18.ダンスの練習
遅くなりました!
『シューバット・ポナー殿。
夏が近付き、空の青さが輝きを増してきましたがいかがでしょうか。』
そんな挨拶分から始まる手紙が昨日、シューバットの元に届いた。
シューバットが兄からの手紙に誤解があると返事を書いた時に、学園を卒業して以降連絡をしていなかったキャルムにも手紙を書いていた。
キャルムにあの婚約破棄の後のことを簡単にしたためて送った。
どうやらその内容に心配してくれていたようで、シューバットの身を案ずるようなことが沢山書かれている。
そして公爵令嬢の護衛として雇われていることにはびっくりした、と返って来た。
キャルムの気持ちはよく分かる。
シューバットとキャルムは学園で身を弁えた生活をしていたから、この大出世には驚いて当然だろう。
もし、キャルムが公爵家で働いていると聞いたら、シューバットも同じ反応をしたに違いない。
公爵家の護衛というのは、想像していたよりもやることが幅広い。
騎士としての役目はもちろん、貴族の名前や横の繋がりなど、覚えることが山のようにある。
公爵家の一員として周りには見られるため、礼儀作法も叩き込まれたし、ダンスも踊れるようにしなければならなくて特訓中だ。
セバスに毎日のように色々と教えられて、頭から湯気を出している。
そして今度、王城で行われる王妃の誕生日パーティーにアイラのパートナーとして参加するように言われた。
その役目はまだまだ社交に疎い自分には務まらない、違う人を選んだ方が良いと勧めた。
彼女に新しい婚約者が出来てもおかしくはないし、ダンスを覚えたての雛よりも長年公爵家を支えている護衛騎士に頼んだ方がアイラも安心するだろう。
しかし、セバスに「アイラお嬢様を一番近くで守るのは、シューバットの役目ではなかったのですか」と冷たい声で言われると、ぐうの音も出なかった。
セバスはアイラのパートナーにシューバットを推しているが、絶対に他の人の方が良いのに。
男爵令息でパーティー慣れもしていないシューバットと踊ったら、絶対にアイラに恥をかかせてしまう。
シューバットは必死に抜け道を探した。
夜会用の服は手持ちにはなく、給料はもらっているがアイラにつり合うようなものが用意できないとセバスに泣き言を言うことで諦めてもらおうとした。
しかし、公爵家でアイラと並んでも遜色ないようなものを用意するし、費用も公爵家で持つと言われると反論も出来ない。
他にも色々と言い訳を並べてみたが、優秀な執事長を打ち負かすなんて百年早かった。
最終的にシューバットは、ダンスにより力を入れて練習することを決意して、受け入れた。
そして、今日。
午後からアイラと一緒にダンスを踊ることになっていた。
朝から鼓動が酷く荒れているシューバットは、現実から目を背けるように与えられている自室の窓の外をちらりと見る。
灰色の雲が広がっていて、今にも雨が降りそうな天気。
昨日は晴れていたというのに、今日は機嫌が悪いらしい。
だが、ダンスの練習は室内でするため、どんなに雨が降っても練習が中止になることはなかった。
シューバットは部屋の外に出る前に扉の近くで深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
ダンスはお世辞にも上手いとは言えないし、アイラに格好悪い姿を晒すことになるだろう。
シューバットがアイラをリードしてダンスを踊ることが出来れば良いが、おそらくそれは難しい。
何よりも問題なのは、彼女に触れ、アイラと真正面から向き合わなければならないことだ。
それは、とてもとても近い距離で。
ダンスなんて何度も踊って慣れているアイラは、シューバットのように緊張なんてしていないんだろう。
シューバットも平気な振りが最後まで続けばいいが、自信はあまりない。
ドクドク、と激しい音を響かせている胸の辺りを手のひらでパンっと叩いて気合を入れる。
これ以上ここにいたら、アイラをエスコートする時間が遅れてしまう。
格好悪い姿のシューバットにアイラが幻滅しませんように。
そんな気持ちを抱えながら、シューバットは自室の扉を開けた。
・◇・◇・◇・
公爵家には夜会やお茶会が開けるように広い部屋がある。
そこはダンスホールと呼ばれていて、今日の練習でも使われる場所だ。
アイラをエスコートしてダンスホールに来たが、緊張でシューバットはその間に一言も話し掛けられなかった。
アイラの方からも声を掛けられることもなく、お互いが無言で足を進める。
ダンスホールに入ると、セバスとシークが揃って迎え入れた。
エスコートしていた手を離すと後ろからは付いて来ていたシエナが静かに部屋に入室する。
ダンスホールに、五人が揃った。
部屋の奥では休憩用なのか、小さめのテーブルと椅子が二つ用意されている。
視線を走らせているとセバスが一歩前に出て、シューバット達を交互に見つめた。
「今日からお二人でダンスの練習をしていただきます」
シューバットとアイラがセバスに向かって頷く。
「…シュー、早速始めましょう」
「は、はい」
セバス達が部屋の端に移動し、シューバットとアイラはホールの中心に向かい合って立つ。
シューバットよりも背の低いアイラが、硬い表情で見上げる。
ルビー色の目にジッと見つめられて、緊張が更に高まった。
ダンスではどうしても相手に触れなければならない。
シューバットが今までアイラに触れたのは、エスコートの時と非常事態の限られた時だけ。
エスコートは手が少し触れただけだし、腰を支えたり、抱き上げたこともあるが、それはあくまでも彼女を守るためにしたことだ。
今日は今まで以上に長時間、そして自分の意思でアイラに触れることになる。
田舎の男爵令息が公爵令嬢の彼女に本当に触れていいのだろうか。
とても罪深いことをしようとしている気がして、助けを求めるようにアイラの後方にいる執事達を縋る思いでちらりと見た。
しかし、セバスはいつも通りの笑みを浮かべ、シークは椅子に座っていつでもピアノを弾けるように準備している。
パーティーでは名のある楽団による演奏が行われるらしいが、今日は何でもお手の物の優秀なシークの演奏でダンスを踊るらしい。
逃げ場がないことを改めて悟った。
声が震えないように気を付けながら、アイラに向かって手のひらを差し出す。
「一緒に踊っていただけますか、レディ?」
「喜んで」
了承を受け取ったシューバットは小声でアイラに「へ、下手ですが、よろしくお願いします」と伝えた。
左手をアイラの小さな手と重ね、右手は彼女の華奢な背中に手を回す。
グッと近付いた距離に胸の奥が跳ね上がり、バラの香りが鼻腔を抜ける。
アイラは女性の中では背が高い方なため、顔の距離も近い。
屋敷ではいつも簡素なワンピースやドレスを着ているアイラが、今日はいつもよりも豪華なドレスを着ていた。
淡い紫色をベースに銀色のレースが入ったドレスは、彼女によく似合っている。
ただ、一つだけ問題があった。
髪を結い上げ、大きく開いた首元にはネックレスはなく、無防備にも目前に晒されている。
アイラと目を合わせると必ずそこが視界に入り、白い肌がシューバットを強烈に刺激した。
相変わらず彼女は隙だらけだ。
護衛として信頼してくれているのは大変光栄なことだが、もう少し自衛して欲しい。
シエナは何故、こんなドレスを着ることを許したのかと詰め寄りたくなる。
ドクドクと激しく波打つ心音は、ゆっくりとシークが弾き始めたピアノの音にもかき消されてくれない。
「……」
「……」
互いに無言で、ステップを踏み出す。
こんなにもアイラを意識してしまうなんて、護衛失格だ。
護衛騎士は常に冷静に周りの状況を把握して、危険を排除するのが一番重要な仕事。
アイラのことを日常でも、パーティーでも一番近くで守るためにダンスの練習を懸命に頑張ったはずなのに。
全く心にゆとりがなく、目を合わせられない。
アイラのことでいっぱいに埋まっている頭の中を必死に振り払いながら、ダンスに集中する。
シューバットにはアイラの足を踏まないようにするのが、精一杯だった。
最後に礼をして、一曲目をどうにか終える。
一旦休憩を入れてこの暴れ回る感情に整理を付けて、平静を取り戻さなければならない。
そう、思っていたのに。
二曲目の演奏が始まり、慌ててシークの方を見たが、彼はシューバット達のことを見ていなかった。
シークに待ったをかけようと思った時、ずっと黙っていたアイラが口を開く。
「シュー、曲が始まったわ!」
ジッとシューバットを見上げるルビー色の目に負けて、シューバットは再びアイラに触れる。
相手は警護対象、相手は警護対象、相手は警護対象……
何度も自分に言い聞かせながら、ダンスをしたおかげで一曲目よりもアイラのことを守る相手として見ることが出来た気がした。
その後、容赦なく三曲目が始まって、仕方なく音楽に乗ってステップを踏む。
やっとこの状況に慣れて来たが、緊張で手のひらに溜まった汗がとても気になる。
アイラに不快な思いをさせていないだろうか。
汗臭い男と思われていないだろうか。
気持ち悪かったと嫌悪感をいだかれないだろうか。
考えれば考えるほど、手のひら以外からも汗が溢れ出して来て酷く困った。
どうにか三曲目を終え、礼をするとようやくピアノの音が止まってくれてホッとする。
今度は大きな窓に打ち付けるような雨音が耳に届く。
アイラのことばかりを意識していたせいで、天候の変化に気付かない自分の余裕のなさに苦笑いが零れそうになる。
これでは当分、アイラの護衛として認めてもらえないだろう。
セバス達がシューバットとアイラの元へ近付き、横一列に並ぶと口々に感想を述べた。
「シューバットは身体の動きが全て硬く、習い始めた時よりも酷いです。お嬢様も肩に力が入り過ぎています」
「表情も硬いので、二人とも微笑むことを意識してください」
「シューバット様!お嬢様と目を合わせて、しっかりと支えてください!なんですか、その頼りない手はっ!」
セバス、シーク、シエナのダメ出しが続いて、シューバットは頬が引き攣った。
特に、最後のシエナの怒り具合が凄い。
全面的にシューバットが悪いのは分かっているが、もう少しやんわりと指摘してくれてもいいのではないだろうか。
たった三曲目で随分と精神がすり減った気がする。
シエナに指摘された通り、彼女の背中に手を添える程度のギリギリの接触に留めていた。
これ以上触れたり、距離を近付けるのはシューバットにとっても良くない。
「……シュー、そんなに私に触れるのが…嫌、かしら?」
アイラも支えられている手に力が入っていないことに気付いていたのだろう。
ちらりとアイラを見ると、彼女のルビー色の目が微かに潤んでいる。
窓の外よりもどんよりとしている彼女に、シューバットは慌てて訂正した。
「違います!嫌とかじゃなくて、緊張とか…色々とあって…!」
「緊張…」
「それに私なんかに、お嬢様も触れられたくないでしょうし……」
最近、アイラに触れたり、見つめられたりすると胸の奥が激しく揺らぐ。
ドキドキして、視界が狭くなって、アイラしか見えていない。
これは護衛として恥ずべきことなのだ。
こんな奴にアイラだって身を任せたいとは思わないだろう。
シューバットの自分を卑下する言葉にアイラが目を大きく見開いて、グッと拳を握り締めて声を上げた。
「私は前に言ったはずよっ!貴方になら触れられても構わないと!」
「……はい、覚えています」
「だったらっ…!」
アイラに触れても構わないと許しをもらったのは、いつだったかも鮮明に覚えている。
それでも、こんなにも心を乱し、護衛としての信頼関係にヒビを入れる自分自身が許せないのだ。
苛立ちを乗せた言葉を途中で止めたアイラが、ふいと目を逸らす。
疲れた顔の彼女に胸の辺りがギリ、と痛む。
主にこんな表情をさせたのは、他の誰でもない……自分だ。
「……少し休憩しましょう。シエナ、お茶とお菓子を用意してちょうだい!」
シエナに指示を出したアイラは、ダンスホールの端に用意されていた椅子と丸いテーブルの方へエスコートなしで向かう。
シークはアイラの隣に並んでいくつか言葉を交わし、セバスはシエナと共に部屋から出て行く。
一人だけ離れて立っていたシューバットは、足が竦んで動けない。
こんな自分をアイラは呆れているだろうか。
それとも、仕事をまともに出来ないのなら護衛から外れていいと言われてしまうのだろうか。
自分は相応しくない。
彼女は別の誰かとパーティーに参加した方がいい。
そう思っているのに、どす黒いものが胸の辺りに広がって心は晴れない。
アイラに何を言われても耐えられるように、奥歯を噛み締める。
シークに声を掛けられたシューバットは、震える足で一歩を踏み出した。
足が酷く重く感じ、雨音がやけに大きく聞こえる。
顔は自然と下を向き、アイラと目を合わせるのが怖かった。
近付きたくない。
しかし、主に呼ばれたら護衛騎士としていかなければならない。
まだ、シューバットはアイラの護衛なのだ。




