17.侍女の願いごと
アイラ・ブルーム公爵令嬢の専属侍女シエナは、長年に渡ってある方から極秘任務を言い渡されていた。
その報告書を纏めるために、アイラが就寝した時間にシエナはこっそりと作業をしている。
ふわっと欠伸を一つして、動かしていた手を一度止めて目を擦った。
作業を再開しようとして、ある男の名前が目に留まる。
ある時から頻繁に報告書に出てくるようになった人物、シューバット・ポナー。
シエナは彼のことを大切な主の相手として一応は認めているが、気に入らないところもあった。
高貴で聡明なアイラの隣に並ぶのが、男爵令息の次男では烏滸がましいと思う彼の気持ちは分からないわけではない。
自分の容姿が平凡だと自覚し、宝石のように美しいアイラと一緒にいると腰が引けてしまうのも理解出来る。
しかし、アイラがこんなにも…少し分かりづらいがアピールしているにも関わらず、何故気づかないのだろう。
二人の進展に大きく貢献したといえば、じゃがいも畑の件だ。
寿命が縮まる場面はあったが、確実にアイラとシューバットの距離が縮まったと確信している。
ただ、この件については一人、犠牲者がいた。
長年大切にしてきたバラ園にじゃがいもを植えたいと言われた庭師は、とても傷付いていた。
アイラが庭師に色々と頼む時に一緒にいたが、顔を真っ青にした中年の男性が涙を浮かべるという非常に珍しい姿を目撃にすることになった。
景観が悪くなる、と控えめにアイラに進言していたけど、一度走り出したら止まらない彼女に庭師は折れるしかなかった。
後日こっそりと聞いた話だが、庭師はシーク経由でアイラの父フィンリーに「お嬢様を止めてくださいっ!」と泣きついたらしい。
しかし、実は娘に甘いフィンリーは給料アップで手を打ったそうだ。
アイラに頼まれたものを全て渋々用意した庭師は、その後一週間は寝込んでいた。
アイラはシューバットが公爵家に住むようになってから毎晩、欠かさずに行っていることがある。
それを隠れて見る度に「頑張れお嬢様!」と思うと同時に「あの男はお嬢様になんてことをさせているんだ!」とも思っていた。
天蓋付きの広いベッドに入り、周りを囲む白いレースのカーテンを閉めるとアイラは持ち込んだ手鏡に自分を映す。
そして、「け、け、けっこ…んっ!」と言葉を詰まらせながら、自分が結婚を申し込む前提で練習をしていた。
シエナには隠れているつもりらしいので、何も言わずに見守っている。
美しく優しいアイラがシューバットのために懸命に努力している姿が、なんともいじらしい。
シエナはそれをこっそりと見る度に、涙が溢れ出すのを必死に堪えている。
可能であれば、シューバットが男を見せてアイラに熱烈に結婚を申し込んで欲しい。
しかし、それはなかなか難しいだろう。
彼は意気地なし、だから。
決して口には出さないが、アイラの努力は全く実を結んでいなかった。
朝の挨拶の後、会話の切れ目、お茶を飲んでいる時、就寝の挨拶の前など色々な場面でアイラは気持ちを伝えようとしている。
「け、けっこ……う、天気が良さそうね」
「けけけけっこ、う、美味しいわね、このお菓子」
“結婚”から“結構”に言い換える術を身に付けたアイラ。
上手く誤魔化せていると思っているようだが、不自然な言葉の詰まりにシューバットは瞬きを増やして不思議そうにしている。
しかし、アイラ本人がすました顔で何でもありませんという表情をしているし、シエナもアイラの背後で詮索するなと視線でビシバシと訴えているから、今のところ理由を尋ねられていない。
シューバットが護衛騎士に正式になってから、アイラが楽しみにしていることが一つ増えた。
アイラが公爵家に届いた手紙の整理や領地に関わる仕事をしている間、シューバットは騎士の腕を上げるために訓練をしている。
その様子をアイラは時々仕事を抜けて、陰からこっそりと見に行っていた。
真剣な表情で剣を振り、汗を流している姿にアイラはキラキラとした眼差しをいつも向けている。
シューバットに気付かない音量で「かっこいいわ」「素敵」と心の声をぼろぼろと零していた。
シエナも一緒にシューバットの姿を遠目で見るが、そうだろうかと思わず言いそうになってしまう。
努力している姿は悪くないと思うが、彼が他の護衛騎士よりも特別には思えない。
それでもアイラの楽しそうな姿にシエナは微笑ましく思っていた。
シューバットは勘が鋭いのか、時よりアイラの熱い視線に反応して近付いて来ることがある。
その時のアイラの狼狽えぶりは凄い。
思わず吹き出してしまいそうになるが、シューバットが声を掛けて来る前に、少しでも冷静さを取り戻す手伝いをする。
少しでも顔が赤いと、熱があるとシューバットが騒ぎ出すからだ。
シューバット・ポナーという男は消極的で遠慮することが多く、自分は護衛だからと口癖のように断って、アイラの気持ちに全く気付いていない鈍い男。
しかし、彼はアイラに対してとても過保護で、心配性。
見ている方が呆れてしまうほど、アイラのことを非常に大切にしている。
それが本当に護衛対象に対するものなのか、異性として気にしているのか。
シエナにはまだはっきりとした答えが出ていなかった。
しかし、あんなにも素晴らしい主に惹かれない男なんているはずがない。
シューバットだって、近い内に必ずアイラに夢中になってしまうに決まっている。
シエナだけではなく、公爵家の皆で進歩の遅い二人を陰ながら見守っている。
シューバットの身分を知って、アイラと釣り合わないと思った使用人も少なからずいたし、シエナもそう思っていた。
そんな気持ちを変えたのは、アイラだ。
屋敷にいても自分の部屋以外では気を緩めることなく、立派なご令嬢としていつも気丈に振る舞う。
そんな彼女がクルクルと表情を変えるようになったのは、シューバットが公爵家に来てからだ。
子供の頃のように無邪気に笑い、怒り、落ち込んだりしている。
次期当主として気を張っているばかりだったアイラに安らぎの時間を与えた存在。
元婚約者の殿下とは、婚約してから月に二回は王城でお茶をしていた。
殿下に会いに行くアイラが嬉しそうな笑みを浮かべたことはない。
王城に行くのは彼女にとって義務で、どこか面倒そうな雰囲気を出しながら公爵家を出て行くアイラを心配している使用人は多かった。
今とは全然、違う。
愛らしい笑みでシューバットに話し掛け、自分から楽しそうに会いに行っている。
見ている側も思わず微笑んでしまいそうなアイラの様子に、屋敷の空気が徐々に変化した。
柔らかく、温かで今まで以上に居心地の良い公爵家。
シューバットにアイラがエスコートされて歩いている時は、必要がなければ声を掛けない。
アイラの邪魔をしないように陰に徹して、二人きりの空間を作り上げて応援する。
二人の様子は使用人達の独自の情報網で広がり、アイラの不器用なアピールやシューバットの鈍さも全て筒抜けになっていた。
シューバットの存在は、フィンリーが受け入れたことやアイラのおかげで認められるようになった。
そのため、使用人達はシューバットを婿として扱っている。
本人が「シューバット」で良いと言っても、将来は「若旦那様」になる相手に敬称なしでは呼べない。
シークやセバスのように接する機会の多い人は怪しまれないようにしているが、正式に婿になれば変わって来るだろう。
ぼんやりと過去を振り返っていたシエナは回想を止めて、再び手を動かし始めた。
「…早く書いて明日に備えないと!」
窓の外はすでに暗く、明日も朝からアイラの侍女として元気に働くためにこれ以上の夜更かしは良くない。
報告者であるシエナのサインを入れたら作業は終わる。
この報告書は明日の朝一でセバスに渡して、極秘任務をシエナに依頼したフィンリーに届けてもらうことになっていた。
愛娘の日常も余すことなく知りたがっているフィンリーに、毎週報告書を出している。
どんな些細なことでも書き記して伝えているが、フィンリーはこれを楽しみにしているらしい。
加えてエリンも目を通しているそうだ。
公爵家のトップの二人が見るものとなると毎回手に力が入る。
シエナが小耳に挟んだところによると、早くも結婚式の準備を始めようとしているとか。
この前、ポナー家に縁談話をしてアイラに怒られたばかりだというのに、懲りていないようだ。
「ダンスの練習をきっかけにもっと距離が縮まればいいけどなあ。私も頑張って良い雰囲気を作り上げなきゃ!」
アイラからは次の作戦も聞いている。
本当はもう少し早くその作戦を実行する予定だったようだが、上手く行かなかったらしい。
アイラから相談を受けて、シエナもその作戦をアイラが実行出来るタイミングを窺っている。
二人の次の最大のイベントは、王妃の誕生日パーティーだろう。
それに向けて、アイラもシューバットも準備を進めている。
アイラのドレスは、今仕立ててもらっているところ。
彼女が欲しがっていた宝石もようやく見つけられて、アイラは随分と喜んでいた。
シューバットの方は、セバスが立ち会って当日の服装を注文したらしい。
アイラはその話を聞いて「どうして私も呼んでくれなかったのよ!」と怒っていたけど、セバスに「当日の楽しみが一つ減りますが、よろしかったですか?」と言われて押し黙った。
セバスならシューバットに上手いこと言って、緑か赤色は確実に入れているだろう。
シューバットはアイラと一緒にパーティーに参加するため、公爵家の優秀な執事達の手を借りてダンスの練習をしている。
今までほとんど踊ったことがないようだが、運動神経の良い彼はなかなか筋が良いらしい。
来週には、本番に向けてアイラと一緒に踊る予定になっていた。
アイラは今から緊張しているようだけど、当日に二人は息をぴったりと合わせて踊れるのだろうか。
ぎこちないダンスをしているのが目に浮かぶ。
セバスが言うには、二人をお互いに慣らすための練習でもあるらしい。
何か進展があれば、フィンリーにも楽しい報告が出来る。
出来ればシューバットの方からアイラに一歩踏み込んでくれることを願っているが、その前に自分の気持ちが誰に向いているかを自覚する方が先だろう。
アイラの気持ちがシューバットに届きますように。
そんな願いを窓の外でキラキラと星々が輝く夜空に向かって、両手を合わせて祈った。




