ご感想に応じて、外伝追加(新嘗祭3)
巫女の退席後、15分ほどで舞は終わり、再び巫女が祭壇に戻ってきた。相変わらず信じられないような大きさのお腹をしているが、両手で自分のお腹を抱え、再びなんとか独力で歩けるほどには戻っている。汗でぐっしょり濡れていた、胸のさらしも新品だ。涙で崩れた化粧も直したのだろう。朱を差して生気の回復したような顔に安心しながら拍手喝采で巫女を迎える参拝者たちに、巫女は軽く頭を下げて応えると、何かを決意したような表情で盃を掲げた。本当は深々と腰を折るべき場面であることは皆知っているが、今の巫女に前屈みの礼ができないことなど、誰にだって一目でよく分かる。
再び注がれた一升の甘酒を、ゴクッ、ゴクッと豪快に喉を鳴らしながら一息で飲み干し、盃を返納した巫女に、誰かの口笛と、再びの大喝采が送られる。ブラボー、と叫ぶ声もして、それはさすがに違うだろ、と思いつつ、誰一人咎める者はいない。巫女の決意にあてられるように、参拝者も異常な興奮状態になっているのだ。
「ありがたや……ありがたや……」
我々の捧げものが最上であったため、空の仕事を終えた太陽が我々のもとにだけ戻って来てくれた。思い切りもてなさなければ、という認識なのだ。夜の部は文字通り、何でもありの祭りとなる。人々は祭壇に向かって両手を伸ばし、持参した飲食物を巫女に示す。取れたばかりの葡萄やリンゴ、栗きんとんやモンブラン、プリンにゼリーにヨーグルト、ステーキ天ぷら牡蠣フライ、烏賊の塩辛、真鯛の刺身……新しい味のうまい棒なんかを掲げている人もいる。巫女に選ばれれば宣伝効果は絶大なので、自分の店の人気メニューを掲げている料理人も多い。
巫女の好き嫌いがはっきりしている場合は巫女の好みに合わせた品が増えるが、今年度の巫女は好き嫌いなく何でも召し上がることで名高く、人々は自分が一番巫女に食べてほしいと思うものを挙って持ち寄っているようだった。史上最年少で筆頭巫女に選ばれたそうだから、今後数年は安泰だろう。
会場を見渡した巫女は、隅で埋もれそうになっていた老爺を指名した。和帽子と白作務衣の老爺が掲げる紙皿には、美しいオレンジ色の柿羊羹。報道のビデオカメラが巫女と老爺に近づき、禰宜の持つマイクが巫女の呟きを拾う。
「とっても綺麗……そして、美味しい! ……なんて、すっきりした、柿の甘味……」
巫女の顔も、老爺の顔もほころぶ。江戸時代から続く和菓子屋の九代目で、素材にこだわった和菓子を作り続けてきたが、後継ぎが居らず、店はもう数年で畳まねばならないだろうとのこと。数多の菓子をお召しになっている巫女様から、お褒めの言葉を賜り、最後の最後に最高の、冥途の土産ができました。先祖に自慢します……涙ながらに語る老爺のもとへ、人ごみをかき分けながらやってきた短髪の青年が、直角に近い角度で勢いよく頭を下げる。
「加藤一也と申します! 和菓子やりたくて、専門学校通ってます! 製菓衛生士も持ってます! 弟子入りさせていただけませんか!?」
「……と、こちらの方は仰っておられますが、いかがでしょうか? 私からも、よろしければ是非、ご一考をお願いします。この味が絶えてしまうのは惜しいもの……」
「ご一考も何も……いや、言葉が見つかりません……もう何十年も弟子を探してきたのに……ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……」
群衆から歓声が上がり、老爺は何度もおじぎを繰り返しながら壇上を降りた。続いて指名されたのは、日に焼けた中年女性の掲げる和梨。首都圏にある有名大学の農学部を卒業後、一度は大手企業の正社員になったものの、両親の介護をきっかけに脱サラして地元に戻り、以降農業に従事して十八年。地元の研究所と地道に行ってきた品種改良が実を結び、ようやく自信をもって巫女様に薦められる梨ができたとのこと。
「このみずみずしさは、新鮮ね。最近はベタッと甘さばかりを追求したような柔らかめの梨が多い気がするけれど、この梨は甘酸っぱさとかシャキシャキ感が殊に際立っているわ。私はもう、そこそこ食べ続けているけれど、これならいくらでも食べてしまいそう……」
「そうなんです! まさしく! 甘酸っぱさと食感に極限まで拘った梨でして……!!」
これは売れるな……案の定、祭壇から降りた女性は、報道陣や飲食店経営者に囲まれていた。
巫女の意識が保たれている間は、こんな調子で、たくさんの微笑ましいやりとりが続く。ここで何名の願いを聞き届けられるかは、ひとえに巫女の力量へ依存しているのだ。大きなものや油ものなどを避ける巫女も多い中、今年の巫女はチキン南蛮やバターケーキなども臆することなく指名し、ハイペースで平らげていった。あまねく全ての人々に恩恵があるようにという、巫女の慈愛が垣間見える。
そうしてさらに百数十人分の供物を納め続けてきた巫女だったが、とうとう22時過ぎに限界が来た。いや、限界など、とっくの昔に超えていて、気力で食べ続けていたのだろう。束の間の休息でまた二回りほど小さくなったとはいえ、かれこれ20時間以上も食べ続けてきた身体なのだ。おかしくならない方が、おかしいとも言える。新しく開店したカフェのスコーンを食べている途中で、巫女の目線が一瞬泳ぎ、身体がグラリと倒れかける。
「怜璃さま!」
「お支え致します!」
「水を! 水を!」
周囲の禰宜が巫女に駆け寄り、巫女を胡床から立ち上がらせた。桶に入った冷水を浴びせられて、巫女の意識が再び戻る。立ち上がったことで、大腿による下腹部の圧迫が幾分かは減じられたのだろう。巫女はスコーンの残りを咀嚼すると、腹部の凶暴な膨らみを愛おしむようにさすりつつ、熱狂する群衆を見回した。何とか巫女様に召し上がっていただきたいと、参拝者は祭壇に向けて手を伸ばす。無数に伸ばされた手の上に食料が載せられている様は、一面の花畑のようだ。
(続きます)
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