『氷華の将軍』の趣味仲間
「閃火の剣」シリーズを愛読するヴァレリアンは、初版限定付録のしおりをきっかけに、読書仲間と知り合うことができた。
彼女も言っていたように、「閃火の剣」シリーズはとても面白いファンタジー小説なのだが、上流階級ではあまり読まれない。となれば、貴重な同志を大切にせねばならない。
「……お待たせしました、将軍」
「気にしなくていい。それから……今の俺たちは将軍と侍女ではないのだから、普通に名を呼んでくれた方が嬉しい」
城下町にあるレストランにて、先に席に着いていたヴァレリアンが言うと春物のコートを脱いだルチナは少し戸惑いながらも、「では……ヴァレリアン様」と呼んだ。
名前で呼んでくれて嬉しいが、いくら外出用にお互い変装しているとはいえ、その名前でピンとくる者もいるかもしれない。
「できれば、ヴァルと呼んでくれ」
「そ、それはさすがに恐れ多いです!」
「何を言うか。俺たちは……その、仲間だろう」
ヴァレリアンがあまり慣れない単語を口にするとルチナは戸惑いつつも了解して、ヴァレリアンが引いた椅子に座ってくれた。
先日、ヴァレリアンはルチナに手紙を送った。慣れないことなのでうんうん唸りながら考えたその内容は、「趣味の話をしたいので、一緒に食事に行かないか」というもの。
同性ならともかく、女性を食事に誘ったことなんて一度もないので内容も悩んだし、断られたらどうしよう……と鬱々していたのだが、ルチナは快く承諾してくれた。
席に着いた二人は料理を注文した後……。
「……例のものは持ってきたか?」
「ええ、もちろん」
そう言うとそれぞれの鞄に手を入れ、中から「閃火の剣」最新巻を出した。
(……ほう、手製のカバーをしているのだな)
ヴァレリアンは「読書用」「観賞用」「保管用」「布教用」の四冊買うタイプなのだが、ルチナは一冊のみ買いお手製のブックカバーで丁寧に包んでいるようだ。
「実は私も発売日に仕事を休ませてもらって買いに行き、その日のうちに一気読みしました」
「なんと、一日で読めるのか。俺は実はあまり読むのは速いほうではなくて、三日ほど掛かってしまった」
「あ、それなら私も同じですよ。私は一日で読破したら、その後数日掛けて読み直すのです」
「ほう、それは面白い読み方だ」
人が違えば、読書スタイルも違う。
当たり前のことなのだが、これまで読書仲間に巡り会えなかったヴァレリアンにとってはこういうことを知るのも新鮮でおもしろかった。
食事をしながら、二人は「閃火の剣」シリーズについて熱く語り合った。
ヴァレリアンはどちらかというと手に汗握る戦闘シーンが好きなのだが、ルチナは心理描写の緻密さやほんのり含まれる恋愛シーンの方が好きだという。
そして、ヴァレリアンとルチナの最推しが主人公であるのは共通だが、二番目の推しがヴァレリアンは主人公の親友であるのに対して、ルチナは主人公の亡き師匠だった。
「……確かに、師匠の生き様には俺も感動した。死の間際まで誇りを失わずに戦う姿には、敬意を払わざるを得ない」
「ふふ、ですよね。でもヴァル様がおっしゃるように親友のゼロも格好いいですね。私、彼が海辺の戦闘シーンでどうして主人公を一度突っぱねたのか分からなかったのですが、ヴァル様の説明でしっくりきました」
「あそこは俺もとても気に入っていたシーンだから、理解してもらえたら嬉しいな」
食事をしながらの小説談義は、とても盛り上がった。
(気のせいだろうか。いつもよりずっと、飯もうまく感じられる)
将軍になる前は大食堂で皆と一緒に食べていたのだが、最近は自室で一人で食べることが多かった。何度か部下たちを誘ったりもしたのだが、「恐れ多いです!」と遠慮されてばかりで……仕方ないと思いつつも、寂しかった。
「……今日は本当に、楽しかった」
食事を終えて談義も一区切りついたところでヴァレリアンがつぶやくと、上品に口元を拭いていたルチナも満足そうに微笑んだ。
「ええ。……私、冒険譚を女性が読むなんて、って言われていたので、まさかあなたとこうしておしゃべりできるとは思わなかったです」
「なんだ、そんな失礼なことを言う輩がいたのか」
「はい、私の元夫が」
ルチナがそう言った瞬間、ことん、とヴァレリアンの胸の奥で何かが倒れるような音がした。
(元……夫……!?)
「き、既婚者だったのか。それは知らなかった」
「あ、いえ、既婚者と言うほどではありません。夫との結婚生活は一ヶ月で終わりましたし、夫婦らしいことは何もしていないので」
「一ヶ月?」
思わず聞き返すと、ルチナは少し困ったように微笑んだ。
「……あまり気分のいい話ではないのですが、簡単に経緯を説明しましょうか」
「……そうだな。あなたさえよければ、聞かせてくれ」
「かしこまりました。……私は五年前に、婚約者と結婚しました」