ご感想に応じて、外伝追加(新嘗祭2)
陽が傾く頃までには、巫女の表情は苦しそうに陰り、呼吸は短く浅くなっている。夕暮れ間近の参拝者は、皮膚の薄皮を僅か一枚隔てた先に、握り飯をみっちり詰め込んだ胃袋の確かな手応えを触れるらしい。たまに参拝者がお腹を強めに押すと、巫女は「うっ」と一瞬苦しそうな表情を浮かべ、「ゴゲーッ」と大きな曖気を響かせる。巫女の咀嚼が鈍ったときは、お腹を強めに押して曖気を促すようにと、この時間の参拝者は順番待ちの間に神主から指示を受けているからだ。お腹のガスが抜けるたび、そのスペースに新たな握り飯を押し込んで……この時間の巫女は、日没の舞を心待ちにしながら、自らの手で粛々と握り飯を胃に詰めていく。あと太陽二つ分……あと太陽一つ分……巫女経験者から聞いたところによると、最後は時間が極めて遅く感じられるそうだ。
陽が落ちていくにつれて、胃袋は着実に張っていく。陽が水平線にさしかかって欠け始めれば、昼の部最大の難所と言っていい、甘酒の奉納式となる。少しでも腹部を球体に近づけ、甘酒の入る隙間を捻出するため、巫女はゆっくりと立ち上がる。当然、真っすぐ立つことなどできず、股を開いた格好で両脚はプルプルと震えている。
「美しい夕暮れだ……」
「今年もゆらゆらと、揺らいでおられる……」
再び氏子たちは両手を合わせ、巫女の腹部を拝む。真っ赤に火照り、血管が浮き立ち、薄皮一枚隔てた裏の胃袋に詰まった米粒一粒一粒まで透けて見えそうなほどパンパンでまん丸の腹部が震える様は、ゆらぐ夕陽のように見えなくもない。
堪忍した表情で巫女は再び盃を掲げる。小刻みに震える白き細腕に支えられた盃へ、再び一升の甘酒がなみなみと注がれていく。今日だけで既に三升の甘酒と数百の握り飯を納めてきたというのに、これからさらに一升を飲み干なければ、しばし休むことすら許されないのだ。精神的にも限界が近いのだろう。巫女によってはここで、ひと筋の涙をこぼすこともある。
…………こくっ…………………はあっ………はあっ…………こくっ……………はあっ…………はあっ……はあっ………あはっ…………
甘酒は過去三回のようには、巫女の胴体に入っていかない。巫女の腹は既に遠目からでも分かるほど緊満しているのだから、当然と言えば当然である。
巫女は甘酒を数口飲むたび従者に盃を預け、自らのパンパンに張り詰めた腹部の皮膚を両側から拳で押し込む。それに伴って、胃袋の形がくっきり分かるほど上腹部や下腹部が飛び出し、苦しそうな巫女の口から、再び僅かな空気が漏れ出る。そうやって捻出した空間に再び甘酒を注ぎ込むべく、巫女は盃を受け取って再び数口喉を鳴らす。
聞いたところによると、巫女は普段から巨大なお腹で生活しているため、太腿や臀部をはじめとする下半身の筋肉や、前屈みになったときのお腹の重さに耐える背中の筋肉は、自然と一般人女性より発達するし、近年では体重管理の一環として修行後のスクワットなども取り入れているらしい。しかし、胃袋が膨らむのを阻害し得る腹筋だけは、幼少期から絶対に発達しないよう、所作の一つ一つに至るまで厳しい躾が入るのだそうだ。そのため巫女の腹筋は驚くほど貧弱で、こうして外から押してやらない限り、お腹に力を入れてゲップしたり吐いたりすることすらできないのだという。巫女のお腹は、やってくるものを限界いっぱいまで一方的に受け入れ続けるだけの仕様になっているのである。
さて、そうやって巫女がお腹を押しながら甘酒と格闘している間に、陽は完全に沈み、巫女の前で日没後の舞が始まった。巫女にとっては先程と逆の意味で、時間との闘いになる。舞が終わるまでに甘酒を飲み干せなければ、そのまま本殿に戻ることなく夜の部を続行しなければならないからだ。胃袋の中へ詰め込んだ握り飯に、一升の甘酒がじわじわと染み込んでいき、巫女の内腔を更に膨らませる。今年の巫女は真っ赤な顔で涙を流しながら、それでも舞の中ほどで何とか盃を空にし、従者2人に肩をかりて、おぼつかない足取りで本殿へと退席していった。新嘗祭の終了まで残すところ約7時間。献身的な巫女が束の間の安らぎと回復を得られるよう、一市民としては祈るばかりだ。
(続きます)
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