4.公爵令嬢が求めるもの
ここまでが短編の内容になります。(後半部分は一部削っています)
暴力未遂表現がありますのでご注意ください。
ロザンヌが殿下に詰め寄っている中、公爵令嬢はシューバットが来てから初めて口を開いた。
「陛下、私から一言だけ申し上げたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「許す」
ロザンヌとは違い、陛下の許可を取った公爵令嬢は慈悲深い穏やかな顔で、殿下とロザンヌの方へ身体の向きを変えた。
「ロザンヌ様、私は殿下とは小さい頃からの知り合いですので是非貴女に伝えたいことがあるの。彼はね、昔から女性の胸に顔を埋めるのが大好きで、乳母や王妃様によく抱き着いていたのよ?ダンスを覚えるようになってからは、パートナーに不自然なぐらい身体を密着させていたわ。私は随分と苦労したけど、ロザンヌ様は喜んで殿下の性癖ごと愛で受け入れてくれるのね!そんな貴女に殿下を任せられるのなら、私も安心出来るわ。他の女性が犠牲にならないようにこれからも殿下のことをお願いね?」
「アイラッ!!!」
彼女は一言と言ったはずなのに、熱の籠った声で随分と長く話をしていた。
それも殿下の人には知られたくない過去をたっぷりと織り交ぜて。
拳を震わせながら顔を真っ赤にさせて殿下は咆哮するが、公爵令嬢は気にした様子もなく、涼しい顔で微笑んでいる。
婚約破棄されて喜んでいるような口振りに薄ら寒いものを感じながら、シューバットは必死に何も聞いていない振りをした。
この人も兄同様に、敵に回したくない一人に認識を改める。
これだから高位貴族は怖いのだ。是非とも二度と関わらないことを願いたい。
ロザンヌは彼女の悔しがる顔を見られないことに腹を立てると思ったが、暴露された内容にぎょっとして隣にいる殿下から距離を取る。
幸いにも、公爵令嬢に怒りを向けている殿下は気付いていない。
あれだけ積極的にロザンヌ自身がアピールしていたのだから今更文句は言えないだろう。
口を挟んで飛び火したら困るので実際に声に出すつもりは全くないが。
「ああ、そうそう。困った時は思いっ切り殿下の足を踏みつけることをお勧めするわ。ロザンヌ様からの愛の鞭なら喜んで受け入れてくれるでしょうから」
公爵令嬢は火に油を注ぐほど、大勢の前で婚約破棄をした殿下と汚名を着せようとしたロザンヌに憤慨しているらしい。
シューバットは違約金さえしっかりと貰えるのならそれで良いと思っていたが、立場のある彼女の怒りは当然のものなので二人はそれを清く受け入れるべきだろう。
だが、冷静さを欠いた殿下は血走った目を公爵令嬢に向けて、溢れ出す感情のままに恐ろしい顔でドシドシと足音を激しく鳴らして彼女に近付く。
狭くなっている視界の中で公爵令嬢しか捉えていない殿下にシューバットは嫌な予感がした。
「ふざけるなッ!!!」
「っ、」
荒い息を吐く殿下があっという間に彼女と距離を詰めると迷わず右手を振り上げる。
公爵令嬢は殿下の動きに咄嗟に目を瞑った。
一瞬にして高まった緊張感に陛下は「ゴーデン!」と声を荒げ、状況を見守っていた騎士達が一斉に動き始めるが、ゴーデン殿下の手が公爵令嬢の頬に当たる方が、早い。
しかし、いつまで経っても、頬を叩く弾ける音は聞こえない。
身構えていた公爵令嬢が恐る恐る目を開けると困惑に満ちた顔の男が、守るように斜め前に立っていた。
「───許可なく殿下に触れたこと、お許しください。しかし、女性に手を上げるのは殿下であっても止めさせていただきます」
横から割り込み、殿下が振り上げた右の手首を掴んだのはシューバットだった。
それでも殿下は諦めずに目の前の公爵令嬢を睨み付けながら「離せ!」と吠え、更に力を込めて無理矢理にでも手のひらを彼女の頬に当てようとしているため、シューバットは迷いつつも暴れる殿下を床に組み伏せた。
シューバットの心は勝手に王族に触れた理由で、首を斬られるのではないかとドキドキしている。
しかし、逆を言えばそれだけだった。
殿下の力に負けるとも思わなかったし、騎士達の制止の手が殿下に届くのか考える余裕もあった。
シューバットは男爵領で小さい頃から山を駆け回り、野生動物と数回喧嘩したこともある。
人間に手を出したのは、領地で酒に酔って喧嘩を始めた大男達を諫めた時と、一年半前に王都を歩いている時に強盗を捕らえる手伝いをしたぐらいだ。
駆けつけて来た騎士に殿下を渡し、殴られそうになっていた公爵令嬢を振り返るとルビーの目を丸くして、口をポカンと開けている。
どんな顔も美しいとシューバットは感心しながら、自分よりも少しだけ背の低い彼女に恐る恐る声を掛けた。
「ブルーム様、お怪我はありませんか…?」
「っ、ええ。ないわ」
「良かったです」
高位貴族に怪我をさせるようなことにならなくてシューバットは心の底からホッとして、公爵令嬢に気の抜けた柔らかい笑顔を見せた。
その次の瞬間、公爵令嬢の白い肌が鮮やかな赤に染まる。
彼女が殿下の横暴に驚いて熱を出したのだと思い、触れないギリギリの距離に顔を寄せて具合を窺った。
熱を計るために触れるべきか、しかし、令嬢に赤の他人の自分が触れるのは失礼に当たるだろうと悩んでいると、どんどん朱が溢れ出して、ますます心配になった。
公爵令嬢が心臓の上に両手を重ねて、ふらりと身体が後ろに倒れ込みそうになったのをシューバットは咄嗟に手を伸ばして彼女の細い腰を支えた。
どんなに修羅場に慣れていても、怪我を負いそうになったのだ。身体が恐怖を覚えてもおかしくはない。
「大丈夫ですか!?」
「~~っ!だ、だだだだ大丈夫よっ!触らないでちょうだい!」
「あ、申し訳ありません!」
パッとシューバットが手を離すと彼女はふらつきながらも、しっかりと立つことが出来た。
公爵令嬢のことを心配そうな顔でシューバットが様子を窺っている間、彼女の頭の中はある男のことでいっぱいになっていた。
一見、とても弱々しく頼りなさげに見える。
昨日の卒業式でも酷く緊張した面持ちで、自分以上に可哀想に思えて同じく被害者だというのに同情してしまった。
しかし、その様子からは想像ができない底に秘めたる目立たない力がある。
殿下を怯ませるほどの威圧、軽々と殿下をあしらう体術。
取り繕うこともなく、媚を売るようなものでもない、太陽みたいな温かい笑顔。
弱々しい姿が嘘のようにその男は時々、纏う雰囲気を変える。それは一瞬のことで本当の彼がどれなのか、分からない。
それでも彼を、シューバット・ポナーを、もっと知りたい。
こんな感情は生まれてから初めてで、戸惑いながらも激しい鼓動が意味するものを本能的に感じ取り、赤い頬を必死に隠す。
公爵令嬢が自分のことを考えているなどとは微塵も思っていなかったシューバットは、彼女の体調を気にしながらも元々立っていた場所に戻る。
その後、殿下は騎士達によって部屋から連れ出され、陛下が公爵令嬢とシューバットに謝罪した。
数分の内に一気に老け込んだように見えたが、それを指摘するような馬鹿な真似はしない。
陛下はロザンヌとの婚約破棄を認め、違約金に色をつけて、その場で渡してくれた。殿下の暴行未遂の口止め料が追加されたのだろう。
兄はこれを見て相当喜ぶだろうが、領地までの道のりが怖い。こんな大金を持ち歩きたくない。
公爵令嬢の方は額が大きいため、後日必ず支払うと言われ、代わりに書面を渡されていた。恐らくそこに違約金額が記載されているのだろう。
内容を知りたいとは思わないので、二人のやり取りを静かに見守った。
殿下の懐中時計に関しては、部屋まで案内してくれた人に渡して、殿下に届けてもらうことにした。
人生で一番緊張した時間から解放されて、公爵令嬢と共に門へと向かう。
彼女と何故一緒に歩いているのかシューバットはよく分かっていなかったが、そういう流れになってしまった。
途中で公爵令嬢の侍女が合流して一緒にいたシューバットに訝しげな目を向けたが、公爵令嬢が何も言わなかったためにそのまま存在ごとスルーしたようだ。
門の前で適当に挨拶して、領地に帰ろうと思っていると少し前を歩いていた公爵令嬢が足を止めて、シューバットを振り返った。
しかし、目線は合わず、どこかそわそわした様子に内心で首を傾げる。
「こ、この先、貴方はどうするの?私の方でも調べたけど、貴方はあのフィーズ男爵家に婿入りする予定だったと聞いたわ」
「領地に戻って兄達と今後の話をします」
どうして世間話をするように高位貴族である彼女と気軽に話しているのか、不思議に思いながらも答える。
正直、聞かれたくなかった質問だけど、婚約破棄の問題が片付いた今、次に考えなければならないのは己の身の振り方だ。
「それなら…私も行くわ。も、もちろん、仕方なく一緒に行くのよ!」
「え?」
どうして公爵令嬢の彼女が、何の観光地もないポナー領へ共に行くと言っているのだろう?
疑問は顔にはっきりと出ていたはずなのに、腕を組んでそっぽ向いた公爵令嬢はいつまで経っても訂正しなかった。
どうやら本気で一緒に行こうとしているらしい。
控えていた侍女は驚愕のあまり、言葉を失っていて助けてくれそうにない。
昨日から予想外の出来事が目まぐるしく行われていて、頭から湯気が出そうだった。
理解が追い付いていないシューバットをちらりと見たと思ったら、公爵令嬢はりんごのように赤く染め上げた顔で、ピシッと右手の人差し指をシューバットに向ける。
「シューバット・ポナー!私とけけけけけっこ…」
「けっこ?」
「っ、ご、護衛になりなさい!」
「けっこ」と「護衛」の関係性に首を傾げると彼女の人差し指がくにゃりと曲がり、キッと睨み付けられた。
彼女が何に対して怒っているのか分からないまま、おずおずと意味を訊ねようとすると「行くわよ!!!」と荒々しい声を上げて先に歩き出してしまい、慌てて追い掛ける。
下位貴族のシューバットが何か気に障るようなことをしたのなら謝らないといけないと思ったが、彼女は「けっこ」について語らず、顔を赤くして睨むだけだった。
卒業式の時と同じように置いてきぼりにされた状態でトントン拍子に話が進んで行く。
彼女が用意した馬車でポナー男爵領へ行くことになってしまった。
家に向かう途中の整備されていない道に彼女が文句を言っているのを聞いて、ロザンヌと似たタイプの令嬢か、と苦笑いが零れる。
しかし、よく話を聞くと、この道を通る馬や人に対する心配から来るもので、文句にも種類があるらしいと微笑ましくなった。
領地には夜遅くに到着し、公爵令嬢の訪問に昨日シューバットが唐突に帰って来た時よりもポナー家は大騒ぎになった。
公爵令嬢をおもてなし出来るような場所ではないのだから当然だ。
更に彼女は居場所を失ったシューバットを護衛騎士として雇うと言い出し、金額までさっさと決めてしまう。
護衛の平均賃金がどれほどのものか分からないが、貧乏貴族には大金といえる額だ。それに兄はもちろん食いついて、大歓迎だと積極的だった。
しかし、流石に軽々と受け入れられる仕事ではない。
確かに頭を使う領地運営より馬を走らせたり、身体を動かす方が好きだが、公爵令嬢の護衛が務まるとは思えなかった。
体術はそこそこでも、剣には触れたことがない。
殿下の暴行を止めたことで、シューバットを護衛に選んだのかもしれないが、騎士を目指していたわけでもない自分には荷が重い。
そうやって色々と理由を並べたが、ロザンヌよりも我儘なお嬢様は納得しなかった。
シューバットを絶対に護衛騎士にする、と言い切り譲らない。
質が悪いことに相手は田舎の貧乏貴族が逆らえる相手ではないのだ。
仕方がないので公爵令嬢ではなく、彼女の親に自分の出来の悪さを訴えて、彼女を説得してもらうことにする。
また緊張感ある場に臨まなければいけないことに、胃が痛くなった。
───その後。
彼女の素直じゃない積極的なアプローチにシューバットは振り回されることになるのだが、まだこの時は想像すらしていなかった。