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夜会の翌日、シルヴィアはセラフィの元に訪れていた。
急な訪問だったため、部屋の扉を開けた所でセラフィは立ったまま対応してくれた。
「どうしたの? シルヴィア?」
「ちょっとだけディーテと遊ばせて? 可愛いディーテと触れ合って、癒されたい気分なの」
「そういう気分の時あるわよね。いいわ。ちょっと待っててね」
セラフィがそう言って部屋の中に戻ると、ディーテを腕に抱えて戻ってきた。
「はい、どうぞ。でも今日は忙しいから、1時間後ぐらいにこの部屋に返してくれないかしら?」
「分かったわ」
シルヴィアは頷いてから、ディーテを受け取るために両腕を伸ばした。
そして、セラフィをディーテごと抱きしめた。
「……ありがとうセラフィ」
「?? 今日は熱烈だねー。何かあったの? また時間がある時に聞かせてね」
優しい義姉が、いつもの元気な笑顔をシルヴィアに向けた。
「うん。……またね」
ディーテを受け取りながら、シルヴィアもニコッと笑った。
ーーーーーー
シルヴィアは王宮内の適当な空いてる部屋に入った。
人払いをして、シルヴィアと猫のディーテだけになる。
その部屋のソファに座って、膝の上に乗せたピンクの猫の背中をゆったり撫でていた。
ディーテは気持ちよさそうにジッとしていた。
シルヴィアは意を決して、そんなディーテに喋りかけた。
「ディーテ……恋の女神様。私の恋のオーラをあげるから、願い事を叶えてください」
ディーテがピクリと耳を動かし、前足で体を持ち上げて私を見上げた。
綺麗な黄緑色の瞳が向けられる。
「どんな願い事かしら?」
ディーテが、シルヴィアの前で初めて人の言葉を喋った。
「エリオットから……この世界の人たちから、シルヴィアの記憶を消してもらいたいの。シルヴィアとしての存在を消したい……」
「まぁ。珍しい願い事ねぇ。何故かしら?」
「エリオットをこれ以上苦しめたくないから。シルヴィアとして、もうエリオットからの愛情を受け止められないの」
シルヴィアは目からハラハラと涙をこぼした。
誰にも言えなかった心の内にあった気持ちを、初めて吐き出したからだ。
1人で苦しんで、悩んで、辛かった。
自分ではどうにも出来ない閉塞感。
ディーテが慰めるかのように、シルヴィアの首元に頭をくっ付けてスリスリしてきた。
「願い事の理由は分かったわ。それと……あなた、とっても強く想っている相手がいるわね」
「…………はい」
シルヴィアは泣き顔のままコクリと頷いた。
「フフフッ。そのあなたの〝想い〟とっても美味しそう。いいわ。望みを叶えてあげる。ただ広範囲にかける願い事だから、時間の経過とともに、少しだけ綻びが出てくるかもしれない。私もそこまで万能って訳じゃないの」
猫の女神様が、そう説明しながらピョンとジャンプして、ソファの背もたれに飛び乗った。
そしてシルヴィアの背後から肩にまとわりつく。
「それと、もし記憶をなくしたエリオット王子から愛を告げられると、願い事は解除されてしまうわよ」
「……何故かしら?」
「私は恋の女神。本来なら恋が成就するように働きかけるべきなの。今回はその真逆のことをする。……だから、エリオット王子に、もしもまた、あなたに恋する気持ちが生まれてしまったら、その恋の力には勝てなくなるの」
ディーテはそう言うと「にゃ〜ん」と鳴いた。
「……分かったわ。恐らくそれは、あり得ないだろうから大丈夫」
シルヴィアは前からしてあげてたように、ディーテの耳の後ろをそっと撫でてあげた。
ディーテは気持ち良さそうに目を細めた。
良かった。
気まぐれな女神様が願いを叶えてくれそうで。
私の恋のオーラを気に入ってくれて。
シルヴィアも、ディーテを見ながら満足そうに微笑んだ。
「じゃぁさっそく、願い事を叶えるわね」
ディーテがシルヴィアの撫で撫でを充分に堪能したあと、シルヴィアの膝の上に移動し、体を光らせ始めた。
薄っすらピンクに色付くその光が、暖かくシルヴィアを包み込む。
光が部屋いっぱいに溢れて、シルヴィアは思わず目を閉じた。
ーーーーーー
「にゃ〜ん」
ディーテの鳴き声を耳でとらえ、体ではそよ風を感じた。
「……外?」
シルヴィアが目を開けると、王都にある広場のベンチに座っていた。
膝には王宮の部屋でいた時のように、変わらずにディーテが寛いでいる。
「もう願い事は叶えたわ。あなたの恋のオーラ、とっても甘くて美味しかった。……また食べてもいいわよ」
ディーテが私を見上げて目を閉じた。
猫なりの笑顔なのかもしれない。
「みんな、あなたのことを忘れたのに、王宮にいるのはまずいから、ここまで移動させてあげたわ。サービスよ」
ディーテはそう言うと、膝からピョンと飛び降りた。
そして去ろうと数本だけ歩みを進めて、不意に立ち止まる。
「これからどうするの? 願い通りシルヴィアの記憶は、みんなから消えてるわ」
ディーテが愛らしいしっぽとお尻を向けたまま、顔だけシルヴィアの方に振り返らせていた。
シルヴィアはニッコリと朗らかな笑みを浮かべた。
「その〝想い〟を向けている相手のそばに。これからは、好きなように会いに行けるから」
「…………あなたの恋のオーラが、何故甘いのか分かった気がするわ」
ディーテはそう言い残すと、猫特有の身軽さで跳ねるように走り去っていった。
シルヴィアは雲一つない晴天の空を見上げた。
新しく見る空を、待ち焦がれていたかのように。