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『金喰い令嬢』と宿敵

 以前、ヴァレリアンと食事をしたレストラン。

 さすがに入店するかどうか分からないのに予約をするのははばかられたので、一旦屋敷に戻って身仕度を調えたルチナはレストランに向かい、その入り口付近に立って待つことにした。


(……そう。思い返せば、ここで食事をしたのがきっかけだった)


 将軍閣下に食事に誘われて緊張していたルチナだが、「閃火の剣」を出すとすぐに気持ちがほぐれ、調子よくしゃべることができた。

 ヴァレリアンは話し上手の聞き上手で、話すときにはゆっくりと順序立てて自分の考えを述べてくれたし、聞くときにはルチナの言葉に相づちを打って最後まで耳を傾けてくれた。


(そういうところが本当に、誰かとは大違いね)


 あの、自分に酔ったようなポエムを送りつけてきた男。

 思い返せば彼は自分の話をするのは好きだったが、ルチナの話を聞くときはいつも面倒くさそうだし、自分の興味のないことだと「僕、そういう話を聞きたいんじゃないんだけど」と強引に打ち切ってきた。

 彼とは珍しく、おいしいものが好きという共通点もあった。だがそれについても彼は自分が好きなものだけ語り、ルチナの話は全く聞こうとしなかった。


(……今では、あんな男のどこがよかったのか分からない)


 十代だった自分は、何も知らなかったのだろう。

 そして、ヘンリックに捨てられるのが怖くて、彼と結婚できなければ意味がないという強迫観念にも近い状態になり、両親や伯父たちから彼をかばうまでしていた。


『ルチナ』


 目を閉じれば、ヴァレリアンの声がよみがえる。

 公爵家の縁者で将軍という恵まれた立場でありながら、驕り高ぶったりはしない。凜としているかと思ったら好きな本について語るときは少年のように目を輝かせるし、王城の廊下でルチナに挨拶するときにはどこか色気さえうかがえて――


「……ルチナ?」


 ぼんやりと考えごとをしていたルチナは、反応が遅れた。

 だから相手に距離を詰められ――いきなりぐいっと手首を掴まれた。


「きゃっ!?」

「ああ、やっぱりルチナだ! 僕の奥さんは、いくつになってもきれいだ……!」


 顔を上げると、どこか見たことのある顔の男が恍惚とした表情を浮かべていた。

 顔つきには見覚えがある……が、かつての彼はここまでひげを伸ばしていなかったし、もう少しきれいらしい服を着ていたはずだ。


 ――ざわ、と体中の血液が逆流したかのような不快感に襲われる。


「……ヘンリック!?」

「そうだよ、君の愛しい旦那様だ」


 男――ルチナの元夫はにっこり笑うと、ぐいぐい腕を引っ張ってきた。慌てて踏みとどまると、足下でレンガ石がぎゅっと不快な音を立てた。


(なんでここに!?)


「ちょっ、やめて! というか、あなたはもう私の夫じゃないでしょう!」

「書類上はね。でも、僕たちが愛し合う限り僕たちの絆が断たれたりはしないよ」

「気持ち悪いことを言わないでくれる!?」


 ルチナはカッとして言い返すが、ヘンリックは心底不思議そうな顔で首をかしげた。


「気持ち悪い? ……ああ、そうか。君は五年前、あの女にひどいことをされたのを根に持っているんだね。かわいそうに」

「ひどいことをしたのはむしろ、あなたでしょう」

「僕も君も、あの女にだまされていたんだ。……聞いてくれよ。あの女、出会ったときには君より年下の十七歳だと言っていたのに、実際は僕より十近く上だったんだ」

「それにだまされる方がどうかと思うわ」


 あの女性は年齢不詳の美女だったが、かなり化粧が濃かった。だがそれにしても当時二十歳だったとは見えなかったので、それにだまされたヘンリックの判断力と視力に問題があるのだろう。


 レストランの周りには他の客もいるが、「けんかか?」「夫婦げんかだろう」と遠巻きにするだけで、ルチナはずるずると物陰に引き込まれてしまう。


「とにかく、離して。離さないのなら蹴るわよ」

「ふふ、そうやってジタバタする君はいくつになっても可愛いね。でも君に蹴られても痛くも痒くも……ふげぉえっ!?」


 しつこいので思いっきり腹部を蹴り飛ばしたら、変な声を上げてひっくり返った。ルチナとの離婚後まともな生活を送っていないのか、五年前よりもかなり痩せ細っているとは思っていたが……相当だったようだ。


(……本当に、嫌な男!)


 けっ、とつばを吐きたい気持ちできびすを返したルチナだが、いきなり背後からぐいっとスカートを引っ張られて、前に倒れ込んでしまった。


「うあっ!?」

「……ふ、ふふ。まったく、お転婆すぎるのも考えものだよ? これじゃあ、しっかり『調教』し直さないといけないね?」


 不気味な声に振り返ると、ルチナのロングスカートの裾をがっちりと掴んだヘンリックが不気味に微笑んでいた。しかもそのままぐいぐい引っ張られるものだから、スカートをめくられて下着が見えないようにするためにはルチナが後退せざるを得ない。


「な、何するのよこの変態! クソ男!」

「ルチナー? 僕は、君のためを思って言っているんだよー?」


 にやりと笑って言われて、ルチナは歯をかみしめた。


『君のためを思って言っている』

『君が悪い』


 かつての自分は、この言葉に縛られていた。


「……そんなの、私のためじゃない」

「何?」

「あなたは、女を自分の思い通りにしたいだけでしょう! 自分の思い通りにならないから、『調教』とか『君のため』とかと都合のいいことを言っているだけ! 結局は自分に自信がなくて、女を縛り付けることでしか自尊心を保つことができないんでしょう!?」


 それが、五年前のルチナが言えなかったこと。

 五年間自由に過ごすことでやっと見えてきた答え。


 とたん、ヘンリックの目の色が変わった。不気味なニヤニヤ笑いを消した彼は、いきなりルチナのスカートをぐいっと持ち上げた。

 ザイエンス王国では、女性が太ももをさらすのは愛する男性の前だけ、とされている。恋人でも何でもない元夫に太ももを見られるなんて、恥辱以外の何でもない。


「いやぁっ! このっ……! クソ野郎! 離せっ!」

「違う、僕は悪くない! 君だ……おとなしくしない、君がいけないんだ!」


 ヘンリックがそう叫んでルチナの太ももに手を伸ばそうとした――途端。


「……貴様っ!」


 怒声と共に鈍い音が響き、ルチナの目の前からヘンリックの姿が消えた。……正確には消えたのではなくて、横から強烈な蹴りを食らったヘンリックが吹っ飛び、そのままゴロゴロと馬車道の方まで転がっていっただけだったが。


 スカートを両手で押さえてはあはあ息をついていたルチナは、恐る恐る顔を上げた。夜空をバックに立っている、その人は――


「……ヴァル様……」

「すまない、ルチナ! まさか、こんな往来で不審者が現れるとは……警備を強化せねばならない」


 肩で息をつきながらヴァレリアンが言ったので、ルチナはふるふると首を横に振った。


「ち、ちが……いえ、違わなくはないけれど……あの人、私の元夫です」

「はっ? アレが?」

「ええ、アレです」

「……おまえっ! いきなり暴力を振るうなんて、騎士団に通報してもいいのだな!?」


 どうやら今の間にヘンリックは立ち直ったようで、全身ボロボロのヨレヨレになりながらも悪態をついて戻ってきていた。

 だがルチアの前に立ち塞がったヴァレリアンは、ふんと鼻で小さく笑った。


「ああ、よく言っておけ。……自分は己の不貞行為が原因で離縁した元妻に無理矢理迫ったので、ヴァレリアン・クロムに仕置きをされたのだと」

「ヴァレリ……。……え? ま、まさか、『氷華の将軍』……!?」

「確かにそうだが、その名はあまり好きではないので呼ぶな」


 ヴァレリアンが少しむっとしつつ言うと、瞬時にヘンリックの顔が赤から青に変わっていった。

 まさか、目の前にいる男が騎士団のトップに位置する将軍だとは思っていなかったようだ。


「わ、え、ええ、それは……。……そ、そう! 将軍閣下が叱責されるべきは、その女です! あろうことかその女は、今になって僕との再構築を願ってきて……」

「いや、それはないだろう。彼女がそういうことを願っていないことを、俺は知っている」

「えっ」


 ヴァレリアンは呆然とするヘンリックを一瞥すると、胸ポケットから出した笛を吹いた。あの独特の音を出す笛は、騎士団の招集に使うものだ。

 間もなく巡回中らしい騎士がやってきて、「将軍閣下!」と敬礼した。


「お疲れ様です! どうかなさいましたでしょうか」

「そこの男が、淑女に対して不埒な行いをしていた。徹底的に調べ上げ、絞っておけ」

「かしこまりました!」

「まっ……! 違います! 聞いてください、将軍閣下!」


 ヘンリックは青い顔で言い訳をするが騎士にあっさり捕縛され、ずるずる引きずられていった。 

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[一言] 変態がヴァル様によって駆除されてスッキリしました。
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