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『氷華の将軍』と侍女

 ある日、ヴァレリアンは王女が主催するお茶会の護衛に就くよう命じられた。

 普通なら将軍ともあろう彼が王女のティーパーティーの護衛を務めることはないのだが、今日の茶会には留学中の隣国王子もおり――誰も言葉にはしないが実質お見合いのような役目も果たしているため、ヴァレリアンに警備責任者の役が任されたのだった。


 ザイエンス王国には二人の王子と三人の王女がおり、第一王女であるアニエラは今年で十八歳になった。才色兼備で利発な彼女をどこに嫁がせるか国王も真剣に考えているようで、今回茶会に招いた隣国王子は最有力候補だという。


(……アニエラ殿下が恥をかかれてはならない。準備から念入りにせねば……)


 慎重派のヴァレリアンは何度も計画書を読み直したし、お茶会会場に足を運んでテーブルセットに不備がないかや花園の開花具合なども自らの目で確かめに行った。


 そしてお茶会前日、彼はアニエラ付きの筆頭侍女と最終打ち合わせをすることになり、王女の離宮に向かった。


「お初にお目に掛かります、将軍閣下。アニエラ様付き侍女のルチナ・フィッツァーと申します」


 応接間で待っていたヴァレリアンのもとに来たのは、シンプルだが品のある若草色のドレスを纏った若い女性だった。

 若いといっても、筆頭侍女となるくらいだから二十代後半くらいにはなっているだろう。手足が長くてすんなりとした体を持っており、赤茶色の髪を後頭部で団子にまとめている。慎ましく振る舞うためか今は目を伏せ気味だが、澄んだ青色の目はきっとぱっちりとしているのだろう。


 絶世の美女ではなくて、穏やかそうな雰囲気の女性。アニエラはウィットが効いていてぽんぽんと言葉を交わせるような者が好きらしいので、王女のお気に入りらしい彼女はきっと賢い女性なのだろう。


「ヴァレリアン・クロムだ。今回は王女殿下主催の茶会を成功させるため、どうぞよろしく頼む」

「こちらこそ。未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします」


 ヴァレリアンが挨拶すると、ルチナは礼儀正しく腰を折ってお辞儀をした。とてもきれいな所作で、日常的にきれいなものを見慣れているヴァレリアンも思わずじっとその姿を見つめてしまった。


 テーブルを挟んでそれぞれソファに座った二人は、持ち寄った資料をもとに明日の茶会の最終確認を行った。


「明日は今のところよく晴れそうだが、庭師によると少し湿った空気になりそうとのことだった。王女殿下のお召し物において、不都合などはないだろうか」

「そうですね……春の暖かい季節なのでガーデン用ドレスの上に一枚羽織る予定でしたが、湿度が高くなりそうなことを考えると生地は薄めでもう少し通気性のよいものに変えた方がよいかもしれませんね」

「了解した。騎士団の警備だが……王子殿下側から、少し離れてほしいという依頼があった。その点についてもあなた方に不都合はないか?」

「どうやら王子殿下にとって四方を護衛でガチガチに固められた状態で茶会、というのは息苦しく感じられるそうですね。お二人が心地よい時間を過ごされるのが一番ですので、王子殿下のご希望通りにわたくしたちの配置を調整します。騎士団の方々には、王子殿下の近くに行けない分周囲の花園などで待機していただくことになるかと」

「そのようにしている。……念のため、部下の配置を再確認しておこう」

「はい、お願いします」


 ルチナはポンポンと言葉を返してくれる。

 仕事だからと言われればそうなのだが、ヴァレリアンを過大評価せずにただ目の前にある仕事だけに向き合っている彼女とは、肩の力を抜いて話すことができた。ヴァレリアンが所属する騎士団には女性がいないため、あまりこうやって同じ年頃の女性と仕事の話をする機会もなかった。


(アニエラ殿下は、とても優秀な女性を側仕えにしたようだな)


 アニエラは頭も口もよく回るので、ルチナくらいはきはきと即答できる女性でないと王女のノリについていけないだろう。

 そんなことを思いながら、ヴァレリアンは資料をめくったの……のだが。


(……ん? 視線を感じる……?)


 ふと顔を上げると、それまでは基本的に伏し目がちだったルチナと一瞬だけ視線が合い、そしてさっとそらされた。


(……気のせいか?)


 見られることには慣れてしまっているので、少々顔を見られたからといって怒るつもりはない。

 だが、その後もルチナは自分の資料だけでなくヴァレリアンの手元や顔をちらちらと見てくるようになった。ヴァレリアンと視線が合うと何気ないフリを装ってそらされるが、間違いない。


 ……少しだけ、寂しいと思ってしまった。

 彼女のまなざしは、いつもヴァレリアンを褒めちぎってくる人たちのそれとよく似ていると気づいてしまったから。


(だがまあ、仕方ないな)


 彼女は臨時の仕事仲間で、王女殿下の茶会が終わればまた会うことはなくなる。

 ……そう思っていたのだが。











 王女主催の茶会はつつがなく終わったどころか、王女と王子は「絵を描くのが好き」という共通の話題を見つけたようで、皆の想像以上に話が盛り上がっていた。

 国王も、娘と隣国王子の趣味が一致するとは思っていなかったようだった。だがこれは隣国との繋がりを強化させるチャンスだとほくほくの様子で、茶会のとりまとめをしたヴァレリアンも特別報酬をもらった。そんなつもりはなかったのだが、「おまえたちが念入りに準備をしたというのも事実だろう」と言われたので、ありがたく受け取ることにした。


 ……ということで王女のお茶会も終わり、またヴァレリアンは仕事は楽しいがそれ以外には憂鬱にもなる日々に戻った、のだが。


「……」

「……」


(……見られている)


 視線を感じて振り返ると、やはりそこにはシンプルなドレスを着た女性の姿があった。柱に隠れているつもりのようだが、丸見えだ。

 今日彼は別件の用事があり、王女の離宮を訪れていた。その帰りに、ずっと背中から何者かの気配を感じていたのだ。足音を忍ばせたりする特別なスキルを持たないずぶの素人の気配で、しかもさらさらとドレスの布地の音がしていたので、もしかしたら……とは思っていたが。


「……フィッツァー女史?」

「っ……ご、ごきげんよう、将軍閣下」


 思い切って呼ぶと、ルチナはすごすごと物陰から出てきた。

 あんな下手くそな尾行だからバレても当然だろうに、見つかったことが恥ずかしいのか彼女の色白の頬がほんのり赤くなっている。


「その、先ほどからあなたの視線を感じていたのだが。私は何か、忘れ物でもしただろうか?」


 一応部屋を出る際に荷物の確認はして全て部下に預けたのだが、ハンカチ一枚くらいは落としていたかもしれない。

 だがルチナは首を横に振ると、ちらちらと辺りに視線を走らせた。


「あの、将軍閣下。ほんの一分でいいので、時間をいただけますか? 仕事関係では全くないので、お断りいただいても構いません」

「いや、聞こう。私もこの後休憩時間だったので、仕事にも支障はない」


 そう答えながら、ヴァレリアンは柄にもなく緊張していた。

 まさか、この清楚な雰囲気のルチナもヴァレリアンに告白してくるのだろうか……と思うと、重い気持ちになってくる。なんとなくだが、王女の側近として重用される彼女から今、そういう話を聞きたいとは思えなかった。


 ルチナは「ありがとうございます」とお辞儀をしてから、ヴァレリアンの横に立った。


「ええと。よろしければ、お耳を拝借したく」

「……ああ」


 ヴァレリアンは成人男性の平均程度の身長だが、それでもルチナとは頭一つ分ほど身長差がある。

 彼女のために身をかがめると、ふわ、と爽やかなコロンの香りが漂ってきた。


「あの、ですね。間違いだったらどうか忘れてほしいのですが」

「ああ」

「あなたは、その……『閃火の剣』シリーズを読まれていますか?」

「……………はっ?」


 思わず、変な声が出た。それもそうだ。

 今彼女が口にした「閃火の剣」シリーズとはまさにヴァレリアンの愛読書で、毎日早く家に帰ったら何度も読み返している冒険譚だった。

 だがいい年してファンタジー小説なんて、と言われたら嫌なので、愛読者であることは内緒にしている。だから、誰にもばれていない……はずだったのだが。


「な、なぜ、それを……!?」

「以前王女殿下のお茶会前日に打ち合わせをしたとき、閣下の資料にしおりが挟まっていたのですが」

「……」

「あれって確か、最新刊の初版限定付録ですよね?」


 そう、その通りだ。

 半月ほど前、わざわざ有給休暇を取って変装して城下町の書店に並び、発売したばかりの「閃火の剣」シリーズ最新刊を購入した。その初版には限定のおまけがついていた。


 おまけは、しおりだった。物語の主人公の家紋と彼のイメージカラーである青色をベースにしているわりとシンプルなもので、普段使いしても問題なさそうなデザインだ。

 これなら、仕事中に使っても見とがめられることはないだろう……と思って愛用していたのだが、ルチナに感づかれていたようだ。


(そ、そういえばあの日、やたら俺の顔や手元をちらちら見ていたが……!)


 愕然とするヴァレリアンに、ルチナは「えっとですね」と恥ずかしそうに言った。


「私も……好きです」

「っ……!?」

「好きなんです、『閃火の剣』シリーズ。……あまり上流階級では読まれない本なのですが、城内で読書仲間にお会いできて、本当に嬉しいです。……では、これで」


 ルチナはそう言うとお辞儀をして、たたっと駆け去っていった。

 残されたヴァレリアンはしばし呆然としていたが……ルチナの姿が完全に消えてから我に返り、顔を手で覆った。


(読書仲間……ああ、そうか、そうだったのか!)


 ふわ、ふわ、と胸の中が暖かくなる。

「氷華の将軍」は今、その渾名を溶かすほどの温かな感情に身を包まれていた。

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