6.彼の色
自室に戻るとシエナがアイラの戻りを待っていた。
白と淡いピンク色で統一されたアイラの広い部屋は、女性が好むような可愛らしい雰囲気になっている。
長年使っている部屋や家具だから今更感動することはないが、沢山のお気に入りが揃っていた。
幼い頃に両親からもらった誕生日プレゼントの人形や孤児院に行った時に子供にプレゼントされた拙い刺繍が施されたハンカチ。
花瓶に生けてあるアイラが好きなバラが良い香りを部屋に広げ、家の者によって丁寧に磨かれた大きな窓からは広い庭がよく見える。
扉で繋がっている衣裳部屋には季節や流行に合わせて様々なドレスや装飾品が並んでいた。
アイラがアイラらしくいられる大切な場所で、心配そうに自分を迎え入れたシエナに飛びつきたい気持ちを堪えながら報告する。
目を輝かせている主人にシエナは話を聞く前からアイラの願いが通ったことを悟ったが、アイラは興奮していて気付いていなかった。
「お父様に反対されなかったわ!これはシューバットとの結婚の許可を勝ち取ったのも同然よ!結婚出来る!」
「ええと…?」
正式にシューバットが結婚相手に決まったようにアイラは浮かれていた。
アイラが笑い掛けるとシューバットも同じように楽しそうに笑って。
アイラが疲れている時にはシューバットが温かく包んでくれて。
アイラが怒るとシューバットが戸惑いながらも一生懸命宥めようとしてくれて。
頭の中では純白のドレスを着たアイラとシューバットが隣に並んで永遠を誓い、父や母、家の者、それにシューバットの家族が盛大に二人を祝ってくれて、幸せいっぱいの結婚式の様子が鮮明に脳裏に描かれた。
笑顔の絶えない素敵な門出になるのは間違いないだろう。
嬉しそうに赤く色付く頬に手を当てて、ふわふわと笑っているアイラを微笑ましく思いながらシエナはソファに座るように促して、お茶の準備を始める。
アイラは慌てて顔を取り繕い、誤魔化すように黄緑色の髪を梳かしながらソファに腰を掛けた。
シエナがこちらを見ないことに安堵して、自分を落ち着かせる。
そして、冷静さを取り戻したアイラは一つ考えていたことを口にした。
「シエナ、一つお願いがあるのだけど良いかしら?」
「はい、何でしょう?」
「茶色い宝石を探して欲しいの」
「……もしかして、シューバット様の…?」
カップに紅茶を注いでいたシエナの手が一瞬止まるが、すぐにそれは再開された。
貴族社会では婚約者や結婚相手の目や髪の色の宝石を身に付けたり、ドレスにその色を取り入れることが多い。
夜会やパーティーに一緒に出席すればその二人は恋人同士、もしくは夫婦という証明となる。
また、「彼女は自分のものだから手を出すな」と周りに対しての牽制の意味を持つ。
本来なら、シューバットから自分の色を身に付けて欲しいとアイラに贈ってくれるのが一番嬉しいが、今の関係ではどんなに願っても不可能と言っていい。
茶の目を持つ人はこの国に多いけど、貴族というのは華やかな色味の宝石を好む傾向にあり、茶色い宝石は需要が低い。そのため、他の色と違って入手しづらく、店に並ぶ数も少なかった。
派手さもなく、落ち着いた色ではあるがアイラだけにはその色は何よりも美しく輝き、惹かれてやまない。
独り占めしたい宝石だ。
「お嬢様、それはなかなか難しいと思いますが…」
「手に入りにくいのは分かっているわ。でも、そこは公爵家の力を使ってどうにかお願い。時間はまだあるし、きっと見つかるわよ」
「…分かりました。指示を出しておきます」
こんなことに公爵家の権力を使うと聞いたら、シューバットは驚くだろうか。
おそらく彼が想像する高位貴族が使う権力は、もっと膨大で薄汚い。平気で人を脅したり、大金で問題を揉み消したり、欲しいものは手段を選ばずに手に入れるような、受け入れがたいもの。
実際にそういう使い方をする貴族がいないわけではないし、父も場合によっては権力を盾に有無を言わさずに従わせることもあるだろう。
当主になれば、アイラにも黒い権力を利用する時が来るかもしれない。
シューバットにはそんな重い責任を負わせるつもりはないから、力を振るうのはアイラの方になるだろう。
公爵家の権力を使って助けられる人がいるのならアイラは迷わず使うし、冷酷にもなれる。
ただ、そんな汚い自分はシューバットだけには知られたくない、と少しだけ気分が下がった。
しかし、今落ち込んでも仕方がない。
すぐに気持ちを切り替えてシューバットの容姿を思い浮かべる。
「あとは銀色の宝石も必要だわ。それともドレスに銀を入れて仕立てるべきかしら。明日、ここに呼んでくれる?」
「…残念ですが、アイラお嬢様。シューバット様の髪は目を細めてぼやかしながら見ても灰色です!」
「そ、そ、そんなことはないわ!光をたくさん当てたら銀に見えるはずよ!」
「それは……ただ光の色になるの、では?」
歯切れが悪く、視線を濁すアイラにシエナは小さな声で突っ込みを入れながら静かにローテーブルの上に紅茶を置くが、アイラは全力で聞こえない振りをした。
湯気を立てる紅茶が入った白塗りに金の装飾が施されているカップを持ち上げて、アイラは香りを楽しんでから口を付ける。
ストレートでも渋みは少なく、すっきりとした味わいの紅茶はアイラの好みのど真ん中を貫いていた。
さすがシエナね、と満足げに微笑んでいるとアイラが次に望むことを察して、シエナがマドレーヌを勧めてくれる。
アイラは甘い物が大好きだ。
高級菓子店の生クリームたっぷりのケーキも好きだが、シンプルで素朴な味のクッキーやスコーンを紅茶と共に食べるのが忙しく働いているアイラには最高に幸せな一時。
いつかシューバットと一緒にこの時間を楽しめたら、何倍にも幸せが膨れ上がっていることだろう。
「お嬢様、これからの作戦を聞かせて頂けますか?私も出来る限りの協力をいたします」
「作戦?」
「シューバット様をアイラお嬢様にメロメロにさせる作戦ですよ!」
「め、めろめろ…!?」
「あの方はお嬢様のお気持ちにまっっったく気付いていないご様子。非常に鈍感で、なかなかに手強い相手です。生半可な作戦では太刀打ち出来るはずがありませんっ!」
胸の前で両拳を力強く握り締めて鼻を膨らませているシエナはアイラよりも気合十分で、彼女に気圧されながら何度もコクコクと頷く。
シエナの言う作戦のことは屋敷に帰って来てからずっと考えていたことだ。
彼女が恋愛経験の足りないアイラの味方になってくれるというなら心強い。シエナは既に結婚していて、良いアドバイスがもらえそうで助かった。
自分がシューバットを相手にすると素直になりきれていないのは理解しているが、シューバットはアイラ以上に恋愛に対して鈍い。
シューバットの前でアイラの顔が赤くなってしまうのは、恐怖や熱のせいではない。
単純に恥ずかしくて、ドキドキして、感情が肌に現れてしまうだけだ。
意図的ではなく、自然とそうなってしまうからアイラはこれからの悩みの一つになりそうな予感がしている。
シューバットのことを知らなかったシエナでさえ、アイラが恋に落ちたことに気付いたのに肝心の当の本人には全然、届いていない。
アイラに好かれていると微塵も気付いていないのだろう。
こんなにも焦がれているのに。こんなにも好きで堪らないのに。
嘆いても現状は何も変わらない。
一つずつ積み重ねて、シューバットと永遠の誓いをしてみせる。
父は一年後と言ったけどもっと早くてもいい。彼の隣に並んで、シューバットは自分のものだから手を出すなと皆に知らしめたい。
「……まずは、シューバットの好き嫌いを知りたいの」
「なるほど。好きな物を好きなだけ与えて、甘やかす作戦ですね!」
「違うわ、私が知りたいだけよ。それに…、シューバットには心から……好きになって欲しい」
大金や高級な宝石、豪華な料理を差し出すのは簡単でも得られるのは表面上の感謝か、遠慮だろう。
アイラが求めているのはそんなものじゃない。
もっと情熱的で、ケーキのように甘く、時々切なく、しかし他の何物にも代えられない、そんな宝物。
偽物でも、作り物でもない本物の心をこの先もずっとアイラだけに向けて欲しい。
彼の温かな笑顔をこの先も独り占めしたい。
「……アイラお嬢様は本当に、シューバット様のことが好きなのですね」
「好きよ、大好き。こんなにも心から想える相手に出会えるのはきっともうないわ」
馬鹿王子と一緒にいる時は交わす言葉は最小限、なるべく触れられないように神経を尖らせ、不仲と周りに思われない距離感を保っていた。あのまま結婚していても上手く行っていたかは分からない。
でも相手がシューバットだと、もっともっと話をしたいと思う。
触れられるのは緊張してドキドキするけど嫌悪感は一切ない。彼の腕の中ではきっと安心出来るし、身を任せられる。
今まで一度も感じたことのない複雑な感情に振り回されることは増えたが、それすらも喜んでいる自分がいる。
こんなことは、人生で初めてだった。
「シエナ、私は少し休んだらシューバットの所に行くわ。夕食前にお父様と会うことになっているから伝えないと」
「分かりました」
「それと今日はお客様の歓迎会をすると厨房に伝言をお願い」
「はい」
シューバットが客室でアイラと同じように長距離の移動で疲れた身体を休ませているのを想像しながら、シエナにお願いした。
屋敷の女主人の仕事も担っているアイラには、厨房に指示が出来る立場にある。
シューバットを公爵家に迎える今日ぐらいは豪華な夕食になっても父もセバスも文句は言わないだろう。
しばらくは護衛として雇うことになるだろうが、彼は公爵家に婿入りする予定の大切な人なのだから。
シューバットが喜んでくれると嬉しいけど、遠慮してあまり口にしないかもしれない。
そこはアイラの腕の見せ所であると密かに気合を入れる。
アイラがシューバットの口にスプーンを運んで食べさせてあげるとか、色々とやり方はあるはずだ。
想像するだけでポッと顔が赤く染まったアイラをシエナは生温かい目で見守った。