはしばらくその感覚に苛まれていたけれど、時間の経過と共に薄れていった。
それからのエリオットは、人が変わったようだった。
あれほど嫌がっていた公務をきちんとこなし、補いきれていない知識を自ら進んで学んでいった。
そんなエリオットを見て、側近のクリフが思わず聞いた。
「エリオット、お前なんかしっかりしたな。どうしたんだよ?」
「……愚かだったから、何か大きな失敗をした気がするんだ。もう同じことはしたくない」
「大きな失敗?? そんなこと、あったか? そういえば、小さい頃に庭園を駆け回って泥だらけになって、よくメイド長に怒られてたな! それじゃないか?」
クリフが冗談っぽく笑った。
「フフッ。そんなこともあったね……あれ? その時、僕1人だったっけ?」
エリオットの頭の中に、幼い頃の光景が目まぐるしく流れた。
眩しいほどの太陽の光
子供の笑い声
走り過ぎて痛む胸
立ち止まった僕に、誰かが手を差し出してる
白くて小さい、柔らかな手……
けれど、思い出せる光景はそこで途切れた。
「……?? 泥だらけになったのは、エリオット1人だったぞ」
クリフが不思議そうな顔でエリオットを見ていた。