実家の最寄駅近くにあった風変わりな金券屋
このお話は、1992年(平成4年)の事になります。
今やもう無い金券屋のお話ですが、そこの店主がかなり変わった方だったのです。
その金券屋は、映画のチケットがやたらに安い店で、映画の作品にもよりますが1枚の値段の相場が300~500円でした。
更に安いものは、1ヶ月有効の5枚綴りの映画のチケットが1000円だったのですが、1人で1ヶ月に映画を5回見るのはキツいので、家族や友達と行けば使い切れない事もないチケットだと思います。
(しかし、映画館がかなり限定されますが…)
毎月1日は、その激安チケットを求めに、地元の映画好きの方は大概その金券屋に行く訳ですが、如何せんその店がいつ開店するのかが分からないのです。
いつ営業するのかは、その店主が気紛れで決めているのか、午前中だけやっていたり、午後に2時間だけ開店したりといった感じで、開店しているのを見たことがない地元の方もいたくらいでした。
しかし、地元の映画好きの方は、その金券屋に不信感を抱く事は殆どありませんでした。
お店に来る人は、まず1枚券から買っていきます。
それが売り切れると、5枚綴りの映画のチケットばかりが残っているのですが、それを1000円で買って当月に1回しか映画に行かないと、4枚余る上に定価との差額にうまみが無いので、買わない人もいるのです。
とにかく、地元の映画好きの方は、激安チケットを手に入れたいと思っていました。
ただ、その金券屋がいつ営業するか分からないので、わざわざその店の前まで毎日のように自転車で来ていた方もいたぐらいでした。
何で不信感をもつ人があまりいないのかというと、早い話その金券屋が当月の早い段階で営業しない方が地元の映画好きの方にとっては都合が良かったのです。
それは、その金券屋が当月末日迄の映画のチケットを専門に扱っていたので、当月1日以降の営業が延びれば延びる程、店頭価格が下がるからです。
ついでに言うと、上記に書いた値段は当月1日に営業した場合の値段になります。
それが、営業開始が当月の1週間後になると、映画の券の値段がとんでもなく安くなるのです。
その時の相場は、だいたい1枚150円~200円になり、地元の映画好きの方はそれにありつく為に、更に金券屋の開店チェックをする方が増えるのです。
更に遅れて、当月の10日を過ぎてから営業開始すると、5枚綴りの映画のチケットが200円とか、もう何だかよく分からない値段になります。
その金券屋は、値段設定も変わっていましたが、会計方法も変わっていました。
カウンターの上にトレイが2個あって、基本お店を正面から見て左のトレイにお客さんが現金を置き、右のトレイに金券を置いてくれるのです。
何故ならば、店主はお客さんとの直接の手渡し販売を極度に嫌う方で、そのトレイを介してのみやり取りが出来るのです。
会計の時にお釣りが無い時は、左のトレイに現金を乗せると、一瞬で右のトレイに金券が乗ります。
(左のトレイ→右のトレイ)
しかし、お釣りがある時は途端に面倒臭い感じの対応になります。
左のトレイに現金を置くと、一旦振り返ってお釣りを取りに行くのですが、右のトレイにお釣りが乗って、店主が左のトレイの現金を引き上げます。
そして、右のトレイのお釣りを全部受け取るように言われ受け取ると、一瞬で左のトレイに金券が乗るのです。
お釣りがある場合は、お釣りと金券が同時に右のトレイから出てこないので、初めて買う人は迷う事が多いです。
(左のトレイ→右のトレイ→左のトレイ)
この金券屋の店主は、お金と金券のやり取りを、2つのトレイによってのみ成立させていました。
それが出来ないお客さんには、映画のチケットを売りませんでした。
とはいえ、店主の言われるままにトレイに置いていれば、激安チケットは買えるのですけどね。
地元の映画好きの方はそれをよく知っていて、お釣りがないようにして買っていました。
自分は、よく自転車でその金券屋の前を通っていましたが、大抵閉まっていたので、買うのはいつも父親でした。
実際に、自分がこの金券屋で映画の券を買ったのは1回だけでした。
その映画の券が使える所は、池袋、渋谷、日比谷、浅草、錦糸町が多かったです。
その当時、自分はよくに浅草行きましたが、父親から渡されるチケットはウルトラマンとかの特撮ものばかりでしたが、暇な時を見つけては行っていました。
昭和の古い映画も何本か観ましたが、先入観に囚われずに映画は観ておくものですね。
今でこそ映画上映の情報は、ネットで検索すればいくらでも出てきますが、当時は新聞を何枚か開いた所に、映画館の名称とタイトルと上映時間だけが小さく書いてあるだけでした。
それも、小さい映画館は新聞にすら書いていない事もあったので、よく映画館に上映時間を電話で聞いていました。
当月の中旬に、映画の激安チケットが手に入ると、家族で手分けして映画に行きまくっていました。
父親は月の中旬以降だと、勤務が終わると職場から映画館に直行する事が多かったです。
行っていた映画館は、古くて狭い所が多かったので、閉館が相次いだ頃にいつの間にかその金券屋が無くなっていました。
いかがだったでしょうか。
変わった金券屋だと思いませんか?
今回のお話は以上になります。
最後までご拝読頂き誠にありがとうございました。